日々の何気ない出来事を思いつくままに綴ってみました・・・
今日の出来事
3月31日(金)晴れ 今日は朝から4月からの準備に色々と走り回っていた。ポケベルや院外ポケベルも支給されていよいよ本格的な体制に入ってきた。県中のホームページもURLはそのままでサーバーが移行するに伴い、ホームページ用のファイル(約10MB)を新しいサーバーに移す作業も行った。外来スケジュールや新規採用医師のプロフィールなどの更新も同時に行い結構時間がかかってしまった。いずれにせよホームページの移行は何とか無事終了しこれからまめに更新をしていく必要があるようだ。これはなかなか大変な作業だ・・・。
3月30日(木)晴れ 今日は午前中嶺北中央病院S野先生から当院呼吸器外科へのコンサルトが画像伝送を使ってあった。Y井先生から色々と指導・引き継ぎをしていたもののやはり最初というのはうまくいかないもので、奥の方からマニュアルを出してきてせっせと指示に従って無事画像保存(送信時に自動的に保存される)されているMOから画像ファイルを探し出すことに成功した。本当に手軽に胸部X-Pや胸部CTを画像伝送できるのだと改めて感心させられてしまった。外科O林先生の対応も適切で無事月曜日に救急搬送され入院となる手はずが整った。今後も地域の第1線で診療を続けている仲間の少しでも役に立てるようこれからも頑張っていかなければならない。午後は三豊総合病院へと出掛けた。というのも今日は午後17時から離任式が予定されていたからだ。離任式では私自身を含めて6名の医師が挨拶をさせて頂いてそれぞれが集まってくれた職員に対してお礼の気持ちを伝えていた。私自身も後期研修の身分ながら挨拶の機会を与えて頂いて本当に嬉しく思った。夕方には以前から約束していたA東先生宅でのお別れ会にM尾医師とK野医師と一緒に参加した。三豊での最後の最後という日に尊敬するA東先生宅にお招き頂けるというのはこの上ないことであり、M尾医師も同様にとても喜んでいた。A東先生から頂いた「病院を愛し、患者を愛しなさい」という言葉を胸にこの豊浜の地を後にすることとなった。A東先生本当に色々とお世話になりました・・・。これからもご指導を宜しくお願い申し上げます。
3月29日(水)晴れ 今日は4月から始まる土佐山への代診業務についての正式な依頼ということで現在診療所所長のK村医師、K田村長、住民福祉課長さんらが病院に挨拶に出向いてきてくれた。病院側としてT橋院長、K野事務局長と一緒に参加させて頂いた。土佐山村の近況や診療所の現況についてお話を頂き、来週からいよいよだなという実感も沸いてきた。K村医師が安心して三豊での内視鏡研修が積めるようにこちらでしっかりと留守番していくつもりである。私自身病院内ばかりでは息が詰まりそうなのでこの土佐山への代診業務は楽しみの一つになりそうである・・・。
3月28日(火)雨 今日は台風を彷彿させるような強い雨と風が吹き荒れた。高知県内でもあちこちで風水による倒壊被害の報道がある。この時期大変に珍しい現象なのだが、花粉も含めて都会の雑踏をすべて吹き飛ばしてくれたようなそんな感じもあった。明日はいい天気でありますように・・・。
3月27日(月)晴れ 今日は日中にへき地医療センターの大掃除を敢行した。触らずの間とも言われたパソコン配線と書類に埋もれた部署を机やロッカーの位置替えも含めて一掃した。拭くごとに真っ黒になる雑巾にめげることなく最後まで掃除して何とかそこそこのし上がりとなった。でもこのお陰で部署内のLANの調子がおかしくなってしまった。数日中に復旧にもっていかなければならない・・・。夜には三豊総合病院地域医療部主催の送別会があった。私以外にもリハビリの先生や訪問看護婦さん、受け付け担当の方など合計6名の異動があった。例年1-2名程度の送別会となるのがほとんどなのだそうだが、今年は異例という訳である。特に今まで増えることはあっても異動していなくなることのなかった訪問看護婦さんの異動には皆驚いていた。今度その代わりに中2病棟から保健婦さんが配属されることになるようだ。4月からまた新しい体制で在宅医療が始まり、介護保険のからみも出てくる。今後益々の発展を祈りつつ高知から今後の活躍を眺めていきたいと思っている。今日は病院で医局の机やロッカーを整理して家の鍵や病院のマスターキーなども医局秘書さんに返却した。支給されていたPHSとお世話になった院内ポケベルも併せて返却した。何とも寂しい思いで一杯である・・・・。
3月24日(金)晴れ 今日は高知県立中央病院内科主催の歓送迎会が旭ロイヤルホテルで開かれた。送別は勤続21年という大御所の内科M宅先生、呼吸器科で三豊のY地先生と同期のT村先生、そしてわれらがY井先生の3名であった。皆ベテランの優秀な先生ばかりで大変に残念なのだが、こればかりは如何しようもない。M宅先生のこれまでの21年間を振り返ってのスピーチにはとても深い感慨を覚えた。M宅先生は市内のS津病院で、またT村先生はすぐ近くのT南病院にて勤務なさるそうで今後もまた色々とつながりをもってご指導頂けることを期待している。Y井先生もへき地医療センターという全くゼロの概念をここまで確固たる存在に引き上げてきた功績は凄いの一言につきる。今後その後を引き継いでいく自分自身にプレッシャーを感じながらも今後の仕事に少し期待もあることは事実である。全体的にとても和やかな雰囲気でやはり古巣に戻った感じでさほど大きな違和感は感じずに会を終えることができた。これから頑張っていかなければ・・・。
3月23日(木)晴れ 今日で最後の在宅訪問診療を無事終えることができた。この一年間内科の各専門分野についての検査を中心に研修させて頂いたが、中でも特にこの在宅訪問診療については色々と学ぶことが多かった。三豊の縁の下の力持ちというか底力となっているこの部門はやはり目立たぬ存在ながら最も三豊らしいなおかつ在宅の最先端を担うハイレベルなものであった。そのシステムを支える主軸のO原先生をはじめ、N津先生、O比賀A医師、そして彼らを取り巻く在宅専門のスタッフ、近隣町村の保健婦さんや社会福祉協議会の強力なメンバーはなかなか後の追従を許さない確固たる組織として存在している。この中で仕事ができたことはきっと今後の自分の医療に何らかの恩恵を与えてくれるものだと確信している。在宅の患者さんや家族には後ろ髪を引かれるような気持ちでそれぞれお別れの挨拶を済ませて次の先生への申し送りを行った。昨夜に引き続いて三豊総合病院「脱長会」が開かれた。部長や医長など長のついた職にある医師は参加対象から外れるという三豊ならではの若手医師のざっくばらんな会である。整形のK松原先生、リハビリ科のT中先生、私、形成外科のF原医師、麻酔科K林医師、内科M尾医師の6名の送別会も兼ねられていた。他科の先生方の顔と名前もこの1年で全て覚えて、今日参加のメンバーにも色々とお世話になってこの1年間にそれぞれの先生達に一緒に関わった患者について話が弾んだ。2次会は観音寺にまで繰り出して遅くまで楽しく飲み明かした・・・。
3月22日(水)晴れ 今日は三豊総合病院内科で送別会が伊予三島市内の店で開かれた。送別対象は循環器医長のM浦先生、私、3年目研修医のM尾医師の3名である。M浦先生もM尾医師もいずれも急な人事配置の決定であり、参加した外来看護婦さん達の中にはまだまだいなくなるのが信じられないといった感想をもらす方もいた。M浦先生の後任人事はなく、M尾医師の後任には赴任先から交換の形で医師派遣が決まっている。私の後任も今年は残念ながら不在であり、実質的には定員−2名ということになる。内科病床として約50床の増床が予定されており、医師一人あたりの病棟受け持ち患者も増えていくことになるだろう。おそらくミット制が減って一人主治医制が多くなってくると予想される。外来の再来予約及び検査入力の業務も4月から始まってくるわけでこの1-2ヶ月はまさに三豊にとって正念場である。是非とも持ち前のチームワークのよさを発揮してこの荒波を乗り越えていって欲しいしまた克服してくれるものと信じている。3名それぞれに送別の記念として財布プレゼントして頂いた。三豊での研修で得た多くのことを新たな赴任地でも活かして頑張っていかなくては・・・と今日改めて思った。三豊総合病院の内科のスタッフの皆様、外来看護婦さん達色々とお世話になりありがとうございました。
3月20日(月)晴れ 春分の日 今日は一日引っ越しの準備に追われた。あらゆるものが段ボールの中へと収容されて必要物品もすぐに手の届かない場所に散らばってしまった。もうこうなったらしばらくは我慢の日々が続くこととなる。必要最低限の生活雑貨を残してただひたすら荷造りに励んだ。食事も紙コップと割り箸、コンビニ弁当・・・とゴミとして処分できるものに限られてきた。官舎の中は段ボールが山積みされ、もはや足の踏み場もなくなってきている。一般的には嫁さんがバリバリと引っ越しの荷造りをして私自身は子供の世話をするといった形が多い(これって本当は逆?)。自宅のデスクトップPCも収納の運びとなってしまい、今ではノートPCだけが頼りである(こんな時にはすごく便利!!!)。今しばらくはこの生活が続きそうで覚悟しておく必要がありそうだ・・・。
3月18日(土)晴れ 今日は県中の3Fの一室にて義務内医師との意見交換会が開かれた。こういった会は本当に久し振りといった感があり、研修医の先生達の本音の部分や地域の第一線における悩みや苦労について色々と話を聞くことができた。私自身は義務修了者扱いとしてオブザーバー的な立場で発言権はなかったが、今日の話し合いの内容については流れもつかめたし、来月開かれる全体会の際に義務内医師の考え方についてある一定の道筋をつけることができそうである。この話し合いの後に有志にて市内に呑みに繰り出した。会議の場とはまた異なり、色々とまた違った意味での意見交換ができて総括として今日一日大変有意義なものであった。代表幹事のO谷先生、どうもありがとうございました。
3月16日(木)曇りのち雨 今日は三豊で胃カメラと在宅訪問診療を行った後、琴平町にあるホテルで医局送別会に出掛けた。といっても今回は私は主賓の一人ということで普段とは違った思いでバスに乗り込んだ。私を含めて7名の医師異動があり、最近では珍しい数の異動と院長先生もおっしゃられていた。院長、副院長先生を囲むようにして会席のひな壇にずらっと7名が正座し、少して照れくさいものがあった。オーベンを代表してS脇部長から送別の辞を頂き、他科の先生方とも歓談できてとても楽しい時間を過ごすことができた。各科の敷居の低さと各科の先生方の意思疎通のよさ、医局の雰囲気については本当に三豊のカラーが表れていて素晴らしいものがあり、私自身もその一員として仕事ができたことを誇りに思う今日この頃である。
3月15日(水)晴れ 今日は午前中大月病院、午後幡多けんみん病院に挨拶廻りを行った。それぞれK屋院長、Y下院長とも初めてお会いして自己紹介を兼ねて色々とお話させて頂いた。幡多けんみん病院もK村医師に案内を受けて病院の概要についてもおおまかに理解できた。やはり実際に行って見るのと聞く・読むとのではかなり違いがある。幡多地区の中核病院として随所に工夫や新機能が取り入れられていた。三豊で昨年から始められたオーダーリングについてもすでに外来・入院の両方でフル稼働しており、なかなか使い勝手のよいシステムのように感じた。この2日間で全行程約400Kmのロングコースであったがなかなかそれだけの得るものも大きかった。
3月14日(火)晴れ 今日は梼原町に退職の挨拶に出掛けた。N越町長とはすでにアポイントを取っており無事にお会いして近況報告や今後のことなどをお話しできた。その後梼原病院と保険福祉支援センターのスタッフや特別養護老人ホーム「ふじの家」の職員にも挨拶を済ませてたのだが、なかなか新任の挨拶と違って退職の挨拶というのは辛いものがある。この梼原町では地域医療に関する様様な経験を積ませて頂き、育てて頂いた土地だけに私自身にとってもこの地を退職して去っていくことは実に寂しい気がしてならない。今後この梼原病院出身の医師として恥ずかしくないよう新たな赴任地でも頑張っていかなければならない。N越町長さん、A谷院長をはじめとする多くのスタッフの皆さん、町民の皆さん本当にありがとうございました・・・。その後愛媛県日吉村に勤務する同期のS山医師を表敬訪問した後幡多けんみん病院へと向かった。ここには同期のK村医師がいる。丁度医局の送別会と重なってしまい、2次会から合流して一緒に飲んだ。結局午前3時頃まで色々と尽きぬ話をしてそのまま病院の仮眠室で就寝となった・・・。
3月13日(月)晴れ 今日は午前中腹部エコーの症例が多く、4人がかりで昼過ぎまでかかってしまった。午後は大腸ファイバー検査であったが、予約が13件入っていたために12時30分から始めた。今日はN津先生、I井医師と3人で回したが結構順調に検査が進み午後15時30には検査が終了した。検査が終わってからS脇部長が来られて「これならあと5件くらい増やして20件でもいけるなあ」とおっしゃられていたのでN津先生が慌てて否定なされておられた。今日のように順調に行けばまだしも難渋する症例やポリープが多発してポリペクの機会の多いケースがあったりするとなかなか時間がかかってしまうものである。でもこんなに検査がスムーズに進んだ日は我々も看護婦さん達もとても気分がいいのである。
3月10日(金)晴れ 今日は午前中総合案内受付にやって来る初診患者さんのに振り分け業務及び初診の問診表作成を行った。今日だけでも右項部から頭に抜ける疼痛でやって来た患者さん、円形脱毛症のある患者さん、腹痛で食事が摂れない患者さん、乾性の咳が持続する患者さん、左前胸部不快のある患者さん達が紹介状などを持たず来院され、振り分け外来の対象となった。午後には高知市内にある近森リハビリテーション病院のT中院長と友人のN野医師に挨拶に行ってきた。この病院では現在自治医大を卒業研修医の救急とリハビリ部門の研修施設であり、T中院長はその指導医なのである。Y井先生の異動について少し驚いておられたが、これからも研修の受け入れについては全く問題ない旨了承を頂いた。遠隔地医療機関とのテレビ会議システムと画像ファイルの転送試験をY井先生の指導の元に本川村診療所のI井医師と施行してみた。お互いの顔を見ながらのディスカッションが可能でへき地勤務の医師にとっては有用なコミュニケーションツールであるだけに今後のこのシステムの運用も心掛けていかなければならない。
3月9日(木)晴れ 今日の午後在宅訪問診療にあたったが、処方の関係上今日で往診が最後となる患者さんもおられて、転勤のご挨拶をさせて頂いた。在宅の場合その患者さんだけでなくその介護にあたるご家族とも面識が深まることから入院患者さんとはまた一味違った辛さがある。しかしながら来春からは三豊総合病院2-3年生による在宅訪問診療の参入がシステム化され、何とも心強い限りである。岡大出身の研修医でこの制度の元で診療を行うチャンスはここ三豊でしかないということで担当の研修医の先生達には是非とも頑張って欲しいものである。
3月8日(水)晴れ 今日は県立中央病院に行ってN村先生にお会いしてきた。N村先生は透析や膠原病・腎臓内科関連の業務を担う先生であり、4月から私も一部この分野の仕事を手伝うことになっているからである。三豊総合病院A山先生に伺うと同門の先輩医師でありよく知っているとのことのようだ。特に透析に関しては自治医大関連病院にも今年4月から導入が決まっていることもあってその後方支援を自分自身で行うことができるようにすることも一つの目的である。今日はN村先生は腎生検の日であり、自分も少し見学させて頂いた。その後透析室でスタッフに紹介を受け案内をして頂いた。4月からの勤務体制についてもおおまかに決定がなされており、主たる業務は代診・無医地区診療という後方支援であることを忘れることのないようバランスよく病院業務と連携しながら勤務していかなくてはならない。
3月7日(火)晴れ 今日は高知市の市町村共済会館にてへき地勤務医派遣市町村連絡協議会に加盟する某村の村長さんとそこの診療所の事務長さん、4月から赴任するであろう医師と県の長寿社会政策課の担当スタッフと一緒にその村の今後の医療・保健・福祉政策についての協議を行った。本来ならばこういった協議会を全ての派遣市町村でこういった形でディスカッションできるということは理想であろうが、現実的には何かトラブル等がきっかけとなって開かれることが多い。今回の協議会についてもその例にもれずやはりお互いの意思疎通を図って次回赴任医師が少しでもストレスなく業務を遂行できるようにすることを第一義の課題として話が進められていった。村や首長さんの考え方もよく理解できたし、今後は今日の協議内容を実践してもらえるかどうかということになってくる。これだけ全面支援の姿勢を打ち出す首長の下で医師としても自分の頑張り次第で色々とやれることも出てくることだろう。あとはその環境にご家族が溶け込んでいけるかどうか・・・だが、こればっかりは実際に行って仕事をしてみないと分からないわけで赴任医師については何かと不安も大きいことだろう。へき地医療センターの立場からもこの医師の精神的サポートに貢献できればと願っている。
3月6日(月)晴れ 今日は三豊で午前中は腹部エコー、午後は大腸内視鏡検査に入った。病棟がない分集中して検査に臨むことができた。まだ県中に本格的に籍を置いていないせいもあろうが、やはり気分的にはここ三豊の方が気分的に落ち着くのは不思議である。やはり上の先生が沢山いて何でも相談がすぐにできるという安心感があるためかも知れない。今日S脇部長のところへ入院治療計画書の提出率が医事課の方から届いていた。自分では絶対に100%のはずだったが結果は88%程度と予想を遥かに下回る結果でありショックだった。医事担当の方に問い合わせると患者さんからの計画書提出が遅れたり、看護婦さんが点数を算定していなかったりと色々ありますということだった。とりあえず新入院が入って自分自身としてはなるべくその日か遅くともその2-3日うちに計画書を作っていただけに何とも残念で仕方がない。点数でしっかりとってくれているかどうかもしくは患者さんがきちっとサインしてくれたかまで我々が確認しなくてはならないものならばそれはまさに余分な作業である。これは他の研修医の先生達も忙しい中一生懸命書いた文書だけにしっかりと処理願いたい。婦長さん達にもこの辺り徹底して欲しいものだ・・・。
3月3日(金)晴れ 今日は高知県中での引き継ぎ研修日ということでT橋院長のところへ研修指導医であるO原先生に記載して頂いた三豊での研修実績および評価(いわば成績表のようなもの?)を提出しに行った。入院や検査に関するデータはデータベースにして作っていたので参考資料として一緒に提出させて頂いた。T橋院長は資料にずっと目を通されておられたが後期研修として特に問題として指摘される部分もなく合格の印鑑承認を頂いた。とりあえずこれで県知事に提出する後期研修実績に関する資料は作成完了となりひとまず一件落着といったところである(めでたし、めでたし・・・大原先生ありがとうございました。)。今日は自宅のデスクトップパソコンを持参して行き、へき地医療センター内のY井先生の使っていた机にセッティングしてLAN接続を完了した。ノートパソコンもLANでつながりまさにノートパソコンは外付けハードディスクといった感じである。必要なデータをY井先生に説明を受けながら自分自身のハードディスクへとコピーしていく作業を行った。Y井先生は地域医療に従事する卒業生のメーリングリスト管理をしており、その引き継ぎ作業も併せて行った。今後このリストに関する登録・削除などの業務を担うこととなり、なかなか責任重大である。へき地医療センターにて作業をしている間にも卒業生数人から何度か電話がかかってきており、Y井先生や研修医の医師達が対応に当たっていた。やはりここは卒業生達の拠り所となる大切な部署でもあり、しっかりと運営していかなければならない責任を改めて思った。
3月2日(木)晴れ 今日PM18時から三豊総合病院院内CPCが開かれた。症例は2例で今回はK野医師とK合医師がプレゼンテーション担当であった。一例目は急性心筋梗塞症例、2例目は悪性中皮腫の症例でいずれもなかなか興味深い症例であった。K野医師は昨晩までほとんど準備せずにいてほとんど一夜漬けで仕上げたということだったがなかなか立派に症例をまとめており感心した。CPCでは開業医の先生方も数名来られることもあってか毎回大きな太巻き寿司が途中休憩の際に配布される。お腹が空いているせいもあってかこれがまたなかなか美味しいのである。しかしそれでも私自身岡山の実家近くにあるにある「寿司まさ」という太巻き寿司が多分一番美味しいと確信している(是非とも「寿司まさの太巻き寿司を食べたいという方がいらっしゃればメールでご連絡を)。夜入院レセプトを仕上げてU枝先生と一緒にK野医師のCPCよくできました会を近くのSかなやで開いた。K野医師は睡眠不足ながらしっかりビールジョッキーを空けて熟睡体制を整えていた。お疲れ様でした・・・
3月1日(水)晴れ 今日から3月がスタートする。本来ならば三豊での後期研修が今月末まで行われる予定であったが,人生色々なことがあるものだ。こうやって先行きの見えないところがまた面白いのかも知れない。高知県立中央病院へき地医療センターは小さな部署であるが前任のY井先生による様々なコンピューターシステムのるつぼといった感じがあり、LANもかなり以前から敷かれてあった。パソコンだけでも8台は常駐してある医局だ。この他にも遠隔地画像診断装置やテレビ電話、大型のフィルムスキャナー、デジカメ、小型CCDカメラ、パソコン用プロジェクター、ISDN回線・・・など凄いの一言につきる。結局地域医療はその地理的ハンディをどうやって克服していくかということにつながるわけだがその結論がこのシステムにつながっていったのだろう。Y井先生の残していかれたパソコンの中にはそれこそ山のように多くのファイルが収納されている。これをさてどうやって管理・更新していくか・・・。何だか先行き不安が募るばかりである・・・。