日々の何気ない出来事を思いつくままに綴ってみました・・・
今日の出来事
4月30日(金)晴れ 今日は午前中心エコーをすませ午後はTAE(動脈を介して肝臓の病変に薬を入れたり血管を塞栓して壊死を狙う手技)をP.M.13:30から行う予定で準備をしていた。さあこれから始めようとしたその時執刀医のA東先生のポケベルがコールされICU(集中治療室)に入院している患者が急に心停止を来たしTAE予定の患者を寝かせたままICUへと急行した。私も一緒にいた都合同伴しICUで心臓マッサージに協力することになった。循環器や麻酔科の医師の加勢にもかかわらずこの患者さんはお亡くなりになった。患者さんが亡くなられると病院から出られる際に「お見送り」といって主治医の大切な仕事がある。しかしながらA東先生はTAEがまだ2つも残っており、お見送りが終わるまでじっと待っているわけにはいかない。お見送りまでの時間を利用してTAEが開始された。手際良く手技が進められ丁度よいタイミングでお見送りに間に合ったのである。A東先生はその後2例目の執刀に入り私は大腸内視鏡検査へと向かった。午後はばだばたと慌しかったが分刻みで動く上の先生の姿に頭の下がる思いだった。明日から大型連休ということだが、私の周りの同僚医師の状況を見るととてもゆっくり旅行にでもなんて夢物語ともいえる先生達ばかりである。私も当然重症を抱えているわけで残念ながら遠出は困難なようだ。連休明けにはその間に時間外入院となった患者が振り分けられる。考えただけでもぞっとしてしまうのである・・・。
4月29日(木)晴れ みどりの日 今日はみどりの日ということだが当然病棟へは仕事が残っているため出勤である。とにかくどの患者さんに対してもカルテに空白の日を作ることができないのである。入院もあれば退院もあるわけで今日は回診の後に退院患者さんのサマリーを書くことにした。この病院での退院時システムとしては日常生活面(食事、入浴、運動など)での指導説明書、次回外来受診予約票の作成、紹介医への返事、主治医の書く入院サマリー、退院処方箋などの書類作成が必要でこの他に看護婦さんも同じようなサマリーや退院時指導を行っている。大きな病院はやはりこの辺りが充実しているなあと感心してしまった。ただしこれまでの業務と異なり上の先生と一緒に受け持ちをしているために自分だけで退院を決めてしまうわけにもいかず色々と意見を伺いながら退院を進めていくところが少し苦労する点であろうか。午後は家族サービスに努めた。さすがに子供達に顔を忘れられることはないが一緒に風呂に入るチャンスが減ったことが哀しい限りである。今日はその報いのためにも近くの温泉に行って子供達と一緒にたっぷりとお湯に浸かって遊ぶことができた。嫁さんが運転してくれるということで冷たい生ビールも久しぶりに飲めて嬉しかった。あっという間の楽しい時間だったが普段忙しいだけに大変価値のあるひとときとなった。普段あんまり暇だと味わえないことだと自分に言い聞かせるようにしてまた明日からの仕事に励もうとする自分自身が妙に愉快に思えた・・・。
4月28日(水)晴れ 今日新たに肝臓関係の新患の入院があった。今週になって早くも3人目である。この分だと病棟業務が確実に忙しくなってきそうである。今月は前任のK村医師の引継ぎ患者4名を含めてのべ17名の入院患者を担当することになった。このペースは多いのか平均的なのかよくわからないがなかなかハードな滑りだしである。当院ではA東先生を中心にTAEといって動脈を介して肝臓の病変に薬を入れたり血管を塞栓して壊死を狙う手技を数多く行っているのだがこの患者さんもその一人というわけである。実際にその治療にも入って色々と勉強させて頂くことになっている。今日は入院患者さんの状態が悪化して朝からこの件に係りっきりであった。患者さんやその家族への説明などがあって大腸内視鏡検査にいれていた自分の患者さんの枠にも残念ながら入れなかった。夕方から朝日新聞論説委員を招待しての講演会があって定期の内科カンファの開始が大幅に遅れてしまったためカンファが終わったのが何とP.M.21:00前になってしまった。そのために皆夕方の回診が消灯時刻となって大慌てで回診に向かっていた。私もカンファ終了後に重症患者にIVH(中心静脈栄養)を入れたり色々と指示を書いたりムンテラをしたりしていて結局全てのカルテ書きが終わったのが午前1時を過ぎてしまっていた。医局に戻ると私と同じ境遇の医師がまだ大勢残っていてまだP.M.19時くらいかと錯覚をおこすような光景だった。聞くところによるとこれから心筋梗塞患者に対する緊急心カテが始まるということだった。循環器の先生達はこれからまた大仕事が始まるわけである。研修医の先生方も明日はどうせ休みだから・・・と言ってそのカテに入るように言っていた。みんな体力があるなあ〜と感心してしまった。私もチャンスがあれば見学に・・・と思ったが、残念なことにというかラッキーなことというかその患者の容態が改善してカテが延期となって無事帰路につくことができた。現在A.M.2時を回っている。明日がお休みでよかった。ゆっくりと眠ろう・・・・。
4月27日(火)晴れ 今日は膵臓関係の入院が入った。連休に入るということもあって早速ERCPの予約をとって明日行う段取りとした。火曜日ということで夕方消化器カンファに参加していたところ急に何人かの医師が外来から呼ばれて急いで出向いて行くことになった。またもや吐血患者である。外来の救急室で蒼白い顔をして横たわっている。血圧も低いため昇圧剤が開始された。緊急内視鏡の準備が始められたが何せ消化器カンファの真っ最中ということで大勢のスタッフが残っていて余裕の対応であった。胃潰瘍からの出血ということでエタノール局注により無事止血し得た。何でも近医で昨日胃カメラを受けたばかりということであったが、時間外ということで受け付けをしてもらえなかったために当院にやって来たというのである。全くもって耳を疑う話であるがこれも医療界の実情なのである。そんなところをこの病院がカバーしてきて現在のような確固たる信頼を得ているといっても過言ではない。時間外や夜間の対応こそ患者の信頼を得る絶好のチャンスなのである。今夜は研修医のK合医師が当直で早くも救急車が何台も来院して来ている。吐血の患者さんの横で急性心筋梗塞疑いの患者の対応をしていてとても一人では手が回らないためにカンファレンス室への応援があったようだ。この病院での救急をこなしていれば今後どこの病院や診療所に行っても恐れるに足らないことだろう・・・。
4月26日(月)晴れ 今朝は定期の循環器抄読会を済ませ病棟回診を終わらせてからデューティの胃内視鏡検査に入って検査を進めていた。そこで病棟から電話が入り、今朝救急車で搬送されて来た脳梗塞(構語障害、左半身不全麻痺)の患者が受け持ちとなった。検査を中断して入院指示を書いているとまたまたポケベルがなって今度は胃腫瘍のEMR(内視鏡的胃粘膜切除術)目的の患者さんも入院となり受持ちとなった。う〜んまた2人の新入院か・・・と考えながら2人目の指示を書いていると何とEMRは本日の予定となっているではないか!!!急いで出血傾向を調べて患者さんにEMRの同意書をとり何とか昼過ぎまでに準備が整った。EMRが無事終了して病棟に帰り止血予防のための指示を書いているうちに午後の心カテの時間となった。午後の1例目は私が助手で入る予定となっているために急いで駆けつけて心カテ検査に入った。心カテが終わると自分の受け持ちの患者さんの大腸内視鏡検査が入っていたのですぐに内視鏡室へと駆けつけたが残念ながらすでに検査は終了していた。その後病棟患者の腹水穿刺を行っている内にあっという間にP.M.5:00となり循環器カンファレンスになってしまった。循環器カンファは通常木曜日に行うのだが今週はお休みとなってしまうために今日に予定が変更になったのである。その後P.M.6:00から定期の呼吸器カンファにがあり、これに出席した後に遅い病棟回診となった。ようやく今日入院の2人のカルテに色々と書き込みができる時間ができたのであるが、一通り他の患者さん達の夕方分の回診を終わらせてからでないとその作業には移れない。遅い時間に指示を出すことは看護婦さん達にひんしゅくを買ってしまうのでできるだけ指示は明日に延ばすようにしてカルテ書きも終わりようやく今日の仕事が完結した。入院患者を多く割り当ててもらえるのは逆に大変ありがたいことであり、ここでの正統派の研修医の先生方の症例を他所からふいにやって来た私が横取りしてしまうような感じであるが、これだけは競争の世界ということで遠慮していてもしょうがない。とにかく受け持ちとなった入院患者さんについては全力を注いで治療にあたる以外にはないのである。なかなか厳しい〜なあ・・・。
4月25日(日)晴れ 今日午前中病棟の回診を済ませて医局に帰るとN津先生から「今から吐血の患者さんが来るので胃カメラで止血にかかる予定なんだけど先生も来るかい?」と誘って頂き、一緒に胃カメラに入ることになった。三豊では吐血の場合第一選択でコールされるのはN津先生が最も多い。それだけいつもこの病院にいることが多くかつ頼りにされているのである。緊急内視鏡ということだが、N津先生が後ろに控えているということで胃カメラの挿入から出血点の観察をさせてもらえることになった。少し緊張はしたもののスムーズに挿入できて幽門部の胃潰瘍からの出血ということが判明した。早速エタノールを出血点に局注し無事止血も得られて検査終了となった。救急で入院した患者さんは休日の間は当直医が管理して明日月曜日に主治医が決まるとのことだった。この止血作業に関わった私とN津先生と一緒に見学についていた2年目の研修医K原医師の3名のうち誰かが主治医となる訳である。やはり病院に来てうろうろとしているとこういった救急医療の勉強ができるチャンスも増えてくるという訳だ。この患者さんは今後胃潰瘍の原因菌といわれるヘリコバクターピロリ菌の検索がなされてその菌の除菌治療のリストに加わって治療が開始される予定となるそうだ。除菌治療は根気強く頑張る気持ちが大切だがこの患者さんも是非頑張ってもらって胃潰瘍を根治し元気になって頂きたいものである。
4月23日(金)晴れ 今日は夕方医局会が3Fのカンファレンスルームで行われた。医局会には三豊総合病院に勤務する医者全員が一同に集まる月一回の定例会であり、まさに病院の立法府いわゆる国会的存在である。そこで循環器のT田先生をはじめとする4月からの新任の医師紹介に混ざり、私自身も自己紹介させて頂いた。色々な話題が飛び交う訳だがこの内容についてはトップシークレットということでここでは公開できない。しかしながらこのような大病院であってもこのような形で全医師間での意思疎通を図ろうとする姿勢に驚きすら覚えた。その後広い医局でワインパーティーが開かれ、各科の医師が入り混じって歓談する場があった。私のような新人には顔を覚えて頂く絶好の機会という訳で色々な先生方とお話することができてラッキーだった。今日はこのためもあって必死で病棟の仕事を仕上げていたのでこのパーティーが終わると帰宅の途につくことができた。P.M.9:00過ぎくらいだったのでせめて優駿は起きているだろうと喜び勇んで帰宅したが残念ながらすでに就寝していた。嫁さん曰く私の帰宅が遅くなったお陰で子供達の生活リズムが極めてよくなった・・・・とのことである。喜んでよいのやら哀しむべきものか分からないが何はともあれいいリズムであることに違いはなさそうである。これから転勤の挨拶状を仕上げなくてはならないので今日はここまでとしよう・・・。
4月22日(木)曇り 今日の午前中はS脇部長が不在であっためN津先生がその代わりとなって胃カメラを施行された。私も2列目で検査をさせて頂いていつもより多くの症例にあたった。しかしながらS脇先生のいらっしゃる時の何ともいえない緊張感はやはり大切なことだと感じた。やはり厳しさの中で揉まれないとなかなか成長もないと考える。午後には糖尿病のコントロールが不良で壊疽を来した患者が入院となりその受け持ちとなった。入院の指示を慌しく済ませてから定期往診へと向かった。今日は7件が予定されていた。その中にはいわゆるターミナルケアの範疇にある患者さんも3名おられて本来ならば入院管理になってもおかしくないような重度の在宅患者さんもいた。本来の「在宅」という意味の重さを改めて再認識させられた。またここの在宅訪問看護ステーションの看護婦さんは何と毎日この患者さん達のお宅まで点滴に手分けをして通っているのである。これにはさすがに驚いてしまった。こういったシステムがあるからこそターミナルケアも遂行できているのだと改めて理解ができた。こういった陰の力こそが三豊総合病院の入院ベッドの回転率にも大きく貢献しているのだとつくづく思う。その中心となって活躍されているO原先生は我々自治医大の卒業生である。O原先生の努力によってここまで大きな在宅支援システムが築き上げられたのだと実感させられる。少しでもその一部に触れられる機会を得ただけでもここ三豊に研修に来た甲斐もあるというものだ・・・。
4月21日(水)曇り 今日の夕方の内科カンファレンスには内科の中枢ともいえるべきS脇部長とA東先生が学会のたろ長崎に出張されており不在であった。やはりこれだけ存在感のある2人がいないというのは全くもって寂しい限りである。入院患者を我々研修医にあてる役割を担うのもこのお2人であり、その代わりに呼吸器科のY地先生がその業務を担当されることになるそうだ。P.M.9:00からは内科Y井先生の呼びかけでファイルメーカーというデータベースのアプリケーションについての勉強会を行った。病院の各種検査を患者のIDでリレーションして生年月日やら住所などが自動的に検索できるように将来やっていこうという壮大なる試みである。患者の10万人以上に及ぶデータベースはすでに医事科の方に存在する訳で、これをエクセルにCSV変換してデータを書き出ししてファイルメーカーに読み込ませるのである。この試みは小規模ではあるがすでに前任地の梼原病院ではやられていてA波谷院長の先見の試みには改めて感心してしまう。ここでのY井先生の作成されたプログラムも梼原病院のものに負けず劣らずすばらしいもので感心してしまった。しかしながら大量のデータを扱う分新患の入力や病名の規定法など色々と残された問題は多い。秋頃にはオーダリングの試みも始まるようでこの機会にデータの磁気化が色々と考えられているのだろう。今後の動向が楽しみである。
4月20日(火)曇り 夕方P.M.18:30より昨日と同じ大野原町G兵衛にて循環器科の歓迎会が開かれた。対象は医師と心カテ、シンチ、心エコーに関わる技師さん、事務担当者であった。またここ三豊総合病院循環器のトップは全国国診協会長でもあるI井先生であり、この会にも勿論参加されておられた。先日の老健施設「わたつみ苑」の歓送迎会以来早くも2回ご一緒させて頂くことになった。しかしながら研修医の医師達をはじめとして私も開始時間には当然間に合う由もなく、P.M.18:00からは定期の消化器科カンファレンスに参加し、その終了後に病院を出ることになった。私と一緒に3人の研修医のDrが出掛けることができたが、まだまだ病棟の仕事が山のように残っている先生がおり、中には受け持ち患者さんが急変して出席できないDrもいた。歓迎者の中に私の名前も入っていて仲間の一人として考えて頂いているのだと嬉しく感じた。日頃は日常勤務の中での会話でしか話ができないこともあって、こういった場でのコミュニケーションはスムーズで普段と違う表情や雰囲気を感じとれる絶好の機会といってもよい。日頃激務に追われる研修医の女医さん達もこういった席には当然お洒落もしており日頃とはまた違った印象であった。P.M.10時頃にお開きとなったが私の周辺ではさすがに2次会まで参加するパワーを残す研修医のDrはいなかった・・・。毎日忙しい日々を送る循環器科のスタッフだが、今日の和気藹々とした顔ぶれといい雰囲気を見てU枝先生を中心としたコ・メディカル達とのチームワークのよさを実感した。
4月19日(月)雨 今日はまたまた新入院が入った。N津先生と一緒に受け持つことになった患者さんは脳梗塞でパーキンソン症候群のある患者さんである。高齢者の寝たきりで日常生活全介助の必要な症例というのは前勤務地の梼原で結構経験する機会に恵まれていたこともあって比較的スムーズな入院の指示ができた。特に相談し易いN津先生と一緒の受け持ちということで気分的にもリラックスして入院管理ができそうである。午前中は胃カメラを行い、午後は心カテをやって一件だけ臨時の在宅往診が入った。夕方からは呼吸器のカンファに出席してその後P.M.19:30より大野原町にあるG兵衛にて私と現在三豊と財田診療所に地域医療実習に来ている自治医大学生さん達の歓迎会を開いて頂いた。財田診療所に勤務されているN鞍先生も来られていて色々と診療所や香川県内の情勢についてお話頂いた。高知と違うところは現在三豊で勤務されているO原先生やこのN鞍先生のような6-10期生の卒業生の存在があるという点であろうか。高知では1-5期と10期以降の卒業生達とのパイプ役を担うべき6-10期の卒業生大変に少ないのである。このあたりは他所の県ながら大変羨ましく思われるのである。明日は循環器関連の飲み会が今日と同じG兵衛であるとのこと。このお店なかなかお洒落で器や料理にもこだわりが感じられる好印象のお店だった。高知にも同じ名称の居酒屋があるがイメージとしてはほど遠いものがある。明日もまた美味しい料理が食べられるのだとよいのであるが、消化器カンファが終わってからの参加となりそうなので着いた頃には料理がなくなっているかも知れない。まあ何はともあれ飲み会は親交を深める絶好の機会であることに違いはない。遅れ馳せながらも参加させて頂こう。
4月18日(日)雨のち曇り 今日の午後三豊総合病院で一緒に勤務しているN津先生に家族ぐるみでの食事にお誘い頂いて観音寺市内のレストランで昼食を摂った。N津先生の奥さんは群馬県出身で自治医大付属看護学校出身としうことでうちの嫁さんと同じ境遇ということもあって昔話に話題が集中した。思いっきりローカルな話題に終始したものの、皆自治医大周辺のことを熟知しているだけに話題には事欠かなかった。子供さんも2人おられて丁度下の男の子がうちの優駿と同級生であり、同じ幼稚園であれば良かったのだが、N津先生のところは観音寺の私立S母幼稚園で、うちは地元のT浜幼稚園ということで残念ながら一緒の幼稚園ではなかったものの、今後家族ぐるみで色々とお付き合い頂きたいと考えている。N津先生公私共々今後とも宜しくお願い致します・・・。
4月16日(金)晴れ 今日入院患者さんにIVH(中心静脈栄養)を行うことになり、その際内頚静脈という首の血管から挿入する手技を教えてもらった。これまで鼠径部や鎖骨の下からのアプローチで施行していただけにその合併症の少なさと予想以上の簡単さにびっくりしてしまった。麻酔科の医師はほとんどこの方法でIVHのルート確保を行っているとのこと。是非三豊にいる内にこの手技をマスターして地域医療にも還元していきたいものである。以前からこの手技については関心があったがこういった研修の機会でもない限りなかなか技術的な指導を受けることができなかったため、この手技だけに限らず色々と指導を受けて自分の糧としていきたいと思う。今日は岡大第1内科の集まりが高松の方であるらしく午後6時に集合となっていて、いつもは夜遅くまで医局にいる研修医の医師達の姿が見えず何だか静かな医局で拍子抜けといった感があった。今日内科の初診外来をされていたA山先生が外来で入院の必要な重症患者を受け持ち、空きベッドを各病棟にあたっていたが、何と今日はベッドが満床のためどこにも入院させられないという異常事態となっていた。結局近くの受け入れてくれる病院があってそこに無事紹介の運びとなったがこの大病院でもこんなことがあるのだなと少しびっくりしてしまった。三豊に来て今日で約2週間となったが、何といってもここの印象としてはとにかく脳出血であろうが、黄疸であろうが心筋梗塞であろうがまるで赤子の手をひねるかのごとく対応し、スタッフは誰もびびることなく平然とした態度であっさりと受け入れて治療に向かっていき、まさに恐いものなしといった感じがある。吐血やら下血、黄疸、イレウス、脳出血、血管塞栓、壊死、膿瘍などなどありとあらゆる重症例が沢山いて何だか自分のもっている感覚が麻痺してきそうな感がある。この病院ではいかなる病気であってもこの病院内で終焉にまでもっていって解決できるだけのキャパシティがあることに驚きすら覚えてしまう。一年間で色々と勉強させてもらえそうだ。大変そうだがとにかく最後まで体力を維持してやりとげることが目標である。
4月15日(木)晴れ 今日は朝から結構忙しかった。まず朝病棟回診を済ませて、老健施設「わたつみ苑」の定期診察の後、S脇部長の胃内視鏡検査に入り、昼食を摂った後すぐに3件の在宅往診に行き、帰ってきてすぐに受け持ち患者さんの心臓カテーテル検査(冠動脈造影)を行い、その後またまた受け持ち患者の仮性膵嚢胞ドレナージチューブの内視鏡的抜去に入った。実はこの他にも受け持ち患者の肝生検も入っていたのだが、さすがにその検査には入ることができなかった。夕方には循環器カンファがあり、その後に心カテ検査の結果を家族にムンテラした。この他に新規入院がまたまた2人入り、慢性腎不全患者と腹水の患者さんである。いつもの通り入院の手順をこなして帰宅は深夜となってしまった。うーん今日はさすがにあっという間に終わってしまった。明日で早くも今週が終わってしまう。何と日々の過ぎ去るスピードの速いことよの〜。しかし実に充実した一日であった・・・。今夜は早く寝ようっと。
4月14日(水)晴れ 今日は午前中胃透視を行った。胃透視は地域医療でも経験のある手技なのだが、やはりこれも大病院のレーゲル(お決まりパターン)があって、自分なりの方法を見直すよいきっかけとなりそうだ。今病棟に入院しているCAPD(腹膜透析)腹膜炎の患者さんの容態が思わしくない。腹痛と炎症反応がなかなかおさまらず、腹腔内を洗浄したり、抗生剤を変更したりと色々と手をつくしているところである。年齢的にもまだ若く、簡単に血液透析にもっていく訳にはいかない。現在留置されているCAPDチューブは在宅療養の命綱ともいえる大切なものなのである。しかしながら今の状態で腹膜炎が持続するようだとどうしてもチューブを抜去せざるを得ない訳である。将来的なことを考えると腎移植なども視野に入れた治療に結びついていく可能性も出てくる。移植も患者さん本人だけでなく、彼を取り巻く家族をも含めた総合的なアプローチが必要であり、我々としても重大なる決断を下す必要が出てくることになる。今後の治療経過次第で色々な可能性が出てくる訳だが、何とか現状を維持して今しばらくはCAPDによる在宅治療を続けさせてあげたい気持ちで一杯であり、一日も早い回復を祈るばかりである・・・。
4月13日(火)晴れ 今日の午前中は腹部エコーに入り、これまで自分流でやってきたエコーのやり方を専門の先生に評価して頂いた。まだまだ未熟なところが多く、自分の技術を見直す絶好の機会でありがたい限りである。午後には三豊へ来て初めて気管支鏡(ブロンコファイバー)の検査に入った。香川医大の方から呼吸器専門医としてY地先生が常勤としておられ、この先生について3例の検査にあたった。その内1例は気管支分岐部の直下にある腫瘍を内視鏡下に吸引生検(バイオプシー)した。気管支を突き刺して縦隔に針を立てるという感覚のない私にとってこの手技は驚くべきものだった。自治医大の一つ下の後輩であるN木医師も週に1回この気管支鏡の研修に来ており、Y地先生の代わりに堂々とブロンコをこなしていて感心してしまった。自分もこの1年間で気管支の観察がしっかりとできるようにしっかりと勉強していかなくてはならない。夕方には消化器カンファレンスがあり、自分の受け持った症例を外科の先生方にプレゼンテーションさせて頂いた。こういったカンファによって各科との意思疎通を図り連携を図っているのだと改めて再認識した。このカンファには内科の他に外科と放射線科、そして病理の先生まで参加しており、まさに向かうところ敵なしといった感がある。何とも心強い勉強の場である。
4月12日(月)晴れ 今日寝たきりでIVH(中心静脈栄養)が入っている受け持ち患者さんが転院となる話が決まった。先週の水曜日に紹介状を持たせてベッドの空きを待っていたのだが、早速転院の運びとなってちょっとびっくりしている。MRSAの保菌者という悪条件もあったが、このように快く引き受けて頂いて全くもってありがたい限りである。三豊のような大きな病院では長期の寝たきり患者さんの受け入れ先をいかに見い出すかが重要なポイントとなる。病院近郊であれば自分で在宅往診などにもっていけるが、遠方ともなると近医に頼らざるを得ないのが実情である。最近の医療は大病院の先生方の方がどちらかといえば腰が低くなっているようでその理由もここにいるとよく分かる気がする。今日はCAPD(腹膜透析)患者で腹膜炎を併発した症例と陳旧性心筋梗塞でステントの入っている患者さんで心臓カテーテル検査を目的に入院の症例と2例の患者さんがあたった。検査漬けの毎日で新患の入院があった日はそれだけで結構仕事が忙しくなってしまう。問診から身体所見、入院治療計画書作成、カルテ指示、家族へのムンテラなど結構こなさなくてはならない仕事があるのだ。特に2例ともなるとこれまた大変なことになってしまう。今週は始まったばかりだ。まだまだ気が抜けないぞ・・・。
4月9日(金)曇り一時雨 今日は優駿の豊浜幼稚園入園式がある。仕事のために残念ながら私は参観できないが、また違った環境にきちんと適応してくれるかどうか少し不安ももちながら家を後にした。梼原の保育園では色々と気にかけてもらってようやく慣れてくれた頃の異動だっただけに優駿にはすまない気持ちもある。こちらでも沢山の友達をつくって早く集団に溶け込んで欲しいと願っている。午前中は心エコーだったが、香川医大総合診療部S教授が心エコーをされる日であった。超音波学会でも指導医として有名な先生であり、今日はマンツーマンで色々とご指導を頂いた。心計測でも色々な角度からアプローチされてその平均を出されるようなスタイルでU枝先生のパターンとはまた違った意味で感銘を受けた。午後には大腸内視鏡に入り、今日もPTCD(経皮胆道ドレナージ術)やEST(内視鏡的乳頭切開術)が平行して行われた。こういった日は気がついてみるとあっという間にP.M.17:30を回ってしまっているのである。病棟回診を終えてP.M.19:00より近くのI宮公園でお花見が行われた。主催は中央棟4階ということで三豊では病棟毎に歓送迎会やお花見が行われるようだ。従って病棟間で医師の参加数に較差がでないよう上の先生達も結構気を遣っていらっしゃるなという印象を受けた。ここの病棟は内科の混合病棟で循環器を除くほとんどの診療科がここに入っている。結構重症が多いということで研修医の医師達が最も多く時間を過ごす病棟らしい。私自身まだこの病棟にはさほど長い時間を費やす患者はいないが時間の問題なのであろう。帰宅してみると嫁さんのインターネットのアドレスが届いていた。加入しているBIGLOBEというプロバイダーに300円/月を追加すると家族用にアドレスが取得できる制度がありこれを利用した訳である。早速東京にいるK恵お姉さん宛てにメッセージを送ろうとしていたが何せまだキーボードを用いた入力が苦手なようでこれからまだまだ鍛えていく余地が沢山ありそうだ。友人にアドレスをもってる人が何人かいるみたいだが、もっと流暢に入力ができるようになってからにしたいとK恵お姉さん以外にはメールを送信せず終わってしまった。嫁さん専用のメーラーとしてMicrosoft Outlook98を使用し一台のパソコンを共有することになった。今後嫁さんがこのメールをどのように利用していくのか楽しみである。
4月8日(木)晴れ 昨夜遅かったにも拘らず今朝はA.M.7:20に出勤した。というのも午前中「わたつみ苑」の診療当番を担当することになったからである。約1時間程度で終わるために予定ではA.M.8:15からA.M.9:00過ぎまでの程度で仕事が済むように予定を組んでみた。その後にS脇部長の胃内視鏡の研修へと入ることにした。従ってA.M.8:15までには入院患者さんの回診を終わらせておく必要があるのだ。初日ということもあって急変患者はおらず、難渋する症例もいなかったために比較的早く診療が終わった。胃カメラも今日は3例実際に施行させて頂いた。S脇部長から数点に渡って技術的なご指摘も頂き大変参考になった。昼休みには大腸の便通過が悪くなられた患者さんが入院となり、主治医となった。今後精査を行い家族や本人へのムンテラや治療方針について進めていかなくてはならない。午後は在宅で寝たきりのお年寄りに対する往診を担当することになった。N津先生の配慮で今日は3軒でいずれも落ち着いている症例だったのでそんなに時間はかからなかった。今後も週に1回木曜日の午後を利用して病院の地域医療部のメンバーに入ってこの在宅定期往診を続けていく予定である。当然その患者さん達は自分が主治医となる訳であり、自宅で急に具合が悪くなった時には私が責任をもってその指示をすることになっている。P.M.15:00までには帰院しそのまま心カテ検査に入った。木曜日の午後は循環器科トップのU枝先生がカテに入られるために件数も多くいつもP.M.17:00過ぎまでカテをやっているのである。往診のために少し遅れる旨をお伝えしており、遅ればぜながらでも研修に入らせてもらえることにさせて頂いた。P.M.18:30からは循環器科カンファレンスに参加してCD-Rに焼き付けられている血管造影の読影を行った。カンファ終了後にEST(内視鏡的乳頭切開術)および胆道ステント留置術についての手技・合併症などについて受け持ち患者さんとその家族に説明を行い今日の予定が終了となった。これで私がこちらに赴任してきてようやく一週間の全スケジュールをこなしたことになる。なかなか忙しい毎日だが、自分で決めたことだけに最後までやり遂げることが大原則である・・・。
4月7日(水)晴れ 今日は午前中胃透視に入る予定となっていたが看護婦さん達の子供さんが入学式シーズンということもあって今日は透視が入っていなかった>そのため内視鏡の方に顔を出して指導を受けることにした。今日が研修として初日となる訳だが土佐山村から後輩のK村先生が週1回の内視鏡検査に来ていた。彼は私がここ三豊総合病院に後期研修に来る前に前任者として勤務していた同期のK村医師の弟さんなのである。内視鏡の関係各所に紹介して回ったが、皆まず兄弟で似ていることもあって特に違和感なく挨拶が済んだ。まだ医療事故関係の保険に加入手続き中ということで胃カメラの見学のみに終わったが、またこれから多くの症例に当たらせてもらえるはずである。午後からは彼と一緒に大腸内視鏡に入った。大腸Fが10例に加えてERCPも2例あって、検査症例の豊富さに2人で感動していた。P.M.17:30からは内科全体のカンファレンスがあって、日程調整やミニレクチャー、事務手続きなどについて打ち合わせを行った。その後病院に併設されている老健施設「わたつみ苑」の歓送迎会に招待を受けた。カンファの関係で到着が遅れてしまったが、参加者の中には施設長である全国国診協会長のI井先生や、当院のH畑院長、O谷副院長も同席されており、それぞれ近い距離でご挨拶させて頂いて大変ラッキーだった。特にI井先生は国保の関係で梼原病院A谷院長とも顔馴染みで色々と地域医療についての話を語って頂いた。今の三豊総合病院の基礎を作られた先生でもあり、地域医療への取り組みにおいて苦労したことや留意すべき点について詳しくお話頂いた。その後H畑院長とも膝を交えて30分以上お話する機会にも恵まれて、これだけの規模の病院長であるのに地域医療に対する取り組みの重要性をよくご理解頂いておられ、実際に地域で仕事をされていた頃の話やご自分の医学観、医療観についてお話頂いてとても有難かった。まさかこんなチャンスに恵まれるとは夢にも思っていなかったのでこの「わたつみ苑」の歓送迎会は大変意義の大きなものとなった。その後O原先生やN津先生達と一緒に2次会へと向かい深夜遅くまでお付き合いさせて頂いた。忙しい病院ではあるがこれだけの素晴らしいスタッフに囲まれているだけでもそれが報われるような気持ちになり、これから何とかやっていけそうな・・・そんな一筋の光を見つけた気持ちだった。
4月6日(火)晴れ 今日は午前中に心エコーに入った。担当は岡大循環器で10年目というベテランのT田先生であるが4月に私と一緒にこちらに赴任されて来たということでまだこちらの心エコーの機械に慣れておられないこともあって一緒にボタンやスイッチなどを確認しながら検査を進めていった。私のような初心者には丁度よいくらいの検査スピードであったが後半にはどんどんとスピードも上がっきててやはりベテランの先生は違うなと思った。午前中だけで8件のエコー検査があり、3例は監視の下にエコーをさせて頂いた。火曜日は腹部エコーの隔週交代で検査に入ることにし、金曜日と併せて少しでも心エコーの件数が増えるように予定を組んでいる。午後には腎不全で入院中の患者さんがCAPD(腹膜透析)から血液透析(HD)に移行するためCAPDチューブを外科の先生に依頼して抜去する手技を見させて頂いた。腹膜炎を何度か繰り返していた関係もあってチューブの腹膜への癒着がひどいのが印象に残った。本来ならば午後はブロンコ(気管支鏡)の検査日なのだが、このように入院患者さんの検査や処置についてはこちらが優先するようになっている(Y地先生来週は宜しくお願いします)。OPEが終わって呼吸器の方へ行くとブロンコも終了していたので内視鏡室へと行ってみると胆道鏡挿入を目的のPTCD拡張術とこれとは別にESTが並列で施行されていた。その前には大腸Fもすでに5件終わっている訳である。消化器科のI田先生を中心に「ここはOPE室か」と感嘆してしまう位手洗いの必要な観血的な内視鏡およびX線透視を用いた処置・手技が目まぐるしく行われている。その後循環器のU枝先生について心筋シンチの概要について先述のT田先生と一緒にRI室で説明を受けた。シンチ症例も豊富で超音波(心エコー)、血管造影(心カテ)そしてこのシンチまで多彩な検査がずらりと並んでいてさすがは循環器の専門病院だけあると納得した。その説明の後消化器科のカンファがあり、今まで通っていた高知県立中央病院の肝胆膵に匹敵するくらいのレベルの高いディスカッションが繰り広げられていた。外科の先生方も一緒に参加されていて検査からOPEまで多彩な話題にこちらもついて行くのがやっとな程だった。う〜ん、なかなか充実しているがまだまだこんなものではないということだそうだ・・・・。えっ?マジ・・・・っ?
4月5日(月)晴れ 今日は週末色々と検討して自分なりに三豊総合病院での週間スケジュールを組んでみた。勿論検査が中心で循環器、呼吸器、消化器、地域医療と多彩な研修が受けられる体制が整った。欲もあって隔週毎に違う検査に入らせて頂く日程も月曜日と火曜日には組ませて頂いた。こうやってスケジュールを組むのは簡単だけれども要は実行できるかどうかということである。「言うは易し、行うは難し」という言葉が脳裏をよぎる。とにかく自分で決めたことはしっかり実行することだけはやり遂げないといけないと思う。S脇部長へと手渡してOKを頂き、各科指導医師のところへと日程表を回すよう指示を受けた。今朝は循環器科の医学論文(今回はNew England Journal of Medicine)の抄読会があり、その後上部消化管内視鏡へと向かう予定であったが、新入院患者が入った。薬物中毒ということらしい。コールされた時ICU(集中治療室)に入っているということでドキドキしながら患者さんに会いにICUへと向かった。何でもストレスから農薬を飲んで自殺を図った方のようである。胃洗浄などにより一命を取り止め内科一般病棟にて私が主治医として受け持つことになった。色々と家族にムンテラしたり指示を書いたりして遅れて内視鏡室へと向かった。それでも今日は昼食にありつけてしっかりと食べることができた。午後は隔週で大腸内視鏡検査と心臓カテーテル検査(心カテ)を行うことにしている。今日は心カテの日として手術室内にある造影室へと向かった。以前大川村診療所時代に週に1回高知市民病院循環器へと研修に行っていたこともあり、今日の2例目には助手で早速カテに入らせて頂いた。3年前のことでもあるためにカンを取り戻すまでには至らなかったが、何とか汗だくになりながらも無事終了した。夕方病棟回診を済ませて呼吸器カンファレンスが始まった。難渋する症例や珍しい症例をお互いに持ち寄って呼吸器の専門のY地医師に読影・指導を頂く場である。大病院だけあって次から次へと興味深い症例が提示されてくる。胸部外科の医師も複数参加しておられてディスカッションも大変に勉強になった。結局今日も帰宅時間はP.M.22:00を回ってしまっていた。嫁さんは子供達を寝かせてすでに睡眠モードに入っていたが、起きてきて私に遅い夕食を作ってくれた。嫁さんはこの生活を納得の上で理解してくれているので文句など言わず今日あった子供達のことを色々と話してくれる。まだまだこの生活は始まったばかり・・・・か。
4月3日(土)晴れ 今日は土曜日で病院は休みなのだが、6階中央病棟の透析室は平常の勤務体制となっている。木曜日に透析の必要な腎不全患者さんを受け持つことになり、その回診を兼ねて病院へと出掛けた。医局は休みなのでどうかな?と行ってみると平日と変わらない状態でソファでは重症患者がいるために病院に寝泊りしている若い研修医の医師もいた。カルテも土日であってもほとんどきれないように記載があり、まさに土日のない生活を改めて思い知らされた。昼前くらいに回診や雑用を済ませ、午後は家族サービスに努めた。この分だと父親を忘れられそうでちょっと怖い気がしてしまう。優駿は来週幼稚園の入園式があるが、登園も通常A.M.8:00までとなっており、嫁さんも早起きして幼稚園までの送り迎えなどもあり、今から早起きの練習をすることにしている。そのためには優駿に昼寝をさせないようにすることが肝要であり、今日もP.M.3:00くらいにウトウトとしていたが、色々と興味のある遊びをして無理やりおこすようにした。その甲斐もあってP.M.8:00過ぎにはしっかり熟睡モードに入ってしまった。この調子だと子供達と顔を会わせられるのは平日は早朝のみであり、夜は一緒にお風呂に入ったりすることを諦めるしかあるまい。子供達との距離ができるのは寂しいことだが全ては自分のため・・・。やるっきゃない。
4月2日(金)晴れ 今日は午前中に心エコーが12件と午後には大腸ファイバーが6件入っていた。昼食は職員食堂で頼んであるのだが、このペースだとどうも昼食はキャンセルした方がよさそうである。心エコーはまだまだ操作が慣れないこともあり、循環器専門のU枝先生の何倍も時間がかかってしまう。そのために午前中のノルマがどうしても時間通りには果たせず、午後の大腸検査の時間にまでかかってしまう訳である。梼原ではせいぜい1ヶ月に1-2例のペースでしか心エコーを施行していなかったため、この病院での症例数の豊富さに驚きすら覚えてしまう。早くエコー所見を自分だけでも取れるようになってU枝先生の役に立てるよう頑張っていかなければならない。当然入院患者さんの回診は早朝と夕方ということになり、時間配分ももたもたしていては大変なことになってしまう。今日は入院がなかったために検査に集中できたが、これからまだまだ新入院が入る予定であり、気が抜けない日々が続きそうである。
4月1日(木)晴れ 今日は三豊総合病院での初仕事となった。午前中は胃カメラ21、EMR、午後は大腸F、ERCPとそうそうたる滑りだしだった。胃カメラはこれまで経験もあったので何例か自分でやらせて頂いたが、部長のS脇先生の監視を受けながらの手技だったので思わず手が震えてものすごく緊張してしまった。その検査の合間を縫うように早速2名の新入院(腎不全-要透析と急性肝炎)が受け持ちとなり、また前任のK村医師がもっていた長期入院患者5名を引き継ぎした。指導医のO原先生にもご相談して地域医療部にも顔を出すようにし、木曜日の午後には往診などで在宅医療に関わりを持ち、在宅専門委員会のメンバーにも入って介護保険準備室の方々とも交流がもてるようになった。介護保険に向けての三豊の取り組みにも視野が向けられて大変にラッキーなことである。夕方には病院内にある講堂に職員が集まって着任式が行われた。新任の医師紹介に加えて私も院長から職員に向けて紹介して頂いた。夜には循環器科カンファがあって参加し、CD-Rに心カテのシネが動画として取り込まれていて驚いた。今はこんな時代になってきてるんだと関心してしまった。結局仕事が深夜遅くまでかかってしまい、時計は22時をまわっていたものの医局にはまだ私以外にも大勢残っていて何だか帰りづらかった。何とも恐ろしい巨大病院だ・・・・と実感した。少々不安もあるが、頑張っていかなければならない。