日々の何気ない出来事を思いつくままに綴ってみました・・・
今日の出来事
4月30日(木)曇りのち雨 今日は連休の合間ということもあり、予想通りなかなか外来が忙しくて午前中の内科外来患者は診察だけ(処方は除く)でも60名を超えていた。結局午前中の外来はpm13:40頃までかかってしまった。今年の4月から2診制をとっていたので何とかこの時間までに終了できたといえる。明日もきっと忙しくなるに違いない(院長頑張って下さい)。病棟の方もなかなか忙しかったようで午前中に寝たきり患者さんが急変し、院長とH谷先生が救急蘇生に奔走されていたとのことだった。こんな日は内科の定員増の有り難味がしみじみと感じられた(私と院長の2人だけだったら絶対にまわっていなかった!!)。今日だけでも、めでたく3名が退院の運びとなったのだが、その代わりに県立中央病院外科から予定されていた転院の患者さんが1名、外来では独居老人が食事が摂れないとのことで1名社会的入院となった。またくろしお病院脳外科からもずっと以前に紹介した患者さんが1名転院して帰ってこられた。結局現在病棟の入院患者は29名のままなのだが、この内訳をいうと全介助が11名、一部介助が9名、自立が9名。排泄に関してのみいうとおむつを必要とする患者が11名(うちバルーン留置患者4名)と結構要介護度の高い患者さんが多くて病棟もなかなか大変なのである(まさに特老状態といっても過言ではない)。これを昨年までは看護婦さんが日勤で3名、夜勤で2名、助手さんが1〜2名で看ていたのだから、その苦労は大体予想がつく。今年の4月から看護婦さんも増員となったお陰で日勤がようやく4名に増えた。それでも看護婦さんや助手さん達には毎日大変な苦労をかけていると思うし、感謝もしている。そんなこんなで本当にあっという間に4月が終わってしまい明日からは5月が始まる。そうだ、レセプトがまたもや始まってしまう・・・。まだまだ暇になるような話にはなかなかならないようだ。
4月29日(水)晴れのち曇り 今日は「みどりの日」で祝日だったが当直でいつものように病院へ出勤した。84歳男性が2、3日前から食欲不振、発熱、咳嗽が続くために来院され、胸部X-Pで右下葉に肺炎を認めたために入院となった。ここまでは病院としてごくありふれた出来事なのだが、いつものことながらベッドの空きがない状況での全くラッキーな入院であった。というのも空きベッドは女性4人部屋の一つのみで、男性はとても入院させられる状況ではなかった。しかしながら脳梗塞のために嚥下障害を来したためにPEG(内視鏡的胃瘻造設術)待ちとなっている特老入所中の男性患者さんがいて、5月11日に胃瘻増設予定としていたためにそれまでの間施設に一時的に返すことにしており、調度その日が今日であったのだ。しかしながらまだこれだけではなかった。明日県立中央病院外科から男性患者が転院してくる予定となっていて今日の特老患者さんの退院を院長があてにしていたのだ。一瞬肺炎患者の入院を諦めかけたが、幸運の女神はどこかにいるもので明日整形の患者さんが退院することが判明し、院長の許可を得て特老患者さんの退院と入れ替わりに肺炎の患者さんが無事入院の運びとなった。現在入院は29名(空きベッドは1床のみ)。当院は救急告示病院であるのだが入院が思うように受け入れられない。今日退院させた患者さんも予定通りPEG目的に再入院させられるのだろうか?この綱渡りにも近い状況は果たしていつまで続くのだろう・・・。
4月27日(月)晴れ 今日は午前中外来の1診をして昼休みにPEG(内視鏡的胃瘻造設術)を行い、その後西川小学校の学校検診に行き、帰ってきたら外来には入院の必要な私が担当する患者(脳塞栓後遺症、不明熱患者)が2名、院長が担当する患者(閉塞性黄疸)が1名待っていた。私はH谷先生とともに新入院患者の指示を書き、院長はY子先生と黄疸患者に対してPTCDを施行した。院長も先週の腎膿瘍に対する経皮的ドレナージに続いて今日のPTCDと年末のM田先生宅「くえ」パーティへ向けて着々とポイントを稼いでいる。そのために今日は病棟総回診が中止され、スタッフとの勉強会も一部省略されてしまった。せっかくベッドを空けてもたった1日で3名も入院するようではこの先思いやられてしまう。勉強会が終わってばたばたと帰宅して風呂に入ると休む間もなくPM21:00からフィルム読影会が始まった。週明けからなかなかハードな滑り出しである。ゴールデンウイークはこれからが本番。まだまだこんなものではない・・・。そうそう体外ペーシング付き除細動機の件だが、今日F田電子が更に驚くような値引きを提示してきて、日本K電よりも安い額を出してきた。院長との話し合いですでに日本K電製に決定していたのだが、ここで終わらないのがうちの院長の凄いところ・・・。その安くなっているF田電子との差額分を日本K電に更に値引きしてもらおうというのだ。「商品決定」という朗報をもっての交渉だからおそらく予定通り値引きされるに違いない。結局いくら位安くなったのだろうか?梼原町は院長に最新型のパソコンをフル装備で購入してあげてもおつりが来る位だ。う〜ん、この駆け引きのうまさは天性のものだろう・・・凄すぎる。
4月26日(日)晴れ 今日は嫁さんの買い物に徹底的に付き合ってさすがに疲れた。というのも買い物中優美佳をおぶって優駿と手をつないでじっと嫁さんの買い物が終わるのを店の片隅で見守っていた。まさに「お父さん」としての務めを果たした。日差しも強くて車の中は暑苦しくエアコンをかけっぱなしだった。自分自身少し咽頭痛があり、用心のために今夜は風邪薬を服用しておくことにした。子ども達も冷え過ぎて風邪をひかなかったか心配である。夕方梼原までの帰路途中、高岡の付近まで来たところで強烈な睡魔に襲われ、嫁さんに今日の活躍ぶりをアピールして運転を代わってもらった。幸い子ども達は2人とも熟睡していたので自分も運転交代後、数分のうちに子供達に続いて意識を失った。目が覚めると梼原に到着していて快適だった。いつもこのパターンなら楽だなぁと思いつつも体力の落ちてきた自分自身が少し悲しかった。いよいよ今週はゴールデンウイークに突入する。例年この時期は患者さんがかなり多くなるし、またレセプトもあるので何かと忙しくなりそうだ。気合いを入れて頑張らねば。今夜は早く寝て明日からに備えよう。おやすみなさい・・・。
4月25日(土)晴れ 昨日までの雨が嘘のように初夏を思わせる陽気となった。今週末は院長が当直なので高知市の方へ泊まりがけで遊びに行くことにした。行く途中に4月から葉山村杉の川診療所に赴任したY崎先生の所へ立ち寄った。医師住宅の内装工事のために引っ越しが今日まで延期されていて私が行った時ちょうど引っ越しのトラックが住宅前に停めてあり、荷物の搬入中であった。Y崎先生は院長と同級生であり、かつ私の1つ上の学年でもあって学生時代から色々とお世話になっている。引っ越しの最中であったが少し手を休めて下さり、診療所の案内をして頂いた。赴任早々のエピソードや日頃の活動内容を教えて頂いた。診療所の中はなかなか広くてきれいであり、医師住宅も立派だった。葉山村にはここ杉の川以外に姫野々診療所があり、現在そこには整形外科の先生が赴任されている。こちらの方でも内科は主にY崎先生が担当されるとのことで2つの診療所を掛け持ちということになり、なかなか大変そうであった。引っ越しや仕事が一通り落ち着いたら梼原の方へも勉強会などに参加して下さる気持ちがあるようで大変心強く感じた。今後うまく病診連携が図れるように頑張って行きましょう。Y崎先生宜しくお願いします!!
4月24日(金)雨のち曇り 午後にF田電子の体外ペーシング付き除細動機のデモがあった。こちらは昨日の日本K電製機種と比べて少しコンパクトで携帯時の耐震性に優れるという売りがあった。昨日のは心電図モニターのディスプレイが大きくて視認性に優れ、設定がダイヤル式で緊急時に使用し易いという違いがあった。ほとんど大差はなく後は値段のみということか。結論は来週中には出る見込みである。夕方17時過ぎより病院全体会が開かれた。回を重ねる毎に参加人数が増えているような印象がある。看護婦さん達の風の噂によるとこの会に参加しない場合には欠席の理由を届け出なければならないとのこと。婦長さんもなかなかやるなぁと少し感心した。病院の運営、方針、来月の活動予定の把握は職員として当然知っておかなければならない。この風潮が持続してくれることを願うばかりである。
4月23日(木)雨 今日の午後に体外ペーシング機能付除細動機のデモがあった。今年の補正予算で購入がすでに決定しており、後は機種の選定のみとなっている。今週末を目標に機種を決定しなければならないのだが、現在日本K電とF田電子の2社で天秤にかけている。今日のデモは前者の方で明日後者のデモが執り行われる。両社ともどっこいどっこいなのだが、さすがは院長、オデッセイ購入時と同じように両方のセールスマンに対してどんどん揺さぶりをかけていた。すでに片方の見積り額は20万円の値引きを提示してきた。明日はまたこちらが驚くような見積り額が提示されるかも知れない。さて一体どちらに軍配が上がるのか・・・実に楽しみである。
4月22日(水)曇りのち雨 今日は夕方18:00より病院の歓迎会が予定されていた。17:00頃から整形外科の患者さんが急変したために心電図やらレントゲンやらIVH挿入などでバタバタしてしまい、結局30分遅れで会が始まった。今年1年を占うかのような不安一杯の滑り出しである。今年から松原、四万川診療所の職員も歓迎会に参加することになったために結構宴会も大所帯となった。今日の歓迎会で集まった顔ぶれをみて梼原町の医療がやっと一つにまとまったんだという実感がわいてきた。また今日は優美佳の1歳の誕生日ということもあって嫁さんが女性職員を中心に手作りケーキを配っていた。思い返せばあっという間に1年が過ぎてしまった。子供達の速い成長と共に、慌ただしく過ぎ去っていく毎日に驚きすら覚えてしまう。時間の波に押し潰されないよう一日一日を大切にしていかなければと感じた。
4月21日(火)曇り 今日の午前中四万川診療所で外来をしたのだが35名(診察31名、投薬のみ4名)の受診患者が来てくれた。徐々に患者さんが増えてくるのはよいのだが、看護婦さんと事務職員と併せて3人でやっているためにこれ以上の数になると裁けなくなってしまう恐れがある。結局外来が終わったのは午後13:10過ぎであった。嬉しい悲鳴ながら先行きが少し不安である。というのもこれでは梼原病院の外来よりも患者さんの診察までの待ち時間が長くなってしまい、このままでは待ちきれない患者さん達は必ず来なくなってしまうだろう。何とかもう少し効率よく診療が回るように職員とも話し合っていかなければならない(これは難しい問題だ)。その後昼食を摂る暇もなく梼原病院に帰り13:40頃から再び外来をはじめた。午後も結構患者さんが多くて結局17:30頃までかかってしまった。その後今日入院させた2名の患者さんの入院指示を書きながら、年に1回の火災訓練の説明を受け、やっと一段落ついて病棟回診をしていると入院患者さんが続けて2名も急変してしまい、その対応に22:40頃までかかってしまった。その後22:50に喘息発作を起こした10歳の小児が急患で来院し診療にあたった。結局帰宅するまで食事にずっとありつけず、さすがにここまで来ると腹が減ったという段階を通り過ぎてしまっていた。最近ダイエットに努力しているところなのでちょうどよかったといえばその通りなのだが、今夜のような生活が続くと身体がもたない。明日の朝までどうか平和でありますように・・・おやすみなさい。
4月20日(月)晴れ 先日嫁さんが初めて保育園の父兄会に参加した際、赤組さん(優駿の所属する組)の新入児童の母親は嫁さんを含めてわずか2名しか出席しておらず、ちょうどそんな時に限って父兄会の理事を決めたりするのである。当然定員2名の保育園理事にはうちの嫁さんともう一人の出席されたお母さんの2人が選出された。今夜はその理事会があるとのことでpm7:00から集会があったために2人の子供を子守りするはめになってしまった。今夜はpm9:00からフィルム読影会があったのだが、pm9:00になっても嫁さんは帰らずやむなく院長に事情を説明し遅刻を許可してもらった。結局40分遅れで勉強会に参加したが、結構遅くまで理事会があり少し驚いた。帰宅して嫁さんに聞くと自分達以外のお母さん達は仕事をしているために理事をお願いするのは気の毒だとのことだった。しかしながらこの分だとこれから理事会の時にはいつも私が子守りをさせられることになってしまう・・・。まあそんなに頻回に開催される訳でもないだろうから少しは協力してあげよう。ただし今日のような勉強会とか当直などと重ならなければよいのだが・・・。
4月19日(日)晴れ 最近優美佳が私のところに少しずつ来てくれるようになった。これも岡山のお爺ちゃんのお陰である。今年の3月一杯をもって定年退職され、時間もできたことで先日優駿(まさとし)の入園式の前後に約1週間にわたって梼原の方に来てくれていたのだ。お爺ちゃんは主に優美佳の面倒をみてもらったのだが、こちらが頭が下がる程、気長にかつ辛抱強く子守りをして頂いた。その甲斐もあって優美佳が母親以外にも少し心を開いてくれたようで、私をお爺ちゃんと間違えて甘えて来てくれるようだ。これって嬉しいのやら悲しいのやら心境は複雑だが、いずれにせよ自分に少しずつでも慣れてきたということでよしとしなければならない。今日も少し子供達と遊んだのだが 子守りはなかなか大変である。子守りをする度に日頃の嫁さんの苦労が身にしみて分かる。お爺ちゃんは帰ってしまったが、近くに親戚もいない状況で嫁さんよくやってくれていると思う。仕事に安心して取り組めるのも家庭に余計な心配や気苦労をしなくてよい安心感みたいなものがあるからだろう。また優美佳に人見知りされない程度には頑張って子守りを手伝ってあげなければとつくづく感じた。お爺ちゃんを見習わなくては・・・
4月18日(土)晴れのち雨のち晴れ 昼頃に院長のオデッセイがディーラーの手によって運ばれて来た。もちろん新車である。ブルーシルバーの落ち着いた色で、思ったよりも前後に長く車庫からフロントがはみ出してしまう程だ。前任の整形外科のT田先生は「RV車を何故買うのか?」と不思議そうによく我々に聞いていたが、私と院長は口を揃えて「家庭を持ってみればわかるよ」と答えた。そう家族が4名もいるとちょっとした買い物に行くにもベビーシートやベビーカー、おむつやら着替えやらで車の中があっという間に狭くなってしまうのだ。院長もこれで少しは車内空間にゆとりが出ることだろうが、以前から「車内が広くなっても子供が中を走り回るだけだ」とややあきらめにも近い嘆きを訴えていた。うちもまさにその通りである。いずれにせよ今日は整形のK川先生と私が当直なので家族揃って新車でドライブに行かれたようだ(おみやげのケーキありがとうございました)。院長職はつらいもので4月に入って学校医の関係やら支援センター関係、役場幹部会、病院内輪の会・・・etcなど肝臓を休める暇もなくずっと飲み会が続いている。先週体調を崩したことなど病院関係者以外は誰も知らない。容赦なく襲ってくる返盃の嵐に院長は耐えられるのか?来週はいよいよ病院の歓迎会だ(そういえば私はその日当直だった・・・当直だと返盃を堂々とお断りできるため、この日は当直を院長と変わってあげた方がよいのかも知れない???)。
4月17日(金)晴れのち雨 今日の午後特別養護老人ホーム「ふじの家」の出張診療から病院に帰ってみると院長とH谷先生が大腸Fを施行していた。88歳の往診患者さんで下血があったらしい。S状結腸部に縦走潰瘍が散在しており、おそらく虚血性大腸炎と思われた。念のため消化器の専門医の先生に内視鏡デジタル画像をインターネットで送って診断して頂くことにした。結果は後日判明する予定だ。Y子先生の方も東津野のつのやまクリニックから70歳男性で肺炎を起こした患者さんを紹介され、入院の予定にしていたが、その奥さんがこちらに向かう途中に右下肢の脛骨内顆・腓骨外顆部の骨折を来たし、到着時には2人揃って入院させて欲しいと希望されていた。当院はすでに29床埋まっていて2人は入院させられない。そこで急遽子供さん達のいる高知市内の病院に相談することになった。幸い、近森病院が受け入れてくれることになったので無事2人とも紹介入院の運びとなった。来週明けには早速2名が予定入院となっている(ほぼ決定的)。今日無事退院するはずだったお年寄りが急に発熱を来たし、精査の結果尿路感染だったために退院が延期となった。まずい・・・月曜日は2人入院ができないことになってしまう。このお年寄りに月曜までに元気になってもらうしか方法はない。土日救急で入院などがありませんように・・・。これは大変なことになってしまった。何とか対策を考えなくては・・・。
4月16日(木)晴れ 今日で学生のM見君の地域医療実習が終了した。ここ梼原病院での2週間に及ぶ実習は彼自身にとってどのような実習であったのだろうか?また後日に感想文が発送されて来ると思われるので楽しみにしておこう。4月から内科が4名に増員したことに伴い入院患者を主治医2人ミットで受け持つことになり、少し楽になったのだが、2週間を経過して受け持ち数が院長10名、私が13名、H谷先生15名、K川先生6名、Y子先生8名(入院数合計29名)と数字を見ても分かる通り院長と私がH谷先生とミットを組むケースが増えているのが分かる。今日院長とその話になって、なるべくバランスをとってミットを決めることにしようと申し合わせた。基本的には出張診療の関係で四万川方面(梼原北方面)および特別養護老人ホーム入所者の入院はH谷先生が担当となり、松原方面(梼原南方面)はY子先生が受け持つという決まりを作っていたのだが、たまたまここ2週間では前者の入院が多かったための結果と思われる(特にY子先生を敬遠しているつもりは院長共々毛頭ないのだが・・・)。そうそう例の病院横の新官舎だがまだ完成の予定も立っていない。K川先生は前任のT田先生の官舎があり、Y子先生は松原に官舎があるのだが、H谷先生だけはまだ家がない。従って電話もなく洗濯も病院3Fの医局前の階段に干しているという悲惨な生活を強いられているようだ。さすがにおとなしいH谷先生も昨夜、町長宅に電話で抗議をしたとのこと。それは仮に自分がその立場であっても同じことをしていたと思う。H谷先生は独身で寛容だからこそ我慢できている面もあり、後輩とはいえあまりにもお気の毒である。「あと数週間我慢すれば新居が待っているよ」と声かけをしてあげてもH谷先生の表情は暗かった・・・。さてゴールデンウィークには間に合うのだろうか?午後18:30過ぎに往診の依頼があり、定期往診している家からだったため私が診察に行くことになった。老人性妄想のある患者で2-3日前から興奮気味で大声を出してはあちこちと動き回り、ここ2日間ほとんど寝ていないとのことだった。「何か注射でも」と往診カバンにあったアタラックスP(安定剤の注射薬)を筋注すると5分もしない家にうとうとしはじめ、間もなくいびきをかいて寝てくれた。さすがに2日間も寝てなければよく効くだろうと思っていたが、あまりの効果に家族に大変感謝された。患者の寝顔を見て少し可哀想な気がした。しばらく精神不隠発作がなかっただけに何かの意思表示だったのかも知れない。痴呆老人を抱える家族の哀愁を背中に感じ、帰りの車の中は何か虚しさだけが残った。
4月15日(水)曇り 今朝A.M.2:00に病棟の患者が急に全身性の間代性けいれん、意識障害(III-300)で状態が急変したために呼び出しがかかった今夜は当直でなかったが入院患者のことなので私が呼び出された。脳出血後遺症の患者で現在右肺炎と感染性腸炎のため、IVH管理となっている。夕方には結構状態も安定していたので全くの不意打ちとなってしまった。H谷先生も主治医なので呼んであげようかと思ったが寝かせてあげることにした。駆けつけてみると左眼球は下方注視しており、痛み刺激にも反応しない。呼吸は荒く過換気気味であった。血圧は100前後、HR140-150と頻脈があった。とりあえずホリゾン0.5A ivして様子をみたが改善ないためあと0.5Aを追加投与した。まもなくけいれんは治まったものの呼吸抑制が強まり、血圧低下、SatO2低下が見られアネキセートを併用し何とか急を脱した。1時間程ベッドサイドで観察し、状態が落ち着いてくれたのでとりあえず一時帰宅することにした。現在A.M3:30。眠ろうにも気持ちが高ぶって眠れないため、この文章を書いている。さて朝までどうしようか?明日の業務に差し支えるためやはり少しでも寝ておこ〜っと。おやすみなさい。
4月14日(火)雨のち曇り このところベッドがずっと満床の状態が続いている。その上入院予約が高知県中から1名、くろしお病院から2名、市立宇和島病院から1名、整形外科の手術待ちが1名と合計5名の入院待ちがある。結構頑張って退院させているのだが、なかなかベッドに余裕ができない。嬉しい悲鳴ではあるもののこれはなかなか厳しい現実でもある。社会的入院の患者さんをなるべく福祉のシステムを利用して早期に退院とさせたいのだが家族や患者本人の受け入れがなかなかこちらの思うように運ばない。当院は町立病院でもあり、ある程度そういった福祉では対応困難な症例についての受け入れも業務の一環と考えている。しかしながら特にくろしお病院にはいつも急性期の対応に困る症例をお願いすることはよいのだが、状態が安定して向こうの先生がこちらに返そうとして頂いてもなかなかすぐにこちらが受け入れられず大変心苦しい限りである(A澤先生申し訳ありません)。とにかく今できることは入院させている患者を一人でも多く退院にもっていけるように治療を頑張っていくしかない。救急の対応も考えなければ・・・(このままでは入院させられないぞ???)
4月12日(日)曇りのち雨 朝目覚めてみるとあいにくの空模様で心配したが、午後まで何とか天気がもってくれた。学生のM見君を桂浜、闘犬センター、高知新港、五台山、日曜市と案内したところで雨となり、電話で私の入院患者も今朝から調子が悪いと連絡もあったために早めに梼原に戻ることになった。やはり昨日のうちに四国カルストを案内しといて良かった。梼原に帰ってから「雲の上温泉」でゆっくりとこの一週間の疲れを癒してもらった。明日は松原診療所とその方面の定期往診があり、午後からも総回診や勉強会、症例検討会など盛り沢山に予定が組まれている。この2日間はM見君をあちこちと引っ張り回してかえって疲れを貯めさせてしまったような気もするが、そこはまだまだ若さで克服してくれることだろうと期待している。
4月11日(土)晴れ 院長が復活された。よかった・・・。まだ少し軽い痛みが残っているようだが「もう大丈夫」と言っていたので安心した。院長の回復に伴い、当初からの予定通り今日は学生のM見君を高知観光を兼ねて高知市方面に連れていくことが可能となった。夕方より卒業生有志で初期研修マニュアル作成に関連したフォーマット作りと定期的な勉強会の具体化を目的とした集会も高知県立中央病院で予定されており、M見君を連れて昼過ぎに梼原を出た。明日は雨との予報であったために無謀ではあったが四国カルストを案内してから国道33号線に抜け、伊野I.C.から高知道を使って高知市へ乗り込んだ。M見君は集会の間には市内で時間を潰してもらい、宴会から参加してもらった。2次会では近M病院リハビリ科の石K先生と偶然一緒になって、Y井先生との昔からの関係もあって色々と話をして頂いた。「医療はラグビーである」という言葉を我々に残し去って行かれた。何でも「フォワードが傷だらけ、たんこぶだらけになりながら獲得したボールをバックスに渡し、それを更に皆でパスでつないで最終的に一人がトライにもって行く。サッカーではゴールした者がもてはやされがちだが、ラグビーではトライした者はチームメイト皆に感謝し、サッカーのゴール後のように馬鹿騒ぎせずもくもくとトライしたボールをもって戻って来る。医療はこれに近いチームワークこそが大切なのだ」という意味のようだ。ちなみにこの先生は我々の飲み代を自分につけといてくれと店主に言い残して先にお帰りになられた(本当に申し訳ありません)。何とも男惚れのする立派な先生だった。Y井先生も「あの先生にだけは勝てるとは思わない」と言われる。偉い先生であるにもかかわらず遠くまで幾つもの在宅訪問リハビリを自らがされて、自分の手で寝たきりのお年寄りを自分の家の風呂に入れてあげるそうだ(移動入浴の風呂ではだめだとのこと)。梼原病院にも是非石K先生の教育を受けた理学療法士の先生を紹介派遣して頂きたいものである。石K先生は我々の活動を陰ながら評価しまた応援して下さっているそうだ。我々も石K先生に負けない位の気概を持ってこれまで以上にもっともっと頑張らなければと思った。M見君も「色々な先生と話ができてよかった」と満足そうであった。宴会終了後、M見君を私の実家に招き泊まってもらった。さて明日はどこに連れていってあげようか・・・。
4月10日(金)晴れ 今朝病院に行ってみるとレントゲン室で院長が腹部レントゲンを撮っていた。患者さんの写真ではなく、自分自身の腹単を撮っていたのである。何でも昨日の夜から少しずつお腹が痛かったようで今朝になってその痛みが増強してきたとのこと。幸い画像上イレウスではなかった。血液検査で軽い炎症反応があり、嘔気や下痢はないものの腹痛だけが持続するとのこと。とにかく原因ははっきりしないまま腸管の安静を目的に点滴治療を施行することになった。このため急きょ午前中の外来はY子先生が代診し、H谷先生は予定通り四万川診療所へ出張診療へ、そして私は処方書き、検査、病棟担当となった。たまたま今日のような日に限って50歳台の小脳出血(MLF症候群を伴う)患者が来て画像伝送及び救急搬送をしたり、喘息重積患者の入院があったり、施設から吐血患者が来たり、大腸Fがあったりしてこれに処方やら病棟処置やらでてんてこまいだった。その上病棟の入院患者が誤嚥性肺炎を来し絶食が必要なためIVHを挿入したりと無茶苦茶忙しかった。結局午後の特別養護老人ホームへの出張診療は2時過ぎとなり、帰って来るやすぐに高齢者サービス調整会議が始まって21:30頃まで討論が続いた。今日が仮に昨年までの院長と私だけの内科2人体制であったらと思うとぞっとする。結局院長は今日一日仕事を休まれたがこれは極めて稀な出来事なのである。院長が大事をとる位だからよっぽどしんどかったのだろう。我々も院長をただ放置している訳ではないのだ。院長も医者だし、このまま家で安静を保っていればいいのか、入院加療せねばならない疾患なのかはとっくに判断されていると考えている。院長の1日も早い回復を願う。大したことでなければよいのだが・・・。
4月9日(木)雨 毎週木曜日の夕方からは県立中央病院の肝胆膵カンファレンスがあり、これまでは院長と交代で行っていたのだが、今日は初めて2人揃って参加した。外科のH見副院長は「梼原は大丈夫か?」と心配なさってくれたが、当直はH谷先生にお願いして実習生のM見君も連れて3人で参加させて頂いた。いつも一人でもくもくと運転して行くのだが、私の車に皆が同乗して行ったので道中退屈することもなく、あっという間に往復できた気がした。どうやったら渋滞を逃れて早く高知へたどり着けるかという裏道談義で結構盛り上がった。カンファの途中で外科のH見副院長がM見君の自己紹介の時間までとって下さり、この調子だと来週までも参加させられそうな雰囲気だった。終了後、院長にラーメンをおごってもらって帰宅したのは23:30であった。M見君は途中位から熟睡していた。慣れない土地で目新しいことばかりに触れて少々疲れも出てきた頃だろう。しかしながらまだ半分も終わっていない。がんばれM見君!!
4月8日(水)雨 学生実習に来ているM見君を午後往診に連れていった。2軒の家庭へ連れて行ったのだがいずれも脳出血後遺症のために寝たきりとなり、嚥下障害のためPEG(内視鏡的胃瘻造設術)で栄養管理が続けられている。しかしながらいずれの家庭も介護者が在宅で非常によく頑張っておられ、患者さんのケアに努めて理想的な在宅療養を続けておられる。今回は学生さんに介護者から日頃から気をつけていることや苦労している点、昔と今の福祉・医療体制の違いなどについて色々と話をして頂いた。私としても在宅でこれだけのことが実際にできているということを少しでも分かってもらえたのではないかと思う。夜には医者とその家族でM見君の歓迎会を催した。実習中には多少固さも見られていたが、少しはこれで打ち解けてくれただろうか?我々が学生時代には地域実習先の先生に「明日の実習は考えなくていいから遠慮なく気を失うまで飲みなさい」と激しく飲ませて頂いた記憶も蘇ってくるが、今のスタッフは皆結構おとなしくてM見君にとっても昨夜はほどよい程度のお酒だったと思う。今週末には高知市内で卒業生医師の集まりがあってその後の飲み会の方へ連れていこうと思っている。我々以外の先輩医師とも交流を深めてもらい、その場ではもう少し飲んでもらうことになるかも知れない(私と同期のK村先生も一緒なのでほどよい程度という訳にはいかないだろう)。翌日の日曜日は主な観光名所にも連れていく予定だが、私にしてみれば車で「げろ」しない程度に飲んで欲しいと願っている。
4月7日(火)晴れ 今日は私にとって四万川診療所の最初の診察日となった。午前中だけの診療だったが、中には梼原病院でかかっている患者さんも1/3位おられて病歴と処方をFAXで送ってもらったりしてなるべく処方内容を併せるよう対応した。職員は看護婦さん1名と事務員1名、事務長1名のみで、看護婦さんに採血や点滴の指示を出すとしばらく外来を止めてあげなければならず病院とはまた違った時間の流れがあり、これから除々に慣れていかなければと思う。最終的には処方・診察併せて36名だったようだが、まずまずの滑り出しだと考えている。これから梼原病院に定期受診されている患者さんで四万川診療所の方へ返せる患者さんはなるべく返そうと考えている。今日来院された患者さんに四万川の奥の方に住んでおられる女性がいた。彼女はお母さんを梼原まで連れていくのに午前中はバスを使い片道1時間はかかる。午後はたまにバスに間に合わなくてタクシーでしか帰れないことがあるとのこと。この場合には往復で1万円以上かかってしまうようだ。このケースは相談の上、脳CTや胸部X-Pなど必要な検査がある時のみ病院を受診させ、定期診察・処方については四万川の方でということにしてあげた。結構こういった患者さんがまだまだ残されており、気づいた段階で指導だけでもしてあげようと思っている。梼原病院開設に伴って町外に出ていた患者が戻ってきたように診療所の方にも戻って来てもらえるよう我々自身も努力しなければならないと思う。午後には梼原病院に帰り、午後の外来診療にあたった。そうなのである、火曜日は唯一1日中外来のある日となったのである。こんな日は病棟を廻るのが早朝か昼休み、夕方となってしまうので他の曜日と比べると入院患者に対しての対応はおろそかになりがちだが、この4月からはH谷先生、Y子先生もいるのでその点が大きく違っている(う〜ん心強い!!)。夕方からは事務関係者の役割分担についてカンファレンスがあった。出張診療がまたまた増え、職員の配置転換などがあったため、仕事量も増加して事務の方々からは悲鳴にも近い意見が幾つか出された。一つ一つの機構改革に伴い、内部職員の仕事も大きく変化する。我々の気づかない問題も多々あり、解決していかなければならない問題も多く出てきた。今後もこの会は継続されるようだが、院長ともどもこういった会を通して事務関係者への気配りも忘れてはならないと感じた。
4月6日(月)雨 昨夜からしとしとと雨が降っている。この雨で満開の桜も残念ながら散ってしまうだろう。薄い桃色のきれいな桜の花の間から新緑の葉が所々顔を出していて、この雨が上がったらまた一段と暖かくなるだろうなと思った。今日自治医大5年生のM見君という沖縄県出身の学生さんが地域医療実習のためやってきた。沖縄県の人らしく目鼻立ちがしっかりしていて少しおとなしい印象があった。今日は早速午後の回診や勉強会、症例検討会などに出てもらった。これから10日間の実習のようだが、これだけの期間があれば結構色々なことが体験してもらえるだろう。出張診療、往診、高齢者サービス調整会議、ケアプラン、外来診療、検査、当直、保健婦さんの訪問など学生時代なら私自身も受けてみたい程の充実した内容である(ちなみに高知県の施行している夏期の学生実習はわずか3日間しかない)。院長が早速学生さん用のスケジュールをしっかりと組んでいた。明日は早速早朝から病棟の採血・点滴処置を行うようである。M見君しっかりと頑張って実りのある10日間の実習にして下さいね。あさっての水曜日には歓迎会の予定もすでに入っているようだし・・・。若い学生さんをみているとついこの間まで自分もそうであったかのように錯覚を覚えるが、すでにもう7年もの歳月が経ってしまっている。自分が学生時代に地域で頑張っている先生達を見てとても偉い雲の上のような存在であったのに、今その立場に自分達がたっているのが少し不思議な感じもある。果たしてこの学生さんの眼には我々が同じように映ってもらえるのだろうか?我々自身も試される10日間ともなるだろう。さあ頑張っていこ〜おっと。
4月5日(日)晴れ 今日四万川診療所の採用薬について自分なりに薬効別に分類して表にまとめる作業をした。中には聞いたことがないようないわゆる「ゾロ」と呼ばれる薬剤が多く、血圧や胃薬、消炎鎮痛剤に関しては梼原病院とほとんど変わらない位、多くの種類の採用があった。毎年のように医師が交代してきた診療所だけあってそれぞれの先生に好みの薬があり、やむを得ないとはいいながらもかなりの在庫が倉庫に眠っている。院長とも相談してなるべく梼原病院の採用薬に合わせていくようにする方針だが、とりあえずは今の在庫を使い切ってからということになろう。数種類の薬剤については「こんな薬は切ってもいいでしょう?」と事務担当のE子さんに聞いてみると「ただ一人この薬だけが欲しくて何年も来ているお年寄りがいるんですよ」などという特別な思い入れの入った薬も幾つかあってその辺は融通してあげなければと考えている。定期の往診患者も9名ピックアップして訪問看護および往診の手配もした。梼原病院から処方していた患者が5名含まれていて、彼らは次回より四万川診療所からの処方に変更していく予定である。現在病院の北に医師官舎が2棟建築中なのだが、これは今度4月から当院へ変わって来た整形のK川先生と内科のH谷先生の家なのである。従って今はK川先生ご夫婦は取り壊されようとしている旧整形医師宿舎に生活されていて、家の完成とともに再度引っ越しをしなければならない。H谷先生も病院の当直室に引っ越しの荷物を沢山置いている。おととい事務のS元さんに「4月中旬頃にはに完成しますかねぇ?」と聞いてみると「いやぁ〜、たぶん無理でしょう。」と答えていた。K川先生、H谷先生ごめんなさいね。梼原町は結構一夜漬けが多くて、病院隣りの保健福祉支援センターもオープン前日に建物周囲の駐車場を舗装したりしている町なのです。今回はさすがに間に合わないと思っていたけどこんなにずれ込むとは・・・。さて予定の4月中旬頃の完成はあるのだろうか?毎朝、新官舎の出来上がり具合を確認するのが最近の楽しみの一つなのである。
4月4日(土)晴れ 今日はH谷先生が当直なので午前中ゆっくりと病棟を回診してからどこかに買い物にでも行こうかと思っていたら救急車が10時過ぎにやって来た。78歳の女性が突然左半身麻痺を来したということだった。カルテをみてみると基礎に心房細動があり、松原診療所で抗血小板療法が続けられている患者さんだった。意識は清明だが、嘔吐をしており、左下肢は完全麻痺を呈していた。脳CT上まだ明らかな梗塞像は呈していなかったが、一部浮腫や脳室圧排像など脳圧亢進症状を示唆する所見も出始めている。発症してまだ3時間しか経過していない。家族と相談して脳外科に画像伝送をしてコンサルトしてみることにした。今回のケースは臨床的には明らかに脳塞栓症であるが、高齢であるために保存的な治療をと指導される場合もあると考えながらも、専門医の意見に望みを託した。幸い脳外科の先生は「アンギオを施行してみてやれるだけやってみましょう」といって下さった。こういった場合、家族のみならず我々主治医側としても大変ありがたく思う。まさに画像伝送による連携プレーの賜物である。是非血栓が除去されることを祈りつつ救急車で患者さんを送り出した。今日はH谷先生が初めて自分で画像伝送を最初から終わりまで担当した。もちろんそばで私と院長がついてのことではあったが、これで次回からは彼独りだけの当直の時でも画像を伝送してコンサルトをすることができるようになった。このように我々は日々患者さん達に指導され、育てられているのだと改めて感じた。
4月3日(金)晴れ 今朝私が仕事に出ようとすると院長の奥さんから嫁さんに電話があって「一緒にお花見でもいかがですか?」という内容だった。今度新しくこちらに来られたK川先生の奥さんも誘うことになり、その伝言役を急に頼まれた。K川先生が外来をされている最中にこそこそと入っていって「実はうちの嫁さんからなんですが・・・」とK川先生の奥さんに伝言をお願いした。どうやらうまく話がまとまったようで、午前10時半頃から13時頃まで近くの太郎川公園へと奥さん連中が皆揃ってお花見に行って来たようだ。奥さん同士和気あいあいと仲良くなれたようでなかなかよい企画だったと思う。今、ここ梼原では桜が満開で太郎川公園は梼原で一番桜がきれいな場所でもある。しかも今日は雲一つない絶好の晴天にも恵まれて羨ましい限りであった。春休みということもあり、よそから来た子供達が大勢遊びに来ていたようでうちの優駿(まさとし)はその子供達と意気投合して遊びまくっていたようだ。帰り際には「もっといたい」と泣きわめいていたようだが、この調子だと保育園でも沢山の友達と何とか楽しくやってもらえるだろうと少しホッとした気分にもなった。4月6日はいよいよ優駿の入園式だ。桜、入園・入学式、菜の花畑、小春日和、職場の新しい顔ぶれ・・・と、どれもこれもがまさに「春本番」を肌で感じ取らせてくれる。今日は梼原の長い冬の終わりを告げてくれたような、そんな爽快な一日であった。やっぱり春っていいなぁ・・・とつくづく思った。レセプトも今晩で終わったし当直でもないし・・・ということで今夜はゆっくりと眠れそうだ。そんなことを考えていると眠くなってきた。おやすみなさ〜い。
4月2日(木)晴れ 4月から四万川診療所が出張診療になったことでこちらの診療所の方にも目を向ける機会が増えるようになった。今日の午後、一緒に担当するH谷医師とともに診療所を訪れ、これまで梼原病院で往診していた四万川方面の患者さん宅をH谷医師の紹介も兼ねて順に各家を訪問した。というのも4月からはH谷医師が主にこの地区の往診を担当するようになるためである。しかしながらどこの家でも私がどこかに転勤するための挨拶だと勘違いしたらしく、表情が少し暗い感じもあったので思わず「一緒に診させてもらう先生ですよ」と紹介した。私も「もうこれで往診には来ません」とはなかなか言えなかったのでこのような表現となってしまった。そこで四万川に出張診療に行った便でその帰りがけにでも往診という形ではなく、時々はお宅を訪問してお茶でもご馳走になって来ようかなどとも考えている。梼原に来てはや2年間が経過したが、毎月ずっと往診に行っていただけにこのままお別れするのも少し寂しいのでそのような形でH谷医師とともに関わって行きたいと考えている。現在この診療所での勤務に関して難点は診療所が梼原病院とは独立した別会計であるために、病院の点滴や薬剤を自由に使えず、独自で用意しなければならないことである。同じ町内の診療施設なのでその辺が融通が効くように今後なっていければいいなと考えている。今日診療所で調べただけでも無診察で何年間も投薬のみだった患者さんが数名おられて、いずれも身体が不自由だったり、交通の便がないための理由があった。このようなケースについては積極的に往診に出かけるようにしたい。今年の四万川診療所のキャッチフレーズは「フットワークのよい診療所を目指す」である。是非実現化させたいものである。
4月1日(水)雨 今朝7:50から役場の朝礼があり、本日付けをもって新しく梼原町の職員となる若々しい新人の方々の紹介があった。地元の高校生をはじめ、東津野村の出身の方もいた。中には高知市出身で高知大学を卒業されて梼原に憧れて就職された女性もいて思わず感激してしまった。このような場に出るとつくづく「初診忘るべからず」の言葉を改めて実感する。新人の意気込みに負けないようマンネリ化に注意して頑張らねばと思った。今日の午後に胆石が胆嚢管へ嵌入し閉塞したために急性胆嚢炎を来して入院している患者に対してPTGBD(経皮的胆嚢ドレナージ術)を施行した。WBC20000、CRP20と炎症反応も強く、エコー上胆嚢腫大が著明で、しかも右季肋部痛の症状も強かったため実施に踏み切った。手技は院長が行ったが今回も見事に成功した。院長は県立中央病院放射線科のM田先生からPTCDやPTGBDなど放射線科で修得された各種手技に関してノルマを与えられており、年末までにそのノルマが達成されるとM田先生宅で年末「くえ」パーティーに招待される権利を得るらしい。昨年はそのノルマを見事達成されて「くえ」にありつけたようだが、今年は更にノルマがきつくなったとのこと。この調子で是非今年もそのノルマを達成して頂きたいと思う。私も陰ながらお手伝いさせて頂きます。夕方には四万川診療所の運営方針について関係者を集めて議論を交わした。いよいよ明日から出張診療が開始される。患者の動向が楽しみだ。今夜からレセプトが始まったが、PM7:00より日本代表サッカーの日韓戦があるために院長に冷たい視線を浴びながらも一足先に帰宅させてもらった。残念ながら日本が2−1で負けてしまったが、是非本番のW杯では頑張って欲しい。明日の夜院長は高知へ研修に行って不在なので、今夜さぼった分を取り返すべく、レセプトチェックに励もお〜っと。