日々の何気ない出来事を思いつくままに綴ってみました・・・

         

9月27日(金)雨 今日本川村からの出張診療を終え、夕方から県中歓送迎会に参加した。外科のI川部長、整形外科K村医長の退職ということで、医局主催の大掛かりな宴席である。この2年間で随分と多くの医長以上の幹部医師の退職が続いている。平成17年3月開院予定の高知医療センターの件は大なり小なり関わりは否めないところであろう。何とも寂しい思いがしている・・・。

9月26日(木)曇りのち雨 今日と明日の2日間は本川村長沢診療所への代診業務である。I上医師にとっては待望の夏期休暇ということで、こういった場合には全力で支援していく必要がある。8月末にあった大雨災害の爪跡が所々残されていて、本川に着くまでに4ヶ所も土木工事のための臨時信号で止められてしまった。午後は久し振りに長沢から車で約40分奥に位置する越裏門出張診療所へも行った。ここの診療所も老朽化が否めないが、この地区の住民のニーズを考えてもこの出張診療は外せないところである。ここ本川村は仁淀川流域の自治体との合併が囁かれているが、市町村合併後にも何とかこの診療所は存続して欲しいものである。

9月24日(火)晴れ 今日は大正町田野々診療所の最後の代診であった。10月からは常勤として勤務してくれる医師を独自で見つけ出し、元の2名体制に戻ることになったことに伴うものである。所長のY本先生には本当に色々とご指導頂き、地域で頑張っておられる姿に幾度となく勇気づけられた。夜には大正町の町長さんや、十和村診療所のK上医師、K村医師も参加してくれて、宴席の場を設けてくれた。数年先の市町村合併も視野に入ってきている中で、地域の医療機間の連携・協力というものは不可欠となってきており、これから十和と大正、引いては西土佐との広域な医療ネットワークの発展に期待したいものである。今夜は大正に泊まり、明日早朝土佐山村に向かう予定でだが、これも高知自動車道須崎IC開通の恩恵である。感謝!!

9月22日(日)晴れ 昨日からよさこい高知国体が始まっている。国体なんてなかなか縁遠いものだと思っていたら、趣味でスカッシュバレーをやっていた嫁さんが中土佐町で開催されるこの部門の国体に出場するとのこと。スカッシュバレーとは、「スカッ」と「リフレッシュ」するバレーという意味で名前が付けられたらしく、高知県独特のスポーツらしい。今回は参考競技ということで正式ではないが、高知県での国体ということで特別に競技種目として採用されたようだ。結果は・・・勿論1回戦敗退だったらしいが、国体に参加できるだけでも大したものである。まさに参加することに意義があるということで、本人も満足しているようである。しかしながら何でもやりだしたらとことんまで練習してやる嫁さんの姿勢には学ぶべき点が多い。この国体が終わったら、県内でも数本の指に入る高知市高須のチームにヘッドハンティングされて移籍するらしい。おいおい、バレーもいいけど主婦業だけは疎かにせず、しっかりやってくれよ!!。

9月19日(水)晴れ 今日の午後スキンケア委員会が開かれ、エアマットの中央管理の議題ついてディスカッションがあった。エアマットというのは褥創予防や治療のために使用される医療器材で、機種も豊富で結構高価なものである。これまで、このエアマットが院内に一体どのくらいあって、今現在どの病棟に何機置かれて、どのエアマットがメンテナンスをいつ受けたのか・・・・全く知るすべもない無法地帯であった。こんな高価な医療器材を適当な管理でこれまで使用し続けていたという大病院の盲点とも言える部分である。今回10月から施行される褥創対策未実施減算の制度の恩恵を受けて、当院では褥創に対する様々なシステムが再構築され、色々な意味で絶好の機会となったわけである。エアマットにも全て通し番号をつけて中央管理部も新たに設置し、中央管理マニュアルも完成した。何とか10月に滑り込みセーフといったところである。

9月18日(水)晴れ 今日の午後県・医療対策課のG味さんが来院した。H見院長、K野事務局長との接見である。内容はへき地医療支援機構に関することであった。第9次へき地保健医療計画が平成12年度に提示されて3年目の年を迎えようとしおり、厚生労働省も今年度末まではへき地中核病院とへき地医療拠点病院の並存を容認していたが、来年度からはとうとう業を煮やして拠点病院への一本化を明言してきたのである。現時点ではへき地中核病院の方が補助金などでメリットが多く、多くの県で拠点病院への乗り換えをためらってきた県が多くあったのだが、高知県もその一つで、ぎりぎりまで粘ったものの、とうとう平成15年4月からへき地医療支援機構を立ち上げなければならなくなったわけである。高知県では、当院の他、K立K知病院、H多Kみん病院、A芸病院、R北中央病院の5施設がへき地医療拠点病院に移行する予定である。これから県内の公的医療機関を巡って、各医療機関の院長や事務局長、市町村首長らと個別に協議を行い、段階的に支援機構への移行が進められていくものと思われる。

9月13日(金)晴れのち曇り 葉山村杉ノ川診療所への代診を終えて、夜には透析センター主催のS田医師送別会が市内の居酒屋j屋にて開かれた。S田医師は中村市の出身で、自治医大後輩のU田医師と幼なじみだそうだ。来月からは岡山大学に帰って学位をとるべく頑張るそうだ。将来有望な医師だけに、将来的にはまた高知に帰って来てもらい、また一緒に仕事ができたらと期待したいものである。

9月12日(木)曇り 大正町3日目。今日は昨日とはガラッと打って変わって静かな1日となった。また明日からY本先生の忙しい毎日が始まるのである。やはり地域での一人診療所生活はなかなか大変なものだとつくづく実感した。事務長さんからお土産に鮎を頂いた。ワーイ!!

9月11日(水)晴れ 今日大正町2日目はなかなか慌しかった。特別養護老人ホーム「四万十荘」にて急変の患者がでたり、脱穀機で手をはさまれた男性やら、2m位の高さから転落して搬送された子供さんなど1日中バタバタとしていた。夜は宿舎で同時多発テロの特集を見た。倒壊したビルの中で撮影したビデオが流されていたが、偽りのない現実を映しているだけあってなかなかの迫力があった。

9月10日(火)晴れ 今日から3日間大正町田野々診療所にて診療を行うことになっている。Y本先生が今年に入って初めてお休みを取られるために、その代診を依頼されたのである。地域医療の現場ではなかなかまとまった休暇の確保が難しい現実がある。夜には事務長さんらに近くの居酒屋へ飲みに連れて行って頂いた。四万十川料理が美味かった。

9月8日(日)晴れのち曇り 今日は日曜日ながら後方支援の公務があった。土日の後方支援の場合でも勿論代診報償費は病院へ振り込まれるわけだが、私自身にすると勤務時間外となる。こういった場合、公務員という立場から支援先より日当を頂くわけにはいかないため、中央病院内で勤務をしたということにして手当てを受け取るようにしている。このアイデアも苦肉の策であるが、公務員ならではの対応の難しさが如実に表されている事例である。

9月5日(木)晴れのち雨 今日は嶺北への支援日で、実習に来ている自治医大5年生M崎君と一緒に黒丸無医地区巡回診療に行った。大川村でもかなり秘境として認識していたようだが、この黒丸地区はその想像をはるかに上回るものだったようだ。こういった地理的ハンデを持つ地域に暮らす住民にも、都市部と同様に等しく良質な医療を享受する権利があるということを忘れずにいて欲しいものである。

9月4日(水)晴れ 土佐山の診療を終えて、久し振りに県庁に行って担当のG味さんと幾つかの案件について打ち合わせを行った。現在後方支援を続けている大正町田野々診療所に新しく赴任してくる医師が見つかったという報告と、そのために1日フリーとなる日が確保できることに伴い、来月からの自分の火曜日の業務の在り方などについて検討した。PM18時からは恒例の情報システム開発構築委員会が病院組合にて開かれた。入院に関するアナログシュミレーションが主体だったが、なかなか使用する用語が混乱して難しい。「予定入院」:入院決定日の欄に入力できる(入院は8日以上先でよい)。「申込入院」:希望入院日の欄に入力できる。「当日緊急入院」:当日救命救急センターを介さずに入院。「早期・待機入院」:当日ではないが、数日以内に入院させたい。「救急入院」:救命救急センターを介して当日入院。「入院日時」:「予定入院」や、ベッドコントロール上の入院指示において、確実にこの日に入院と決定されている。変更不可。「入院予定日」:決まった未来の日時。ベッドコントロール上で入院の予定として認識されている状態だが、まだ確定というわけではない。ただし変更可能。「入院希望日」:「希望入院日」と同じ?日時は決まっていない。「希望入院日」:患者さんと主治医が話し合って決める入院の予定であって、まだ予定としても何も決まっていない日程。「退院希望日」:患者が希望する退院日。「退院許可日」:主治医が退院を許可した日。カルテに退院許可と記載した日。「退院可能日」:主治医が「患者が退院しても構わない」と考える日。「退院日」:ベッドコントロール上で退院を実際にした日。これから頭の整理が必要である・・・。

9月2日(月)晴れ 今日は恒例の運営会議があり、7月の外来・入院実績についての分析報告がなされた。7月は入院数が昨年を上回っていたということで、病院幹部のご機嫌はなかなかのものだった。このペースをコンスタントに続けていければいいのだが・・・。そう言えば、今日は私の36歳の誕生日である。子供達も日増しに成長しており、自分がどんどん歳をとっていくのも無理ない話だ・・・。

9月1日(日)曇り 昨日から開催されている四国地域医学研究会が無事終了し、帰途につくことになった。しかしながら、情報によると本川村の国道が土砂崩れのために通行止めとなっているらしい。小豆島の穏やかな天気の中で過ごしていただけに、まさに浦島太郎の気分である。結局I上医師は吾北村経由で帰ることにしたそうだ。大雨の影響で嶺北中央病院の裏を流れる吉野川は沈下橋が隠れてしまうほど増水しており、本川村を上流とする仁淀川も増水し、伊野・枝川で床上浸水被害をもたらしたらしい。