日々の何気ない出来事を思いつくままに綴ってみました・・・

          

12月30日(水)晴れ 昨日のP.M.6:00から今日のP.M.6:00まで24時間にわたる日吉村診療所の当直が終わった。梼原病院の当直と違って来院患者も少なく病棟の入院患者さんも3名のみであった。看護婦さんも日勤は2名、夜勤は1名体制でうちの病院と違ってのんびりとした雰囲気であった。日吉村診療所は毎年この時期の当直については現在所長のA雲先生の所属する愛媛大学の方から医師派遣があるのだが、今年に限っては人員不足のために医師の派遣が受けられず日頃からのCTや骨塩定量で患者を紹介して頂いている関係から当院への協力依頼を受け、お手伝いさせて頂く運びとなった訳である。短い年末休暇が減るのは百も承知だが、このような地道な貢献を続けることで今後も日吉村診療所との病診連携が深まっていくものだと考えている。いよいよ明日は大晦日。明日早朝に須崎駅から南風号で岡山に向かう予定になっている。つかの間の独身生活だったが気楽な反面やはり騒がしい子供達がいないのも寂しいものである。まぁちゃんとゆうちゃんに早く会いたいよ〜。

12月28日(月)晴れ 今日は今年最後の外来で先週の木曜日のような混雑はなかったものの、最後の駆け込み受診の患者さんが大勢やってきてそれなりに忙しかった。午前中で外来業務は仕事納めとし、午後は病棟回診に続いて病院全体会その後にフィルムカンファレンスを行って全ての予定を終了した。振り返ってみるとあっという間に1年間が過ぎ去ってしまった感がある。それだけ日々充実しているのだと思うが今年一年だけでも多くの患者さんとの出会い、そして別れ・・・と一年毎に自分はこれらの患者さん達によって育てて頂いていると改めて感謝したいと思う。明日日吉村診療所の当直を終えると今度こそ本当の年末休暇となる。今年の正月は嫁さんの実家がある岡山で過ごす予定にしている。病棟患者さんも激しい重症がおらず比較的ゆっくりと翌年を迎えられそうだ。

12月26日(土)晴れ この週末は久し振りにこれといった予定もなく当直でもないため久し振りにのんびりと・・・と思っていたが待っていたのは2人の天真爛漫な子供達の子守りであった。今日は何が何でも嫁さんが美容室に行く(何と6ヶ月ぶり・・・!!!)予定にしていたために、私の子守りは必然的な使命となってしまっていた。それでも最近は優美佳が結構私に慣れてきたのであまり泣かなくなり、多少は面倒をみやすくなったがやはり2人を同時に世話するとなるとこれは当直以上に相当なストレスがかかってしまう。圧巻は昼食の時でテーブルや服を汚すわ水を撒き散らすわスプーンやフォークを床に落とすわで散々なものだった。やはりこんな時嫁さんのすごさを思い知る訳だがこんなことはそう滅多にあって欲しくないとつくづく感じた。明日は私に自由な時間をくれるようなので明日こそはのんびりと過ごそうと考えている(でもたぶん無理な願いだろうなぁ〜・・・)。

12月25日(金)晴れ 今日から10月の試験で合格した者(高知県901名)を対象に4つのグループに分けて32時間に及ぶ長時間の介護支援専門員(ケアマネージャ)の実務研修会が始まった。筆記試験に合格しただけではだめでこの研修過程を受けないと正式なケアマネージャとなれないのである。場所は高知市朝倉にある福祉交流プラザの2F大講堂で約220名の受講者が集まった。受講料は13,000円でうちの事務長は「出張命令をとって病院の方で必要経費をもってあげよう」と申し出てくれたが、どうも今の梼原病院にどうしても必要な資格という訳でもなく、個人の資格としての意味合いが強いために今回は遠慮させて頂くことにした。実は10月にあった今回の資格試験の経費は病院もちとなっている。まさか事務長も病院と支援センターの合格率がこれだけ高い(13名中12名合格;合格率92.3%)とは予想もしていなかったと思う。これも勉強会などを開いて皆で試験に向けてお互いに意識づけを行ってきた成果があったのかも知れない。今後1月に2日間、3月に3日間の日程で研修が予定されている。まだまだ長丁場だがせっかくの機会なので勤務を調整して資格習得のためにもうしばらく頑張っていかなければならない。

12月24日(木)晴れ 昨日院長の外来が休みだったこともあって今日はその反動もあってか午前中の外来がごったがえしていた。午前中の1診だけで診察患者は何と68名の新記録を打ち立ててしまった。結局午前中の外来は昼食抜きで午後3時までずっと喋りっぱなしとなってしまった(ノドが痛い・・・)。外来が終わるとすぐに特別養護老人ホーム「ふじの家」への出張診療に向った。明日ケアマネージャー実務研修のため高知市へ出張しなくてはならず今日の午後に診療することに決めていたのである。インフルエンザ様の症状を呈するお年寄りが3名ほどいて「流行の兆し」ではなかろうかとふと嫌な予感がよぎった(ま・まずい・・・)。施設での診察を追えて四万川診療所へ行き、カルテの書き換え作業を行った。四万川診療所のカルテは我々が入っていくまで何と4年も書き換えがなされておらず分厚いカルテになっていたためこの年末で全てを書き換えてしまう予定にしているのである。しかしながらなにもこんな年末にやらなくてもよかったと実は密かに後悔している次第である。そんなこんなで今日は慌しい年末を象徴する激しい一日であった。今日は高知市へ肝胆膵カンファに行く予定にしていたがさすがにそのパワーは残されていない。早く寝て明日の実務研修に備えよう。おやすみなさ〜い・・・

12月23日(水)晴れ 今日は天皇誕生日ということで世間ではお休みなのだが私は残念ながら当直であった。12/11(土)・12(日)の週末と12/20(日)も当直をしてそして今日ということで3週間位連続で勤務しているような錯覚を覚えてしまう。幸いなことに重症の来院もなく平和な当直であった。この2週間は年末ということで外来患者さんがいつも以上に多くて少しお疲れモードである。ほとんどの患者さんは日頃滅多に顔を出さない人が多くて「年末の挨拶を兼ねて・・・」とか「年末の処方が心配で・・・」という理由が多い印象がある。明日を含めてあと2回外来が残されている。なんとか息切れしないように頑張らなくては・・・。

12月21日(月)晴れ 今朝病棟から呼び出しがあり、入院している特別養護老人ホームの男性患者さんが急変したとのことであった。行ってみると四肢抹消にチアノーゼが強く血圧も全く測定できない状態だった。気道と点滴ルートを確保し昇圧剤などを投与するも全く反応しない。血ガスでは低酸素血症などなくむしろ過換気気味であった。アシドーシスもない。結局血液検査、心電図にて急性心筋梗塞ということが判明した。高齢であり接食障害のために内視鏡的胃ろう増設による経管栄養を施され、日常生活は全介助を必要として意思疎通も図れない患者さんであったため、すぐそばに住んでおられる奥さんとの話し合いで専門への転院とせず当院での加療を決めた。今日の午前中はまたもや外来であり、外来の途中に何度か病棟を往復しながら対応にあたった。残念ながら薬石の効なく発症後わずか3時間の経過で亡くなられてしまった。全身状態や現在のADLレベルからはこちらとしてもどうすることもできない対応困難な症例であった。ご冥福をお祈り申し上げます。今朝もそうだったが最近午前中の外来中に色々と大変な症例の対応に追われることが多い。外来と病棟を行き来しながらの作業は相当なストレスがかかる。今日は一緒に主治医として治療にあたっていたH谷先生が検査係である程度フリーな立場にいてくれたのでまだマシだったが、外来も中途半端な形にならないよう気をつけてはいるのだがなかなか大変な仕事に豹変してしまうのが現実である。夕方には施設看護婦さんから「発熱があって食欲がなく、いつもと様子がおかしい」ということで相談があった。精査にて左肺炎、低酸素血症が見つかり、そのまま入院となった。さすがに施設の看護婦さんの目は違う。赤ん坊を見る母親のように第一印象的に日頃の状態との変化を感じてこちらに情報提供してくれるので本当に感謝している。しかしながら現在ホームではインフルエンザ様の風邪が流行しはじめてきた印象がある。これからまだまだ気が抜けない・・・。

12月20日(日)晴れ 今日は本来フリーの日であったが整形のK川先生と当直を代わってあげることにした。K川先生は金曜日高知市へ出張があり、翌日高岡からビール園行きのバスに乗り、帰りも高岡で降りるために翌日早起きして梼原に帰ってこなければならず特に予定がなかった私がK川先生と相談して当直してあげることにしたのである。そのよい心掛けのためか今日の当直は恐ろしい位に平和だった。このまま朝まで何もないということならば当直費を頂くのも気の毒なほどである。しかしながら昨日予想以上に足が出たビール園の支出に充てなさいと神様が私に言ってくれるような気がしてならなかった。そんな風に考えると昨日のことも帳消しになった気分でなんだか嬉しい一日となった。このついでに今夜は急患なく平穏無事に眠らせてもらえますように・・・。

12月19日(土)晴れ 今日は2ヶ月前から私が代表幹事として企画していた西条市にあるアサヒビール園に職員の有志達と一緒に出掛けた。実は今日T恵子看護婦さん宅の新築祝いも開かれ、古くから一緒に仕事をしてきた看護婦さんや院長、婦長、事務長らはビール園を諦めてこちらのお祝いに回ることになった。そのため総勢23名の小規模な団体となってしまったが、検査技師のJ明さんを筆頭に賑やかな職員が勢揃いして大騒ぎしながら西条に向かった。何でも嬉しかったのはこれまで梼原病院整形外科で仕事をして頂いたI里、T田の2先生も参加してくれたことで、場はなお一層盛り上がりをみせた。一人4000円のジンギスカン・海鮮料理食べ放題、飲み放題コースであったが、商売とはうまいものでアサヒスーパードライのジョッキーとウーロン茶、オレンジジュースが確かに飲み放題だったのだが、ご飯は付いておらず別料金メニューにはおにぎりをはじめとして黒ビールやワイン、アイスクリームなど飽きてきた頃に欲しくなるようなものがずらっと並んでいた。幹事の私としては少し余裕をもって集金していたが、ちょっとした気の緩みで「まぁせっかくだからみんな遠慮なく欲しいものを頼んで下さい」と一言発するや否や次から次に別料金の注文が起こり、これと運転手さん雇用費、レンタカー代、高速料金、ガソリン代を併せて少し足が出てしまった。結構な額をオーバーしてしまったが、みんなへのクリスマスプレゼントということで嫁さんから許しをもらい、うちで持ち出しをして万事めでたくお開きとなった。みんな結構楽しんでくれたようで「次はT田先生が幹事で第2段を」という声が上がっていた。運転手さんが予想以上に安全運転をしてくれて、なおかつ帰りのトイレ休憩の多さのために帰宅時間は予定を2時間もオーバーしてしまい午後11時梼原着となってしまった。とにかく無事予定を終了しホッとした。参加してくれた職員の皆様本当にお疲れ様でした・・・。

12月18日(金)晴れ 今日は臨床検査技師J明さんが都合で欠勤されていたために私がその代役を勤めることとなった。なるべく「検査は出さないように」と皆で申し合わせていたものの「検査なし」となる訳がなく、結局5名位オーダーが出てしまう結果となった。今年になって生化学の検査機が調子が悪くなり、ニューモデルに代わってから試験管から検体を自動的に吸引してくれるようになったために大変効率良く検査ができるようになった。この他に自分で入れていた胃カメラや大腸検査と病棟の創処置を行い、午前中は慌しく終わってしまった。午後は特別養護老人ホーム「ふじの家」の出張診療があり、この後に続けて県のモデル事業の一環である施設入所者に対するケアプランの作成作業を行った。施設は家庭での介護と違って介護に携わるスタッフを24時間体制で構えていることから、入浴や排泄など通常最も課題として考えられる介護がプランの中にあまり入ってこないことに少し戸惑ったが、経管栄養や褥創形成、筋力維持、社会性低下など色々な課題も多く皆が真剣に意見を取り交わしていた。夜には梼原町吏員会主催の忘年会が開かれ行政関係者が一同に揃って今年一年の労をねぎらった。私は明日ビール園に行く予定があるので早めに退散する予定だったが、色々な人と話している内に結局最後の最後まで会場に居座ることになってしまった。ちょっと飲み過ぎたがそれでも明日は美味しい生ビールを飲むことが楽しみだ。早く寝て明日に備えることにしよう。

12月17日(木)晴れ 今日は午後四万川診療所に行きカルテの書き換え作業を行った。きりのよい時期に古いカルテを新しいものに更新してリフレッシュをする訳で聞こえはよいのだが、実際にその作業はなかなか大変なものである。平成8年には梼原病院のカルテ書き換え作業を行ったがその時のことを思うと今回はまだまだ楽勝と考えなければなるまい。作業内容は現在定期的に投与されている薬剤を記載して簡単に病歴を書き、薬物アレルギーや特記すべき既往などの記載もれがないようにし、表の病名も必要最低限なものに整理するという割と細かい作業なのである。自分が日頃よく知っている患者さんのカルテであれば比較的スムーズに進むのだがそうでなければなかなか時間がかかってしまうのである。レセプトコンピューターが導入されているものの表紙の患者氏名や保険者番号、病名はプリンターで打ち出すソフトが入ってないらしくて病名については古くから使い込んでいるハンコを用いるのである。最初はちょっととまどうがこれがトランプの「神経衰弱」のようなゲーム感覚で20-30個のハンコの位置を色々とやっているうちにその位置を覚えるようになり、さっさと病名を入れていけるようになるのだがハンコの位置を完璧に覚えた時点でちょうどP.M.5:00となって終了となった。あと数回来る予定なのでとりあえずこのハンコの位置だけでも覚えておこう。夜は院長宅で奥様同士(うちと院長、K川先生)の忘年会が開かれた。当初は奥様達だけでという予定だったのだが、料理が予想以上に沢山用意されたためにこれは「旦那連中が来ないと食べきれないだろう」という予想のもとに我々も食事の間だけ一緒に参加することになった。院長は残念ながら高知市内へ肝胆膵カンファに参加するため不在であったがご馳走を沢山頬張りながら楽しい時間を過ごすことができた。私とK川先生は一足先に失礼したが、P.M.9時過ぎまで会は続いたようだ。奥様方いつも家事に子育てご苦労様です・・・。

12月16日(水)晴れ 今日はボーナスの支給日だ。「不況に強い公務員」といわれるように特にこれといった減額なく支給された。まだ遣い道は決まっていないが、子供達の学資保険を一年分一括で払い込む予定などがあるらしくその他家計に関しては嫁さんにお任せといったところである。でも普段のお小遣いよりは少し増額されてもらえるようなので今から何を買おうか色々と考えているところだ。とりあえずせっかくなので夕食は家族揃って町内にある焼肉屋さんに行き、普段ならあまり頼まないロースを中心に注文して(いつもならカルビ)ちょっとだけリッチな気分に浸っていた。

12月15日(火)晴れ 今日の午前中は四万川診療所で勤務であったが朝8:30に診療所へ到着するや否や梼原病院から電話連絡が入った。今月始めから在宅往診を続けている96歳のお年寄りが今朝亡くなられたとの訃報であった。死亡確認に来て欲しいとのことだったが、梼原病院は院長が高知市に出張でY子先生は西南病院への研修で不在のためにH谷先生しかいない。しかもこれから外来が始まるというのだ。これまでずっと関わってきたこともあり、四万川の外来をストップさせて私自身が死亡確認に出向くことにした。昨日に続いて午前中の外来がまたもやストップしてしまう事態となってしまった。家族の人達から「本当に眠るようにこの世を去って行きました」と満足そうに話してくれて、この患者さんの当初からの望みであった自宅での別れを叶えることができたと思う。家族もそして本人も満足であるのならば医療として深く介入ができなかったにせよ結果的にはよしと考えるべきなのであろう。夕方には今年一年の慰労を兼ねて四万川診療所の忘年会を行った。日本酒の差し入れなんかもあって事務長と一緒に冷やでぐいぐいと呑んでしまい明日が心配だとは思いながらも気分良く時間を過ごすことができた。四万川の職員の皆様本当にお疲れ様でした。来年も更なる飛躍の年となるように頑張りましょう。

12月14日(月)晴れ 今日の午前中外来をやっていると入院患者さんが急変し、市立宇和島病院に搬送しなくてはならなくなった。紹介先への電話相談から始まり、相手先の入院ベッド確保を行ってから検査データのまとめと入院経過、紹介状作成、家族及び本人への説明と同意、救急車の手配など山のような仕事が外来の真っ最中に一度に入ってしまった訳である。午前中は院長が松原へ出張診療のため不在であり、他の医師らも交通事故が2件と喘息や術後で入院が2名あり、大腸ファイバーのポリペクなども入っていてなかなか頼める状況でもなかったため外来をストップして対応にあたった。結局1時間以上を費やして無事救急搬送までこぎつけ、時計は正午近くまで回ってしまっていた。その間2診のG保先生は小児科なのであるが内科の初診や定期患者で落ち着いている患者さんを20名近く診察して頂いたようで本当に申し訳なかった(G保先生ありがとうございました)。こんな嵐のような作業の後に私を待っていて下さった約10名の患者さんと今まで何事もなかったかのように引きつった笑顔で外来を続けた。午後に紹介先の病院から電話連絡があり、適切な処置を行い現在CCUにて状態は安定しているとの連絡が入った。とにかく入院中であっただけに発見も早くて重篤な後遺症なく梼原に帰って来られそうで安心した。でも外来中だけはもうこりごりである・・・。

12月13日(日)晴れ 95歳の高齢患者さんが食欲不振でおとといから往診を続けている。とにかく「入院だけはしとうない」が元気な頃からの口癖であり、家族もそれがよく分かっているようで「何とか在宅での療養を」と希望されている。一日1本だけの点滴はさせてもらうようにしているが、内服すらできない状況でありなかなか積極的な治療までは施せない。「老衰」で済ませてよいことなのかどうかは分からないが、今の状況だと入院がベストの治療だとも思わない。家族と本人の意思を尊重してこのまま往診にて加療を続けていく方針である。施設や入院志向の強い今日この頃にあってこのように在宅でのケアを望む姿勢は尊重するべきものがある。何が何でも全部病院に入院させて治療を施してあげることだけがその患者さんにとって幸せということでもないようだ。この高齢患者さんからは「自分の住み慣れた家で自然にまかせて天寿を全うする」という強い信念みたいなものがひしひしと伝わってくる。願わくば点滴のみで粘っているこの間に何とかまた元気に食事が摂れるくらいに元気になって欲しいと思う。

12月12日(土)晴れ 今日は町内にある美味しい料理屋「Iとりどり」が開店一周年記念ということで飲み物オール半額となっていた。早速夕食を食べにお店に向かい生ビールを半額でご馳走となった。同じビールでも得した気分で飲むと何でも余計に美味しいもので、ついついおかわりまでしてしまった。この店の生ビールはとにかくよく冷えていてジョッキーも予めガンガンに冷やしており、なおかつ注がれたビールの上の方には泡が凍っていてシャリシャリと歯応えがあってこれまた更に美味しいのである。子供達にはジュースが付いており、おでんも3人前サービスで出してもらって大満足であった。来年も2周年記念を期待しておこう。

12月10日(木)晴れ 忘年会のなごやかな雰囲気も覚めやらない今朝1時に外来で腹痛の男性が来院し呼び出しがあった。幸い入院になるような急性腹症ではなかったが、さすがにこの時期真夜中に呼び出しを受けるのは辛いものがある。家の前にある橋を渡って行く際に吹き付ける風の冷たさが大変身にしみるのである。処置を終えて帰宅し、床について寝ていると今度は早朝5時に病棟から呼び出しがかかった。入院患者さんの急変である。この患者さんは勿論梼原の方なのだが、数年前にご主人を亡くしずっと独居生活をされていた。今年に入って不治の病に侵され当院で入院治療を続けていたのだが、息子さんの住んでいる県外の大きな病院に移りたいとの希望があって紹介転院としていた。しかしながら約1ケ月後に「やはり地元の病院でお世話になりたい」と家族共々希望されて再び当院に戻り入院療養を続けてこられた。県外にいる息子さんや娘さんも交代でずっとそばについて看病して下さり、その熱心さには頭の下がる思いがした。このようなケースは我々田舎の医者にとって大変誇りになることで勿論地元志向はあるにせよこちらの医療機関に対する信頼もなければこうやってまた戻って来てくれることはなかったと思われる。我々を都会の大病院以上に信頼してくれてとてもありがたい気持ちで一杯だった。残念ながら原疾患の進行に伴い我々の見守る中静かに永眠された。心よりご冥福をお祈り申し上げます。その後休む暇もなく午前中の外来が始まり眠たい目をこすりながら50名近い外来患者さんの対応に追われた。哀しい顔や眠たそうな顔を見せる訳にはいかず結構しんどかった。今夜は早く床に入ってぐっすりと眠ろう。

12月9日(水)晴れ 今日はカルスト会の忘年会が病院そばの和田城大広間にて開かれた。カルスト会というのは特別養護老人ホーム「ふじの家」と身体障害者療養施設「みどりの家」の総称をいう法人名であり、その施設に嘱託医として仕事をさせて頂いている関係上我々梼原病院医師は招待という形で招かれるのである。毎年この忘年会では宝くじがあって自分の席番号で豪華な景品が当たるのだが、今年は不況のあおりを受けて宝くじ自体が中止されていた。こんなところにも不況の影響が出て来ているとは何とも哀しい感じだ。残念なことに当直であったために浴びる程のお酒は飲めなかったものの病院の飲み会とはまた一味違った雰囲気で楽しい時間を過ごすことができた。来年はふじの家のベッドが増床される予定となっており、ケアマネージャーも一人は何としても養成しなければならない。カルスト会にとってよい年となるよう心から祈るばかりである。

12月8日(火)晴れ 今日病棟に上がって行くと看護婦さん達が勤務のやりくりで活発に意見を交わしていた。何でも妊娠しているK田看護婦さんのつわりがひどくて勤務をしばらく離れなければならない状況になっているようで他の人達がそれを何とかバックアップしようとしているのだ。現在もう一人妊娠している人がおり、先日結婚式を挙げたばかりの新婚さんもいる。妊娠・出産は大変におめでたいことなのだが、当然育児休暇という長期間の勤務離脱がやむを得ない訳であり、そのバックアップには相当な労力が予想される。近々役場の方で看護婦さんの再募集を行うようであるが今度は今まで正看護婦に限定していたものを准看護婦さんにまで枠を広げていることは評価できる。しかしながら現在当院で勤務している臨時の准看護婦さんがその募集に応じて正職員に代わるだけの変化しか起こらない可能性もあるが、それはそれで大変ありがたいことである。来年度は看護婦さん不足が大きな問題となって浮かんできそうで今からとても心配している次第だ。今夜も夜9時過ぎまで介護認定審査会のモデル事業が行われた。厚生省の設定している要介護度は全くの寝たきりで全介助が沢山あっても問題となる行動や行為(例えば昼夜逆転とか介護に対する抵抗など)がなくておとなしくじっとベッドに寝ている者であれば要介護度がそれ程上がらないようである。逆に中途半端に歩行や入浴などある程度生活が自立していても痴呆のために徘徊や暴言、火の後始末や迷惑行為など介護人にとって目が離せない状況が多い程要介護度が高くなる傾向がありそうだ。今日も何例かは納得できないケースがあったが国としても良い顔をして多くのお年寄りの介護度ばかりあげてもその分国の負担が大きくなる訳であり、ある程度厳しく振り分ける姿勢も必要となってくるのであろう。今後も見守っていかなければならないが何かと議論を呼びそうな制度であることは間違いない。

12月5日(土)晴れ 今日は高知県内で地域医療の第一線で活躍している自治医大卒業医師が高知市に集まって勉強会と忘年会を行った。県立中央病院へき地医療センター医師の呼び掛けにより勉強会は2ヶ月に1回のペースで今年の5月から継続してきている。日頃距離的なハンデがあってお互いの意思疎通が取りづらいのだが現在では卒業生間でメーリングリストを創設しインターネットを介して連絡を取り合う体制が整っており、その影響もあってか出席者も予想以上に多かった。毎年この時期は来年の人事配置が主な話題となるが、なるほど色々な話を総合して聞いてみると来年の人事もなかなか大変になりそうだ。各医療機関がどこでもそれなりに大きな悩みや問題を抱えており、その情報交換ができるだけでもこの集まりの意義は大きい。文字情報からだけではなく実際に面と向かっての話では出席者の表情や雰囲気、話し方などから何となくこちらの受け取り方も違ってくる。今後もなるべくこの会合には参加して組織全体をその都度見つめ直すことは必要だろうと考えている。子供達が病気のために今回は家族を梼原に残しているため独りで朝倉にある実家に泊まることなった。少し寂しい夜だがお酒もかなり入っているのでもう眠たい。お休みなさ〜い。

12月4日(金)晴れ 今日の午後外来で小児科のG保先生に呼び止められた。「優美佳ちゃんがみずぼうそうにかかっているようですよ」とのことであった。2診を覗いてみると長女の優美佳が嫁さんに連れられてやって来ていた。実は長男の優駿は3日前から右の耳下腺が腫大していていわゆる「おたふくかぜ」に罹患しているのだ。現在若草保育園で多数の園児間で大流行していてうちの子もこの絶好の機会にもらわないかなぁと期待していた矢先だっただけに優駿の方は予想していたが、優美佳のみずぼうそうは全くの不意打ちであった。これから梼原町でみずぼうそうが流行するようならうちの娘からの流行となってしまうのでしばらく外に出さずに家でじっとさせておかなければなるまい。38℃前後の微熱があるにもかかわらず幸い機嫌も良く食欲も良好なことからほっとはしているのだが、今度は優駿がみずぼうそうで優美佳が替わりにおたふくかぜというふうに病気をお互いがうつし合うことにならないかと密かに心配をしている。嫁さんが2週間前に帯状疱疹を患っていたので感染源はひょっとしてうちの嫁さんかも知れない。G保先生も稀にそういうケースもあり得るとのことで、優美佳と接触しているのは嫁さんだけということからも嫁さんからのヘルペスウイルス感染のための発症も否定はできないことである。まぁこの2人の子にとっては滅多にない感染のチャンスなので小さい内に楽に済ませとく方がましと考えておこう。明日自治医大卒業生の勉強会・忘年会が高知市で開かれるが、寂しく私独りで出掛けることになりそうだ。2人とも早く病気を治して頂戴ね。

12月3日(木)曇り 今日は県立中央病院の肝胆膵カンファに参加した。今回も外科のH見副院長にOpeして頂く症例があり、電話で紹介させて頂いて数日の内に入院の手続きをとって下さり患者さん共々大変喜んでいる次第である。カンファレンスではこの患者さんについてのプレゼンテーションが行われ、画像の詳細な検討や病状の把握、術前の病期診断などがなされ、今後血管造影など幾つかの検査が追加されて手術となる予定である。こうした連携の良さは我々地域医療に従事する医師にとって何よりも心強い味方となる。この患者さんの手術が無事成功して元気になって梼原に帰ってきてくれることを祈るばかりである。H見先生宜しくお願い致します。

12月2日(水)晴れ 水曜日の午後は定期往診を行っている。今日は梼原町の北部にある越知面という地区と東津野村という広範囲の往診であった。後者の往診はつい先日まで当院に入院していた痴呆のある高齢の患者さん宅であった。入院中に夜間せん妄のために大声をだしたり、精神的興奮が見られていただけに在宅に戻って果たして大丈夫だろうか?と心配はしていたのだが、数日前に介護者に会った時には「ほとんど手がかからずにおとなしくおってくれます」ととても嬉しそうに話してくれていただけに少し楽しみにして往診に向かった。到着して介護者と会うと少し赤くなった目に涙を浮かばせながら「2-3日前からほとんど夜眠ってくれず、大声を出したり身体が不自由にもかかわらずベッドから降りて外へ出ていこうとしてなかなか言うことを聞いてくれません・・・」と嘆くように訴えてこられた。何度も何度も一生懸命言い聞かせて説得を試みているようだが痴呆のある高齢者だけにその誠意は本人には伝わらない。これが痴呆性老人の在宅生活の現実の厳しさなのである。介護する立場となった姪の立場にあたるこの女性にとってはつい1-2年前までは自分独りで自立した生活を営み、オートバイであちこち動き回っていたしっかりした方がまさか・・・という気持ちであろう。今後社会資源(ショートステイやデイサービス、移動入浴サービス、訪問看護など)を最大限に活用しながらこの大きな壁を何とか乗り越えて欲しいと願っている。少なくとも夜間だけはおとなしく眠ってもらえるように睡眠薬を追加処方し、日昼はなるべく車イスに座らせて起こしておくよう指導してその場を去った。実の娘や嫁という立場でもない女性が家族とともにこの身寄りのないお年寄りの介護に立ち向かっている。私自身大変心を打たれるケースであり、何とか挫折せずに在宅でうまく介護が続けられるように最大限協力していくつもりである。

12月1日(火)晴れ 今日は月始め恒例のレセプトチェックの日だったが、介護保険モデル事業の一環として介護認定審査会が支援センター4F大講堂で開かれたため、こちらの方を優先して見学させてもらった。実際に介護保険が導入された場合にはなかなかこういった場に足を踏み入れることができないことから、今回はモデル事業ということで見学が可能ということで、滅多にない機会に恵まれたという訳である。実際に審査会に出てみると自分の書いた意見書の一言が判定の際に問題となっていたりしていて、意見書そのものの書き方についても考えさせられた。また何よりも実際に我々が現場で想定している要介護度とコンピューターのはじき出した要介護度とが異なっている場合もあるために少し戸惑いを感じる場面もあった。結局終了にはP.M.21:00近くまで時間がかかってしまい、これを一年を通して定期的に続けていくことはかなり大変な作業である。ここ梼原町だけでこの認定審査会を運営していけるかどうか少し心配な気もする。まぁこのように色々と実際にモデルとしてやってみて様々な問題点が浮き出てくるのであろうし、実際に導入された段階で解決されておればよいのであり、今のうちに色々と悩み苦しんだほど後が楽になると思って頑張っていかなければなるまい。いずれにせよ「かかりつけ医の意見書」を書く必要のある医師や訪問調査員はこの審査会の様子を一度は見学しておく必要性があるのではないかと感じた。