日々の何気ない出来事を思いつくままに綴ってみました・・・

          

1月29日(金)晴れ 今日の午後特別養護老人ホームに出張診療があった。そこで一人のお年寄りを診察したのだが、以前から肉眼的血尿が続いていて排尿時に下腹部の軽い痛みを自覚していた。しかしながら独居生活であるためにしばらく気が付かれなかった。ようやく我々医療関係者の耳に入り、エコーやCT、尿細胞診など精査するものの異常なし。残されるは膀胱内の腫瘍などの問題による血尿だと考えられた。以前嶺北中央病院に在任中は細径の気管支鏡を膀胱ファイバーとして用い、観察していたのだが当院にはそのファイバーがないために市立宇和島病院泌尿器科に紹介することにした。しかしながら家族や親戚で誰も病院まで連れていってくれる人がおらず私の書いた紹介状が事務室に虚しく2週間も放置されたままとなっていた。福祉の担当者が色々と手を回してくれてようやく宇和島まで連れて行ってくれる人が見つかり何とか受診の運びとなった。結局膀胱結石による血尿だと分かりベッドが空き次第入院し手術により摘出されることになった。しかしながらここまでたどり着くのに相当な時間を要したことになり、高齢独居老人のもつハンディの哀しさを如実に表すエピソードであった。福祉担当者に聞くと、もし連れて行く人が見つからなかった場合には民生委員の人とかボランティアに募る他はなかったとのこと。もしこのケースの場合途中で何か事故に遭った場合の責任問題など色々と難しい問題もあり、身内や子供さんがいない独居生活の脆さを露呈した形となった。このような条件下にいる高齢者はこのケースだけではない。

1月28日(木)晴れ 今日の午後松原診療所のY子先生から鼻出血が止まらない患者がいるということで相談を受け、当院に搬送してもらうように指示した。初診時確かに左鼻口部より大量に出血があり、ボスミンガーゼが赤く染まり、口からも後鼻口から流れ落ちた出血を吐出している。出血点は確認不能で鼻腔用のバルーンによって止血を試みることにした。挿入後に5-6ccのエアーを入れてバルーンを膨らませ、止血が完了した時点で患者の反応が除々に鈍くなり、その内に額に冷や汗をかいて顔色が蒼白になってきた。迷走神経反射によるショック状態が起こったのである。すぐさまバルーンを抜去したところ先ほどまでの出血が嘘のように運良く止血が得られ、血圧低下もアトロピン静注により改善し、意識も除々に回復してきた。大腸ファイバー検査では何例か経験したことがあるが、鼻腔処置では初めての経験であった。病歴で脳梗塞があり、抗血小板療法がなされていたようである。冷や冷やっとしたものの貴重な症例を経験することができた。このまま止血が得られることを祈っている・・・。

1月27日(水)晴れ 最近院長が医大やら国診協やらと突然の呼び出しを受けて院長も予定の調整で大変である。前もって決まっていることならば多少なくとも日程調整が可能だが1-2週間前にいきなり電話連絡が入るのである。お断りする訳にもいかず昨日も医大の方に出張されていた。往復4時間の道のりなので半日の仕事が丸つぶれになってしまうため、ただでさえ多忙な院長もこの状況では少々お疲れ気味である。2月上旬には東京に呼び出しを頂いているようだが・・・・。今日の夕方は東津野村保健婦さんとの情報交換会が開かれる予定だったが、院長の日程の都合によって今日しか今月の病院代表者会、感染症対策委員会を開く日が残っておらず、やむなく東津野保健婦さんにお断りの連絡をさせて頂くことになった(保健婦さん達ごめんなさい)。話は変わって今日エコーのデモ機(アロカ社製)が入った。ドップラ付きの最新型であり、使用説明を受けてそのもつ性能の良さに驚かされてしまった。コンピューターの進歩も目覚ましいがエコー機の進歩もなかなかのものである。しばらくはこのエコーで検査ができると思うと何だか嬉しい気分になってくる。明日の外来でも何人かエコー適応がある患者さんを見つけたいものだ。

1月26日(火)曇り 今朝病棟に行ってみると詰所の前にある畳の休憩場に患者さんが横になっていた。昨夜脳梗塞を発症した患者さんのようである。ということは今日現在の入院患者数は31名ということになる。今日のタ方肺炎で入院していた患者さんが退院となる予定なので患者さんと家族に了承の上夕方までこの揚所で点滴治療を受けることになっているようだ。しかしながら困ったことに今日現在で3名の入院待ち患者さんがいるのに対して退院予定は今のところゼロ。急患も当然あるだろうし、ここしばらくはべッドのやりくリで頭を悩ませる曰々が続くものと思われる。ここ1ケ月くらいは平均入院患者数が25名前後でうまく回っていたこともあり、ここでもインフルエンザ流行の影響が出てきているようだ。インフルエンザのため入院となったお年寄りはレントゲンや血液デー夕が改善してもなかなか食欲の方が元通りまでには改善されず、点滴が外せないために退院にももっていけないもどかしさもあって辛い日々が続いている。早くこのインフルエンザの流行が消えさって欲しいと願ってやまない。

1月24日(日)曇り 今日は日曜日の当直で残りベッドはたったの1床。大事に守らなければと思いつつ病院に向かったが、着いた早々に松原診療所のY子先生から電話が入って80歳のお年寄りが急な腹痛と下血で来院しているのでこちらに紹介したい旨の電話内容であった。病歴からは診断は虚血性大腸炎で臨床症状が改善されるまでは持続点滴の上絶食にしなくてはならない。何ともあっけなく30床のベッドはあっという間に満床と化してしまった。これで救急搬送があっても入院加療は不可能となってしまった。病院当直でベッドがないこと程辛いものはなく、大変なプレッシャーとなってしまう。「別に他所へ紹介すればいいだけじゃないか」と思われる方もいるかも知れないが、紹介する方としてもこんな症例すら自分の所で診れないのかと紹介先の病院に見下されるのも哀しいものがあり、いくらベッドが空いていないといっても無駄な弁解の一つとなってしまうのでこちらも必死なのである。インフルエンザで食事が摂れず入院を希望されるお年寄りが何人かあったが、外来での点滴で何とか頑張るように励ましながら今日の当直を凌いだ。明日は2名の退院が予定されている。何とか明日まで重症が搬送されて来ませんように・・・。

1月23日(土)晴れのち曇り 今日の時間外来院患者数は28名(救急搬入1名、入院2名)ということでものすごく忙しいというものではなかったが、やはりインフルエンザ様の症状を呈してやってくる患者が多かった。救急は意識がなくなって口から泡をふいているところを家族に発見された86歳の症例だったが、検査の結果低血糖発作だったことからブドウ糖静注にてみるみる意識が回復し、無事意識を取り戻した。しかしながらやはりこの症例も風邪様の症状が続き、食欲が低下していたにもかかわらず、いつもの糖尿病の薬を定期的に欠かさず服用していたことによるものだったようだ。食欲が改善されるまでということで精査も含めて入院加療とした。夜間には5ヶ月になったばかりの赤ちゃんが来院し、やはり39℃以上の高熱が出ていた。しかしながらこの時期には安易に解熱剤を投与できないために難渋してしまった。結局診察して比較的機嫌もよく、ミルクも半分以上は飲めており、脱水所見もなかったことからそのまま様子を見るように指導して帰ってもらった。こういった熱さましを安易に使えないケースは医師-患者間の信頼関係が成り立っていないと対応が難しい。幸いよく知っているお母さんであったので、脳症やけいれんなどに注意してもらうことを指導し、ぐったりとして食欲もなくなった場合には点滴などで対応するという説明で了承して頂いた。その他でもご夫婦揃って風邪にかかった症例やら、近医で薬をもらったが一週間以上も症状が改善しないケースとか色々あった。今日の入院2名で残りベッドは1床のみ。明日も覚悟して当直に臨もう。

1月22日(金)晴れ 今日は入院が3名あり、いずれもインフルエンザと思われる症例である。結局今週はこの5日間(1/18-22)で何と9名の入院患者があったことになる(病棟の看護婦さん、ご迷惑をお掛けします・・・)。今年のインフルエンザは呼吸器症状を伴うことが多い印象がある。特に喘息の既往もない高齢患者さんが発熱と同時に喘息様のwheezingを両側肺野に聴取し、胸部X線所見からも心不全は否定的で時に酸素吸入をも必要とする症例もあった。特別養護老人ホーム「ふじの家」の入所者およびそこのショートステイ利用者に流行性が認められたことから同一のウイルスと考えられ、特徴的なウイルス感染パターンをもっていると考えられる。友人の勤務する総合病院ではICUが呼吸不全患者で満床状態とのこと。まだまだ梼原町では感染のピークはこれからと予想される。こんな時期に悲しいかな週末は当直となっている。今から大勢の風邪患者さんが来院してくることを覚悟しておかなければなるまい。P.M.19:00より高知市の医師会館で産業医の認定医資格更新のための講義があり、梼原をP.M.16:00過ぎに出発して参加した。本日分の講義で3単位取得したことになり、更新までにあと17単位も残されている。有効期限はあと4年間。まだまだ先は長いので慌てずゆっくりと受講していこう。

1月21日(木)晴れ 今日で何とかケアマネージャー実務講習の宿題が完成した。H谷先生はこれからということで本日より早速基本調査を開始した。この後このケースに対してMDS-HC方式によるケアアセスメントを行い、このケースに最もふさわしいケアプランを作成する訳である。この他にこれらの基本調査やケアプランを立てる上で気がついたことや問題となることをA41枚にそれぞれ記載して宿題終了となる。入院患者さんで調査を行うとわざわざ自宅まで出向いていかなくてもよいので看護婦さん達は入院患者さんを対象に調査しているようだ。時間も結構かかり、梼原町でのモデル事業では1件に対して平均5時間程度を要している。こんな作業を3-4ヶ月毎に数十例もやっていたら大変な作業である。やはり介護保険を遂行していくにはそれ専属の部署と担当者が必須であろう。現在の業務の片手間になんてのんびりしたことを言っていたら大変なことになりそうだ。今年の10月からは実際に介護認定作業が始まる。ケアマネージャーの有資格者の技量によって立てられるケアプランにも差が出てくることが予想される。しかもクライアントが拠出可能な自己負担額というものもあって、この範囲内でのプランを立てるなんてことも考慮するようだとこれはまさに大変な労力である。どこの自治体も最優先課題の一つとして介護保険を挙げているとのこと。梼原町も乗り遅れずに頑張って欲しいものだ。

1月20日(水)晴れ 2-3日前頃から家の中でコンコンという咳があちこちで聞こえてくる。嫁さんと優駿の2人である。どうやら最初は優駿が保育園から持ち帰ったものだと推察されるが、うつされた嫁さんの方が結構まいっているのだ。幸い発熱がないので流行のインフルエンザではないようだが、咳も長く続くと結構体力を消耗するらしく子供達の世話もギリギリの所で頑張ってくれている。そんな中不思議と元気なのか優美佳である。この娘はいつも鼻水は垂らしているもののなかなか丈夫に育ってくれているようだ。私も多くの患者さんと接してきた甲斐あってか色々な免疫を持っているらしく今のところ大丈夫なようである。とりあえず嫁さんと優駿にそれぞれ風邪薬を処方したが一日も早い回復を祈るばかりである。

1月18日(月)晴れ 今日は3連休明けということもあって(いわゆる休みボケ)外来患者さんをてきぱきと裁くことができず思ったよりも時間がかかってしまった。その上金曜日が休診だったことも相俟って患者さんも多くP.M.13:40頃にやっと外来を終えた。今朝外来をちらっと覗いたらそんなに混雑している様子もなく、今日は楽勝か?と思っていたのだが、A.M.10:30頃から受け付けだけは済ませていたという患者さん達が次々と来院され、どうやら寒さのため出足が鈍かっただけのようだった。今日の外来を診てもやはりインフルエンザが確実に町内にも流行し始めている印象がある。突然38-39℃の発熱と全身の関節痛で発症し、その他には特に目立った症状が出ない症例が多いように思う。月曜日は内科の2診がないので初診の患者さんの対応に時間を要したのも時間がかかった理由の一つであろう。午後には病棟回診の後、病院勉強会を済ませP.M.9:00からはフィルムカンファがあった。ここには現在葉山村診療所に勤務しているY崎先生が初めて参加して下さり、一緒に読影をして頂いた。Y崎先生は一つ上の先輩で院長とも同期の先生であり、前々からこの読影会への参加については検討していたのだが、お子さんの誕生などでなかなか参加には結びつかなかった。現在診療所勤務のために検査症例も少ないことから色々な症例を一緒に考察できてメリットがあると言われていた。是非道路の凍結などの恐れがない日にはまた参加して頂きたいと思う。

1月16日(土)小雨のち曇り 昨日は吾川村にある温泉「湯の森」に遊びに行った。今回は特別養護老人ホーム「ふじの家」の看護婦さんであるT崎さん、M内さんそして病院事務のT田さんらを引き連れての旅行だった。もう一つの目的は最近新築された特別養護老人ホーム「あがわ荘」の施設見学もあり、祝日ながら主任指導員の方が色々と案内して下さり、今年30床の増床を計画しているふじの家としては収穫も大きかったことだと思う。夜には前梼原病院院長のO先生が段度って下さった温泉での宴会が始まりO先生と一緒に勤務している後輩のM下先生も参加してくれた。梼原からそうそうたるメンバーを連れていったために宴会ではいつも以上のハイペースで日本酒が空いていった。とても楽しかったのだが後半のことはよく覚えていない・・・。今朝は恐れていた二日酔いもさほどになくホッとした。その後伊野町の紙の博物館などを見学して高知市朝倉にあるSマルクで昼食をとって帰ってくることになった。ふだんはあまり子連れでは行けない雰囲気のレストランなので勇気を出して入ったまでは良かったが恐れていた通りパンの食べカスやご飯つぶなどが床のカーペットに散乱し、店員さんに謝罪したものの「構いませんよ」と言いながら顔が引きつっていた。もう少し子供が大きくなるまでは行くのを止めておこうと思った。店員さんごめんなさいね・・・

1月14日(木)曇り 今日外来に来た患者さんからお年始ということで差し入れを頂戴した。「子供さん達と仲良く分けて下さいね。」ということで何かと思って風呂敷を開けてみると何と3色の大福餅が7個×6列の42個も入っていた。しかも賞味期限は明日の15日まで!!!これを自分達家族だけで食べたとすると糖尿病になってしまって二度と餅を見たくなくなるぞ!!!と思って職員にお裾分けすることにした。お昼前のお腹が空いている時に開けたのであっという間に空っぽになり、患者さんにもお餅達にも満足してもらえたものとホッとしている。明日成人の日で祭日となるため定例の高齢者サービス調整会議と保健婦さんとの情報交換会が今日に変更となり、P.M.21:00過ぎまで討議が続いた。今夜は当直なのだが何と5人も時間外受診があった。やはり明日から3連休ということで不安も募ってしまったのかも知れない。今週は月曜日にケアマネージャーの実務講習があり、明日は祭日ということであっという間に一週間が終わってしまった。たまにはこんなラッキーな週があってもいいよねっ!!!

1月12日(火)晴れ 今日は梼原病院新年会と新採用の看護婦さん2人に対する歓迎会を行った。今月から新採用が決まっていたことから年末の忘年会はやらずに新年会で一緒に歓迎しようということにしていたのである。看護婦不足が騒がれる今日この頃で2名の正看護婦さんを確保できたことは奇跡に近いものがある。梼原町内で農協に勤務する青年が友人の紹介で知り合った女性と結婚することになり、ここ梼原に嫁いで来て下さった。その女性が看護婦さんの資格を持っていて今回の話に結び付いた訳である。半分以上諦めていた矢先のおめでたい話だっただけにこちらも非常にラッキーな気持ちである。もう一人は町内にある福祉法人カルスト会の看護婦さんとして勤務していたのだが、もともと病院での勤務を希望しており、カルスト会の看護婦研修が当院で行われたことも相まってこちらでの勤務を決心されたようである。カルスト会には看護婦さんを横取りした形になってしまい大変申し訳ない気持ちで一杯だが、これも運命ということだろう。2人の新しい看護婦さん達はいずれも新婚さんでこれから出産や育児、そして家庭と両立していかなければならない多くの壁が待っている。是非とも頑張って乗り越えていって欲しいものである。

1月11日(月)晴れ 今日は月曜日で平日にもかかわらずケアマネージャーの実務研修の第2日目であった。従って病院の外来はH谷先生に代診してもらい有給としての扱いで研修を受けさせてもらった。私と同じグループには馬路村診療所のM場先生もいて彼は診療所を休診にして出てきたとのことだった。我々のように複数体制だとこんな時に融通が効くのだが一人診療所ともなると代診医の確保だけでも大変なのだ。今日は10名ずつのくじで決まったグループに分かれてアセスメントの手法についての理解を深めた。お互いがまったく知らない者同士のグループなので最初はとまどいも見られたが話を進めて行くにつれて徐々に緊張もほぐれ活発な討論ができるようになった。私と同じ組に偶然にも県立中央病院消化器のT松先生の奥さんが居られて、彼女は看護婦を辞めて現在在宅ホームヘルプサービスを事業としてやっている組織に所属して在宅への取り組みを第一線でやられているとのことだった。彼女がまだ看護婦さんの時代に私は研修医として色々とお世話になった経緯もあって何かと心強かった。宿題なども出されてまさに学生に戻った感もあるがあとは3月にもう一回3日間にわたる研修が残っている。やっと折り返し点に来たというところであろうか。宿題を早く済ませることにしよう。

1月10日(日)晴れ 今日は高知市朝倉の福祉交流プラザにおいてケアマネージャーの実務講習会の第2段「課題分析・介護サービス計画作成手法の説明」についての講義が行われた。時間は何と7時間!!!。A.M.9:00からP.M.5:00までと腰が痛くなりそうなくらいの長時間に及ぶ講義であった。この分析法にはMDS-HC方式とか三団体ケアプラン策定研究会方式、日本介護福祉士会方式など幾つかの手法があり、その全てについてどういった形式で分析していくかについて説明を受けた訳である。梼原町はMDS-HC方式を採用していくようで私自身もこの手法について理解を深めることはできたが、他の手法も似たり寄ったりでそれぞれ長所・短所とあるが全てを理解するということはとても無理な話で講義自体かなり辛いものがあった。何とか講義が終わり、病棟に電話を入れると自分の受け持ち患者さんが亡くなられたことを当直の看護婦さんから聞いてショックだった。家族には危篤状態でいつ急変してもおかしくないこと、もしそうなっても高次医療機関への搬送はしないことなどをムンテラしてはいたものの、その場にいられなかったことは大変に残念である。重症を扱う病院勤務であるが故の悩みではあるがこればかりはどうしようもない。ご家族には出張のために不在となり、当直医が対応にあたることは告げておいたものの大変申し訳なく思っている。ご冥福をお祈り致します・・・。

1月9日(土)雪(高知市晴れ) 明日から高知市でケアマネージャーの実務講習会の第2段が1泊2日の日程で開かれるために昼間に梼原を出た。というのもこの時期の夜間や早朝の移動は路面凍結のために大変危険なことが多く、日中であれば少々トラブルが起きても何らかの対応が図れることがあるためなのだ。朝起きて家の前を雪かきで掃除して、木橋工事のために青空駐車している車も約10cmの厚さの雪に埋もれていた。ウインドウの雪を溶かし、屋根の雪を払って長靴を履いて荷物の積み込みを行った。準備も整い、病棟回診をすませて出発した。さぞかし東津野や葉山の方も降っただろうと思いながら車を慎重に運転して行くと、東津野村に入ったところからまさに別世界。どこに雪が降ってたんだろうと首をかしげてしまいそうな位のいいお天気に変わり、道路の雪も沿道に残雪を見るくらいですでに乾いていた。さ・さっきまであんな大雪の中にいたのに・・・と思わず絶句してしまった。やはり梼原だけは同じ高知県でも気候が著しく違うことを改めて再認識させられた。前院長のO先生からも天気予報については福岡とか島根・鳥取地方の天気を参考にした方が間違いないと教えて頂いたことを思い出す。まさに「トンネルを抜けるとそこは雪国であった・・・」とのフレーズがぴったりの山里「梼原」のちょっとしたエピソードだった。

1月8日(金)雪 今日はこの冬初めての雪がここ梼原に降った。日本海側を中心に全国的に寒波に見舞われているようだが遅ればせながら、ようやく梼原に冬がやってきたという感じである。うちの嫁さんが優駿を保育園に迎えに行こうとして登り坂でタイヤが滑ってあと2cmくらいでバンパーにぶつかるところだったと冷や汗まじりに話していた。雪道はやはり何かとリスクが高く車を動かさないのが一番の良策といえよう。病院の往診車も今日の昼休みにスタッドレスタイヤに履き替えられて早速に雪対策が講じられていた。四万川地区は豪雪地帯のためこれからしばらくは出張診療もなかなか大変になりそうだ。事故にだけは注意してこの冬を無事に乗り切ろうと思う。

1月6日(水)晴れ 薬剤師のH君が宿毛に帰省中にWindowsのノートパソコンを購入して帰ってきた。それは内科非常勤医師のG保先生も同じ時期に全く同じ機種のノートパソコンを購入していてお互いがびっくりし合っていた。mobile-PentiumII233MHz,HD4.3G,メモリー64MBと申し分のないスペックで、同じメーカーで調度一年前に購入した私のノートパソコンは価格表の一番下にも掲載されないくらいにパソコンの進歩は目覚しいものがある(か・哀しい・・・っ)。インターネットへの接続やネットサーフィンの快適さには驚かされてしまう。Windows1年先輩として少しだけアドバイスなどをしてあげたがH君のことだからこの1-2週間の間で自分のものにしてしまうに違いない。後はY子先生を残すのみとなってしまった。移動の多い彼女がWindowsノートに手を伸ばすのも時間の問題のようだ。

1月5日(火)晴れ 午前中は四万川診療所の出張診療であった。こちらの方も昨日と同じで処方調整の甲斐あってか25名前後の患者さんしか来院されずのんびりとした外来であった。11時頃に外来が終了したのはよかったが、時間潰しのツールを持って来てなかったために時間を持て余してしまった。こんなに時間を持て余すなんてことは四万川での診療では4月開院以来初めてのことで、四万川で初めて高知新聞を拡げて読むことができた。いずれにせよ、これからは雪の影響もあったりして夏から秋のような感じで患者さんが詰めかけることもそうはあるまい。昼休みには車庫から自動車とバイクを全て郵便局下の駐車場に移動させた。というのも家の前に歩行者用の木橋を架ける工事が始まり、3月末まで家の車庫が使えなくなってしまうからである。しばらく不自由な生活となるが公共事業の発展のためと考えて納得するしかあるまい。院長とも話していたが3月末の工期予定だとするとおそらく4月中旬頃まではかかってしまうと諦めておく必要がある。しかしながら公共事業の一環とはいえ、この木橋は本当に必要なのだろうか?税金の無駄遣いとしか思えないのだが・・・

1月4日(月)晴れ 今日は仕事はじめの日だ。月曜日ということで午前中外来だったが、年末の患者さんに対して3-4週間処方を出していたためか「どっと押し寄せる」といった感じの混雑ぶりは見られなかった。午後には回診を行い、夕方からは早速レセプトのチェック作業が始まった。ついこの間レセプトをやったような気がするのだが、それだけ月日の経つのが速いのであろう。通常の月曜日でも休日明けでしんどいのだが、今日は正月休みぼけもあっていつも以上に疲労感が強かった。それにしても今年は雪が降らない。ここ梼原にとっては異常気象といってもよい。何だかその内にドカ雪が降ってきそうで恐ろしい気がしてならない・・・

1月3日(日)晴れ 今日は梼原町内いっせいに体育はじめということで町内各地でウオーキングの催しが開かれている。私は当直なのでそんなことは関係もあるまいと思っていたら朝から結構な体育はじめをおこなうことになってしまった。というのも今朝8時過ぎに仲洞という地区にいる独居老人の家から往診の依頼を受け看護婦さんと一緒に地図をコピーして往診に行くことになった。途中で息子さんが出迎えに来てくれていて案内してくれたのだが、急峻な登り坂を車で上がったところで道が途絶えていて「すみませんがここから歩いて行きます」と言われ、案内に従って山道を数十分かけて登ることになってしまった。上を見回しても家が見えない。しばらく山を登って行くと小さなかやぶき屋根の家があり、何だか仙人でもすんでいそうな家であった。後で息子さんに聞いてみると「この辺は風が強くて防風のために大きな木を家の前に植えているんです」ということでそのために下からは家が確認できなかったのである。この息子さんは町内に住んではいるものの全くの別居生活で、このようなお年寄りが独りでこの山奥に住んでいるのかと思うとなんだか心配になってしまった。あと何年かして足腰が弱ってくるとおそらくこの急な山道は登れなくなってしまうものと予想される。このお年寄りはその時一体どこで暮らすことになるのだろうかと色々と考えながら家を後にした。まぁまだこの息子さんがそばにいるというだけマシと考えるべきなのであろう。整形のK川先生も一緒の当直なので外傷の処置などはお願いした。事故なんかがあってもK川先生がいるというだけで妙に安心していられるので今日の当直は比較的気が楽である。病棟も正月のため家に帰っている患者さんが多く閑散としていた。明日は本当の仕事はじめだ。どうか平穏無事な当直でありますように・・・。

1月2日(土)晴れ つかの間の年末休暇を終え今日は梼原への移動日である。今年の当直体制は不規則で私の担当は今夜18:00から月曜日の朝までとなっている。帰りの瀬戸大橋や高知自動車道を見てみるとやはり上り方面(岡山方面)がものすごく渋滞していた。来年も年末の当直当番を決める時にはなるべく今回のパターンを選択しようと思った。家に無事帰って年賀状を見てみると結構e-mailアドレスを所有している知人が多くなってきていることに驚いた。さっそく新規のアドレスを作成し改めてメールを出してみることにしよう。私も年末が近づいてからアドレスの変更の知らせをプロバイダーから受け、年賀状にも旧アドレスを印刷していたために書き直すのが結構大変であった(新アドレスはt-sawada@mvc.biglobe.ne.jpです)。3月までは旧メールと併せて2つのアカウントに対するメールをチェックしなければならず、まったくプロバイダーの都合とはいえいい迷惑である。そんなこんなで年末のうちにホームページとアドレスの変更通知も行い、新たな気持ちで新年を迎えることができたのでとりあえずホッとしている次第である。

1月1日(金)晴れ 元旦 謹賀新年 新年明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い申し上げます。今年の正月は嫁さんの実家のある岡山で新年を迎えた。昨年6月頃のW杯の頃に帰省してからほぼ6ヶ月ぶりとなる。嫁さんのご両親も孫の顔を見るのを前からとても楽しみにしていて目じりが下がりっぱなしであった。今朝8:00にK恵姉さんが岡山空港に到着するということでみんなで揃って迎えに出かけた。K恵姉さんも変わりなく元気そうで先日ニューヨークの友人の所へ遊びに行って来た話など色々と聞かせてもらった。私のホームページをニューヨークのインターネットカフェで開いたところ日本語用のブラウザでないために英語以外全部文字化けしていて読めなかったそうだ。う〜ん、なるほど一つ勉強になった。ホームページを世界に向けて発信するためには全て英語表示にでもしなければならない訳である。正月とはいっても新聞広告を眺めてみると市内のあちこちで正月元旦から堂々とオープンしているお店が沢山あって市内に出てもどこのお店も多くのお客さんでごったがえしていた。この不景気の世の中正月なんてゆっくりとしてられないといった意気込みが聞こえてきそうな雰囲気が漂っていた。今日は自宅にはいないので年賀状が見れないのが残念だが、e-mailが読めるので覗いてみるとメール仲間からは何通か年賀の挨拶が届いていた。明日はさっそく高知に向けて帰らなければならない。あと2-3日はゆっくりとしていたいのだが当直が待っているのでそういう訳にもいくまい。今年もまた頑張っていかなければ・・・。