日々の何気ない出来事を思いつくままに綴ってみました・・・

          

6月29日(金)曇り 今日は病院親和会主催のビアガーデンが旭ロイヤルホテルで開かれた。梼原から駆けつけたので少し出遅れたが、料理が無くなる心配がなく、安心していられた。朝が早かったこともあって、ジョッキーを空ける度に除々に睡魔に襲われてきてしまい、翌朝透析業務があることも考えて病院仮眠室泊とした。ちなみにこの日の参加費はたったの1,000円!!。思いっきり得した気分でそのまま撃沈してしまった。

6月28日(木)曇り 今日は夕方医師会館にて生涯教育の講演があった。今月は内科のT先生が担当で、当院で施行されている化学療法について色々とお話されていた。プロジェクターを使用しての講演だったがパワーポイントにビデオ(動画)が登場して館内が沸いていた。当院講堂にあるパソコンにはデジタルビデオで撮った動画をファイルにするソフトが搭載されており、最近院内ではビデオ編集も除々に流行ってきている傾向がある。

6月27日(水)曇り 今日は葉山村診療所に葉山中学生が3名早期体験学習ということで勉強に来ていた。この体験学習は以前から取り入れられている実習のようで、村内にある幾つかの職場に行って現場を体験してくるという制度のようである。ちょうど胃カメラの検査なども入っていて、少し気味悪そうに遠くから眺めている姿が印象的だった。普段あまり病気とは縁のない生徒さん達だけに村内にもこれだけ多くの患者さんやお年寄りがいるのだということを改めて再認識したことだろう。また感想文など読ませてもらいたいものである。実習は明日も続くようである。

6月26日(火)曇り 今日は嶺北への後方支援業務。地域検診の胃カメラを3年目の研修医であるI上医師に3件施行してもらった。挿入もあと少しといったところだが、このままいけば確実にうまくなる素材であり期待できそうである。県中外科のS谷先生からある患者さんの予後調査を依頼されたため、カルテなど色々と調べてみると、その患者さんの旦那さんが、奥さんの病気に関する経過を手記にして製本化していたことが分かり、早速事務長さんに依頼してその本を入手することができた。手記には私のよく知っている先生方(U先生、N先生、I先生、県中T.M先生、E先生、I先生など)が出てくるためにいよいよ現実的にその経過を読み取るとこができた。これ以上の確実な予後調査は類をみないものであろう。

6月24日(日)曇り 今日はIずみの病院の落成記念パーティが三翠園ホテルで開かれた。医師会や医大関連、病院関連の地主さん方など大勢の参加者で盛大に行われた。この厳しい時代の中での病院開院ということで、これからの先行きを懸念する意見も聞かれたが、Y部院長を先頭としてY井先生達とのいい連携の中でこれからますます発展していく民間病院だと期待してやまない。

6月21日(木)雨 今日中尾喜久(なかおきく)自治医科大学名誉学長(前学長)の逝去が伝えられた。享年89歳ということであったが、つい最近までも色々と卒業生のイベントには顔を出されてまだまだお元気だったようで、改めてその知らせに耳を疑うばかりであった。高知にも何度か足を運んで頂き、まさに自治医大の象徴ともいえるべき人格者であった。卒業式の時に始めて握手をして頂いたことを覚えているがその手のぬくもりと柔らかさは今でも鮮明に記憶しているのである。心よりご冥福をお祈りいたします。合掌・・・・。

6月20日(水)雨のち曇り 今日は葉山村に来ている。梅雨だというのに今朝もパラパラとお湿りがあった程度でまとまった雨が来ない。先日早明浦ダム湖畔を眺めながら黒丸地区に向かった時随分ダム湖の水カサが減っていた。これから暑い夏を迎えようとしているだけにもう少し水の貯えが必要なのかも知れない。このまま梅雨明けにならないことを祈るばかりである。

6月19日(火)雨 今日は久寿軒への無医地区巡回診療。先月はお葬式で来られなかった患者さんが多かったのだが、その影響か今日の外来受診者29名と多かった。 月一回のミニデイサービスを兼ねてこの診療日を楽しみにしているお年寄りは結構多くて、看護婦さんの呼び出しにも気付かずに大声で会話を楽しんでいる風景はなかなかユニークである。声が大きいのは耳の遠いお年寄りが多いのもその一因であろう。 

6月18日(月)曇りのち雨 今日は内科学会の打ち上げということで市内の中華料理屋に向かった。学会も無事に終了して当日お手伝い頂いたスタッフの方々もお招きしての慰労会であった。2時間食べ放題・飲み放題のコースで、腹一杯になったが、全てはT橋院長のおごりということだった。何とも太っ腹の図らいで嬉しかったが、それ以上に今回会長を無事務めることができたT橋院長の方が嬉しかったということなのだろう。

6月17日(日)晴れ 今日は嫁さん、子供達と一緒にトヨタビスタ高知に行った。愛車の三菱デリカスペースギアも購入して7年目ということで査定も70万円程度に下落してしまった。もうすぐ車検なのだが、今まさに「売り時」なのかも知れないと嫁さんを口説いて新車の発表会に行った。狙いはエスティマのハイブリッドタイプか新型イプサムの2台である。デリカの後継だけにどうしても4WDと7名乗りだけは譲れないと嫁さんの嬉しい発言をもらって色々と情報収集にあたった。車に詳しい優駿はイプサムがお気に入りのようである。エスティマはまだ今の時代には早過ぎるような斬新なデザインであり、不評を買うのはやむを得まい。さて最終的結論は如何に??楽しみはゆっくりとじっくりといきませふ・・・。

6月15日(金)晴れ 今日は四万川診療所への代診を済ませて梼原病院へと立ち寄った。そこでM場医師が先週の土日と青森の日本プライマリケア学会にて発表する予定だったが、出発日の朝、自分の受け持ちの患者さんの容態が悪化して学会出張を急遽取りやめたという話を聞いた。大きな病院であれば代わりの医師(若しくはミット)に依頼して学会を優先するのだろうが、この姿勢こそがまさに本物の「主治医」の姿なのだろう。最近こういった話が身の周りになかっただけにあまりに新鮮でなおかつ感動させられる話であった。

6月13日(水)曇り 今日は葉山に代診に行き、そのまま夕方から県中の当直へと突入した。幸い重症の救急搬入もなく落ち着いた当直であった。当直は病院の中にじっくりといられる絶好の機会だけに色々と雑用を片付けることができた。

6月12日(火)曇り 今日は嶺北での後方支援日。朝から住民検診・胃カメラ・胃透視・エコー・黒丸無医地区巡回診療・在宅訪問診療とフル稼働の一日だった。月に2日の機会しかないが、この支援によってU口副院長が院外に出ていく機会が減り、微力ながら嶺北の激務に貢献できているようだ。やはりあと一人常勤が必要だとつくづく実感するが、これは梼原でも同じである。いくら田舎であってもそこで一生懸命仕事をすればそれだけ仕事も増えていくものだとつくづく実感してしまう。医師を充足させたいなら手抜きをするしかないというこのジレンマだけはどうしようもないものである・・・。

6月9日(土)晴れ 今日は日本内科学会四国地方会が高知城ホールで開かれた。このための準備で2ヶ月くらい前から内科の先生方と一緒に準備をコツコツと進めてきたわけである。本日の私の役割は病棟・透析当番ということで内科・消化器科の先生方のポケベルが鳴らないようにするという密かに重要な任務を拝命されることとなった。ポケベルが鳴りまくって毎日汗だくで活躍している研修医の先生方の日々の苦労がよく分かった一日であった。夜は三豊から発表に来ていたK野医師達と合流して一緒に酒を呑んだ。K野先生も近々転勤という話を聞いて大変残念だが、また新任地での更なる活躍を願ってやまない。 

6月7日(木)晴れ 今日はブロック会議の全体会が記念塔最上階の大講堂で開かれた。それぞれ抱える問題の異なる都道府県が一同に会するわけで、なかなか全体のニーズに答えられるような内容を提供するのは大学側としても難しいところだろう。このブロック会議以外でこういった主管課長会議を各県持ち回りでやったらどうかなどの意見もある県から提案されたりしていた。女医さんも増えてきて県を越えた連携が最近多くなってきているらしく、少し視野を他県にまで広げてみるというのも悪い話ではなさそうである。個人的には保健体育学教授のA部先生(仲人)にお会いできて何よりだった。来年秋にはくろしお国体で高知にいらっしゃるというので是非家に遊びに来て下さる約束を頂いた。ちょうど宿泊場所も少ないようだし、万が一の時には我が家をA部先生の宿泊場にご用意させて頂く旨もお伝えしておいた。 

6月6日(水)晴れ 今日は母校自治医大で毎年開かれる主管課長会議(ブロック会議)に出席するべく県担当者やT上副部長達と一緒に高知を発った。大学ではT久学長やI井副学長らの一定ラインに対して高知県のへき地医療活動の状況を説明して、30周年記念事業の一つである記念誌への投稿とシンポジウムへの参加を依頼し快諾を得ることができた。シンポではT久学長とH本知事とのビッグ対談が予定されており、なかなか楽しみなものになりそうである。夜は学生さん達と懇談して一緒に酒を呑んだ。昨年よりもぐっと名前と顔が一致するようになって、色々とお互いの情報交換がスムーズにできた。

6月2日(土)晴れ 今日は春野平和幼稚園のこいのぼり運動会である。秋の本番と違って規模は小さいが幾つか出番があった。昨年までお世話になっていた長男の優駿を連れて行ったのだが、久し振りにお会いした先生方も優駿の成長にびっくりした様子だった。いつも近くにいるとあまりよく分からないのだが、久し振りに見るとその違いがよく分かるらしい。恥ずかしがり屋の優駿も照れくさそうに幼稚園の先生方に挨拶していた。優美佳も少しくらいは優駿のような部分があればよいのだが、すっかり姉貴風を吹かせて我が物顔でひよこ組を制している感がある。末恐ろしい・・・。