日々の何気ない出来事を思いつくままに綴ってみました・・・

          

3月31日(火)晴れ 今日の午後、特別養護老人ホームと身体障害者施設への出張診療に行って来た。私にとってこの2施設の診療はこれが最後となった。今後私は特別養護老人ホームの方を嘱託医として任される。なかなかこの2施設を一度に担当するのは大変であった。少し肩の荷が下りたような気がする(嬉し〜いっ!!)。4月から内科で一緒に仕事をする私と同じ名字の澤田Y子先生(今後Y子先生と呼ぶ)が引っ越してきた。前からある程度は予想していたがもうすでに何十人もの患者さん達に「先生の奥さんですか?」と聞かれた。私は「いいえ、妻でも妹でもありません」と異口同音に答えるのだが、まだ当分はこの質問に苦しめられそうである。Y子先生はこちらに来て早々に急性の嘔吐・下痢症に見舞われ、昨日は朝から点滴を受ける始末であった。午後には何とか復活して松原診療所で申し送りを受けていた。昨夜の松原での歓送迎会では体調不良にもかかわらず頑張ってお酒を飲んでいたようである。彼女曰く「体調が悪いと言っても住民の方々は私に遠慮なくどんどんとお酒をついでくるんですよ〜」。院長から噂には聞いていたが、松原では乾杯の時から日本酒と決まっているようだ(何と恐ろしい・・・)。院長も昨夜遅れて行ったこともあり、ほとんど何も食べずに日本酒ばかり飲まされたといって今朝は気分が悪そうだった。Y子先生も慣れない土地で色々と大変だろうが、明日からはいよいよ辞令ももらって正式な職員となる訳であり、気を引き締めてしっかりと頑張って欲しいと思う。

3月30日(月)晴れ 今日は県立中央病院へき地医療センターから出張診療に来られている吉井先生の最後の外来であった。病院玄関で花束贈呈と記念写真を行った。今日は奥さんや子供さん達も来られていたようで雲の上温泉の方でゆっくりとくつろがれていたようだ。この1年間本当にお世話になりました。また学会出張などで人手が足らない時にはお願い致します。今日の午後には新しく赴任されてきた整形外科のK川先生が病棟回診に参加して下さり、整形の患者さんや褥瘡患者を中心に患者さん達との初顔合わせをした。先生の方から積極的に患者さん達に声かけをして下さり、病状の説明の仕方や対応を見ていて、またいい先生が来てくれたんだなぁと嬉しく思った。病棟回診の途中で救急車が来て東津野村から意識障害、右片麻痺の患者さんが搬送されてきた。脳CTで出血と分かりすでに脳ヘルニアを起こしていて呼吸状態も悪く、挿管して須崎のくろしお病院へと救急車に私が同乗して搬送した。今日は夕方から松原診療所で医師の歓送迎会があり、うちの院長も招待されていていたのだが、当直の私が不在となるために代わりに留守番をして頂いた。結局私が帰ってきたのがPM19:20過ぎとなり、入れ替わりで院長は松原へと向かった。今夜は院長に松原でゆっくりとして頂く予定だったのにお気の毒であった(院長申し訳ありませんでした)。私もバッグを押しながら搬送したためか久しぶりに車酔いしてしまって散々だった。その後火傷を負った小児を一人診療して、気分も悪いので早めに帰宅してすぐに床についたのだが、PM23:50に無情の当直callがあり、急性腹症の患者がやってきた。幸い入院には至らなかったもののちょっときつかった。さぁ早く寝よ〜おっと。朝までは誰も来ませんように・・・。

3月28日(土)晴れ 先週・先々週と2週間連続で土日当直だったため、今日は久々の休日(何と3週間ぶり)となる。嫁さんからも「今日は買い物に連れていってね。」と2〜3日前からずっと言われていたので今日は家族サービスでもして点数を上げておく必要があった。さてどこに行こうかと新聞を眺めていると高知新港や伊野I.C.開通などの話題が多く、高知市の最近の変化に対応するべく社会見聞に行くことにした。A.M.11:00過ぎに整形外科のT田先生を万歳三唱によってお見送りしたに出発し、うきうき気分で土佐市高岡まで来たのだが、さてここから伊野I.C.にはどうやって行こうかと思わず悩んでしまった。そうなのである。我々高知県西部に住む者にとっては須崎までI.C.が延長されないと市内に行くにはあまりメリットがないのである。しかしながらせっかく来たのだからと仁淀川沿いに伊野町まで行って、少し遠回りしたものの伊野I.C.から高知I.C.まで高速道路に乗った。薊野(高知I.C.付近)の変貌ぶりには驚かされた。その後嫁さんの買い物に付き合ってから高知新港へのアクセス道路・新トンネルを通り、将来の県立中央病院建築予定地や高知女子大学の校舎も見学した。もう気分はすっかり田舎からの観光客である。帰りには須崎にバイパスが完成したとの記事もあったのでどれだけ便利になったのだろうと思って通ってみたらわずか数kmしかなくてあぜんとしてしまった。確かに須崎の「フジ」に近いトンネルは狭くて大型車の通行にはメリットがあるようだが、わざわざ通りに行くほどのものでもなかった。今日はどちらかというと自分の行きたい所に嫁さん達を連れ回った感があり、つまらなさそうにしていた嫁さんの機嫌をとるのも大変だった。私自身は須崎道路以外は大変満足な一日だった(少し都会人に戻った気分!!)。明日は雲の上温泉でもつかりに行こうかなぁ。

3月27日(金)雨 整形外科のT田先生は今日で仕事は終わりとなる訳だが、それを惜しむかのように3月に入って手術の件数が大幅に増えた。先生が意識して増やしたというよりもたまたま手術の必要な患者が多かったということだ。特に外傷性の骨折が多い。今日も労働災害で救急でやってきた患者の手術をされていた。午後だったので私は外来をしていた。急にope室の看護婦さんが外来にやって来て「先生すぐにope室に来て下さい」とのこと。院長は施設への出張診療へ行っており不在であったため私が呼ばれたのだ。手術中患者さんが突然「胸がしんどい」と言いだし、血圧が70前後まで下がったためであった。これは外来どころではないと大至急でかけつけ診療にあたった。幸い心電図上重篤な心筋梗塞や不整脈などなくST変化から狭心症発作ということが分かり、ニトロ剤および昇圧剤投与にて症状は無事改善された。麻酔の影響ではなかったためほっと胸をなでおろした。T田先生にとって手術中のこういったエピソードは初めてであり、当然当院ではこれが最後となる。先生は明日AM10時頃にはこちらを離れられる。本当に1年間色々とお世話になりました。4月からは大学院生になられ、博士号取得に向けて精進されるとのこと。偉くなっても私達のことは忘れないで下さいね。

3月26日(木)曇りのち雨 今日は役場職員の人事異動が発表された。当然当院もその対象であり、誰が動くのか?大変興味深く見守っていたのだが、何と昨年着任したぱかりのN岡事務長が隣りの保健福祉支援センターの方へ異動となった。せっかく仕事を覚え始めていた矢先だけに大変残念である。しかしながら介護保険の準備や福祉の責任者として大抜擢された訳であり、役場上層部からのN岡事務長に対する大きな期待も込められている結果の異動と理解している。幸いその他には大きな異動はなかった。院長は保健福祉支援センター所長の座を役場の敏腕事務屋のO崎次長に譲り、相談役としてゼネラルマネージャーというポストに代わってしまった。院長はこのポストが嫌いな訳ではないのだが辞令の呼称が「ジェネラル」でなくて「ゼネラル」だったことに文句を言っていた。「ゼネラルだとその辺のガソリンスタンドのおじさんと間違われてしまう」との理由だった。私も同感である。しかしながら世の中のcommon senseでは「ゼネラル」が正しいようである。しかし院長と私だけは最後まで「ジェネラル」という発音だけは通すつもりである。私自身も四万川診療所所長を兼務として任命された。もともと診療所が大好きなので嫌な気はしない。週に3回診療があるので、その全部を私がやってもいいのだけれども本職の梼原病院での仕事も結構色々とあって残念ながら私の担当は週に1回のみとなってしまった。是非とも健全なる運営で病院との連携を保ちながら住民の信頼を得たいと考えている。どのような滑り出しをするのか今から期待と不安が交錯している。がんばらなくては・・・

3月25日(水)晴れ 梼原病院は町立の病院であるため役場の機関の1つでもある。従って役場も今月末に人事異動があり、その歓送迎会が今夜執り行われた。役場に勤めて36年という方もおられて私が生まれる前からの勤務ということでご本人や一緒に勤めてこられた職員達には非常に感慨深いものがあるだろう。うちのT田先生を含めて10名の方の新たなる門出を皆で祝った。この中に梼原で4年間頑張って来たY本保健婦さんもいた。彼女は保健婦になって最初の勤務地がここ梼原であったそうだ。彼女は地元のお年寄達を自分の家族のように優しく接し人気も高かった。我々との意見交換の場でも数多くの情報を与えてくれた。これまではcaseにこだわる仕事が主体であったが、4月からは中央の方でmassを扱う仕事に代わられるとのこと。大変残念だが彼女にとってはまさに栄転となる。更なる飛躍を期待したい。彼女の異動に伴い、私よりも長く勤務する現場の保健婦さんはこれでいなくなってしまう。彼女に負けない立派な保健婦さんを育てていくことも我々に課せられた仕事の一つと考えている。病棟の入院患者で経鼻胃管で栄養しているお年寄りがいるが、昨日嘔吐して人工栄養剤(エンシュアH)を右肺にaspirationしてしまった。血ガスは悪くなるし、発熱して意識レベルも低下してきたためとにかく何とかせねばとブロンコ(気管支鏡)によって気管支内のエンシュアを可及的に吸引し除去することにした。予想以上にエンシュアが気管支内に貯留していてこのまま放置していたらと思うとぞっとした。今朝からは解熱され、状態も安定した。現在持続点滴で絶食中だが、一刻も早い回復を願っている。

3月24日(火)晴れ 今日は検査技師のJ明さんとレントゲン技師のY本さんが2人とも休みだった。J明さんは子供さんが卒園式のため、そしてY本さんは人間ドックだった。いずれも止むを得ない事情ではあるものの残された我々医師にとっては大変である。外来で検査のオーダーを出すと自分でレントゲンを撮ったり、血液を遠心して血清検査を至急で行わなければならなくなる。こんな時には普段なら必ず検査する患者さんでも次回にしましょうなどとうまく逃げる訳だが、中には至急の検査をせざるを得ない患者が当然出てくる。今日も脳出血の患者が来たが院長自ら脳CTを撮って血液検査ももくもくとこなされていた。土日の当直はこの風景が当り前なのだが、平日は患者さんも多く、処方書きや内視鏡、超音波検査など雑用も多くてなかなか手が回らないのが現状である。昨年まで当院内科外来で仕事をされていたTちゃんという敏腕なマルチ看護婦さんがいたのだが、この女性はレセプトから臨床検査、外来に掃除・後始末まで完璧にこなす貴重な人材だった。昨年の夏に家庭の事情で定年前に退職されたが、大変惜しまれる方であった。検査技師のJ明さんが休む日にはこの方にお願いして午前中だけでもお手伝い願えないものかと今日事務長に相談してみた。「今度話をしてみます」とは言ってくれたが、何とか無理を承知でお願いしたいものである。いや彼女は本当に家で置いとくには実に惜しい逸材なのである。

3月23日(月)晴れ 毎週月曜日の17:00過ぎから看護婦さんや検査技師さん、薬剤師さん達と一緒に症例検討会を行い、その後に医師が持ち回りで簡単な講議をすることになっている。今日は整形外科のT田先生が3月一杯で転勤されることに伴い、その記念講演(ちょっと大袈裟だが・・)をして頂く予定だった。内容は先日当院で施行した関節鏡のビデオを説明を受けながら皆で見ることになっていた。しかしながらいざビデオを見ようとすると真っ黒い画面ばかり・・。これはデッキが壊れているのではないかということで、試しに糖尿病患者教育用ビデオを見てみるとしっかりと映っているではないか。これは関節鏡の際に録画がうまくできてなかったためだと分かり、皆がっかりだった。でもT田先生は結構さばさばとしていて「まぁこんなもんでしょう」とのんきに答えていた。これはいかにもT田先生らしい終わり方であり、勉強会などと堅苦しいことは抜きで本当に1年間お疲れ様でした。彼はこの1年間、内科でもできそうな傷の創処置までも、ほとんど全ての症例に対して自分の手で処置を続けられてこられた。切断指に対するアルミ箔を用いた被覆処置など新たな治療方針も導入してくれた。外科医としてのプライドをもった立派な先生だったと評価している。今年(平成10年)10月10日に結婚式を挙げられるとのこと。是非また奥さんと一緒に梼原へ遊びに来て下さいね。

3月22日(日)晴れ 今朝A.M1:30に11ヶ月の男の子が夜間急な発熱のために機嫌が悪く泣き止まないということで来院した。なんでも高松から東津野村の方へ帰省してるらしい。うちにも優美佳がちょうど11ヶ月なのでご両親の心配が手にとるようによく分かる。うちの嫁さんからも常日頃から「小児診療にあたっては親の気持ちになって自分の子供を診察するような気持ちでしっかりと診てあげてね」といわれている。深夜でもあり、眠い眼をこすりながら診察した。臨床的には大したことではなかったが、この両親にしたらこれまで突発性発疹くらいしかかかったことがない元気な子供さんでしかも違う土地での発熱だけに夜間不安も増大されたのであろう。座薬などで対症的治療をしただけだったが、大変喜ばれて帰って行った。おそらく帰ってもしばらくは同じ状態が続くだろうが、医療機関にかかったという安心感を得られただけでもこのご両親には大きなことであったのだろう。時間外にも色々とあって何もこんな時間に来なくても・・・なんて考えたりする症例もあるが、ことさら乳幼児に関しては精一杯親の気持ちになって診てあげなくてはと考えるようにしている。深夜時間外に診察に出ていった時にご両親から「このような遅い時間に大変申し訳ありません」とか「お陰様で安心して連れて帰れます」などと言ってもらえると、こちらもとても報われた気持ちになる。夜間時間外の何でもない話ではあるが、色々と思惑の交錯する一瞬の微妙な世界なのである。

3月21日(土)晴れ 今日はSSER(Shikoku Super Enduro-Rally)というオフロードバイクのクロスカントリー選手権大会がここ梼原町で開催された。何でも出走が15:00で終了が23:00と夜中まで走り続けるレースなのである。山奥のコースを暗闇の中走るために結構怪我人も出てしまう。この大会はここ梼原ですでに何度か開催されていて今年はまだもう一回あるようだ。前回の大会では骨折患者が結構出て、整形外科の先生を当直に据えておいたまでは良かったのだが、夜勤の看護婦さんが2名しかいなかったため、病棟はほとんど野ざらし状態であった。今回はその教訓を活かしてレントゲン技師のYさんに時間外手当を出して待機してもらい、病棟では夜勤の看護婦さん(整形外科担当)を1名増員した体制で臨んだ。このように準備万端で臨んだ時に限って外来は落ち着いているのが通例で、今回はその例に違わず1名のみ外来に受診されただけであった。怪我も大したことはなかったようだ。ともかく次回のSSERでも今日のような準備を怠ることなく臨むよう院長とも話合っている。レントゲン技師のYさんにはせっかく須崎からはるばる出て来てもらっていたので病棟入院中のイレウス患者の腹部単純X線をついでに撮ってもらった。本当にお疲れ様でした・・・。中四国には様々な自治体があるが、町内でSSERのような危険の伴う競技を行うことを許可してくれる自治体はあまりないようである。SSERの関係者の方々も皆、口をそろえて「梼原は最高です」と言っている。町にとって果たしてメリットはあるのだろうか?参加者達はほとんどが町内の宿には宿泊せず、テントを設置して野宿するし、食事も自炊が多いとのこと。「雲の上温泉」に入浴に来るライダーもいるかと思っても競技が終了した時間には温泉も閉まっている。町の方にお金が落ちているような話も聞かないし。梼原の名前を拡めることは間違いないのだろうが・・・。今度町長さんにでも聞いてみよ〜おっと。いずれにせよ今夜は無事大きな怪我人もなく終わりそうである。これでゆっくりと寝られると思うのだが・・・(ちなみに今日私は整形外科T先生の内科・小児科用の控え当直なのである)。

3月20日(金)雨 昼前に院長から電話があり、「強風のために飛行機が欠航して今日中に帰れないかも知れない」と連絡があった。すわっ! これは一体どうなるのか! と一瞬たじろんだが、冷静になって「こちらの方は大丈夫ですから、ゆっくりと帰ってきて下さい。」とひきつった口調で答えた。午後になって「飛行機に乗れた」と連絡があった時にはほっと胸をなでおろした(やはり院長の存在は大きい)。今日昼休みを利用して高知県立中央病院放射線科のM田先生に腹部CTを画像伝送した。当院ではISDNを利用した画像伝送システムが設置されてあり、須崎のくろしお病院脳外科も含めて約2年間で100件近いコンサルトを行ってきた。梼原でこのシステムに救われた患者がこれまで何人いることか。我々が地域医療を担う上でこれ以上心強いものはない。適切なアドバイスを受けて今後の治療方針決定におおいに役に立った。但し、この遠隔地画像診断についても保険上点数化がなされておらず、医師同志の信頼関係やボランティア的精神によるところが大きい(M田先生本当にいつもありがとうございます)。M田先生は仕事には大変厳しい先生であるが、こういったコンサルトの際には親身になって相談にのって下さるし、アドバイスも的確なので院長ともども最も頼りにしているのである。夜には5期20年梼原町長として頑張ってこられた中越準一元町長に対する「感謝のゆうべ」に招待された。これで何回目になるのか数えてもみていないが、とにかくこれまでの功績を称えたい方々が沢山おられて、元町長もなかなかゆっくりと退職気分にひたれていないのが実情であろう。でも私がこれまで接してきた自治体の首長さんの中では群を抜いたリーダーシップを持っていた優秀なリーダーであったことだけは確かである。元町長さんあまり飲み過ぎて身体をこわさないように気をつけて下さいね。

3月19日(木)曇りのち雨 今日院長は東京で国保健康管理センター長会議というものに参加している。何でも全国国保診療施設協議会(国診協)の活動の一環で、院長の知らない間にパネリストとして発表者に仕立てられており、「聞いてないぞ」と院長は怒っていたが結局参加させられる羽目になっていた。これで吉井先生のように全国に名前が売れて今後色々な会議や講演でお呼びがかかることだろう。今夜の宿泊は「マロードイン赤坂」という妖しげな名前のホテルのようだ。院長は果たして大丈夫だろうか?今日午後に四万川方面の往診があり、その機会を利用して四万川診療所へも立ち寄った。ここにはS本先生という経験豊富な先生が3年間にわたって診療を続けられてきたが、明日でここを退職されて地元の方へお帰りになられるとのこと。そのご挨拶を兼ねて簡単な申し送りをさせて頂いた。4月から出張診療所となる訳だが、今日実際に診療所に行ってみて、つくづく地元の期待を裏切らないよう頑張らなくてはならないと感じた。週に3回の診療を行うが、梼原病院とうまく連携を図りながら頑張っていこうと考えている。

3月18日(水)晴れ  昨晩は松原診療所のH先生が当直だった。4月から当院の医師として活躍が期待されていることを暗示するかのごとく忙しい当直であった。左踵骨骨折、救急で高血圧性脳症患者、早朝には高齢者が自宅で亡くなっていたため検死に、となかなか多忙な夜だったようだ。今年に入って検死はほとんど私の当直の日ばかりだったのでこれでその「つき」がH先生に移ったのではと密かに期待している。H先生、4月からはうちの院長がビシビシ鍛えるぞと豪語されていたので、昨夜くらいのことではへこたれず、ますます頑張って精進してもらいたいと思う。院長が明日から東京へ出張のため今晩から不在となる。何か不吉な予感もするが、院長不在の間しっかりと病院を守らなければならない。どうか平穏無事であって欲しいものだ・・・。

3月17日(火)晴れ 今日の午後に身体障害者施設の方へ往診に行ったところやっとインフルエンザの嵐が過ぎ去っていた。後遺症として微熱程度が残る方も数名いたが、これでやっと終息宣言である。よかった・・・(ホっ)。一時は施設全体に拡がってしまうのではと危惧していたが十数名程度の蔓延で治まったようだ。4月からの医師増員に伴い、院長と非常勤のG医師がここの身体障害者施設の嘱託医として、そして私と新任のH医師が特別養護老人ホームの方の嘱託医として責任が分離されることがすでに決まっている。この1年間2施設を2人で診療してきたのだがさすがにきつかった。特に院長は金曜日の午後の担当だったため週末までに溜まった疲労と併せて相当な心労であったろうと推察する。従来は四万川診療所の常勤医の先生がこの身体障害者施設の嘱託医であったのだ。その仕事を我々が昨年4月から任された訳である。この他に4月から松原診療所と四万川診療所は出張診療となり、こちらも前者が院長と新任のS先生、後者が私と新任のH医師、非常勤のG医師で分担することになっている。4月はしばらくばたばたとして慌ただしくなると思うが、上記のような理由もあってとても楽しみなのである。しかしながら3月31日はたしか火曜日だったなぁ。ということはあと2回施設への往診が残っている。院長は20日の金曜日は東京出張のため施設往診はたしか「休診」だった。ということはあと1回か・・・。とくだらないことを色々と考えてしまう私なのである(それだけ大きなストレスだったことを理解して欲しい)。

3月16日(月)晴れ 吉井先生が当院の出張診療に来られるのも今月一杯で終わりとなってしまう。来年の人事で内科が4名に増員されることに伴う措置である。吉井先生には毎週月曜日に当院へとはるばる高知市内から来てもらい大変お世話になった。我々も定期の予定として月曜日にフィルムや内視鏡の読影を入れて一緒にチェックまでして頂いた。やはり先輩の先生は色々と経験や知識も豊富で臨床で難渋する症例についてもアドバイスを沢山頂いた。できれば4月からも月に1回位は来て頂いて色々と相談にものって欲しいのだが、そうそうも甘えてもいられない。伊東先生もこの1年間、月に1回来て頂きこの場で併せてお礼を言わせてさせて頂きます。両先生本当にありがとうございました。夜には吉井先生と近くの居酒屋で一年間の労をねぎらった。4月からはやっと内科の医師が増員されるようで、何よりも当直が楽になることが嬉しい。少しは家族サービスの時間も増えると思うので是非とも優美佳になついてもらうよう頑張らなければ・・・。

3月15日(日)晴れ 院長の家にホンダのセールスマンがやって来た。新車を購入するとのことで「オデッセイ」を最終的に決められたようだ。院長の選択条件として屋根が高くないこと、車内空間が広いこと、4WDであること、シートが3列並んでいること、ウォークスルーであることなどがあり、これらを全て満たした車ということでオデッセイとなった。オデッセイといえば私の後輩である県立中央病院のK先生も購入している人気車種である。色はブルーシルバーということで私も自分のことのように楽しみである。しかしさすがは院長、最後の交渉で値引きと現在乗っているRVRの査定見直しを併せて7万円も更に値引きに上乗せしてもらったとのこと(私も新車購入の際には院長に依頼しようかな・・・)。先日松原診療所のH先生がトヨタのチェイサーを購入したばかり(こちらはほとんど向こうの言い値通りで購入)、整形外科のT先生も中古ではあるが日産スカイラインをパジェロから先日買い換えた。T先生はポルシェに乗っているのだが、雨の日や市内で駐車場に置かないといけない場合用にセカンドカーを持っている(これが本当のカーマニアのやり方なのだ)。パジェロは知り合いから安く譲ってもらった車で梼原に住むために買ったとのこと。今回4月からの移動に伴いスカイラインへの乗り換えとなった。当院ではこのように新車ラッシュとなっている。私もその流れに乗って新車でもと言いたいところだが、嫁さんを説得できなかった・・・。残念だが私は次の機会を待とう。今日はまたまた院長にCD-ROMをお借りしてシステムを「Mac OS 8.1」にアップグレードした。なぜか私愛用の「ことえり」だけが使えなくなり、ATOKだけは無事生き残った。これを機会にATOKに乗り換えることにした。その他については不都合な点もなく良好に作動しているので「ことえり」の分を差し引いても損はしていない。何かと作業スピードもアップして喜んでいる次第である。今日の昼間の当直は大したことなかったが、夜になってばたばたとしてしまい、救急搬送されてきた患者もいて入院させた。そのために空きベッドはあと一つとなってしまった。明日は一人男性の予定入院があり、また満床となってしまう。明日院長とまた対策を練らなくてはいけない・・・

3月14日(土)晴れ 院長の手元に「Mac OS 8」のインストールソフトがあると聞いて早速お借りし、昨晩から今朝方3時頃までシステムのバージョンアップを行った。最近嫁さんの目が厳しくコンピューターは子供達が寝静まってからでないと触らせてもらえない。その言いつけを守るとどうしても深夜にかかってしまう。インストール中に自分のシステムに異常が見つかり、2回インストールが途中で中断した時には一瞬血の気がさあ〜っと引いてしまった。悪戦苦闘の末になんとかOS 8が稼働するようになりひとまずホッとしている(やれやれ・・・)。昨日を含めて3日連続の当直であるが、是非とも無事に済んでもらいたい。今回の当直は週末に退院が数例あったお陰で、現在3床ベッドの空きがあるので気分的には少し楽である。今日はホワイトデーということなので何か看護婦さん達にもっていかなくてはと嫁さんと話していたら自家製ケーキを焼いてくれたのでこれをみんなに持って行った。看護婦さん達は喜んで食べてくれたが、どうも私にもらったというより嫁さんからもらったという印象の方が強かったようである。やはり来年は自分で買って渡すことにしよう。

3月13日(金)曇り 今日院長が施設(ふじの家、みどりの家)への出張診療ということで出かけようとしていた。ふと見るとホワイトデー用の美味しそうなお菓子をもっていた。なんでもインターネットを通じて通信販売で注文された逸品とのこと。自分ももっと前から準備していればよかったのだが、今日から3日連続の当直ということもあり、院長のような気のきいたお返しが今からではできない。このままでは実際地元の小売店とスパー梼原店しか買う方法はない。そこで緊急避難として院長にお願いをし、プレゼントに相乗りさせて頂き、私の名前も付け加えてもらった。昨日あれだけ看護婦さん達にお世話になっていてそのお礼をしなければと考えていた割にはいい加減な形となってしまった(まずいっ・・!)。とりあえずこのことは院長と僕との間だけということで、施設の看護婦さん達には気付かれないようにしておこう。また機会を改めてお礼をということで・・・院長どうもありがとうございました。また今日は月に1回の「高齢者サービス調整会議」が開かれる。ここには病院から院長、私、婦長、施設から園長、行政から保健婦さん、福祉支援センター担当者、福祉・保健・健康増進担当者、社会福祉協議会からはヘルパーさん達が一同に揃って高齢者の個々のケースに対応するべく会合をもつ場である。例えば特別養護老人ホームか養護老人ホーム、老健施設などの入所判定、ヘルパー派遣や入浴サービス、ショートステイ利用券交付、介護手当の認定など内容豊富な町内高齢者に対するケースカンファレンスである。ここでの話は日常診療にも随分応用させることができ、また重要な情報源でもある。だいたい20時頃まで熱い討論が続けられるが、この後に院長、私、婦長と保健婦さん達、福祉支援センター担当者が居残り、またさらに深く突っ込んだケースカンファに移る(検診のひろいや個々のケースの診断・治療方針・予後について話し合う)。これがだいたい21:30から22:00頃まで続く。この積み重ねが今の梼原の保健・福祉・医療の統合を生み出してきたといっても過言ではない。

3月12日(木)曇り ベッドが満床であったにもかかわらず四万川診療所の方から左半身不全麻痺のため歩行障害を来した患者さんが紹介されてきた。診断は脳梗塞orTIAである。このまま須崎や宇和島に紹介するにしては症状もそんなに重くないし、自宅が遠方でしかも視覚障害のあるお年寄りであるため点滴に通わせるのも気が引けるし・・・ということで何とか無理を押してでも当院で入院させることにした(せっかく紹介頂いた四万川診療所の先生に対する手前もあった・・・)。どうやって凌いだかというと自分の患者でインフルエンザ性肺炎のために入院していた特別養護老人ホームのお年寄りにベッドを譲って頂いたのである。この方は抗生剤投与にてCRPが20から6まで低下しており、臨床症状としても37度前後の微熱までに落ち着いていたため(本当は炎症反応が消失するのを確認して退院へ持っていく予定だった)、PM16時過ぎだったが早速施設の看護婦さんに電話をして事情を説明し、施設で今と同じ治療を続けてもらうことを条件に急きょ退院が決定し、この方と入れ替わりに先述のお年寄りが無事入院の運びとなった。今や入院をさせるには自分の患者をキープしておき、良くなりかけた時点で新入院と入れ替えるという方式を採らないとなかなかベッドの確保が困難な状況が続いている(まいった、まいった!!)。それにしても当院付属の特別養護老人ホームではまさに病棟といっても過言でないような点滴や吸入、創処置を指示通りにやってもらっている。決して自慢にはならないことは百も承知の上だが、彼らの力を借りなければうちのベッドが回らないこともこれまた事実なのである。これもひとえに施設看護婦であるTさん、Mさんをはじめ他の寮母さん達の努力のたまものと感謝している。病院がなかった時代にはほとんどの患者さんを町外へと入院させていたという過去の事実もあって、病院に対してとても協力的で非常にうまく連携が保てている。このお礼はきっといつか・・・そうだ、そういえばもうすぐホワイトデーなのでこの機会を利用してお礼しよ〜おっと。

3月11日(水)雨 今日は4月1日から当院整形外科に赴任して来られるK先生が初めて梼原にやって来られて各部署の代表者を集めて顔見せ会を行った。とてもきさくで話がしやすい感じで安心感のもてる先生だった。なんでも1月に結婚されたばかりで奥さんもすでにご懐妊とのこと。整形外科の先生としては初めて所帯持ちの先生がいらっしゃるようでうちの嫁さんも楽しみにしている。4月からの活躍を期待している。なんでもスキーが趣味だとのことで、来シーズンは機会を見つけて一緒に滑りに行ければと楽しみも増えた。先週から特別養護老人ホームの方でインフルエンザが流行っているという話題が多かったが、先日診療に行ったらやっと流行が治まっていた。ほっとして次に隣の身体障害者施設の方へ行ってみると入所者から看護婦さん、施設職員全員がマスクを着けていて、これは何事かと思っていたらなんと今度はこちらの施設の方でインフルエンザが流行し始めていた。昨日だけでも8名が隔離部屋に移され介護を受けていた。みんな38-39度の発熱のためにとてもしんどそうであった。今日は2名が病院に連れてこられて診察・治療を受けていた。「一難去ってまた一難」といった心境である。結構予防に努めていてこれまでインフルエンザらしい罹患者がいなかったことから感心していた矢先であっただけに残念である。しかしこれ以上に蔓延しなければよいのだが・・・

3月10日(火)曇りのち雨 今日は39歳の男性の大腸ファイバーがあり、痛がって途中で止めなくてはならなくなるかもと思いながら検査していたら自己最高の8分で回盲部まで到達した。これまで10分の壁が超えられなかったのでとても嬉しかった。うきうきで検査を終えようと思ったらARより15cmの部位にポリープ(山田4型)があったのでついでにポリペクしてきた。こんな日はとても気分よくて他の忙しい仕事をしていても結構楽しくできるのだ。挿入し易い大腸をしていた患者さんに感謝、感謝の1日だった。夕方にグレを食べてその骨が喉に引っかかって取れないということで37歳の方が来院された。口腔内を覗いて診たが可視範囲には刺さっている骨が分からなかったので内視鏡を使って鉗子で取ってあげた。患者さんにすごく感謝された。内視鏡は実際に大変つらくて嫌がられることの多い検査なのだがこの咽頭異物症と胃アニサキス症(胃に海魚の寄生虫が食いつく病気)だけは内視鏡による摘出治療で本当に患者さんに感謝されるのだ(それまでの症状が嘘のようになくなる)。自分も喉に骨が刺さったことが何度かあるが取れそうでなかなか取れず、またよく母親からご飯の塊をごくっと飲み込むように荒療治を受けたりと散々な思い出が多いこともあって患者さんのつらい気持ちはよく理解できる。この他大川村診療所時代には左尿管結石を患ったこともあってこの時の痛みも今だ鮮明に覚えている(身の置どころがない痛み、どんな体勢でも痛みが軽減しない)。咽頭異物と尿管結石の患者さんに対しては特に思い入れをもって診療にあたっている私なのである。

3月8日(日)晴れ 今日は快晴で絶好の日和となっており、高知市では浦戸湾健康マラソンが開催された。当院からも薬剤師のH君や放射線技師のYさん、松原診療所のH先生、事務のHさんなどが参加した。当院では前任のO先生の影響を受けて数々の駅伝やらマラソンに出場している。例を挙げると四国カルストマラソン、予土県境駅伝、朝霧湖一周マラソン、松野町桃源郷マラソン、足摺岬一周駅伝大会、吉野川いかだ下りレースなど多種多彩にわたっている。前任のO先生はこの他にも県外まで出向かれて参加されていた(与論島や宮崎シーガイヤなど)。私も昔(学生時代)は運動部に所属して10km位は走れていたのに最近は運動不足で、みんなと一緒に駅伝に出てもお荷物的存在になってしまっている。ダイエットのためにも健康のためにも少しは走ってみなければといつも心に思いながらこの梼原の寒い気候に重い腰を上げられずにいる。情けない・・・。また暖かくなれば(梼原は四国のチベットともいわれ夏はとても涼しい)走ってみようかな? う〜ん、でもたぶん走らないだろううなぁ。もう駅伝やマラソンは引退しようかな・・・?

3月7日(土)晴れ 4月からうちの長男の優駿(まさとし)がめでたく保育園に入園する。そのために必要なお弁当箱やお昼寝用のパジャマ、布団などを揃えるために買い出しに行った。うちの嫁さんはお隣に住む院長の奥さんから色々とアドバイスを受けていたようでてきぱきと買い物をこなしていた。しかしながら保育園で他の子供さんを叩いたりしないかとか「やんちゃ」を言って泣き叫んで保母さんを困らせたりしないかとか嬉しさ反面不安も多い。他のご父兄にも話を聞くとどこでも同じですよといって一蹴されるが、すっかり自分もパパになってるなぁと思わず笑ってしまう。優駿(まさとし)は今とても自分になついていて甘え方も上手でとてもかわいいのだが、大きくなるにつれて色々と偉そうなことを言うようになるのかと思うと少し寂しい気もする。しかしながらずっとそばにいた嫁さんの方が私よりもよけいに寂しいのではないかな・・・優駿(まさとし)が保育園に入るとなると自分も父親としての自覚がもっと出てくると思うし、仕事も今以上に頑張らねばという気にもなるだろうと少し期待もある。

3月6日(金)晴れ 現在入院している寝たきりのお年寄りで経口摂取不能の方が数名おられる。どのように対応しているかというと内視鏡的に胃瘻を造設(PEG)したり経鼻胃管を挿入して経管栄養を続けているのだが、症例によってはPEGの適応から外れる方もおられる。現在入院中のYさんもその一人で昔胃切除術を施行され胃壁のすぐ前に横行結腸が上がってきているためにPEGができない。そのために1ケ月-1ケ月半毎に胃管チューブを交換するのだが、これがまた大変に難しい。気管切開をしており、頚部から項部は硬直が強くほとんど上を向いたような体勢で固定されている。そのため食道入口部が圧排されて本人の嚥下協力でもない限り毎回困難を極めている。チューブを色々と交換してみたり、ガイドワイヤーを併用してみたり、胃カメラで引っぱってみたりとこれまで悪戦苦闘を繰り返してきた症例なのだ。その胃管チューブ交換が今日あったのだが、なんとこれまでで初めて1回のみのトライで挿入できた。今日は非常にラッキーな気分だ。しかし何が良くて挿入できたのかは実際よく分からない。はっきりいってその日の患者さんの機嫌と運のみで技術的なものは特にないと思う。

3月5日(木)晴れ 今朝未明に特別養護老人ホームでとうとう今シーズン初のインフルエンザによる死亡者が出てしまった。もともと喘息があり、インフルエンザ感染を契機に喘息の重積発作がおこり、肺炎と心不全を併発してしまった。89歳という高齢ではあったが日頃元気であっただけに大変残念である。当院の家族室付き特別室の方で奥さんや娘さんにずっと付き添ってもらえたことだけはせめてもの救いか・・・?。施設の方ではインフルエンザもやっと終息に向かっている。まだあと3名入院されているが、皆無事元気になって施設の方へ戻ってもらいたいと願っている。

3月4日(水)晴れ 今日の午後外来で心電図の所見で困った症例があった。こんな時当院では高知市民病院循環器の先生へ心電図をFAXで送付し読んでもらって指導を受けるシステムが確立している。そのお陰で今日も明確な回答を頂き大変助かったし、患者さんもとても喜んで下さった。私自身、市民病院循環器の方には診療所時代に週1回ではあったが、2年間研修でお世話になり、その縁もあって現在に至っている。心臓カテーテル検査も電話一本ですぐに入院予約までして頂けるのである。こういったシステムは私達地域医療に従事する者にとって大変心強いものである。とりあえず今の段階では心電図を読んで頂いてもその診療・診断にあたる点数がなく、完全にボランティア的精神にのっとっている。なんだか大変申し訳ないのだが、市民病院の先生はいつも優しく対応して下さり本当に感謝している。これからもどうか宜しくご指導の程宜しくお願い申し上げます。

3月3日(火)晴れ 今日は「ひなまつり」である。昨年の4月に長女が誕生しわが家では初めての「ひなまつり」となる。知人に色々と話を聞くと「おひな様」は両親に買ってもらうのが一般的だとか。しかしながらうちの嫁さんは自分が幼い時に「おひな様」を買ってもらえなかったこともあり、どうしても自分の気に入った「おひな様」を買うといってきかなかったもので、自腹を切って1月に注文し購入した。私の両親は着物を贈ってくれ、また嫁さんの両親からは「いちまつ人形」という女の子が一人で着物を着て遊んでいるかわいらしい飾りの人形を頂いた。2月下旬に週末を利用してうちの両親に梼原に来てもらい、いわゆる初節句を済ませた。「女の子だからかわいくて仕方がないだろう?」と色々な人からいわれるが、実は長女はあまり私になついていない。だっこをすると泣かれてしまう有様である。またこれと反対に長男は母親を妹に奪われてなぜか私によく甘えてくれる。お互いに似たもの同志とても仲がよいのである。従って今の段階では長男の方が特別かわいいのである。とはいってもやはり長女にもなついてもらいたい。どうすればよいのか? 病院が暇になればよいのだが・・・まずい、これではいつまでたっても私にはなついてくれなくなってしまう・・・今晩は早く家に帰って風呂にでも入れてあげよう、と思ったら今晩はレセプトだった。ごめんね、優美佳ちゃん・・・

3月2日(月)晴れ 今日から毎月始め恒例のレセプトがはじまった。とはいっても実際は昨日から始まっていて院長がすでに社会保険の老人分を一人で終わらせていた。休みの日まで時間を惜しんで仕事をこなし、しかも正確で処理スピードも速い(まさにG3かPentium IIの領域である)。まったくもって頭が上がらない。当院のレセプト処理には事務系の職員の他に臨床検査技師のJさんと薬剤師のNさん・H君が加勢してくれている。彼等のお陰で随分と事務の人達は助かっていると思う(実際に臨床検査技師のJさんはレセプト業務の隊長さんなのだ)。このように自分の職種を超えて協力し合うことを当り前のこととして皆が認識し、協力し合っているところは他院にも誇れるところだといつも感心している。先月はインフルエンザと花粉症の病名が多かった。苦手のインフルエンザもやっと終息に向かいつつあるが最近の患者の傾向としては水曜日から金曜日にかけて定期診察に来た患者がインフルエンザをもらって月曜日頃に診察にまたやって来るというパターンが多く見られ、ちまたでは「今はあんまり病院には行かれんぞ」という噂も出てきているようだ。今日も帯状疱疹で来院されたある患者さんは隣の保健福祉支援センターの方で順番を待っていた(う〜ん懸命な方だ)。私自身今年はインフルエンザの予防接種もして、風邪の患者を診察した後には必ず「うがい」もして今のところインフルエンザは予防できている。しかしまだまだ油断せずにいかなければと気を引き締め直しているところである。しかしながら花粉症については毎年悩みの種でここのところ毎日抗アレルギー剤のお世話になっている。よく知っている患者さんにも「先生、お風邪ですか?」と気の毒がられる程で、これにはさすがに参ってしまう。早く花粉とインフルエンザだけは去っていって欲しいと思う今日この頃である。

3月1日(日)晴れ 夕方梼原に帰ってきたのだが病棟に行くとすぐに往診の依頼があった。日頃から在宅で往診を続けている梼原で最高齢の102歳のお年寄りの家族からであった。支度をしていると「今、息を引き取った」と連絡が入った。すぐにかけつけたが確かに永眠されていた。話によれば夕食を食べてまもなくのことで、あっという間の出来事だったという。特に嘔吐などなかったようだが、苦しんだ様子もなくまさに天寿をまっとうされたという感じだった。福祉施設に入所したり長期入院生活を送ることもなくずっと健康で在宅生活を続けられていた。傍で介護をなさってこられた息子さん夫婦もとても優しく気配りをしながらこの方に接しておられた。僕が到着した時には近所の方々も数多く駆けつけていた。長年暮らした自分の家で、特に痛んだり苦しんだりすることもなく、大好きな家族のすぐそばで眠るようにこの世を去っていかれた。もっともっと長生きをして頂いて梼原町最高齢の記録をどんどんと延ばしていって欲しかった残念な気持ちもあったが、ある意味では大変羨ましい気持ちにもなった。最近このようなケースは大変少なくなったように思う。故人のご冥福をお祈り致します。安らかに眠って下さい・・・