日々の何気ない出来事を思いつくままに綴ってみました・・・

          

12月31日(金)晴れ大晦日 今日は1900年代最後の日。こんな日に朝早起きをして自宅に戻り早速年賀状の作成に取り掛かった。全員の住所を約1時間かけて更新し、印刷のためにプリンターをつなごうとすると先日行った配置換えのためにプリンターからのUSBケーブルが届かず、パソコンを少し動かしたところ何とマウスが動かなくなってしまった。画面は当然筆ぐるめの画面でフリーズしている。ま・まずい・・・。ファイルを保存していないぞっ。しかしながらここで悩んでいてもはじまらないために泣く泣くパソコンを再起動させることとなった。う〜ん、最後の最後でこんなことになるとは・・・。トホホ。そんなこんなで何とか年賀状を仕上げて病棟回診へと出掛けた。病棟はさすがに年末期間ということもあって退院もしくは外泊している患者さんが目立ち空きベッドが目についた。なかなかうまくできているものでこの年末年始の休暇中に急患の入院でまずまず埋まってしまうことになるそうだ。仕事はじめにはその新入院患者の主治医決めが一度になされるとのこと。夕方には嫁さんと子供達が帰ってきてくれた。早速出雲から郵送されてきた蕎麦を年越し蕎麦として頬張った(美味かった・・・)。どのチャンネルも2000年カウントダウンのイベントで盛り沢山であり、久し振りにテレビにかじりついている時間が多かった(う〜ん贅沢!!!)。皆様よいお年をお迎え下さい・・・。

12月30日(木)晴れ 今日は午後18時から香川県自治医大卒業医師の会「自治讃岐会(自讃会)」の忘年会が高松市で開かれた。私も一年限りながらこの自讃会の一員であるためご招待を受け参加させて頂いた。嫁さんと子供達はさすがにここしばらくの忘年会攻勢に甚だ愛想をつかしたのか岡山にとっとと帰省してしまった。ま・まずい・・・。とはいっても私自身も嘘をついているわけでもなく、やはり仕事仲間の大切なお付き合いということでこちらを優先させることとなった。自治医大の学生さんも10人程度参加してくれており、今年の夏前にスタートした香川県人会メーリングリストによって今まで以上に学生さん達との意思疎通が図り易くなったと好評であった。学生さん達も我々卒業生の活動や考え方に触れる機会が増えてよかったとこちらもまずまずだった。3次会まで進んでJRで帰る機会を失った私はワシントンホテルに宿泊することにした。幸い年末ということもあってこういったシティホテルは結構ガラガラなのである。明日は早起きして家に帰って年賀状を作成しなくては・・・。今年は色々と慌しかったせいもあってまだ一通もしあがっていない。この後先輩のN津先生は病棟の患者の容態が悪いということで多度津のご実家に止まる予定をキャンセルして病院までお帰りになられていた。なかなかゆっくりと休むことができないN津先生だが、その仕事ぶりの熱心さには頭の下がる思いである。こうやってよい先輩後輩に囲まれての他県での研修は私自身にとってきっと価値あるものとなっているだろう。

12月29日(水)晴れ 今日から年末休暇のはじまりである。とはいってもやはり病棟回診だけは欠かせない。午前中はいつも通り病棟回診を行い夕方からは内科のK野医師、M尾医師を連れて私の家族と一緒に簡保の宿観音寺「母神温泉」に出掛けた。本来ならばK野医師がお兄さんご一家を招待して予約しておいた部屋なのだが、急性腰痛症のために急遽旅行が取り止めとなったそうで、今回その恩恵が我々一家に廻ってきたというわけである。この時期なかなかそう簡単には温泉宿を確保することは困難であり、K野医師は相当前から部屋を予約していたようだ。今回うちの家族がお断りした場合にはK野医師一人ででも宿泊に来るつもりだったとのこと。勿論我々としてもせっかくの嫁さん孝行の機会を与えてくれたK野医師を夕食に招待しないわけにはいくまいと考え、その日たまたま予定の空いていたM尾医師も一緒に夕食にご招待した。天然温泉をこよなく愛するK野医師は宴会の前と後の2回たっぷりと湯につかって何よりも満足気であった。ここのところ私だけが琴平温泉や玉造温泉などを堪能していただけに嫁さんへの点数稼ぎには絶好の機会であった。K野医師ありがとう・・・。

12月28日(火)晴れ 今日は午前中で仕事納めだ。午後は病院内の大掃除ということになっている。そのため今日の午前中には研修医達はお互いが顔を会わせる度に「あと・・・時間ですね。」と重症の入院患者が自分のところにあてられないよう祈るような気持ちで話し合っていた。そんな願いも虚しく急性心筋梗塞や吐血など重症はいつものように主治医決めされていた。やはり研修医たるもの年末年始をのんびり過ごそうなどとは叶わぬ夢・・・といったところであろうか。私自身は今日の新入院はなかったものの他の研修医の先生達と同様、重症肺炎や血液疾患の患者など気が抜けない患者もいてこの年末年始は遠出は難しいと思われる。元々2000年問題のこともあって大晦日には病院中の医師が最低でも自宅待機となっているわけで周囲を見渡しても旅行などの計画を立てている同僚はいないようだ。しかしながら休みの間は特にデューティーの業務がなくなるために時間が自由に使えて書類書きやサマリーの仕上げなど雑用を片っ端から済ませていけそうで嬉しい次第である。

12月27日(月)晴れ 今日は下血(タール便)の患者さんと体重減少、脱水の患者さんの2人が入院となり担当となった。下血の患者さんは緊急内視鏡を行い、胃体部後壁にA1stageの胃潰瘍を認めた。原因さえ把握できれば後はこちらも今後の方針が立つというもの。検査ができる日程があとわずかしか残っていないためこの胃カメラで原因検索ができなかったらどうしよう・・・と少し不安もあったのだがホッとした。後者の患者さんについてはちょっと曰く付きの患者さんなのだが、肝腫や糖尿病など基礎疾患の再評価と併せて点滴などによる全身状態の改善を行い、これから色々と精査を進めていく必要がありそうだ。

12月26日(日)晴れ 今日嫁さんと子供達が岡山に帰省して不在のため夕食と風呂をどうするか迷っていた。夕方病棟回診をしていると内科のK野医師がいて観音寺市の琴弾回廊というクアハウスに一緒に行くこととなった。残念ながら出発が遅かったために風呂には入れたものの生ビールにはありつけなかった(せっかくタクシーで行ったのに・・・)。その代わりに病院近くの居酒屋「Sかなや」に一緒に飲みに行くことになった。一年生のY脇医師も呼んで3人で遅くまで妙な盛り上がりをみせた。風呂上がりのビールはやっぱり最高!!!。家に帰っても誰もいないし寒いだけなのでそのまま病院の宿直用の部屋で泊まることにした。それではおやすみなさい。ぐう〜〜っ・・・・。

12月24日(金)晴れ 今日はクリスマスイブということだが、もう私くらいの年齢になるともうロマンティックなイメージとは違って子供達といかに楽しく過ごせるかといったファミリアルなイメージが強くなってきている感がある。いつも以上にスピードを上げて仕事を終わらせて何とか午後8時過ぎには帰宅の途についた。子供達と一緒にお風呂に入ってその後一緒に嫁さんの手作りのクリスマスディナーを食べることができた。とりあえず父親としてのメンボクが保てて良かった・・・。嫁さんは子供達に「今夜は寝ているうちにサンタさんが来てクリスマスプレゼントをツリーに置いていってくれるんだよ」と子供達に説明していた。子供達はそれを信じて食事が終わった後に早速布団の中にもぐりこんでいた。嫁さんの買ってきたお菓子の入った長靴とおもちゃの入った袋をそれぞれツリーにかけて明日の準備を整えた。子供達の喜ぶ顔が今から楽しみである・・・・。

12月22日(水)曇りのち雨 今夜は内科外来の忘年会が近くの「Sのはら」という焼肉屋で開かれた。外来の看護婦さん達と一緒に色々と日頃の病院の勤務体制やら業務内容についての問題を話し合った。来年からは内科も6診から7診に外来が増えることもあって看護婦さんや受け付けの事務担当の方々は何かと大変になりそうだと不安を漏らされていた。内科はここ三豊総合病院の顔ともいうべき大切な部署であり、これを支える彼女達の地道な力は大変に貴重なものがある。明日は週の半ばでお休みだっ!!!。まさに砂漠の中のオアシス状態である。天皇陛下万歳・・・・!!!

12月21日(火)晴れ 今日の午前中経動脈的塞栓術(TAE)に入らせて頂いたのだが午前9時の患者搬入のはずが一向に患者が運びこまれてこない。実は先週の火曜日にTAEの予約が入っていたのが満床のために入院が1週間ずれこんでしまって、先週のカテ予定時間が午前の2例目だったようで病棟にはカテ予定がその時間としてそのまま伝わってしまったようだ。OPE室や患者さん自身には朝9時からのTAEだと伝えていたのだが病棟への連絡が抜かってしまっていた。これはA東先生から御叱りを!!!と思っていたが先生自身が「自分が夜回診が遅くなってチェックできてなかったためだ」と言われた。自分自身A東先生よりも遥かに長い時間病棟にいてそのことが抜かっていたことを大変恥ずかしく感じてしまった(A東先生申し訳ありませんでした・・・)。午後には久し振りに血液疾患の患者さんが受け持ちになった。発熱、食欲不振、歩行障害を合併している病態である。白血球は43,000以上と著しく増加している。ミットはO原先生だ。これから熱発の原因精査をしっかりと進めていかなければならない・・・。

12月20日(月)雪 今日豊浜町に初雪が降った。ここ数年では極めて珍しい自然現象だそうだ。A東先生は朝医局でお会いして「この雪ならばちょっとは外来患者も減るかもなあ」とちょっぴり期待されておられたようだった。しかしながら蓋を開けてみれば年末を控えた外来患者の山でA東先生とは途中電話連絡も取れない激しい忙しさであったようだ。そのためもあってか今日私は肝腫瘍に対して経動脈的塞栓術(TAE)を施行して治療する目的で入院となった患者さんが2人入院受け持ちとなった。ミットはいずれもA東先生で明日治療の予定となっている。今日の夕方外来終了後からA東先生は内科代表としてコンピューター委員会が2時間以上にわたって行われることもすでにご承知の上だったわけで入院があたった(任された?)のは病棟回診が夜遅くなってしまうことを危惧してのことだったのかも知れない。そうなるとこうして入院をあてて頂けるということは大変に嬉しいことだと考えるべきなのであろう。患者さんに対する治療方針説明(ムンテラ)も自分だけでさせて頂いた。こういった入院はかえってプレッシャーになってしまうのだが、明日のTAEがA東先生のチェックにかからずスムーズに施行できることが何よりの喜びと代わってくれることだろう・・・・。

12月19日(日)雨 今朝山陰地方は雪であった。顔にあたる風は冷たく痛いくらいであった。美味いと評判の出雲蕎麦の店へ連れていってもらい大晦日の蕎麦を郵送してもらう手はずまで整えた。境港の海鮮市場では抜かりなくカニのお土産を購入し帰路についた。この2日間久し振りに梼原病院の職員達と歓談してとても楽しい時間を過ごすことができた。来月末には梼原で卒業生や県の担当者が一同に集まり「これからの地域医療を考える会」が知事を招いて盛大に開かれる。そこでの再開を約束して大野原ICでお別れとなった。職員のみんなはこれからまだ約4時間の道程が待っている。明日から仕事なので大変だと思うがこの家庭的なチームワークのよさを活かして今まで以上に地域医療を引っ張っていって欲しいと願うばかりである。梼原病院ご一行の皆様大変お疲れ様でした・・・。夕方病棟に戻るとまた日頃の厳しい現実が待ち構えていた。さて明日からまた気合を入れ直して研修に励まなければ・・・。

12月18日(土)曇り 今朝はホテルでゆっくりと起きてゆったりと温泉につかって・・・といきたかったのだが、午前10時30分頃に大野原ICで待ち合わせがあった。梼原病院の職員研修旅行に同伴するためである。私自身現在三豊総合病院で後期研修中なのだが実の身分はここ梼原病院の医師というのが本当なのである。しかしながらなかなか梼原町まで顔を出したり行事に参加する機会に恵まれず、今回山陰にある玉造温泉への研修旅行があるとのことでA波谷院長より連絡が入り大野原ICで拾ってもらえる手はずとなったわけである。そのために午前8時にホテルを出発して病院に9時前に到着し、急いで病棟回診を済ませて待ち合わせ場所に向かった。約9ヶ月振りに会う職員達と久し振りのご対面だったがさすがに3年間仕事をしていた職場ということもあってか何の違和感もなくスムーズに集団の中にはいることができた。ごく1名新人看護婦さんであるK渕さんがいたがその存在感はまさに10年以上勤務している職員顔負けのものであった。宿泊はC楽園(ちなみに失楽園ではない・・・)という日本最大級の露天風呂を備える由緒正しい温泉旅館であった。到着するや院長や私などオヤジ組は温泉につかって夜の宴会に備えるべく一眠りしようと考え、H谷医師やY本放射線技師、H薬剤師達は陸上部の名の通り早速松江市方面に約8kmの道程をマラソンに出掛けた(う〜んやっぱり歳か???)。カニの食べ放題というにはちょっともの足らない感じだったが4次会までもつれこんで最後まで全員参加というさすがは土佐人の飲んだくれ集団といった感があった。それにしても昨日に引き続いての豪華温泉ツアーということで家で子守りをしている嫁さんの怖い顔が浮かぶ・・・。明日は松葉ガニでも買って帰らねば・・・。

12月17日(金)曇り 今朝は研修医達が皆いつもより早起きをして病棟回診をしていた。というのも今夜は琴平町内にある温泉宿に1泊して東4病棟の忘年会が開かれることになっているためである。東4病棟は循環器内科+呼吸器内科の病棟であるが、来年にはベッド増床と新病棟の完成とともに循環器は東5病棟へ、呼吸器は新病棟へとばらばらに分かれてしまうということもあって今年の忘年会がいわば現体制の東4病棟では最後の忘年会となってしまうこともあってこのような盛大な企画とあいなったわけである。病棟の看護婦さん達もほとんどばらばらになってしまうということで婦長さんも感慨深げであった。今日TAE(経肝動脈塞栓術)を施行した受け持ち患者がいたが、今夜のうちに病院へ戻られるオーベンのA東先生が明日特別に安静解除をして頂けるとのこと・・・。そのお言葉に甘えて今夜はゆっくりと呑ませて頂くことができた(A東先生大変申し訳ありませんでした・・・)。やはり同じ忘年会でも病院からちょっと距離をおくだけで皆結構開放感に浸っていつも以上に盛り上がっていたような気がした。

12月16日(木)晴れ 午後の在宅往診では2000年問題に対する対応を各ケース毎に説明し理解を求めた。例えば四国電力からの送電が停止した場合、エアマットなどは萎んでしまうわけで、在宅酸素療法を施行している患者の酸素も止まってしまうのである。携帯用ボンベを枕元に備えておくことや非常用の照明など細かく支持を与えてきた。全く2000年問題というのも何が起きるかわからないのが一番の問題であり、こちらも考えられうることを全てに対応を図らなければならずなかなか辛いところである。人工心肺や透析などを要する大きな手術も年明けに回避されたり、状態が安定してきた入院患者でも在宅酸素や吸引器、ポンプなどの問題で年明けまで置いて欲しいと退院が延期されたりと色々と問題も出てきているようだ。とにかく無事新年が迎えられることを祈るばかりである。

12月15日(水)晴れ 今日の午後外科M田先生に依頼して自分の受け持ちの患者にIVHリザーバー植え込みを施行して頂いた。この患者さんは寝たきりで嚥下障害があるために以前PEG(内視鏡的胃瘻増設術)がなされて経管栄養が続けられていたものの、基礎疾患の重症筋無力症などのために腸管蠕動が弱く、誤嚥性肺炎を繰り返していた症例である。通常ならばPEG部より十二指腸にカテーテルを留置して経管栄養などを図るのだがこのケースではその手段でも無理であったため在宅生活のためにはこの方法を選択せざるを得なかった。在宅で実際にケアを実践するためにどうすればよいのか以前より検討が繰り返され、在宅用持続注入ポンプの使用なども決まった。このポンプは保険病名的には短腸症候群など色々適応難しいのだが、今回の症例について支払い基金まで問い合わせてみたところOKを頂いて以後トントン拍子に話が進んだ。梼原病院ではこのIVHリザーバー留置は内科で施行していたが、こちらでは胃瘻(PEG)やこのIVHリザーバー植え込み等に関しては外科のM田先生が一手に引き受けられている。夜I田先生の受け持ち患者(高齢者で痴呆がある)が病棟からいなくなったということで病院中の捜索がなされたが見つからず警察にも協力して頂いてすぐ近くのゴルフ打ちっぱなし練習場で警察によって無事保護された。決め手は背中に「私を見つけた方は・・・・へ通報して下さい」と書いた布を縫い付けていたことだった。I田先生が大変心配されておられて途中事故にでもあったら・・・と心配されていたが無事発見さされて何よりのことであった。この患者さんは胃EMR術後の患者さんで出血のリスクが少ないという判断の下に今夜のうちに自宅に引き取られることになった。めでたし、めでたし・・・・。

12月13日(月)晴れ 今日は痙攣で意識消失発作を起こした女性と心不全に肺炎を合併した患者さんの2人が入院受け持ちとなった。前者は脳波やMRIなどにて精査を進めていくこととなり、後者については循環器M浦先生がミットということで色々とご指導を受けながら治療を進めていく方針である。早や月半ばとなってしまったが土日や天皇誕生日、年末休暇などを差し引くと今月は残すところ実質あとわずか10日となってしまった。このペースだとすぐ年末体制になだれ込んでしまいそうである。時の流れに乗り遅れないようにしていかなくては・・・。

12月10日(金)晴れ 今日夕方18時より病院大忘年会が観音寺グランドホテルの大広間を貸し切って開かれた。目の前には豪勢なご馳走が並んでいたもののどうも食欲が沸かない。というのも内科医局で例の出し物をしなくてはならなかったためである。毎年この忘年会では新入りの登竜門的位置付けがあってとにかく丸裸をさらけ出すことによって三豊の正式な一員とみなされるものらしい。今年も例に違わず「新入りドクターの下着当てクイズ」というお題目の下に眼科のY地医師のシナリオに沿って順次進められていった。天狗のお面やサイの角、象さんのお面にブルマー、ハイレグパンツなどなど皆そうそうたる格好で舞台に登場させられていた。舞台に上がる前に新入りのドクター同志、妙に意気投合してその辺のお酒を片っ端から空けて芸に臨んでいた。研修医達は風船で前隠しをして野球拳のようにジャンケンに負けると一個ずつその風船が割られていくという激しい芸が披露されていた。それにしても皆で渡れば・・・という感じであっという間に時間も過ぎ去りようやく食事も喉を通るようになってきた頃お開きとなってしまった。いやはや噂以上の異様な盛り上がりを見せるここ三豊総合病院の大忘年会に参加できて大きな思い出の一つとなった・・・。でももうコリゴリ!!!

12月8日(水)晴れ 今日I田先生のメール設定を行った。I田先生のパソコンに内臓されているモデムの調子が不良であったことからしばらくメールに触れてなかったそうである。設定が終了して早速メールの送受診を試してみた。まず自分宛てにメールを送信し私のパソコンで受信を試みたところたまたまBIGLOBEのサーバーの調子が不良で受信にえらく時間を要してしまった。今度は私のパソコンからI田先生宛てにメールを送信したがなかなにかI田先生のパソコンに届かない・・・。I田先生は「やっぱりメールは難しいなあ」と第一印象を悪くさせてしまわれたようだった。後で気付いたのだが、何と!!!I田先生のアドレスの一文字が違っていたのである。う〜ん、今日は大失敗だったがまた日を改めて快適なメールの送受信を体感して頂かなくてはならない。早速M尾、H尾、N津、A山先生達にお願いしてI田先生宛てにメールを送信してもらった。明日の朝I田先生がメールを開くと合計5通のメールが届いていることになるだろう・・・。I田先生まだまだこれからです。

12月7日(火)曇り 今日の夜消化器カンファが終わった後に金曜日の病院忘年会で出す芸の打ち合わせ会が3Fカンファレンス室で行われた。神聖なカンファレンス室で話す内容ではないお下劣な内容となってしまい参加医師同士で大笑いしながらも順調に段取りを決めていった。全ては眼科のY地医師と外科のS園医師のアイデアのようだ。果たして本番はどこまでやれるのか・・・?皆日本酒でも一気に飲み干してからでないとなかなかできない内容である。さてその内容とは・・・。当日まで極秘項目だそうだ。

12月6日(月)曇り 今朝早朝に入院患者さんが亡くなられた。寝不足のためか自分自身も体調不良で午前中の超音波検査はなかなか辛いものがあった。午後からは来年の人事関係の件で高知県庁に呼び出しがあり、眠い目をこすりながら高知道を運転して行った。K野地域医療担当理事をはじめ長寿社会政策課の担当者の方々と長時間にわたって色々と話をした。県の考え方もよく理解できたし自分自身の意見もお伝えすることができて有意義な時間を過ごせたものと感じている。来年4月からのことを決める時期に来たということは逆に言えばここ三豊での後期研修も残すところあとわずか・・・ということになるわけで何だか少し寂しい気もしてくる。やはり1年間という期間はこうやって考えてみるとあっという間に過ぎてしまうのだとつくづく実感するのである。

12月5日(日)曇りのち雨 今日は平和な日曜日のはずだった・・・。午前中は在宅ターミナルの患者さんの家に往診依頼があり、また夜20時過ぎには病棟から電話連絡が入り、受け持ち患者さんが吐血したとのことだった。肝硬変があって肝不全、黄疸、腹水も見られている方であり、診断は食道静脈瘤破裂。SBチューブ(食道静脈瘤破裂の際に用いる一時的な止血用のバルーンチューブ)を挿入して酸素投与、輸血、IVHルート確保・・・と目まぐるしく時間が過ぎていった。消化器のI田先生、N津先生が呼び出されて緊急内視鏡が施行された。下部食道の1時の方向から直線状に吹き出る出血が確認された。EVLという手技によって止血がなされた。あっという間の治療経過だったが、無事止血が得られて患者さんのSBチューブは必要なしとなった。こちらに来て初めての食道静脈瘤破裂ということで大量の出血に自分自身少し面食っていたが、消化器科の先生方の冷静かつ沈着な治療手技に何ともいえない心強さを実感した。本当ならば自分でそこまでできるのならばそれにこしたことはないのだろうが・・・。

12月4日(土)曇り 今日は午前中病棟回診を済ませてS脇部長と一緒に伊予三島のベスト電器へと出掛けた。S脇部長もとうとうWindowsの仲間入りというわけである。O原先生、N津先生、近医のG田先生達と同じ富士通のBIBLOシリーズということになった。もうすでにmobile PentiumIIという機種は消滅しており、三豊総合病院初のmobile PentiumIII購入の運びとなった。プリンターも現時点で人気の高いEPSON社のものにされておられた。今後学会や研究データの整理や論文作成などにて有効活用される予定である。先日は循環器のM浦先生がSOTEC社製のデスクトップをそして今日は外科のS先生も同じくSOTEC社製のノートパソコンを購入されたとのこと。医局もこれでWindows派が随分増えて半々くらいまで勢力を伸ばしてきたのではなかろうか。夕方からは高知市で高知県自治医大卒業生の勉強会が開かれた。勉強会の講師は高知医大精神科神経科の先生をお招きして痴呆についての診断・治療について講義を頂いた。引き続いて忘年会もあり、例年にない多くの参加医師が集い大盛況であった。

12月3日(金)曇り 今日の午後学会のため不在であるO比賀先生の代診として田野々診療所への出張診療に出掛けた。田野々地区は香川県の南部で雲辺寺のすぐ近くにあり、山々はすっかり紅葉で彩られていた。インフルエンザの予防接種も含めて7名足らずの少ない受診患者数であったが何ともローカルなアットホームな感じのゆったりとした時間が流れていた。三豊の慌しい雑踏から距離をおいての診療ということで全く違う雰囲気の時間であった。夕方からは地域医療部の忘年会が町内の居酒屋で行われた。ここ地域医療部には在宅医療を遂行する上で欠かせないチームワークの良さが最も感じさせられる部署であり、何ともいえない安心感みたいなものがある。宴会中にも訪問看護婦さんの当直担当が持つ携帯電話には容赦なく在宅患者を抱える家族からの電話がかかってきていた。2次会へのお誘いもあったが病棟に重症を抱えているため今回は遠慮させて頂くことにした。

12月1日(水)曇り 今日は三豊総合病院開院記念日ということで午後は開院記念式典や記念講演のために午後は休診だった。午後はつつがなく仕事を終わらせて夕方から呑みに行くてはずとなった。参加メンバーはA山、M尾、K地先生と私の4人で、A東先生とK野医師は患者の容態が悪く参加を取りやめることになった。交通手段は何とJR予讃線!!!!。豊浜駅から伊予三島駅まで片道350円と格安のツアーたった。伊予三島はK地先生の地元ということもあってK地先生一押しの駅前にあるFeゴという居酒屋に連れていって頂いた。K地先生は帰りの電車の時間も抜かりなくチェックしておられた。内装もお洒落で料理も美味しくM尾先生とまた若手で呑みに行こうということになった。4人とも勢いよく飲み食いし過ぎて腹一杯になってしまい最終の22:04発で買えるつもりが21:07の便で豊浜まで帰ることになった。う〜ん、このパターンはなかなか使える・・・。また近い内に研修医の先生達と一緒に呑みに行くことにしよう。