日々の何気ない出来事を思いつくままに綴ってみました・・・
今日の出来事
11月28日(土)晴れ 今日は土佐市高岡の結婚式場K苑で7月に寿退職した看護婦S乃さんの結婚式があった。前々からS乃さんは私に対して「結婚式で歌をお願いします」と冗談混じりに話していたのだが実際に行ってみると司会の女性から「選曲はお決まりですか?」と言われ、「ま・まさか本当に歌うことになろうとは・・・」と考えていたが時すでに遅しということで結局結婚式の定番である安室ちゃんの「Can you cerebrate?」を歌うことにした。S乃さんにとっては私がNHKのど自慢大会やKUTVの歌って走ってキャラバンバンに出場して歌ったことが印象強かったこともあってのご指名だったようである。ドキドキしながら緊張して歌ったのだが、その時S乃さんの周りには祝福のためにお酒を注ぎに来ている方々で一杯だった。果たして私の歌声はS乃さんの耳に届いたのであろうか?さて明日はまたまた当院看護婦さんT子さんの結婚式が地元梼原町の開発センターで執り行われる。私自身2日続けての結婚式というのはこれまでかつて無かった経験であり、誠に喜ばしい限りではあるが美味しい料理とお酒の飲みすぎに体調を崩さないよう注意しなければ・・・・。
11月27日(金)曇りのち雨 今日特別養護老人ホーム「ふじの家」の入所者で施設内でのターミナルケアを行う症例が出た。先月施設におけるターミナルケアについて全国地域医療学会に施設看護婦であるT崎さんが演題を発表したばかりであったこともあり、家族へのインフォームドコンセントや施設職員の受け入れなど色々な点で比較的スムーズに受け入れ体制が運んで行った。こうして「ふじの家」のようにスムーズな対応が計れる施設は全国的にはまだまだ一般的なものではなく、重症例は病院に入院させることが当り前といった風潮が残っている施設が多いこともこれまた紛れもない事実である。何年も生活を送ってきた施設はそのお年寄りにとってはまさに「自分の家」でありそこでターミナルケアが受けられることは大きな意義をもつと思われる。施設が独自に作成したターミナルケアマニュアルに沿った形で家族に十分納得してもらえるようなお世話をしてあげようと考えている。施設に依存するという訳ではないのだが、積極的にターミナルケアに向かって行こうとする施設の姿勢と家族の理解には本当に頭が下がる思いである。
11月25日(水)晴れ 今日は夕方から先日行われた予土県境駅伝大会の打ち上げがあるとのことで嫁さんがその会に出席することになった。私は当然子守りなのだが何と当直であった。院長に代ってもらおうとしたが民生委員の会合に参加しなくてはならずH谷先生は選手として出場していたし、Y子先生は松原診療所に出張診療のため不在だし・・・ということでやむなく私が当直をしながら子守りを引き受けることになってしまった。後は急患が入らぬよう願うばかりとういことだったが、家にかえるまでにケアプラン会と東津野村保健婦さんとの情報交換会が入り、その上P.M.17:30過ぎに松原診療所からの紹介で歩行障害の患者が来院することになり、脳CTを撮って入院の指示を書いたりして結局P.M.19:30過ぎに帰宅の途についた。嫁さんは2人の子供を連れて宴会に参加しており、私が2人を迎えに会場へと向かった。家で留守番をしていると案の定当直の看護婦さんから連絡があり、「今から転倒して頭部外傷を負った88歳の女性が来院します」ということだった。さすがに子供達を家に残して出ていく訳にもいかず熟考の末に当直で電話当番をしているS一さんに預けて診察にあたることにした。外傷の処置と頭部CTを施行し何とか急を凌いだ。その後は何事もなく家で子守りをして2人の子供を寝かせたが、まもなく嫁さんが帰宅してきた。久し振りに子供と離れてお酒を飲めたからかとても喜んでいて機嫌が良かった。いつも私自身が飲んで帰って来るパターンなのでたまにはこういったケースも必要であろう。このご褒美にボーナスで何か買ってもらお〜っと。
11月24日(火)晴れ 今日の午後外来をやっていると転落事故で重機ごと転落し死亡された男性が運び込まれて来た。私は外来の途中であったため院長が対応にあたった。診察が終わる頃にその男性の身元が分かってびっくりしてしまった。男性の母親は私が外来で診ているよく知った患者さんで、病気のために転倒を繰り返し在宅が困難なことからこの秋より施設に籍を置くようになった。というのも今年の1月に夫を病気で失くし、唯一この息子さんを頼りにしていたのだが、彼が仕事で家を空けることも多く、施設入所はやむなく出した結論であった。つい先日この息子さんと患者さんの生活やリハビリ、治療などについて今後の対応を色々と話し合ったばかりだった。今年になって「夫」と「息子」という大切な心の拠り所を一挙に2人も失ってしまった患者さんのショックは計り知れない。外来でただ独り肩を落として泣き崩れている姿を見て、慰めてあげる言葉すら見つからなかった。今夜遅くに大阪に嫁いでいる娘さんが帰梼されてくる。こんな時に本当に力になってあげられるのはこの娘さんに他ならない。現実に戻って今後の話を相談できるようになるまでにはしばらく時間が必要だと思われる。
11月22日(日)晴れ 今日のP.M.17:00から当院看護婦のN子さん宅新築のお祝いがあって呼んで頂いた。場所は飯母地区の公民館ということで「自宅ではなく公民館とは一体どういうことか?」と思って実際に行ってみるとその理由がよく分かった。何と町長さんをはじめ部落の住民、親戚や仕事の関係者をほとんど招待しており、総勢100名以上の結婚式披露宴顔負けの祝宴であった。梼原の人達は地域のつながりを重視しているためだと思うが正直びっくりした。自分の感覚ではお神祭の感覚で自宅にお客さんを招いて・・・という程度のものだったが規模が全く違っていた。すぐ近所でT恵子さんの新居も建築が進められているがおそらく来月中に同じ規模の祝宴を催行するのであろう。この不景気の中で新築ラッシュとは何とも羨ましい話題だが、自分達の新居は一体いつの話となるのやら・・・。とにかくN子さん新築おめでとうございま〜す!!!
11月21日(土)晴れ 今日は高知市内の鏡川沿いにある料亭「R水」にて父親の退職を親戚一同を集めて祝った。父は公立高校の英語科教諭として38年間奉職し、多くの卒業生を世に送り出した。高知高等学校→土佐山田→西→中村→追手前→岡豊→高知南と赴任し、私も父が追手前高等学校に転勤するまでは両親と共に生活を送った。数名の教え子さんから仲人の依頼を受けたり、仕事の関係で海外研修にも何度か派遣させてもらったり、県下では放送教育の第一人者の一人として活躍し全国青年の主張コンクール大会では全国第一位の栄誉をその生徒さんと分かち合った思い出もある。Audio&Visual関係の機器に関してはプロ顔負けの趣味を持ち、現在も愛好している。退職した今でも自分で撮影したビデオ編集に係りっきりで本人曰く「全然暇がない」と結構多忙な毎日を過ごしている。今の私がこうして一人前の仕事をさせてもらっているのも一重に父親とそして彼を傍で支えて来てくれた母親のお陰だと心から感謝している。これからも2人にはいつまでも健康で、仲良く第2の人生を歩んで行って欲しいと願うばかりである。
11月20日(金)雨のち曇り 今日は特別養護老人ホーム「ふじの家」でインフルエンザの予防接種を行った。対象者は全部で30名ほどいたが、こうやって日頃から予防に心掛けていくことが入所者の生命を守ることにつながるのである。大袈裟に聞こえるかも知れないが施設でのインフルエンザの流行は死亡率が高く我々嘱託医にとってはあまりにも恐ろしい現象なのである。この時期は発熱があると個室に隔離したり、手洗いやうがいなど感染の拡大には職員みんなが注意を払っている。白衣も施設と病院とはしっかり着替えて院内の病原菌を施設に持ち込まないように心掛けている。これからインフルエンザ流行の本番を迎えることになる。1名たりともその犠牲者を出さぬよう今後も気を引き締めて臨んでいかなければと考えている。
11月19日(木)曇り 今日は県の方から地域医療担当理事であるK野先生と長寿社会政策課のN島班長がわざわざ梼原までやって来られた。行政の意見や第一線で働く我々の最近の様子や将来的な展望について意見を交わす機会が昨年から年に1回こうして持たれるようなシステムになった。具体的な内容は伝えられないが県の担当者が我々や行政の生の声を聞いてもらえるということは大変意義のあることだと思う。意見交換が終わって葉山村診療所に勤務するY崎先生も参加して皆で一緒に雲の上ホテルで夕食を摂りそのまま2次会までもつれこんで深夜遅くまで懇親を深めた。県のお二人は明日十和村診療所の方へ行かれるとのこと。こうやって我々の組織に属する医師が勤務する市町村および診療所を全て回って意見交換を行うことになっている。今後も是非継続していって欲しいシステムだと考えている。
11月18日(水)曇り 今日は午前中胃カメラ、腹部エコーの後に2診で初診患者を5名診察してから大腸ファイバーに入った。これらが全て終わったのがP.M.13:00過ぎで、こんな日に限ってムンテラ(患者さんやその家族への病状説明)を昼休みに2件入れていた。このためP.M.14:00まで時間を要してしまい、その後東津野村へすぐに往診に出掛けることとなってしまい、帰って来たのがP.M.16:30過ぎだった。この後診断書を4件仕上げて紹介状を1通仕上げてやっと仕事が終わったかと思いきや、今度は病院代表者会が都合で日程が今日に変更されており、来週の全体会で検討する内容について話し合いを行った。その後に感染症対策委員会が開かれた。実は私はこの委員会の委員長であるにもかかわらず当直だったのでこの間に呼び出しがあったりして具体的な内容については話し合いに参加できなかったもののとりあえず出席者の名前には掲載されることとなった。この委員会では院内感染(MRSAや針刺し事故など)の把握やその対策について検討する役割を担っており、今後も病院代表者会の後に開かれることとなっている。まだまだこれで終わりにはならない。その後薬事審議会たるものが開かれ、この会は業者から提示された新薬の見積もり額と現採用薬との価格や処方実績を参考にして採用薬を整理する重要な会議なのである。結局家に帰り着いたのはP.M.20:00を過ぎてしまっていた。ふと振り返ってみると食事を採っていないことに気がついた。ここまで来ると流石にお腹がすいたというのを通り越してしまっているので不思議である。明日は県の長寿社会政策課のお偉い方が来梼されることになっている。今週はなかなか多忙な毎日となりそうだ。
11月17日(火)曇り 今日はP.M.5:30より前梼原町長のN越氏の自治大臣功労賞が町内開発センターにて盛大に執り行われた。梼原町をここまで引っ張ってきたリーダーとして功績も大きく、首長を引退後もあちこちに講演やら会議やらで今だ引っ張りだこのようだ。このような祝賀会には議員さんや町内の行政担当者、民間企業や各種団体が一同に会する訳で、梼原病院に勤務して3年目ともなると色々と外来や入院で関わった患者さんやその家族も必然的に多くなり、場合によってはこちらは知らないが相手は私のことをよく知っているなんてことも出てくる。顔が広くなることは有り難いことだが同時にお酒の返杯量もうなぎ上りに増加してしまうのである。適当な時間を見計らって一足お先に退散させて頂くことにした。院長は今夜当直であったが管理職のために出席を余儀なくされていた。周囲の人達は院長が「今夜は当直ですので・・・」と言ってもあまりことにする人は少なく遠慮なくお酒をついで来られるのである。H谷先生が欠席していたので当直を代わってもらったらと院長に持ちかけたが今週はすでに色々なスケジュールが一杯で交代すらできない状況であった。今夜については病棟の重症については私をコールしてもらうように夜勤の看護婦さんに伝えてあるが、外来に関しては院長をゆっくりと寝かせてあげるためにも来院がないことを祈るしかあるまい・・・。
11月15日(日)快晴 今日は予土県境駅伝が快晴の空の下で予定通り開催された。まず梼原病院男子チームは一般男子の部で第2位と大健闘だった。過去梼原町役場チームの最強メンバーですら第3位が過去最高記録であっただけに今回の記録は一目置かれる大記録といえよう。一般女子の部では事務のH瀬さんが第1区で区間新記録を、そしてうちの嫁さんが何と第6区で区間新記録を打ち立ててしまった。チームとしての成績は奮わなかったものの子育ての合間をぬっての区間新は大したものである。これで検査技師のJ明さんに何か差し入れをしなくてはならなくなったが嫁さんにしてみればお釣りが来てもおかしくない位の喜びようであった。皆それぞれが日頃の忙しい合間をぬって、もくもくと練習を積み重ねて来た成果がこうして良い結果として出た訳でありこれまでの苦労もそれなりに報われるというものだろう。嫁さんは今度は浦戸湾一周マラソンに出場すると早くも次の目標を立てていた。私はまた子守りにひたすら徹してあげることにしよう・・・。
11月14日(土)晴れ 今朝から優駿が少し風邪気味で咳が出ているので外出は控えることにした。お陰で例の「かかりつけ医の意見書」の作成にあてる時間ができて15名分が仕上がった。この書類を書いていて自分達が如何に病気の方ばかりに気をとられていて日常生活面の基本的動作についてはあまり深く見ていないということを思い知らされてしまった。そこで隣りの保健福祉支援センターに当直で出てきているデイサービスで日頃から対象のお年寄り達にもっとも接することが多い生活指導員であるH口さんに色々と介護に苦労する点やおむつの必要性などについて教えてもらった。何かと大変だが患者さんを別の視点から見つめ直すことができてよいのかも知れない。そういえば今日ある情報網からホームページで「ろばのパン」の歌詞を掲載しているサイトを教えてもらった。この得体の知れない「ろばのパン」は基本的に「ろばのパン」のミュージックを大音響で流しながら移動販売車で手作りのパンを売り、いつ何時に何処へ現れるのかまさに神出鬼没の存在なのである。この「ろばのパン」は最近でもここ梼原町に販売にやって来ていることは自分でも確認している。というのも特別養護老人ホーム「ふじの家」や身体障害者療護施設「みどりの家」の敷地内に定期的に売りに来ているのである。糖尿病患者さんにとってはパンを間食にという訳にはいかないのでなかなか厳しい話である。「ろばのパン」のミュージックは一度耳にするとしばらく自分の頭の中にその曲が何度もリピートされてしまう不思議な魅力をもった曲であり、今までその歌詞を正確に知らなかったので今回はかゆいところに手が届いたような感じがして何だか妙に嬉しかった。明日は予土県境駅伝大会だ。嫁さんは区間新記録を出すとJ明検査技師長に差し入れをする約束になっているとのこと。是非差し入れをすることになって欲しいと期待している。嫁さん頑張れ!!
11月13日(金)晴れ 今日はケアマネージャー資格試験の合格発表日であった。高知県では合格率が35%と他県と比べて約10%程度低いものだったと朝刊に掲載されていた。合格者数は901名とのことで確率的には3人に1人というなかなか予想以上に厳しいふるいがかけられるということで不安感にさいなまれながら朝刊を眺めていた。A.M.8:30に高知市の福祉交流プラザにおいて合格発表者が掲示されるとのことで自分の実家がすぐそばにあるので、両親に自分の受験番号を告げて代わりに見に行ってもらうことにした。嫁さんあてに電話連絡をしてもらうことにし、午前中検査をしながら発表の結果を待った。検査の合間に自宅に電話を入れてみると先ほどお父さんから連絡があって「番号と名前を確認した」とのことであった(やった〜っ!!)。自分自身ケアマネージャー試験に向けての勉強会の主催者であっただけに何とか合格をと考えていた。梼原病院や保健福祉支援センターの合格率はなかなか高くて勉強会の成果もなかなかのものではなかったかと感じた。ケアマネージャーが必須配置となっている特別養護老人ホームの職員達の結果はまだはっきりとは聞いていないのだが一人でも多くの合格者が出ることを期待したい。今日は「13日の金曜日」と何かと言われの多い日だが、どっこい今日は大変に嬉しい日に一変してしまった。今夜は気持ちよく眠れそうだ・・・。
11月12日(木)晴れ 平成12年4月から始まる介護保険制度において要介護認定を受ける際に我々医師による「かかりつけ医の意見書」というものが必要となってくる。導入に先立って各市町村でモデル事業の一環として、実際に制度が開始される前に実際の認定作業まで試験的に行われるとのことで先日から今日までその介護認定対象者のリストと意見書を支援センターから受け取った。実は東津野村の保健婦さんの方からもすでに7名分の意見書作成の依頼を受けており、今回は梼原町内の四万川地区(18名)およびその他の地区(29名)を中心とする介護認定対象者のリスト、およびそれに加えて特別養護老人ホーム入所者(30名)の意見書を書くことになった。昨年も少し書いたことがあるのだが今年の書式は昨年と比較して内容が限定されており、チェックボックスにチェックしていく形式が多く比較的記載し易い印象を受けた。要介護認定の更新は3-6ヶ月毎に行われるためにこういった書類は毎月のように10-30名(もしくはそれ以上?)ずつ記載していく必要が出てくる。我々のような公的医療機関は主治医を持たない高齢者がこの申請を希望する際には駆け込み寺のような機能を果たす必要があり、当然書類も山積みされてくるものと予想される。院長は早速プリンターで打ち出しができるようにフォーマットを作成しようかと言っていたが、そういった工夫でもしない限り大変な仕事負荷となってしまう恐れがある。また新任の医師は「一度も診たことがない」ケースが当然多くて書類作成を分担しようとしても必然的に長期間地元で勤務しているいわゆる「かかりつけ医」でないと書けない場合が多くなってしまう。我々のように2-3年毎に各医療機関を転勤していく組織におかれている医師にとってはその新しい赴任先で必ず大きな障壁となってくるに違いない。地元のケースワーカーや保健婦さん、行政の福祉担当者などとうまく連絡を取り合って情報を受けたりする必要性も出てくると思われる。まぁ地元にどんな高齢者が暮らしているのかを把握するのにはてっとり早いのかも知れないが・・・。
11月10日(火)晴れ 今朝柄にもなくパソコン周辺を整理整頓していたら左足第1趾にキーボードを落っことしてしまった。大した重さもなくて何のことはないと思っていたら徐々に激しい痛みを自覚するようになり、見てみると爪の下に血腫が貯まってきていた。出勤前であったので時間もなくそのまま四万川診療所へと向かった。診察中も左足第1趾がズキズキと痛んでたまらなくなり、途中で外来を止めて18G針でキリの要領でクリクリと自分で穴を開けて中の血腫を体外へとドレナージした。この手技は9月に香川で行われた四国地域医療学会で講師としてお招きした整形外科のO場先生から「きっと地域医療の現場で役に立つよ」とおっしゃられていたものである。まさか自分自身に施行することになろうとは夢にも思わなかった。O場先生の言った通り血腫の除去直後から嘘のように痛みが消失してしまった。私自身患者さんでこの爪下血腫たるものには出くわした経験がなく、急患でこのような患者さんが来院したらためらうことなく施行してあげようと思った。夕方の製薬会社主催の勉強会で気管支喘息の吸入用エアロゾルに代わるパウダー式の吸入器の紹介を受けた。パウダー状の細かい粒子を自分で思い切って肺内へと吸い込むものらしい。15-20%しか気管支内へと到達しないとのことだがこれは経口薬ではなくやはり外用薬の範疇になるようだ。この薬は海外での評価がかなり高いらしい。この世の中アイデアを凝らした色々な薬が出てくるものだと感心して聞き入っていた。
11月9日(月)晴れ 今日の午前中外来をやっている途中に患者さんの家族から病態が急変したのですぐに往診に来て欲しいと電話依頼があった。長期にわたって外来および入院で診てきた患者さんであっただけに外来どころではないとH谷先生に外来をタッチして急いで往診車で駆け付けたが患者さんは残念ながら帰らぬ人となっていた。病気自体は大変重いもので我々の治療範囲を大きく上回るものであったが、我々をとても信頼してくれて何度か入退院を繰り返したものの、在宅にまで復帰を遂げていた矢先だっただけに大変惜しまれるケースであった。私の父親と変わらない位の年齢で奥さんや息子さん達の献身的な介護にはいつもいつも頭が下がる思いであった。難病ではあったものの自宅で、しかもほとんど苦しむこともなく家族に見守られてのお別れだっただけにある意味では幸せなことではなかったかと医療者の立場からは感じられた。心よりご冥福をお祈り申し上げます・・・。お別れをすませて病院に帰るとここではまた現実の慌しい外来が待ち構えており、入院も2例あって午前中はいつも以上にドタバタとしてとても忙しかった。前にも書いたことがあるがこういった悲痛な心境のもとでいつもと変わらぬ外来をするのは相当な肝っ玉をもった人間でないととても務まる仕事ではないと今日もつくづく感じてしまった。今日一日ずう〜っと悲しみに浸っていたい心境であったのだがそうはいかない所が我々の厳しい現実の世界なのである。引きつった表情でつくる笑顔は自分自身が一番辛く哀しいものがあり、医者という職業の厳しさを痛感させられた一日であった・・・。
11月7日(土)曇り 今朝は早朝に前々から予定していた1泊2日の日程で家族旅行に出掛けた。旅行先の天気予報はどこの情報を見ても雨であり、天気図でも低気圧の前線に覆われていて、行く途中はどうやって雨をしのごうかと悩み落ち込んでいたがそんな心配をよそに今にも泣き出しそうな天気ながらも何とか雨が降らずに持ちこたえてくれて無事旅行を楽しむことができた。計画は2ヶ月前でさすがに天気までは予測できないものでこれだけは運に頼る他はない。大学時代の友人家族や親戚ともゆっくりと時間を過ごすことができて大満足であった。明日は予報でも天気は快晴のようだ。天気の神様どうもありがとう・・・。それはそうと例のケアマネージャー試験の合格発表日が来週の金曜日に決定したようだ。この日は13日の金曜日ということで、何か因縁じみた日の発表で少し心配なのだがここまで来て何もじたばたする必要はあるまい。結果は乞うご期待といったところか・・・?
11月5日(木)晴れ 今日は久し振りに整形外科の手術のお手伝いをさせて頂いた。いつもはH谷先生が入るのだが、P.M.13:00から2種混合の予防接種が近くの小学校で予定されていて午前中の私の外来が思ったより時間がかかってしまい、H谷先生に代わりに接種に行ってもらうことになった次第である。残った私はP.M.2:00からH谷先生の代わりに左大腿骨頚部骨折の手術に入ることになった。この患者さんは94歳と高齢で、麻酔をかけるだけでもリスクが高くて家族も決断までに時間がかかったようだが、せめて痛みだけでも何とかしてやって欲しいという願いのもとに骨折の修復がなされた。時間外の初診で診たのが私であり、整形外科のK川先生と共同で主治医になっていることもあって手術に入るべくして入ったということであろう。無事手術は成功し、K川先生の大工さん顔負けのノミやトンカチ、ドリルの使い慣れた手つきに感動して見入ってしまった。今回の手術で何が一番良かったかというと、それはこの94歳と高齢女性が家族の元を離れて町外の専門病院に送らなくても地元の病院のみで対応し得たということである。やはり高知医大整形外科からの専門医の派遣は当院にとって非常に大きな意味をもつものである。そのK川先生からSONYのPLAY STATIONというゲーム機器を譲ってもらった。何でもご夫婦で2台所有しているために1台余っていて私にそのおこぼれが回ってきたという訳である。優駿がレーシングゲームが大好きということで人気のゲームソフトまで貸して頂いた。K川先生は相当な腕前のようでこれから優駿をダシ(うちでは私個人で楽しむゲームは禁止されている・・・)にしてこのゲームの習得に励まなければならない。
11月4日(水)晴れ 今日一日だけで何と5人も入院患者があり、あっという間にベッドが埋まってしまった。こんな日に限って病棟の看護婦さんはいつもは4名体制なのに外来で眼科があったために人員不足のため3名体制となっていた。じわじわとナース不足の影響が出てきつつある。事務長さんは補助看護婦さんを増やす方向で検討してくれているが当面はこの方法で凌いでいくしかあるまい。院長は夕方病棟の入院患者の急変のために高知市のT森病院(往復約5時間)まで患者を救急搬送しP.M.20:00近くに帰って来た。午前中の外来に引き続いてこちらにずっと係りっきりだったために夜までほとんど他の業務が手につかなかったようだ。この辛さは実際にやってみた者でしか分からない。病棟回診や指示、午後の空き時間にやろうとしていた仕事や検査をやり残し、なおかつ搬送患者の病状の変化に対する臨機応変の対応による極度の緊張感に加えて救急車の車酔いが否応なく襲い掛かってくる。行きはサイレンを鳴らしてどんどんと進んで行けるのだが、帰路は一般車両と同じスピードで走行せねばならずまたその時間があまりにも長く感じられてしまうのである。そんなことで病院に帰って来た時点ではへとへとに疲れ果ててしまい、帰って来た院長の表情も少し蒼ざめていたように思えた(大変お疲れ様でした)。明日はわが身・・・と気を引き締めて仕事に取り組んでいかなければならない。
11月3日(火)晴れ 今日は越知面地区の神祭であった。婦長さんと看護婦のY子さんの2軒からお誘いを受け、K川先生、H谷先生、薬剤師のH君らと一緒に行くことになった。H谷先生はあろうことか眩暈、嘔気症状を呈し外来にてメイロン静注を受けていたために大事をとって今年は遠慮することになった。こちらはお客としてご馳走を頂きにお伺いするのだが、いつも飲み食いに行くだけで大変に申し訳なく思うのである。Y子さん宅では2人の息子さんがうちの優駿の子守りをしてくれて助かった。あれだけすぐにお互いが溶け込めるなんて子供同士というものはまったく不思議なものである。婦長さん宅には今年結婚した次男さん夫婦がお孫さんを連れて遊びに来ていて息子さんが婦長さんにそっくりでなかなかの好青年だった。久し振りのお孫さんの来訪に目じりが下がりっぱなしであった。Y子さん、婦長さんご馳走様でした。
11月2日(月)晴れ 週末土日で休みであり、明日が文化の日でお休みということもあってこのような日には必然的に外来患者数がいつもより多くなるのが通例だ。患者心理とでも言おうかお盆や年末年始、ゴールデンウィークなどの連休や今日のような休日と休日の中日などは患者さんが薬がしばらく手に入らないのではないかという不安にかられてしまうようだ。月曜日は内科が1診制のためこんな日には外来が大変である。今日も結局P.M.13:50までかかってしまった。まぁ明日お休みなのでよしとするしかあるまい。例の日吉村診療所への年末当直支援も実施が決まり今夜の勉強会で年末の梼原病院当直日程も併せて調整した。これでA雲先生もゆっくりと年末休みがとれるだろうし、梼原病院を本当の意味で後方病院の一つとして認識して頂けるものだと考える。年末に西条市にできたアサヒビール園に行こうという企画で何と私が幹事をやっている。高知新聞観光でツアーを買い取って実施しようと思ったが高知市から梼原町までの往復分の交通費と運転手さんの賃金の上乗せ分が結構高くて地元の梼原観光バスにうちの事務長が交渉してくれて一人あたり2-3,000円位は得をする金額になった。ビール園の方も自分で直接予約をしてこちらは準備OKとなった。募集は30-40名であり最少催行定員の30名は何とか確保しなければならない。保健福祉支援センターにも声を掛けているのだが少しレスポンスが悪いようで少し不安がある。いざともなればカルスト会や以前こちらで勤務されていたO先生やS水先生、T田先生達にも声を掛けてみるつもりである。生ビールが今から何とも楽しみだ・・・。
11月1日(日)曇り この週末は当直だ。昨日は午後に地元の高校生2人がスクーターで帰宅途中に転倒して救急車で搬送されて来た。2人乗りでもしていたのかと思ったら2台が前後に並んで走行していて前のスクーターが急ブレーキをかけてスリップして転倒し、それを回避しようとして後ろを走行していた方も一緒に転倒してしまったようである。午前中までだったら整形のK川先生が病棟回診をしていたのだが、午後であったため私一人で対応せざるを得なかった。骨折がないかどうか痛むところをレントゲン写真に撮り、挫創部の洗浄・消毒・縫合、骨折があればその固定など結構患者一人だけでもやらなければならない仕事が多くあるのだが、これが一度に2-3人搬送されて来るとこちらも大変である。何とか2人とも専門への紹介まで必要がなく無事処置し得た。今朝はA.M.3:50に8ヶ月の乳児が38℃の発熱で来院して来た。28日に当院で診察を受け処方も5日間もらっていたのだが、お母さんは少し軟便傾向でこれまで発熱など一度もなかったためにびっくりして連れて来たのだと言う。聞くと食欲は良好で機嫌も良く我々からすると「何でこんな時間に?」と考えてしまうのだが、カルテを見てみると熱冷ましの座薬が処方されていないこと、抗生物質を処方する際に軟便傾向になることをしっかり説明していなかったことなど、こちらの不備が問題であった。相手は子育てが初めての若い母親であり、初めての発熱というのはやはり不安を感じるのが当然のことだと思う。この時期の発熱は突発性発疹のことが多くそのことについてもムンテラして帰宅して頂いた。こんなケースは時々あるが決して母親に対して「何もこんな時間に来なくても・・・」と考えるようなことがあってはならない。夜間の急な発熱があっても全身状態に問題なければ座薬などで対応して朝まで待ってもらえるような教育をしてあげる義務が我々にはあるのだ。母親の行動は我が子を思うが故のごく当たり前の行動であり、これが時間外だろうが何だろうが母親にとっては一大事のことなのである。この母親は次回からはきっとうまく対応してくれることだと思う。どうぞお大事に・・・。