日々の何気ない出来事を思いつくままに綴ってみました・・・

          

2月28日(土)曇り 今日は中学・高校時代の友人の結婚式が高知新阪急ホテルであった。結婚式に招待される頻度も徐々に減ってきた。数年前まではおめでた続きでお祝儀だけでも大変だった時期もあったが、大体私の親友はほとんどが結婚してしまった。これからは招かれるとすれば大学の後輩達ということになるだろう。現段階ではM診療所のH先生とU診療所のI先生に早く所帯を持って落ち着いて欲しいと願っている。まぁこれだけはタイミングや巡り合わせなど運みたいなものもあるのでなかなかすぐという訳にはいかないだろう。披露宴の後、地域医療に従事している卒業生の集まりがありそちらに参加した。深夜の1:30頃まで懇談は続いた。各地域にそれぞれ家族を含めた様々な悩みや解決しなければならない問題があり、大変勉強になった。梼原では幸いなことに他の先生が話されるような大きな問題にそれほどぶつかっていないこともあり、実際の地域医療の本当の意味でのつらさや厳しさをつくづく感じた。個々の内容についてはここで提示することはできないが、一般的に言えることは過疎地であってもこれまでに医師不足で本当に苦労を重ねてきた自治体には、我々が地域医療を続ける上で支障を来すような大きな問題というものはないが、そういった苦労や経験のない自治体というのは我々の日々の活動や努力の価値を本当に理解してもらえているかが疑問に思う。また我々が交代はあっても永続的に続けて県から派遣されるという安堵感からか、卒業生の派遣が長期間になってくるとその価値感が薄れてあたかもそれが当り前のように捕えられてしまう自治体も幾つか出てきているように思う。先輩の先生も言っていたが、いつまでもこのままではだめだと思う。我々にもっと力が欲しい。そのためにはどうすればよいのか? 今までも多くの卒業生が悩み考え抜いてきた問題なのだがまだその解答は得られていない。とにかく今の自分自身にできることはこの梼原病院で一生懸命頑張っていくことなのだろう。

2月27日(金)晴れ 今朝5:00に整形外科でリハビリ目的に入院中の患者さんが急変した。急な心不全の悪化である。家族の希望で須崎市内の病院へと搬送することになった。先々週に引き続きまた救急車に同乗することとなった。外来はまたもや院長のみ。予定していた胃カメラなどもまたお願いすることになってしまった。院長は昨日から風邪気味であったが今朝には解熱し、しんどそうではあったがマスクをしながら早速仕事に復帰していた。さすがのインフルエンザでも院長を寝つかせるのはわずか1日のみであった。院長は恐るべき精神力で復活していた。しかし今日も院長がインフルエンザで倒れていたらと思うとぞっとしてしまう。それにしても最近深夜帯から早朝の呼び出しが多いので若干疲れ気味である。今夜も当直だが金曜日ということで明日から休みだし少しは気が楽である。明日は高校時代の親友の結婚式が高知市内のホテルで執り行われる。一応携帯電話は持っていくが病院から離れることができるだけでとても気持ちが和らぐ。明日院長も市内で用事があり、うちの一部の職員達も市内で講演があるということなので待ち合わせて食事をする予定だ。無事今夜が明けて早く明日がきますように・・・

2月26日(木)晴れ 今朝0:10過ぎにまた胸がどきどきするので診て欲しいと患者さんから電話があった。患者さんの名前を聞くといつもこの時間帯に同様の訴えで時間外受診されるいつもの方であった。これまで何度か来て頂き、その都度心電図や胸部レ線検査をして異常を認めず安定剤で著効していたため、今回は前回受診した際に渡した安定剤を服薬して様子をみるように指導した。やはり同じ指導を最低3回以上は言ってあげないとなかなか理解してもらえないらしい。とにかく電話で相談して落ち着いたのか「心配ない」と言ってあげたらそのまま安心して電話を切られた(その後も連絡は入らなかったようである)。前回は私への相談なしに看護婦さんが「すぐいらして下さい」といったために寒い夜風に吹かれながら病院へと出向いた嫌な思い出が頭をふとよぎった。今回、自分自身レム睡眠に入ろうとしていた矢先であったので電話での指導だけで済んでホッとした。でもこれだけは言える、「この患者さんはまた必ず真夜中にやって来る・・・」。しかし今までのところ私の当直日にしかやってこない・・・これはまさか・・・いや、あまり深く悩まないようにしよお〜っと。話は変わるが今日午後から院長が外来を初めて休んだ。今朝方より38-38.5℃の発熱があり、とてもしんどそうだった。午前中は大腸ファイバーなどどうしてもキャンセルできない検査があったため身体に鞭を打って午前中の業務をこなされていた。あの先生がダウンされるのだからよっぽど今年のインフルエンザは「たち」が悪いようだ。うちの院長は朝早くから夜遅くまで本当に熱心に仕事に従事されており、日常・当直業務に加えて隣りの支援センターの業務など多忙な毎日で疲れもたまっていて、更にこれに追い打ちをかけるように外来ではインフルエンザによる嵐のような攻勢を受け、これではさすがの院長もたまったものではない・・・。でも院長、何とか明日には復活して下さい。そうでないと明日の外来は?検査は?病棟は?ふじの家・みどりの家の往診は?全体会は?・・・ムムッ、考えていると気分が悪くなってきた・・・。こちらもあまり深く悩まないようにしよお〜っと。

2月25日(水)晴れ 梼原病院では月に1回梼原・東津野の保健婦さん達とそれぞれ連絡会をもつようにしている。梼原の保健婦さんとの連絡会はもう10年位続いているのだが、東津野の方との連絡会は昨年から始まった。というのも東津野村からの患者さんが以前から比べて大幅に増加し、しかも入院や寝たきりの患者も増えてきたために往診やら訪問看護やらと家族背景から社会的背景まで把握してお付き合いしなくてはならない患者さんが増えてきたためである。今日も夕方18:30から情報交換を行った。現在入院している85歳のお年寄りがいるのだが、病棟内を徘徊して自分の部屋が分からず、時には他人のベッドで寝ていることもある。痴呆も進んできておりこんな方がこれまで独りで生活していたとは・・と驚かされる。もうすぐ退院の運びとなるのだが独居であり、身のまわりの世話をしてくれる親戚もそばにいないためにすぐには帰すことができない。そこで東津野の保健婦さんの出番である。身辺調査から退院後の福祉介入まで色々と調べてもらいこちらに情報提供してもらえるのである。これは梼原の保健婦さんでも同じことであり、日頃の診療活動に大変役に立っている。こういうシステムは梼原町規模の自治体だからこそ可能であり、地域医療の大きな強味でもある。

2月24日(火)雨 特別養護老人ホームの定期診察に行ってきた。定期の診察が16名でインフルエンザ関係がこれとは別に6名いた。6名のうち3名は解熱され食欲も改善していたが、残りのお年寄りは1名が今朝から39℃の発熱を来たし、1名はインフルエンザが契機となって持病の気管支喘息が悪化し重積発作を起こしていた。ベッドの関係で今日のところは施設で治療を行い、明日入院予約となった。もう1名は同じく昨日から39℃の発熱を来している経管栄養のお年寄りで聴診上肺炎が疑われたため病院で精査したところ炎症反応がそれほど高くなく、胸のレントゲンも異常なかったため入院は無事免れた。こちらもインフルエンザが契機となって持病の気管支喘息が悪化したものと考えられた。現在施設は徐々にインフルエンザが終焉化しつつあるもまだまだくすぶり続けている。施設関係者に注意を促してはいるもののなかなかお年寄りの集団施設での感染の波及防止は難しい。その後身体障害者施設の方に行ったがこちらの方ではインフルエンザの流行が今のところ見られていない。施設看護婦さんもかなりナーバスになっており、行くとすぐに「先生、うがいと手洗いはして頂けましたか?」と聞かれた。おそらく老人ホームでのインフルエンザ流行を知っているのであろう。少し冷たい視線を感じたため今日は白衣を脱いで診察をした(老人ホームで使用した白衣であったため)。職員間でも風邪をひいているものは強制的に休ませるようにしているみたいでなかなか徹底している。入所者の病院受診(外診という)の時も全員(受診者も引率者も)にマスクをさせているようだ。さすがに施設内でのインフルエンザ流行の恐ろしさがよく分かっているんだなぁと感心させられてしまった。2つの相異なる状況にある施設を目のあたりにしてインフルエンザはとにかく予防が第一なんだなぁとつくづく感じた。

2月23日(月)晴れのち雨 予約入院の患者さんが今日入院された。どうやってベッドを空けたかというと社会的入院の患者さんを病院に併設する保健福祉支援センターの2F居住部門に移すことができたからだ。今日になってたまたま2月一杯まで居住される予定であった方が急に用事かなにかで家の方に帰られたお陰である。感謝、感謝の一言につきる!! 2F居住部門が大変喜ばれており、病院から数百m離れた所にある旧福祉センターも現在改築中で、そこにも居住部門が併設される予定となっている。今後益々需要は高まるものと考えられる。しかしその施設の名称がなんと「こうふくの家」というらしい。こういう宗教じみた名前は辞めて欲しいのだが・・・今度町長にでも提言してみようかな。

2月22日(日)曇りのち雨 時間外患者はその後もとどまることなくAM4:30に誤嚥性肺炎でお年寄りが救急車で搬入され、その後インフルエンザ関連がAM6:40、AM7:10とやってきた。とどめはAM7:30にまたもや救急車が転倒による頭部外傷患者を運んできてくれた。今年の時間外最高記録は42人に更新された。AM4:30の患者さんは1床空いていたのでそこに収容したがこの患者さんは入院させるベッドがなかった。独居老人で介護をする者もなくADLも低い。なるべく地元でと考えて明日退院の予定となっている患者さんに無理をお願いして今日の夕方に退院して頂き、それまで外来のベッドで安静にしてもらうこととした。まったく救急をやっていてもいつもこんな調子でベッドのやりくりに困ってしまう。でも次また救急が来たらどうしようもない。月曜日には一人手術後の人が入院予約となっている。あれ?・・・ベッドがないぞ!!!、明日院長に誤らなくては・・・病棟にも結構重症がいてこの2日間ほとんど眠れていない。しかしながら明日から平常通り勤務が始まる(うちの病院は当直が厳しいのである)。そうだ明日も当直だった。明日は時間外患者がこないことを祈るしかない・・・。

2月21日(土)晴れ 昨日の嫌な予感が当って今日はPM23時現在までに時間外患者が38名も来院した。今のところ今年の時間外最高記録である。このうちインフルエンザ症状を呈していた患者は約2/3いた。昨日のような意識障害を伴う重症例はいなかったが、診察するこちら側の方が風邪をもらいそうで恐い。実は昨年の1月2日にも同じようにインフルエンザの流行の時期で1日で46名も患者が来て翌々日から風邪で寝込んでしまい正月休みが台なしになってしまった笑えない事実がある。またあの悪夢が蘇ってくる!! インフルエンザのワクチンも射って、うがいや手洗いも励行してはいるが今年は無事に切り抜けられるだろうか? いやはや私はインフルエンザにはつくづくついていないのだ・・・

2月20日(金)雨 今日梼原町内の小学校児童が続けて2人痙攣および意識障害で立て続けに搬送されてきた。2人とも昨日から微熱があったようで今朝から38℃近い発熱があった。インフルエンザ性脳症ではないかと推察している。意識障害(III-100)があったので専門に救急搬送した。しかし脳症とはなんとも恐ろしいものである。全国的に猛威を奮っているインフルエンザなのだがついに都会からこの山間部の平和な田舎町までやってきたようだ。今週はこの風邪患者のためにずっと午後17時過ぎまで外来が終わっていない。明日からの週末は当直だ。忙しい2日間にならなければよいのだが・・・

2月19日(木)曇り 今日は曇りにもかかわらず少し温かい朝となった。つい先日まで雪がちらつき寒い毎日であったがその陽気もあって今週は外来患者さんがやたら多くなっている。冬眠から覚めたかのように薬やら診察やらでやって来られる。中には年末以来初めての人もいて「明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します」と挨拶される患者さんもいた。とにかく梼原の冬もあと少しのようだ。

2月18日(水)晴れ ここ1週間ほぼ毎日のように特別養護老人ホーム「ふじの家」の施設看護婦さんより電話相談がかかってくる。すでに8名の方が毎日日替わりで39℃近い発熱を呈しているのである。これはまさに恐れていたインフルエンザである。すでに2名が入院治療している。先週のうちから熱のある患者は個室へ隔離したりして予防にも努めるように指導もしているのだが、その甲斐もなく施設内に蔓延しはじめている。これまでの経験からもインフルエンザの施設内流行で1-2名の死亡が出ることも否定できない。しかしこの8名のうち悲しいことに長期ショート利用者が3名もいて施設の看護婦さんを悩ましている。本来ショートの人は病気になったら家族の責任において病院にかかるなり、看病したりするべきなのであるが施設の看護婦さんや寮母さん達が愚痴をこぼしながらもこのお年寄り達の病院受診や体調の管理に努めている。本当に頼りになる施設の職員達である。現在「ふじの家」では点滴をしている方が4名いてどこかの病棟みたいになっている。こういう甘えは本来よくないのだが当院で受け入れられないという事実もある。特に町外での入院は施設も家族もそして本人もみな嫌がるため、皆多少の我慢はしても当科での加療を希望されるのである。インフルエンザよ早く過ぎ去ってくれ!!

2月17日(火)晴れ 当院の関連施設である特別養護老人ホーム「ふじの家」は当然のことながら満床であり、入所待ちが現在14名いる。当然入所するためには現入所者が死亡されなければベッドは空かないのである。従ってどうしても「ふじの家」の入所待ちの方が行き先に困ってしまうのである。在宅が困難だからこそ入所申請をしているのだから当然在宅では本人も家族も負担が大きい。皆どうしているかというと在宅が1/3、老健施設1/3、そして残りは「ふじの家」のロングショートとなっている。ロングショートとはショートステイでありながら入所者のように3-5ケ月近くに渡って入所する梼原ならではのシステムである。また1週間のうち週末だけ家に連れて帰っている家庭もあり、このケースの場合1年近い期間の利用がやむなく黙認されている。本来ショートステイは在宅を目標としており、こういう入所待ちの人は本当は使ってはいけないのだ。現在ショートステイで許されたベッド10床のうちすでに7床が埋っている。これも我々病院のベッドが足りないせいもあるだろうが、これでは本来のショートを利用したい方が利用できなくなってしまう。さあどうする中越新町長さん???

2月16日(月)晴れ 今日は昨日の帰省で思いっきり疲れを残してしまい朝から仕事がきつかった。しかも昼に職員食堂に上がってみると僕の食事が何かの手違いで出されてなくて昼飯は抜きとなってしまった。少しはダイエットもしなくてはとまた自分を変に納得させてその場を去った。病棟総回診の時もふらふらで倒れそうだった。どれもこれも皆「南風」号のせいだと八つ当たりしている自分が悲しかった。今夜は嫁さんに美味しい晩ご飯を作ってもらおうといさんで帰ったら「ごめん、今日は材料がなくって」と言われて台所を見るとレトルトのボンカレーが置いてあった・・・・おのれ「南風」号め。とまた落ち込んでしまった。

2月15日(日)曇りのち晴れ 実は昨日から用事があって岡山に帰省している。うちの嫁さんは岡山市の出身なのだ。今回1泊2日の強行日程だったので疲れを残さないようにするために須崎駅まで自家用車で行って、そこから特急「南風」号で岡山まで往復した。須崎駅は便利でJRを利用するという条件であれば駅構内の駐車場に無料で車を置かしてくれるのである。そこまでは良かったのだが土讃線は「振り子列車」といわれる程よく左右に揺れてしかも振動が大きい。途中2人の子供は大泣きするわ、周りの乗客から白い目で見られるわ、雑誌は読めないわ、仮眠はできないわで自分も久し振りに列車に酔ってしまい散々だった。子供が小さいうちは帰省にはやっぱりマイカーでなきゃということが思い知らされた。

2月14日(土)曇り 今日はバレンタインデーなのだが義理チョコばかりで年々楽しみも薄れてくる。特に最近目立つのは65歳以上の患者さん(いわゆるおばあちゃん達)からのチョコが圧倒的で、自分はお年寄り達には人気があるのだなぁと嬉しいのやら悲しいのやら・・・その上自分の嫁さんからはここ2-3年受け取っていない。僕達は学生結婚でその当時は仲良くバレンタインデーともなると何かの記念日のように大袈裟に楽しんでいたが結婚してはや6年目。子供にはチョコを渡しているようなんだけど・・・。まあ、どこの家庭でもそうなんだろうなぁと自分を納得させている。

2月13日(金)晴れ 今朝1:58重症の患者さんが永眠され床についたのは午前3時過ぎだった。眠い眼をこすりながら外来に行ってみると3度AV blockの女性が心原性ショックのため搬入されていた。BX-P上著明な心不全があり、血圧も測れない状態で横たわっている。ペーシングの必要があるため市立宇和島病院への搬送が必要となった。挿管の準備もして救急車に乗り込み患者に同伴した。しかし残された院長はたまったものではない。なんと今日僕がいれた検査(胃カメラや腹部エコーなど)と40名近い外来患者をただ一人でこなさなければならない。病棟にも重症が何人か控えている。11:30過ぎ病院に戻ると予定の検査は全て終了しており、院長は外来をまだ続けていた。残りの時間で可能な限りお手伝いをさせてもらったが、さすがの院長でも今日は間違いなくしんどかっただろうと思われる。定員8名必要な病院で現在常勤医師が3名しかいない悲しい現実・・・。このような悪夢は今日だけのことではない。橋本知事さん、何とか来年は1人でもいいから医師増員をお願いします。

2月11日(水)晴れ 残り1床となった今朝早くに救急車がやって来た。脳梗塞(左片麻痺)の患者である。これは入院期間も長くなりそうだと嫌な予感・・・。病棟に行ってみると今朝5:30にterminalの患者さんが亡くなられていた(院長お疲れ様 !)。これで何とか入院も可能となった。明日は経過良好で女性が1名退院となる。これで入院予約の2人のベッド確保はできた。しかしこの2人が入院するとまた満床となってしまう・・・。うちはこれで本当に救急に対応できるのだろうか?

2月10日(火)曇り うちの病院は30床のベッドを有するが平均27-28以上の入院がずっと続いている。従って内科2名と整形1名のDrがベッドの確保でいつも頭を悩ましている。これはまさにベッド争奪合戦といっても過言ではない。今日も28床うまっていて1名退院となり2名入院となった。救急車が今日2回やって来て1台目の患者さんには申し訳なかったが須崎の病院を紹介して転院してもらった。この他にも高齢者であれば併設する特別養護老人ホームのショートステイ(ミドルステイといってもよい)のためのベッドを利用して早期退院を図ったり、在宅で往診に変更したり、外来に点滴に通ってもらったりと何とかこれまで凌いできたが、そろそろ限界に近いと最近つくづく感じられる。いやでも寝たきり患者が増えてくる訳で、特老など施設入所を待つ患者も含まれている。どこの病院でも同じことだろうが、現在当院では急性期の患者が本当に入院できない深刻な状況に陥りつつあり、院長と2人頭を抱えている今日この頃である。明日は祭日で当直である。空きベッドはただ一つのみ。入院予約はすでに2名入っている。

2月9日(月)快晴 今日は昨日の天候が嘘のように雲一つない快晴で、これが1日ずれてたらさぞかしスキーも楽しかっただろうにと少し複雑な気分だった。今日腹部の2例目の造影CTを施行したのだが、何が2例目なのかというと造影剤インジェクターを使用して2例目なのだ。このインジェクターはうちの院長のコネで県立中央病院放射線科がヘリカルCTへの移行に伴い、譲り受けた(勿論無料)ものでCTのでき上がりも美しくやっぱり手押しではだめだなぁと実感している。これまでは我々医師自身が人間インジェクターとなって3方活栓を用いて被曝しながら撮影していたのだ。当院はこの他に心エコーの機械も県立中央病院内科の心エコー買い換えに伴い無料で譲り受けている(ただしフィルターがほこりまみれになっていたためにクリーニング代として5万円メーカーに支払った)。平成9年2月からすでに56例施行しているので十分5万円の元はとっていると考えている。このように当院は廃品の有効利用により環境にも配慮し、町民の税金を節約するために日々努力しているのだ。

2月8日(日)曇り/雪 今日は病院の職員を連れて愛媛県の美川スキー場へ今シーズン初めてスキーに行ってきた。四国のスキー場は狭いと聞いていたがリフトが4基(ペア3基、シングル1基)で初滑りにはますまずの広さがあった(四国では一番広いようだ)。積雪は80cmぐらいあると聞き、るんるん気分でいたのだがあいにく低気圧の影響で猛吹雪となり顔面に吹き付ける風雪はあまりにも冷たく痛かった。なんでも瀬戸中央自動車道(児島-坂出)が一時通行止めとなり、また松山行きの飛行機が悪天候のため降りられず高松空港へと着陸したという話を聞き思わず納得してしまった。当直の職員や残して行った家族にうらめしそうな(冷たい)視線を浴びながら出かけたため、その話を帰ってきてすると手を叩いて大笑いされてしまった(みんな僕達の不幸を密かに喜んでいたと思う)。それにしてもせっかくの楽しみにしていた初滑りがが散々な結果で終わってしまい残念だった(それでも意地になって滑るには滑ったんだけど)。明日からまた仕事が始まるんだ・・・・ふう〜〜〜っと大きなため息一つ。おやすみなさい!

2月7日(土)晴れ 今朝1:00に時間外の患者があった。急に動悸がして心配だということで来院されたのだが、顔に見覚えがありカルテを見ると1/16にも夜間時間外にドキドキして血圧が下がらないといって来院していた。この時に神経質そうな印象があったので降圧剤と共に安定剤も頓用で処方していたが、今回服用されていなかった。とりあえず来院までに電話ででもかけて相談してくれ〜と喉もとまで出かかっていたが、ぐっと飲み込んで笑顔で安定剤の服用を指導した。安定剤により無事動悸は落ち着いたが、傾向として時間外に来る患者はやっぱり時間外に来ることが多いようだ。「忍耐」こそ地域医療には不可欠のもの・・・

2月6日(金)晴れ 今日糖尿病のためにやむを得ずインスリン自己注射を続けている高齢患者が久しぶりにやってきた。なんでも某総合病院整形に入院していたらしいのだがDMのコントロールが不良のため内科にも診てもらったようだ。そこの先生が気を利かせてノボペンの指導を行って下さったようだが本人には高度の難聴があり理解力も乏しく、なおかつ奥さんもほぼ同等のレベルであり、こちらに返す際の紹介状には理解してもらおうとした努力が切々と綴られていた。インスリンは自分で注射器で引いているのだが(これもかなりいい加減、時にairも混注している)これだけでも奇跡に近い。条件反射のように何度も練習をさせてやっと現状に導いてきたのだが今回ノボペンはさすがに使用法を理解できなかったようだ。患者自身も訳のわからんことをされたといって怒っていた。今この患者を外来で誰が診るのか院長とお互いに譲り合っている。これが地域医療の現状である。

2月5日(木)晴れ 1年4ケ月の経過でLKの患者が永眠された。自分を信頼して長く付き合ってきた患者との別れは肉親にも近い寂しさがある。病室で家族や本人と過ごした時間が自分にとってはとても大切な財産である。自分自身医者として患者さんやその家族から随分多くのことを学んでいることは事実である。

2月4日(水)晴れ 今日は検死があった(実は今年に入ってなんと3件目で警察の方ともすっかり顔なじみになってしまった)。慢性アルコール中毒の人で零下4-5℃の深夜にお酒をのんでパジャマ1枚でそのまま寝てしまったらしい(凍死のようだ)。いつもは奥さんがそばにいるのに手伝いのために1週間前から子供さんの所へ帰っていたとのこと。世の中、嫁さんなしでは生きて行けないだらしのない男は山のようにいる。

2月2日(月)晴れ 両側肺野にbullaが多発している人が訳あってIVHを続けている。今日突然気胸を来たし、bullaの破裂に伴うものと考えられたがレセプトではIVHの合併症と思われて審査の先生に苦笑されるのだろうな・・・。