日々の何気ない出来事を思いつくままに綴ってみました・・・
今日の出来事
5月31日(月)晴れ 今日は気管支喘息重積発作の患者さんが入院受け持ちとなった。なかなかの難治性喘息で、特効薬であるステロイドにも抵抗性をもつ病態を呈しており、呼吸器科のY地先生も治療に大変苦慮しているとのコメントを頂いた。酸素吸入を必要とする重症例であり、外来ではさすがに無理な状態であった。これまで地域医療では山のように喘息患者さんを診てきたがさすがにステロイドが効かないレベルの病態を呈する症例にはあたったことがない。免疫抑制剤などの併用を行っている施設もあるようだが今回色々と勉強させて頂くつもりである。今日の午後はめずらしく心カテの検査が入っていなかった。今は田植えの時期で忙しいのだろう。田植えが終わる頃にはきっと整形外科あたりが忙しくなるに違いない。S脇部長にお願いして大腸内視鏡検査に加わらせて頂いて研修を受けた。夜には呼吸器カンファがあり、自分の肺炎患者さんのレントゲンを提示させて頂いた。治療に参考となるアドバイスを色々な専門医の先生から受けられる機会があって大変に勉強になる。こちらに来て早くも2ヶ月が過ぎようとしている。入院で主治医となった症例はのべ30名となり、2日に1人のペースで入院が入った計算となる。最高は一日に3人の入院があったがさすがは大病院といった感がある・・・。あと残り10ヶ月というのは長い?短い?・・・・。
5月30日(日)晴れ 今日も病棟患者さんがICU状態であるために朝から血圧やら尿量のことで何度か呼び出しがあり、病院の医局にほとんどいて待機状態であった。私がこういった状況であるために嫁さんは昨日の夕方から岡山に子供達と一緒に帰省することとなった。ちょうど美容室にも行きたかったらしくよいタイミングである。岡山に行くと実家のご両親に子供達をちょっとの間預けることができるので大変にありがたいのであるが、途中にある瀬戸大橋の往復に1万円くらいかかってしまうためにここだけがネックである。しかし1泊2日の予定で行けば宿泊代とベビーシッター代を込みで考えると格安といったところだろうか?昼前には昨日ICUに搬入した患者さんがまたまた一般病棟に挿管チューブを留置したまま戻ってこられた。これからしばらくは病棟管理が大変そうである。夕方には子供達も帰って来てほんの一時の一家団欒を過ごすことができた。何だかこの土日は休みであって休みでなかったような・・・・そんな慌しい週末であった。
5月29日(土)晴れ 午前中病棟回診をしているとポケベルが鳴った。昨日入院された患者さんが急に気管支に痰を詰まらせて呼吸停止になっているとのことだった。慌てて駆けつけると全身チアノーゼで意識もなかったために急いで挿管をして人工換気を行った。吸引によって粘い黄白色の痰がジュルジュルと引けてくるが粘っこい痰のためにうまく吸引できず動脈血でアシドーシスが進み、なかなか酸素分圧も上昇しない。またまたICUのお世話になるこになってしまった。レスピレーター管理となり何とか一命を取り留めた。除々に意識も回復し何とか明日には抜管まで漕ぎつけそうである。ICUもほぼ満床に近づいてきたためにもう一人の受け持ち患者さんが一般病床に移送されることが決まった。簡易型のレスピレーターを付けたままでの移送となり、麻酔科の先生と大勢の看護婦さん達の手伝いを受けて大移動となった。ICUでは長期にわたる治療はなかなか難しいものがあり、ICUでの平均在院日数は7-10日程度とのこと。これからICU管理に代わって自分で管理していくこととなるわけである。プレッシャーだが何とか全身管理をうまく進めていかなくてはならない。家族にしてみれば一日10分ずつ3回の面会時間しかなかったものが一緒にいられる時間が増える分嬉しい限りであろうが、まだまだレスピレーターからの離脱が難しいだけに辛いところもある。早く回復してもらえるよう頑張るしかない・・・。
5月28日(金)晴れ 昨日往診に行った具合の悪い患者さんは残念ながら入院となってしまった。勿論O原先生と一緒に受け持ちである。この方も胸部レントゲンにて肺炎を示唆する陰影があり、やはり昨日に続いて今日も往診に行って頂いてよかった。う〜ん、何だかO原先生とのミットが多くなってきたが、それだけO原先生の治療法を一つでも多く吸収できるわけで自分としては大変ラッキーなことである。入院では在宅患者さんやその家族とより深いコミュニケーションが図れるためにここは頑張りどころであろう。夕方には伊予三島市で内科だけのI川医師送別会が執り行われた。I川医師は来週月曜日にも担当の患者さんの在宅往診をして仕事納めとするそうである。この精神見習うべきものがある。彼はここ豊浜町出身であり、今引っ越しを終えて実家で生活しているようだ。医長の先生方からの挨拶でもそれぞれから絶賛の送別の辞を受けて彼のここでの2年間の苦労と努力がつくづくよく分かった。後輩に負けないよう自分自身も頑張って後期研修に励まなくてはならない。
5月27日(木)晴れ 今朝は「わたつみ苑」の定期診察日である。S脇部長の胃カメラが始まるまでに診療を終えなければならなかったが、入所者の中に昨日から38-39℃の発熱があってしんどそうだという方がおられて時間をかけて診療にあたった。右肺に肺炎の音が聴取される。急いで血液検査と胸のレントゲンをオーダーして普段以上に時間を費やしてしまった。少し遅れて胃カメラに入ることとなったが、S脇部長は検査よりも病棟を優先しなさいという指導方針のために全く問題なかった。朝診察した患者さんは炎症反応も高く右肺に強い肺炎像を呈しており案の定入院の運びとなった。O原先生と一緒に受け持ちとなり、酸素も吸わなければならない程の重症肺炎であった。一日も早い回復を祈るばかりである。午後には豊中市まで在宅往診に出掛けた。定期往診も何度か行くとだいたいのリズムがつかめてくるし、患者さんとの面識も深まるためにコミュニケーションもとり易くなってくる。2件目に訪れた患者さんが2-3日前から食事の飲み込みが悪く食事をほとんど摂らなくなっているということで今日一日点滴にて様子をみることとした。明日O原先生の往診が入るということで明日の診察で入院か在宅での点滴かを決めて頂くことにした。こういった医師間の連携プレーのお陰で継続的な在宅診療が続けていけるのである。明日にはよくなっていて欲しいのだが・・・。
5月26日(水)雨 今日は高校生の入院が入った。背が高くてひょろっとやせ型で突然の胸痛と呼吸困難で発症・・・と聞くと勿論自然気胸という診断になるが肺から吸った空気が胸腔内に漏れ出してしまい肺がしぼんでしまう病気である。こういった体格の若い男性に多いとされているが、治療として胸腔内にトロッカーという細い管を挿入して弱い陰圧でゆっくりと胸腔内の空気を吸い出して肺を膨らませる手段が採られた。これまでの勤務地でも何度か施行したことのある手技であったので上の先生から「先生やっといてね」と頼まれてしまった。何とかうまく留置できて空気を吸い出すとみるみると元気に復活してしまった。勿論挿入部の痛みは仕方のないものだが、ここからが三豊のすごいところだ。明日トロッカーをクランプして30分くらいして気胸の再発がなければそのままトロッカーを抜去して外来followにしましょうと上の先生から指示された。今までの考え方であればもうしばらく様子を見てからとなりそうだが、それだけベッドの空きにも余裕がなく外来でいけそうなものはなるべく早く退院させるという方針がひしひしと伝わってくる。夜の内科カンファレンスでは来週行われる四国循環器学会の予行練習が行われた。内科からは6題の演題が出され、心臓血管外科の1題と併せて7題もの演題が用意されているとのこと。全出題演題の約1割を占めるというすごさでこの病院の循環器の優秀さを物語るエピソードである。そのうちに私も演題を与えられることとなろう。せっかく後期研修にやって来たのだから何かアカデミックなことについても業績を残していかなければ・・・と感じた。発表する先生方頑張って下さい!!!
5月25日(火)晴れ 今朝A.M.3:00に病棟からコールがあり、入院患者さんが急変しICU(集中治療室)に転科させなければならない状況となった。勿論主治医としてICU搬入後も家族へのムンテラ(説明)や検査のオーダーなど色々と関わりは持っていかなくてはならない。ICUでは患者さんの家族が面会する時間帯が決まっているために内科では必ず一日一回は家族に対してムンテラをするよう決まりがある。ICUの管理は全て麻酔科の医師が中心となり、治療や検査についても全て麻酔科を通して行う規則となっている。全身管理りレベルの高さに驚かされまたこういった院内での重症患者の対応へのバックアップとして何とも心強い存在であることを身にしみて感じた。麻酔科の先生方に依存し過ぎることなく今後も時間の許す限り顔を出して経過を追って行きたいと考えている。今日の午後は気管支鏡(ブロンコファイバー)の検査を術者として初めて一人で施行させて頂いた。こうやって検査の件数を増やしていくことで地域に戻っても自信を持って単独検査ができるようになると信じている。まだまだ一歩を踏み出したばかりだが今後も件数を一つでも増やせるように頑張っていくしかあるまい。夕方にはGDフォーラムというS脇部長が代表幹事を務める勉強会に出席した。当院からもH尾医師が症例発表をしていたこともあって重傷を抱えながらも参加させて頂いた。香川県立中央病院や香川医大などからも多くの医師が参加されていて今回で12回目となる勉強会のようだ。研修医の医師達をはじめとして諮問形式で途中進められて緊張したがとても有意義な勉強会であった。こうやって外へ出るのは嫌いではないのだがその代償として病棟の仕事が山のように残ってしまうのがたまに傷といったところだが全ては自分のため・・・。がんばりまひょ・・・。
5月24日(月)雨 今日は在宅寝たきりの患者さんが肺炎と喘息の悪化のために入院となった。低酸素状態で酸素吸入が必要であり、これまでI川医師が在宅で診ていたのだが今回転勤となるために同系列の私に入院が回ってきた。この症例とは別にまたまたまた完全房室ブロックという高度な不整脈により胸のしんどさを訴えている患者さんが緊急入院となった。これでこの5月だけで3例目の重度房室ブロック患者を診たこととなる。地域医療では過去に数例と少なかったのにわずか一ヶ月でこの症例数とはやはりすごいの一言に尽きる。心臓の刺激伝導系異常のために人工ペースメーカーによるペーシング治療が必要であるために今回も一時しのぎとして右鼡頚部から体内ペーシングを留置する手段が施行されることとなった。たまたま循環器のU枝先生が患者をカテ室に搬送しようとしている時にエレベーター前で遭遇しそのまま一時ペーシング留置術に入ることとなった。先週に続けて2例目となるのだが、前回の記憶が指先に残っていて今回は比較的スムーズに挿入できた。こうやってペーシングの操作に関わるチャンスが続くのも運がよいと考えるべきなのだろう。何せ短期間の臨床研修だけに色々な症例に遭遇してその対応や手技について経験しておくことが将来的にきっと役に立ってくることになるのだから・・・。
5月23日(日)曇りのち雨 今日は午前中豊浜町主催の町民運動会があった。豊浜幼稚園に通う長男の優駿も当然参加することとなり、プログラムの2番目に出場することとなった。かけっこでもやってくれるのかと思いきや何と「だんご三兄弟」の音楽に合わせて父兄と踊るというものらしい。私は優美佳の子守り役として参加することとなった。日頃から何度か練習していたようでなかなか上手に踊っていてついつい嬉しくなってしまった。幼稚園児のプログラムは何とこれだけで終わりということですぐにお開きとなった。後は小・中学生主体で進められていくようだ。この運動会のために明日は何とお休みとのこと。何とも羨ましい話だが私だけは明日も平常通りの勤務が待っている。昨日呼び出しのあった患者さんも今日は落ちついており、比較的のんびりとした休日を過ごすことができた。さあまた明日から気合を入れて頑張って・・・・おっと、そうだ来週の月曜日には循環器の抄読会で私が翻訳担当だった!!!何か循環器の不整脈に関する文献を探して訳さなくてはならない。まずは図書館に行って色々と最新の文献を見つけてくることからはじめなければ・・・。しまった今日のんびりとしている暇なんてなかったのに・・・。今から少しでもやっとこう。まずいまずい・・・
5月22日(土)晴れ 今日は夕方から香川県自治医大卒業生の会「自讃会(自治讃岐会)」に参加させて頂いた。香川県は6月が人事異動の月となっており、義務終了の2人と新しく大学を卒業して来た2人、後期研修で自治医大の方に帰られる1人、そして香川にやって来た私と6名の歓送迎会が兼ねられていた。最初は夏季研修や人事異動の件について話し合いを行い、我々高知県のシステムとはまた違った印象があって県との関係や義務終了後の身分など異なる点が多かった。こうやって他県のシステムについても視野を広げてみることも自分にとっては意義のあることだと思うので今後も機会を見つけて参加させて頂きたいと思う。後期研修に出られる先生は私と同期のU田医師(旧姓N川)で自治医大の血液内科の方で研修されるとのことだった。U田医師は女医さんであり、小さな子供さんを育てながらもしっかり自分を磨いていこうとする姿勢には頭が下がる思いだった。もう少しゆっくりと話をしたかったのだが、受け持ちの患者さんの容態が変化してコールがあったために一緒に行っていたN津先生と一緒に病院へと向かうこととなった。N津先生は在宅往診患者さんからの呼び出しであったようだ。途中退席で申し訳なかったが香川県内で勤務されている多くの先生方の顔を一通り見て挨拶できたことで今回はよしとしよう(参加されていた先生方申し訳ありませんでした・・・)。
5月21日(金)晴れ 今日は午前中循環器のU枝先生について心エコーに入ったのだが初めて経食道心エコーを体験した。胃カメラのような形態をした超音波で挿入法は上部消化管用の側視鏡と同じ要領である。プローべの先も小さなスプーン状になっていて比較的飲み込み易くなっていた。心臓内の様子も体外式とはまた違った見え方をしていて特に左房内はびっくりするくらいきれいな画像が得られるのに驚いた。これならば確かに左房内血栓も確認できそうである。カラードップラーもこの経食道心エコー用のプローべで観察ができ有用性が高いことを実感できた。P.M.20:00R北中央病院のI東先生がこちらに泊りがけでやって来られた。I東先生は私の先輩でもあり、また内科のN津先生と同期で大の親友なのである。そんな関係もあって以前からこちらにお招きしての飲み会が実現したのである。宿泊先の関係もあってP.M.23:00までの短い時間ではあったがお互いの近況や情報交換を行いとても楽しかった。次回は私とN津先生がR北の方へ行くという約束になった。ここからR北まで何と40分足らずで行けるそうである。I東先生曰く「高知市に行くのと変わらないよ」という程近い距離にあるのだ。ここ豊浜町には宿泊できる旅館がほとんどないといっても過言ではない。総務課に頼んで予約してもらったのがH田屋という旅館である。先日わたつみ苑の歓送迎会があったところが同じ名前のところだったのであそこは旅館もやってるんだとばかり思っていてI東先生を案内して行ったら全然別の所で恥ずかしい思いをした。実は自分の家のすぐ近くの豊浜駅前にあったのだ(I東先生あちこち引っ張りまわしてすみませんでした・・・)。このH田屋旅館以外には思い当たる宿泊施設はなく観音寺や川之江のホテルを利用することが多いそうだ。よく覚えておこうっと。
5月20日(木)晴れ 今日はP.M.:17:30から医局会があり、病院各部署、病棟ごとの不要在庫や薬剤指導数の提示、各医師別の入院治療計画書作成率などデータが示され三豊総合病院のすごさを実感した。やはり四国随一の黒字経営を誇る病院だけに経営に対する取り組みも予想以上に厳しい。とりあえず自分に関しては計画書作成率100%の数字が示されていてホッとした。梼原病院でもその制度が始まってからずっと書くようにしてきていたので習慣づいていたお陰でもある。その後近くにある焼肉屋さんの2Fを借り切って自治医大の後輩であるI川医師の送別会が医局主催で開かれた。彼は香川県立中央病院に2年初期研修を行い、その後ここ三豊総合病院にて2年間研修をしており我々高知出身の者としては大変に羨ましいような研修をこの4年間で受けている。やはり10名近くいる研修医の中でも先輩格であり各診療科でもバランスのよい実力をもっており頼れる後輩である。来月からはS病院という梼原病院規模の病院に転勤されるのだが、これまで勉強してきたことを地域医療で活かして欲しいと願うばかりである。
5月18日(火)曇り 今日は丁度一週間前のMobitzII型の房室ブロックという高度不整脈の患者さんが狭心症発作を起こしているためにその精査を兼ねて負荷心筋シンチという検査に入った。その因果もあってか先週に引き続いて今日は完全房室ブロックというより高度な不整脈による症状の出ている患者さんが入院し受持ちとなった。前回同様に心臓の刺激伝導系異常のために人工ペースメーカーによるペーシング治療が必要である。しかしながら今日は平日で外科の先生方も急にペースメーカー埋め込みにかかるというわけにもいかずとりあえず一時しのぎとして右鼡頚部から体内ペーシングを留置する手段が選択された。午後はブロンコ(気管支鏡)検査が入っていたのだが指導医のY地先生に許可を得て房室ブロックの患者さんの一時ペーシング留置術の方に入ることになった。循環器のU枝先生と一緒に血管造影室に術着を着て入りU枝先生のはからいによって私が自分の手でこの一時ペーシングのリード線を右心室内へと留置させてもらえることになった。要領はIVH(中心静脈栄養)を入れるのと同じやり方ではあったが、太いリード線だけに誤ると穿孔や出血を起こす危険もある。シースを挿入後リード線を慎重に心臓内に進めていった。何とかうまく留置にこぎつけて早速ペーシングが始められた。それまで心拍数が30前後しかなかったものが設定心拍数の80を打ち始める。しんどそうだった患者さんの表情が次第に楽そうに変わっていく奇跡の瞬間である。その後患者を血管外科に紹介しP.M.16:45より手術室にて恒久的人工ペースメーカー移植術を施行して頂いた。終了後消化器カンファに出てムンテラを2件と入院患者の夜回診を済ませてようやく今日一日のデューティが終了となる。なかなかヘビーな一日であったが体内一時ペーシングの経験ができたことは大いに価値があった。
5月15日(土)晴れ 今日は自治医大卒業医師の定期勉強会がある日で高知市へと行く予定にしていたのだが、12日に脳梗塞で入院された患者さんの容態がよくないためにこちらに居残ることにした。というのも翌日の脳CTにて脳ヘルニアの状態になっておりずっと昏睡状態が続いていて血圧や呼吸状態が安定していなかったためである。ご家族は高齢でもあり挿管などの治療は望まれず自然の成り行きにまかす他はなかった。高知県立中央病院僻地医療センターへと連絡をとり今日は欠席する旨をつたえた。新任地での様子や雰囲気など色々と話したかったがこればかりはしょうがない。夕方より除々に呼吸状態が悪化し、残念ながらP.M.21:55永眠なされた。私にとって三豊総合病院では初めての死亡患者さんとなった。死亡診断書を作成し、ミットで診て下さったO原先生と一緒にお見送りさせて頂いた。地下室には大きな仏壇があり患者さんを前にお線香をたいて家族と医師、看護職員皆でそれぞれ手を合わせてお別れをした。これまで勤務していた病院ではお線香をたいて一人一人が手を合わせてお別れするということまではしていなかったこともあり、何だか新鮮な気持ちになった。いずれにせよ、今日は高知市に行くのをやめといて正解であった。勉強会に参加された先生方ごめんなさい。次回の勉強会には万難を排して参加させて頂きたいと思います。今日亡くなられた患者さんのご冥福をお祈り申し上げます・・・・。
5月14日(金)晴れ 今日もなかなか忙しかった。最近A.M.7:30までには病棟回診を始めないと午前中のデューティまでに全員の回診が終わらなくなってしまった。午前中は循環器科のU枝先生について心エコーを行いA.M.11:00からは動脈閉塞のために右下肢第5趾の壊死を起こしている受け持ち患者さんの右大腿動脈にカテーテルを留置する手術に入った。このカテーテルよりプロスタグランジン製剤という血管拡張剤を持続動注するという治療を行うためである。その後受持ち患者の腹部エコーを行い、昼食を摂った後に昨日入院してきた肝膿瘍のドレナージ術に入った。その後A東先生について肝臓腫瘍に対する動注リザーバー留置術に入った。このリザーバーという器械から注射を入れると肝臓内の腫瘍にその薬が到達し効果を発するわけである。終了間際になってまたまた新入院の知らせが入った。C型慢性肝炎に対するインターフェロン療法を目的とした入院である。指示を書きに病棟へと上がりムンテラを2件済ませてから夜の病棟回診となった。肝膿瘍の患者さんもドレナージ術後とても調子が良くなっており、今後良好な経過をたどりそうで嬉しい限りである。さて明日からは週末だ。山のように残った仕事を片付ける絶好のチャンスである。日曜日の夜にはハワイ組と出張組の医師が帰ってくる。来週はもう少し楽になるだろうか・・・?いや、楽観的な考え方は危険である・・・。
5月13日(木)晴れ 今日はなかなか忙しい一日だった。朝早起きして病棟回診を済ませS脇部長の胃カメラまでの間に老健施設「わたつみ苑」の診療を済ませる手はずで仕事をこなしていた。A.M.8:10過ぎにポケットベルが鳴る。電話に出てみるとA東先生の声だった。「今朝剖検が入ったので代わりに外来頼むな。」とあっさりおっしゃられたので思わず「えっ?」と聞き直してしまった。A東先生の外来は三豊総合病院でもトップクラスの外来数を誇る忙しい外来であり、肝臓の専門ということで大変な患者さん達を大勢抱えているわけで一瞬顔色が蒼ざめてしまった。しかしながらお断りするわけにもいかず急遽A.M.8:30からA東先生の外来の代診が始まった。外来自体は慣れているもののやはり状況が状況だけにものすごく緊張してしまって冷や汗のかき通しであった。何とかリズムにも乗ってA.M.11時頃にA東先生が戻ってこられて引き継ぎを行った。この時はさすがにホッと胸をなでおろした瞬間であった。その後S脇部長の胃カメラについて最後にはEMR(内視鏡的胃粘膜下切除術)などもあってP.M.1:30頃までかかってしまった。その後病棟からコールが入り何と新入院が入ったとのことだった。肝膿瘍の患者さんである。ハワイ組の先生方をうらめしくも思いながら入院指示を書きに上がってその後観音寺と豊中の方に在宅往診に向かった。帰ってきたのがP.M.16:00頃となり、急いで心カテ検査に向かった。残念ながら本日最後の症例がすでに始まっていて心カテには入ることができなかった。新入院で時間をくってしまった分が影響したようだ。その後循環器カンファ終わらせて2件入院患者の家族にムンテラを行い、その後ようやく病棟のカルテ書きに移った。夜病棟でA東先生から「明日の午後は空けとくように」という指示が出た。ハワイ組の先生の代わりに腹部アンギオ(血管造影)に入ることが決まった。明日も忙しくなりそうだ・・・。早く寝て体調を万全にしとこう。
5月12日(水)晴れ 今日は脳梗塞で意識障害(III-200)および右片麻痺の患者と肝腫瘍の患者が入院となった。今日2人の入院が入ったのには理由がある。というのも三豊総合病院の職員旅行のために今日の夕方17時をもって研修医の医師3人がハワイに旅行に出かけてしまい、また学会出張でY井先生が横浜の方に出掛けているために内科の居残り組はこれから日曜日まで結構大変な日々が続きそうである。今日Apple社からG3パワーブック400MHzと333MHzの2モデルが日本でも発表された。発売は今月末とのこと。A東先生と後輩のI川先生はいずれも333MHzのモデルを購入するとすでに心に決めているようだ。身近に最新型のG3パワーブックが入るということでその実力について目の当たりにできそうで今から何とも楽しみで仕方がない。う〜んやっぱりMacも捨て難い・・・。
5月11日(火)晴れ ここ三豊総合病院には自治医大卒業生として先輩のO原先生、N津先生、後輩のI川先生そして私と4人が勤務している。I川先生は今月一杯でここの病院を卒業して地域の病院へと赴任されるのだが、その転勤にあたってインターネットを始めてみたいという希望があった。早速香川県での人気プロバイダーとの契約を結んで今日そのIDとPasswordが手元に届いた。愛用のPCはMacのパワーブック(PowerPC)である。かつては私もMac派を通していて最初にインターネットに触れたのは何を隠そうこのMacのパワーブックだった。CPUはPower PCの一つ前の68040の世代のPCだったが最初につながった感動は今でもまざまざと覚えている。最近はすっかりWindowsにはまっていて梼原でも何人かの後輩や知人のインターネットを接続設定したがいずれもWindows機でありMacでの接続設定は本当に久し振りであった。一通り仕事を終えて午後22:00過ぎよりI川先生のMacをインターネットにつなげる作業を行った。まずOSをMacOS8にversion upしてカード型モデムを認識させ後はプロバイダーからの設定を入力して何度かあれこれやっているうちに何とかうまく接続できた。メールも懐かしのEudraというメーラーを使用して設定し無事送受信もできることを確認して作業を終了した。I川先生もこれから是非とも活用したいと意気込んでいた。私にとってもこれでまたインターネット友達が一人増えて大変嬉しい限りである。三豊でもまだN津先生をはじめこれから何人かのインターネット接続予定の医師がいる。日頃あまりにも多忙な先生方ばかりなのでなかなかインターネットどころの話ではないのだが私自身もめげすにこれからもインターネットの普及活動に励む所存である。
5月10日(月)晴れ 今日は労作時の胸のしんどさを訴える高齢女性で精査の結果MobitzII型の房室ブロックという高度不整脈に伴う症状だとわかり入院となった患者さんの受け持ちとなった。ペースメーカー植え込み術の適応である。これまではこのような高度房室ブロックに関しては全て後方病院へと緊急搬送していたのがここでは心臓血管外科の先生にコンサルトしてその日の内にペースメーカーが植え込まれて無事一件落着となった。あれだけゼイゼイとしんどがっていた方が術後にはケロッと元気になられてトイレまで歩行が可能になる訳で今日はこのペースメーカーの威力を改めて思い知らされる結果となった。循環器内科の専門医から血管外科への連携およびフットワークのよさも知ることができた。今後ホルター心電図でのfollow upや虚血性心疾患の除外のために心筋シンチなどにて精査が進められる予定となっているもののこの調子だとさほど遠くない日に退院の運びとなることだろう。めでたし、めでたし・・・。
5月7日(金)晴れ 今日は午後の大腸内視鏡検査で2人の患者さんの検査を担当しいずれも盲腸まで達することができた。何よりも嬉しかったのは2例目の患者さんを無透視で盲腸部まで到達できたことである。この後期研修の大きな目標の一つにこの無透視下での盲腸部への到達があり、予想以上に早期のうちに達成できて自分が一番驚いている。やはり高度のテクニックをもった先生方の手技を目の当たりにしていると知らない内にイメージトレーニングもできているのであろう。無透視で挿入できる場合患者さんの苦痛も少なく挿入時間も短かくなるのも実感できた。今日の感覚を何とか早く身につけて2列目のリーダーがとれるように頑張らないといけない。夜には地域医療部の歓送迎会が観音寺市内で行われた。まだまだ病棟の仕事を山のように残して後ろ髪を引かれながらの参加であったが、一応私自身も主賓の一人ということでご招待に預かることになった。三豊総合病院地域医療部は全国的にも名高い在宅医療の最先端を走る組織であり、私自身も4月からその一員として仕事に参加させて頂いている。大きな病院での勤務が続くと地域医療の精神をついつい忘れがちになってしまいそうな・・・そんな危惧もあってこの組織での仕事は私自身高いウェートを置いているのである。今夜の会には現在三豊での2年間の研修が今月一杯で終わろうとしているI川医師とその代わりに新たに赴任してくるO比賀医師も歓送迎の主賓として招待されていた。O比賀医師は同期のK村医師の奥さんの実弟であり、香川県中にて循環器を専門にやって来られたということで即戦力として期待できそうである。6月からはまた新たな顔ぶれでの再出発ということになるのだが自分だけ取り残されることだけはないよう頑張っていかなくてはならない。
5月6日(木)晴れ G.W.中の内科の新入院は20名であり、その内3人の新入院患者が私の担当となった。内訳は肺炎、在宅酸素療法中の患者の肺炎、血液疾患で化学療法の必要なケースと多彩であった。今日は午前中S脇部長に付いての胃カメラがあり、午後は定期往診ということで入院患者さんの十分な対応にあたるまでに随分と時間かかかってしまった。とりあえず通常勤務の合間に患者さんとの挨拶を済ませて診察をし最低限必要な指示だけを書いて対応した。しかしながら一日に3件の入院というのは初めての経験であり、なかなか普段以上に時間がかかってしまってなかなか大変な作業だった。そんな中何よりも救いなのは現在入院している受持ち患者さんの経過がいずれも良好で、食事が再開されたり、抗生剤が中止になったり、リハビリが始められたり、退院の日が決まったりと結構良好な経過をたどっておられるケースが多いことからこの多忙さもこういったところで少し報われているような気がする。明日一日頑張ればまた土日に突入することからもうひと頑張りということで頑張ろう。ほんと今日が月曜日だったらと思うとぞっとしてしまう・・・。
5月4日(火)雨 今日の夕方ひょっこり自治医大同期のK村医師がここ三豊にやって来た。何を隠そう彼は私がここにやってくる前に同じ後期研修の立場で1年間頑張って仕事をやり遂げた友人なのである。私がここで研修するきっかけを作ってくれた立場にもあって大変に感謝している次第である。今日こちらへ来た主たる目的は現在私が彼から引き継いでいる患者さんについて彼が症例報告をすることになり、その後のデータや経過などを調べることと指導医のA東先生に色々とアドバイスを受けることがあったようだ。何はともあれなぜかその用事は明日にということになりA東先生宅で大宴会となってしまった。私も呼んで頂いて一緒にA東先生の奥さんの手料理をご馳走になることとなった。その後2次会ということで近くのSかな屋という居酒屋に飲みに行き深夜遅くまでK村医師を囲んで楽しく時間を過ごすことができた。明日は休日だがこの症例の腹部CTを撮る予定となっている。早起きをしなければ・・・まずい早く寝ようっと。
5月3日(月)曇り 今日も昨日に引き続いて病棟へと出掛けた。医局の机の上には4月に入院で受け持った患者さんのレセプトのコピーが積まれていた。他の先生方の机も同じでどうやら連休明けまでには仕上げて医事科の方へと提出しなくてはならない。三豊のような医療レベルの高い病院では検査や治療の内容も豊富で高額医療となってしまうケースがどうしても多くなってしまう。こういったレセプトでの病名や注釈不足のために減点を受けないよう我々主治医がしっかりとチェックしなければならないのである。病棟の入院患者さんで連休前に容態が悪化した方がいるために今日は時間外ではあったが血液検査のオーダーを出していた。結果はやや改善傾向を示しており何とかこの連休中は無事凌げそうでとりあえずホッとひと安心といったところである。元々三豊に研修にやってくる前からここでは休みはもらえないものだと確信して来たこともあってこうやって毎日病院に顔を出すことも別に苦になるというわけでもない。日頃ばたばたとしているweekday業務と比べて自分のペースでゆったりと仕事ができ、またレセプトチェックも含めて退院サマリーやら書類書きなど日頃なかなか時間的に書く余裕のないものを一度に片付けられるためにかえって嬉しいくらいである。午後からは家族サービスに努めて丸亀市の方へと出掛けて買い物をした。子供達とも普段以上に接する時間が増えてなかなか快適な休日となっている。よくよく考えてみると今まではG.W.といえば渋滞の中遠くに旅行へと出掛けてかえって余計に疲れていたのかも知れない。連休中泊りがけの外出をせずにずっと家にいるのは今年が初めてだなあ・・・。
5月1日(土)晴れ 今日からG.W.の始まりだ。休みの日くらいゆっくりと起きて・・・なんて考えてA.M.10時過ぎくらいに病院へと出掛けた。そうすると医局にA東先生が座っておられてこちらを見て「今頃出て来てどうしたんだ?」と言われてしまった。一瞬血の気が引くような思いがよぎったが自分では何のことかよくわかっていない・・・。TAE(動脈を介して肝臓の病変に薬を入れたり血管を塞栓して壊死を狙う手技)などを施行した患者さんは動脈を穿刺しているために一晩のベッド上安静が必要であり、その安静解除をするのは医師の許可が必要なのである。私は昨日TAEを受けた患者さんの主治医であり、今朝8:30に出て来て右大腿動脈の穿刺部を確認して血腫などがないことを確認して安静解除を当然行うべきであったのをすっかりと忘れてしまっていたのである。A東先生は私の代わりにその時間に来られて私の代わりに安静解除をして頂いたとのことだった。まさに平謝りで弁解の余地なしという感じでいきなりの失態にとても恥ずかしい思いをした。しっかりとお叱りを受けた以上二度と同じ過ちを繰り返さないようにしなくてはならない・・・(A東先生申し訳ありませんでした・・・)。その後病棟の回診を済ませて帰ろうかとした矢先に下血の患者さんが内視鏡室へと運ばれたという情報が入った。勉強のためと思って駆けつけてみるとまたもや先輩であるN津先生が呼ばれて待機されていた。今回も私がN津先生の監視の下に胃カメラの挿入から観察をさせて頂き、胃角部の大きな胃潰瘍からの出血であることが判明した。無事止血処置を行って片付けをしていると今度は病棟に胃潰瘍からの吐血で入院されている患者さんが再び吐血されたということで緊急内視鏡が続けて入ることとなった。この症例に関しては1例目と異なりもっと深い潰瘍で拍動性の出血があり強い貧血のために顔色も蒼白くなっていた。このような症例であってもN津先生は動じることなく冷静にエタノール局注を繰り返し続けられて無事止血し得た。さすがはN津先生と感心させられてしまった。連休中とはいえ外来でも救急患者さんが数珠つながりとなっている。ここの病院にはG.W.なんていう言葉はあってないようなものなのだろう。