日々の何気ない出来事を思いつくままに綴ってみました・・・

          

5月30日(土)晴れ 今日はP.M.16:00から自治医大卒業医師による第1回勉強会が県立中央病院講堂で行われた。これはへき地医療センターのY井、I東両先生が企画したもので、日頃なかなか顔合わせや情報交換ができない我々に対しての配慮もあってのことだった。勉強会の基本的な骨格は1〜2名が興味を持っている話題や疾患について勉強してきてそれを発表するというもの、嶺北・大月・梼原など各医療施設での興味深い症例報告、最後に県や我々の組織の新しい動きについてY井の方から教えて頂くというものだった。結構卒業生が予想以上に多く参加していたのでびっくりしてしまった。ちなみに施設別人数でいうと嶺北2、大月1、梼原2、吾川1、本川1、大川1、土佐山1、馬路1、葉山1、十和1、県中5と以上17名の参加があったと思う(抜かっていたらごめんなさい)。これは高知県の卒業生の勤務する医療機関のほとんどが参加していて大変有意義な会だと思う。今後も2ヶ月に1回を目指して継続するように努力するとI東先生がおっしゃっていたが、是非続けて頂きたいと考えている。勉強会の終了時間も予定より1時間以上も延長してしまうほど内容も充実していてあっという間に時間が過ぎてしまった。特に土佐山のM田先生がプレゼンテーションしたEvidence Based Medicineに基づいた高脂血症の話は大変興味深かった。勉強会終了後には10名以上が残って市内へ飲みに繰り出した。県中で後期研修中のI上先生からプロジェクトF(FはFishingから来ているようだ)の提案なども出され、今後こういったレクリエーションの方面までうちの組織が仲良く発展していけるようになればこれはまさに「理想的な組織」といっても過言ではない。是非今回の勉強会やこのプロジェクトなどを通じてもっともっとお互いの意思疎通を図っていければと思う。今日の会はこれまでのうちの県の集まりとは全く雰囲気の違うアットホームな印象を受けた。次回も是非参加したいと考えている。Y井、I東両先生お疲れ様でした・・・

5月28日(木)曇りのち雨 今日の午後は院長と2人で四万川交流センター、四万川診療所開設式に参加した。玉串の儀やもち投げ、テープカット、鏡開きなど色々とやらせてもらった。よく考えてみれば自分の肩書きは四万川診療所の所長ということで本日の主役の一人であったのだ。診療所内にも多くの医療機器が搬入され、6月からの開院を待っている段階となった。診察室には何と新たにエコーが設置されている。というのも吾川村大崎診療所のO先生の計らいで、最近エコーを買い換えたために使用しなくなったエコーを四万川診療所に期限なしで貸し出して下さったのだ。さすがに異なる自治体間の物品のやり取りだけにそのままこちらが譲り受けるまでには至らなかったようである(O先生、本当にありがとうございました。大切に利用させて頂きます)。また診療所では違和感なく使用していた患者さん用の待合いの長イスだが、破れたところをガムテープで覆い隠していて、新築の診療所では異様な感じで浮いていた。視察に来られた議員さん達からも「こんな椅子は早う処分しなさい」と関係者に指摘されていた。役場の関係者に聞くと「こうやって展示しておくと地区の方から改善に必要な経費が出てこの長イスも自然と新しいものに変わります」ということだった。何だか哀れな姿を見せてお金を乞うような姿勢で恥ずかしい気持ちがした。とにかくそんな補助などなくてもすでにエコーやレントゲン機器の節約で1000万円以上は経費削減をしているので長イスくらいは新規に購入させて頂こう。そして日常診療でも患者サービスを心がけて昨年の大赤字を少しでも減らして、また必要な物は買い揃えていこうと考えている。続いて行われた祝賀会でも多大な返盃による歓迎の嵐に思いっきり酔っぱらってしまった。時間も忘れて地域の住民の方々と喋りまくって、助役や院長達には置いていかれてしまった。後発のバスの便で送って頂き帰宅すると同時に意識が無くなってしまった・・・・。四万川のためにまた頑張ろうという気持ちが高まったそんな一日だった(これって行政の思惑通りなのかな???)。

5月27日(水)晴れ 今日午後に板金に出していた車が修理されて戻ってきた。さすがは板金屋さん!!専門の枝術であれだけ凹んごいたボディがあたかも何事もなかっかのようにきれいに復活させていた。同じ誤ちを繰り返さないようこれからは用心して車に乗らなければと改めて感じた。今回のように痛い目に会うとしばらくはよいのだが、またある程度長い期間が経ってくると次第にその気持ちが薄れて来てしまい、丁度そんな頃が一番事故に遭い易い。今回もまさにそうだった。教習所でも若葉マークのドライバーよりもある程度目身のついた3〜4年目が一番事故を赴こし易いという話を聞いたことがある。「油断大敵」「初心忘るべからず」まさに医療に従事している日常にもあてはまるといえる。今回の件で嫁さんにもしかられるわ、小遣いは飛ぶわ、皆に笑われるわで、自分を戒める非常によい機会であったと思う。反省・・・。そんな嫌なことがあった代わりに朗報もあった。というのも婦長さんから火曜日の四万川診療所の手伝いに看護婦さんを一人まわしてもらえる旨のお話を頂いたのだ。院長も婦長さんがよければということで許可も頂き、早速事務長にも伝えた。事務長も「それはベリーグッドですねぇ」と手放しで喜んでいた(多分給料の心配をせずに働いてもらえるからであろう)。現在、当院にも四万川診療所のスタッフが週に2回ずつ手伝いに来てくれているので、その分「おあいこ」ということで事務長と一緒に納得していた。いずれにせよ、6月からの四万川診療所リニューアルオープンに向けて何よりも心強い追い風となることは間違いない。さて明日は診療所の開設式だ。院長と一緒にもち投げをやらなければならないし、返盃の嵐にも負けないようにしなければならない。明日は当直をH谷先生に代わってもらった。もう準備は万全である。

5月26日(火)晴れ 四万川診療所は築30年以上の古い建物である。木造で老朽化が目立ち今にも倒れそうな感じがある。昔はここで盲腸などの手術もなされていたようで、給食室や手術室も備えられているが今に幽霊でも出てきそうな雰囲気があり、当然現在では閉鎖されたままである。その診療所が6月1日よりリニューアルオープンする。現在四万川診療所から川を挟んだ向かい岸に「四万川交流センター」が建築され、その一部に診療所が含まれている。ここに診療所が移転するわけである。その開設式が明日執り行われ、私と院長が出席させて頂く予定となっている。診療所機材や薬剤、カルテなどの運び出しなど色々と大変で、本日の外来をもって現在の診療所は閉鎖される。ということで今日はしばらく診療所が閉鎖されるということで外来の混雑が予想され、院長に相談して薬剤師のH君を連れていった。午前中だけで診察28名、投薬26名の計54名という数字だった。H君のお陰で何とか正午までに仕事が終わり、午後の外来まで少し昼休みもとることができた。来週の6月2日(火)は新診療所の開設初日となるのだが、1週間休みになった明けの日だけに今日以上の混雑が予想される。今から事務の方々にお願いして薬剤師のH君につばつけとこお〜っと。まぁこのように町内の医療施設どおしで人材交流することは悪いことではないと思うし、今日も四万川の実態を薬剤師のH君に知ってもらえただけでも意義があった。またH君自身も「違う雰囲気の所で仕事をするのは気分転換にもなってよかった」と感想を伝えてくれた。とにかく四万川・松原の診療所が出張診療となり、一つにまとまったからには「施設間の壁」みたいなものは取っ払ってもっと自由な人材交流(引いては薬に関しても)を目指すことも大切なことだと考えている。

5月25日(月)曇りのち雨 今日は病院に行くと整形のK川先生に女児誕生の噂でもちきりだった。帝王切開だったそうだが、母子共に健康で何よりであった(K川先生おめでとうござさます!!)。しかし梼原に来た先生は皆女児に恵まれるというのはどうやら本当らしい。これまでO先生、H野先生、K崎先生、院長、私、そしてK川先生とずっと皆女児に恵まれてきている。地元の人達は「梼原の水がそうさせている」と言っているが、女児に恵まれたい人は是非梼原の水を嫁さんにしばらく飲ませてみることをお勧めする。医学的根拠はないのだが、確率的には非常に高いものがあると思う。午前中外来で出血性梗塞の患者が来院したが、ベッドが満床であったためにくろしお病院に紹介した。これまでは何とかベッドをやりくりして入院させてこれたが、今日だけははさすがにどうすることもできなかった。今のところ29日に一人退院の予定が入っている。う〜ん、まだまだベッドのやりくりに泣かされる日々が続きそうだ。

5月24日(日)晴れ 今日はW杯までの日本での最後の公式試合である日本対チェコ戦があった。結果は引き分けだったが、あのチェコと引き分けるとは大したものだと感心した。試合自体も日本が優勢だったし、W杯でも善戦が期待できそうだ。今日は朝からずっと子守りをしてものすごく疲れた。これなら日常診療で忙しくしている方がまだずっとマシだと思った。でも最近少しずつ下の娘が私になついてきているのが感じられる。しかしながらW杯で約1週間岡山の実家に預けたら、嫁さんはまだしも私の場合はまた顔を忘れられてしまうだろうなぁと少し虚しさも感じてしまった。それにしてもうちの嫁さんはパワーがあって、7月に予定されている四国カルスト高原マラソンに参加する(当然私はその日子守りを担当する)ことが決まってからというもの、子供達を寝かせた後に真っ暗な夜道をもくもくと走っている。先日も雨の日だったが、かっぱを着て走っていた。高知市に買い物に行っても市内にあるグランドで走っていた。私はたった1日子守りをしただけでへばっているのに嫁さんのパワーは一体どこから来ているのだろう? また逆にこのパワーがなければ子供達を世話できないともいえよう。嫁さんにはマラソンを頑張って欲しい。多分昨年の私の記録(全く練習無し)は簡単に破られるであろう。私は代わりに子守りを頑張るから・・・(何か変????)

5月23日(土)晴れ 今日は今年最初の胃精検の日だった。胃精検というのは胃検診で異常のあった方や毎年ポリープや潰瘍、術後などで定期的に追跡されている患者さんを対象に40-50名を一度に集めて施行される。そのため内視鏡医を他院から2名招き、当院からも1名加わって計3名で分担する。今日はT南病院からT岡先生、K反田消化器内科からはY光先生が来られた。2人の先生はいずれも胃カメラ検査がスピーディで次から次へと検査をこなされ、こちらがびっくりする位に速い。当院からは院長が検査に入った。今日は対象者が通常よりも多くて57名いたが、約2時間であっという間に終わってしまった。結果はY光先生が20名、T岡先生が18名で、うちの院長もこの先生方に負けず劣らず19名といずれも恐るべきスピードである。これは患者1名に対して120分/平均19名で平均6分30秒、患者の交代時間を平均1分としても患者1名につき5分足らずで検査を終わらせている計算となる。凄すぎる・・・。それともう一つ驚いたのはT岡先生がベンツ500SLの2シーター(新車)に乗って来られていたことだ。何でも前に乗られていた白のポルシェも手放してはいないそうである。T南病院に移られてからのT岡先生の活躍ぶりを示唆するかのような実に格好いい車であった。せめて帰り際にでもエンジン音を聞かせて頂こうと思っていたが病棟の創処置と重なってすれ違いとなってしまった。残念・・・。また次回のお楽しみということにしておこう。

5月22日(金)晴れ 今日の昼休みにT田製薬のH松さんが先日薬剤の効果が認められないとの理由で厚生省から不認可となったAという製剤の回収およびその情報提供のために来院された。このAという薬は脳梗塞後遺症患者に対してこれまで投与されていたのだが、彼の話によるとT田製薬では年間で250億円もの損失となるとのことだった。この損失補填のために約2000人のリストラが噂されているとのこと・・・。今回の話はT田製薬のAだけではなく、他にも数種類あり、この話からも厚生省では医療費として年間推定1000億円程度の経費節約が得られる訳である。今後こういった話は他の薬効を持った薬剤でも当然起こってくる話であるに違いない。製薬会社にしてみればまさにビックバンに相当する。恐ろしいものだ・・・。また先日新築されたK川先生・H谷先生の医師住宅の件で何と駐車場に車が置けない事態となっている。というのも裏にある前任のT田先生が住んでいた医師官舎が取り壊しの予定であったのだが結局Y子先生の住宅として残されることとなり、用意された2ヶ所の駐車場の進入道路が極めて狭くなり、軽自動車しか停められない事態となってしまった。先日の電話工事といい、今回の駐車場の件といい全くずさんな工事である。H谷先生の家にはまだカーテンレールも付いてなくてカーテンをガムテープで貼り付けているとのこと(H谷先生は本当に我慢強い)。K川先生の奥さんが今出産のために実家に帰られているからまだいいものの、こちらで生活されていたら絶対に怒っているだろう。それにY子先生もまたまた引っ越しということでこれまたお気の毒としか言いようがない。独身だけに日常業務もあって掃除やら片付けやらなかなか思うように進まないだろうし、また1から出直しといったところか?まあY子先生には病院が近くなって当直が楽になると思って納得してもらうしかないだろう。でも無駄になった2ヶ所の駐車場はどうなるのだろうか?雨の日の物干し位しか価値は見い出せない。全く哀しい現実である。

5月21日(木)晴れ 業務が終わって県立中央病院へ肝胆膵カンファレンスに出掛けた。なんでも他の場所で消化器疾患研究会があるとのことで開始時間が遅れるためにP.M.20:20頃に到着するように行った。大会議室でいつも行われるため様子を見に行くと、院長室からT院長が出てこられて久しぶりにご挨拶をした。廊下で話をしていたせいもあってH見副院長が我々の声を聞きつけ、今度はH見副院長の部屋に招かれてしばらく話をした。H見副院長の部屋にはPower Mac4400/200が設置されていてディスプレイには所狭しとアイコンが並べられていた。今度高知医大で臓器移植について講義されるとのことだったが、その講義のために作成したファイルがハードディスクのどこに置いたか分からなくなったとのことで一緒に検索して無事発見できた。その後に3枚のJPEGファイルを開いて下さり、見ると四国カルストに奥さんとお母さんと3人で写っていて先日のゴールデンウィークに遊びに来られていた時の写真であった。梼原からすぐ近くの「高野」という場所から四国カルストに向かう大規模林道を通って行かれたとのことだった。すぐそばまで来られていたのでびっくりしてしまった。6月に入ると四万川の方できれいな蛍の乱舞を見ることができることを伝えると「時間が空いてたら是非見に来たい」とのお返事だった。日頃お忙しい先生だけに難しいかも知れないが都合がつけば是非ご招待差し上げたいと思う。院長共々お待ちしております!!そんな話をしている内に各先生が病院に帰ってきてカンファレンスが始まった。このカンファが学生のN山君にとって梼原病院が課した最後のスケジュールとなった。今夜は高知ワシントンホテルに宿泊して明日飛行機で帰る予定となっている。いずれまた当院の研修に対する感想文が送られてくるだろう。あっという間の10日間だったがN山君にとって少しでも糧となるものがあったとしたら幸いである。研修お疲れ様でした。卒業試験、国家試験に向けてまた頑張って下さい。

5月20日(水)晴れ 今日はH谷先生とK川先生の家にめでたく電話回線が引かれたお祝いにそれぞれの持っているパソコン(いずれもMac)にインターネットを接続してあげた。今日のことを考えて2人ともInforyomaに入会してもらい、K56(flex)型対応モデムも購入してもらっていた。Inforyomaは須崎市にK56(flex)対応のアクセスポイントを有し、電話代のことを考慮しての選択だった。IDとパスワードもすでにもらっていたので早速接続に至った訳である。院長から頂いたMacOS8.1のインストールも完了し快適にインターネットへの接続ができるようになった。薬剤師のH君もこの2人と一緒にインターネットを始めた。彼は電話回線を持っていたのですでにインターネットを始めている。今メールのやり取りを学習しているところだ。これで梼原病院だけでインターネット仲間が3人も増えた。レントゲン技師のY本さんも時間の問題であろう。こうやって職員は皆、院長の色に染まっていくのである・・・。

5月19日(火)晴れ 今日は四万川診療所も34名と午前中の外来数が先週の約半分になっていてP.M.12:30頃に外来が終了した。昨日の約束通り雲の上温泉に「きじそば」を食べに行こうとN山君を連れて行ったが何と火曜日は定休日であった。地元の人間とは思えぬ醜態を曝してしまった。やむなく色彩々(いろとりどり)という和食屋さんに食べに行った。何でも昨日は院長に松原診療所への出張診療の帰りにこの色彩々(いろとりどり)に寄ったが定休日で雲の上ホテルに変更したとのこと。結局院長が連れて行きたかったお店に私が案内できたのでとりあえず言い訳ができた。明日こそは昼休みにでも「きじそば」を食べに連れて行ってあげよう。今日の午後N山君はヘルパーさんと保健婦さんに付いて訪問を体験した。地域の様々な職種の方々の活動ぶりを知ることも大切な勉強の一つである。家に帰ってみるとW杯観戦ツアーのオプショナルツアー案内が来ていた。リヨン周辺の観光、スイスのモンブラン観光、パリ観光などがあった。パリ市内は混雑が予想され、移動のためのTGV(日本の新幹線にあたり全席指定)の予約席確保が困難な場合もあるとの記載があった。我々の宿泊予定のリヨンからパリまでTGVで片道2時間を要するとのこと。何とか座席を確保して頂きたいものだ。臨時便の増発もあるとのことでまだまだ可能性は残されている。近畿日本ツーリストの方でこちらの予算に応じてトラベラーズチェックの用意までしてもらえるようだ。やっぱり大手の旅行代理店にしてよかった。いよいよあと1ヶ月に迫った。少しフランス語も勉強しないといけない。日本語で文章を入力すればフランス語で機械がしゃべってくれる便利なポケット型の自動翻訳機があるようだが、このことを嫁さんに話すとまたかんかんに怒っていた。車の板金が済むまではしばらく嫁さんの前で買い物の相談をするのは止めておこう。

5月18日(月)曇り 最近外来患者さんでやたらと他人に物をあげたがる方が一人いる。病院では結構有名な方なのだが、こちらが要らないと拒否すると大変ご立腹となるのである。これまで受け取った物を挙げると石鹸、芳香剤、バスクリン、割り箸、巾着袋、歯ブラシ、歯磨き粉、芋、レモン、ビール用のコップ・・・etcなどと日用生活雑貨が中心で、こちらも正直困っているのである。今日も院長をはじめ職員の方々に笑われてしまった。我々に品を渡す意図もいまひとつで、かつ品の選別にもあまりにも脈絡がなくって理解に苦しむところがあるからだろう。しかしながら私と外来のN村看護婦さんはいつもにこにことして「ありがとう」とにっこり微笑むのである(これって贈収賄にはならないよなぁ)。夕方仕事が終わってN山君を雲の上温泉に連れていった。こんな山奥の町にこのような温泉があって正直びっくりしていたようだ。明日は四万川診療所への出張診療へ付き添う予定となっている。PM12:30までに外来が終了すれば雲の上温泉で「きじそば」をご馳走してあげる約束としているが、さて明日の患者さんの動向はいかに・・・???

5月17日(日)晴れ 昨日からは嫁さんの実家がある岡山へ来ている。市内のデパートの立体駐車場でガードレールに車のリアボディの一部とテールランプをぶつけてしまい、板金屋さんのお世話になるはめとなってしまった。少し位の傷ならば我慢するのだが、結構目立つ所にそれなりの凹みができていたので修理せざるをえない。他人の車にあてたり、人身事故でなくてよかった・・・。これもよい社会勉強の一つだと自分では無理に納得しているものの、嫁さんはかんかんである。久しぶりに何か嫁さんに家計費からやりくりしてもらって夏用の服の一つでも・・・と思って喜び勇んでデパートにやって来た矢先だっただけにあまりにも悲惨である。そう、当然何も買ってくれる訳はなかった。服の購入に充てる予定だったお金は板金屋さんの懐へと転がり込む運びとなっている。嫁さん、本当にごめんなさい・・・。

5月15日(金)曇りのち雨 今日のN山君は午前中私の検査、病棟の褥瘡処置、D型デイサービスわだじまの定期診察についてもらい、その合間をぬって整形外科K川先生の外来を見学した。昼休みには夕方からの高齢者サービス調整会議に備えて梼原町の福祉サービスの概要やカルスト会の位置づけ、病院との関わりなどを理解してもらうための講義を受けてもらい、午後には特別養護老人ホーム「ふじの家」の出張診療についてもらった。施設看護婦のM内さんはN山君の出身県である茨城県に約20年住んでいたこともあり、茨城のローカルな話題も飛び交っていた。施設見学の後にB型デイサービス「ふじの家」の施設見学も行った。施設担当者が今後導入される介護保険によって今までの健康老人の集まりではとてもやっていけず、参加者も選択されて今のような利用はなくなるだろうと悩みや問題などをN山君に話てくれた。また特老などの施設も介護保険による措置費の負担割合の違いなど今後様々な変革がなされてくることも施設担当者から話してもらった。病院に帰ってからは左下肢の難治性多発性褥瘡患者の下肢血管造影に実際に入ってもらい高度の動脈硬化による動脈閉塞による画像所見を生で体感してもらった。N山君の術着が汗だくになっていたのが印象的だった。その後高齢者サービス調整会議に参加してもらった。この会議は病院から医師、婦長、施設から園長、指導員、行政から保健婦さん、福祉支援センター担当者、福祉・保健・健康増進担当者、社会福祉協議会からはヘルパーさん達が一同に揃って高齢者の個々のケースに関して検討する場である。月に1回定期的に開かれている。例えば特別養護老人ホームや養護老人ホーム、老健施設などの入所判定、ヘルパー派遣や移動入浴サービス、ショートステイ利用券交付、介護手当の認定など内容豊富な町内在住の高齢者に対するケース会議なのである。まだまだこれだけでは終わらない。19:30過ぎ頃にこの会議は終了し、簡単に弁当を食べた後に医師と婦長、保健婦さん達、福祉支援センター担当者が居残ってまたさらに深く突っ込んだケースカンファがあり、こちらにも参加してもらった。この意見交換会では検診のひろいや個々のケースの診断・治療方針・予後について話し合いを行いこれがP.M.22:00少し前に終わった。これで今週の日程は全て終了した。まだまだ来週も2ヶ所の出張診療所見学や1日ヘルパーさんとして実際に患者の送迎から入浴サービスなどを実際にやってもらう体験学習など盛り沢山の予定が組まれている。若さと体力で乗り切って欲しいと思う。頑張れN山君!!

5月14日(木)曇りのち晴れ 今日のN山君は午前中外来診察について、合間に外来検査の見学をした。午後は身体障害者施設「みどりの家」の出張診療に行き、施設見学もした。その後定期往診に同伴し頸椎損傷で寝たきりの患者さんの在宅療養の実態を見てもらった。帰院後にはALSで在宅寝たきりの患者さんに対するケースカンファに参加した。昨日の東津野村保健婦さんとのカンファレンスや明日の高齢者サービス調整会議などでも分かるように当院での福祉・保健分野との連携やそのフットワークの良さを実感して欲しい。学生さんはついつい臨床実習となると外来や病棟、検査などの医療手技などについつい目を向けてしまいがちだが、ここは大学病院でも県立病院でもない。地域病院の担う役割は臨床だけでは事足りないこと、福祉・保健分野との連携が不可欠であることなどに是非とも気づいてもらいたいと思う。その後夕方になって休む暇もなくそのまま高知県立中央病院の肝胆膵カンファへと突入した。深夜の高知市までの往復はさすがにこたえたと思うが、明日は当然通常業務が待っているのだ。日頃の我々の仕事ぶりを体験してもらって、医者も体力が必要なのだということが実感してもらえたことだと思う。週末にはバトミントン部の先輩である大月病院のK村先生と再会できる予定だ。明日1日をクリアすれば休みに入るので若さと気力で頑張って欲しいものだ。

5月13日(水)曇りのち晴れ 今夜P.M.19:00過ぎより学生のN山君の歓迎会を雲の上ホテルで行った。この機会を利用して梼原病院近辺の診療所の卒業生医師達とも親睦を図ろうということで、葉山村杉の川診療所のY崎先生(院長と同期)と松野町中央診療所のS山先生(私と同期)の家族を招待した。いずれの診療所も梼原から1時間以内で行ける範囲内であるので雲の上温泉につかってもらってそのままホテルに宿泊して頂いて翌朝帰るという予定で招待した。残念ながらY崎先生一家は都合のため欠席となったが、S山先生の方は忙しい合間をぬって参加して下さった。S山先生の診療所にも現在学生実習に来ていたようだが、明日松山の方に週一回の研修にここからそのまま出られるとのことでその学生さんの参加は残念ながら実現しなかった。一次会は院長、私、G保先生、S山先生のそれぞれの小さな子供達が一緒になって会場を所狭しと走り回っていた。雲の上温泉の和室を予約したのも実はこの辺の予測を考慮してのことだった。雲の上温泉の和室には一個数十万円はするだろうと思われる壺や装飾品が幾つか置いてあって障子も破ったりしないかとひやひやものでそれぞれの奥さん方は子供達から目が離せなかったようだ(嫁さん達はあまりゆっくりと食事ができてないだろうなぁ〜)。何とか2次会では医師のみで懇談ができる落ち着いた環境となり、N山君も含めて地域医療の現状や悩みについてA.M.0:30頃まで語り合った。今日はS山先生の誕生日だったということで家族揃ってのお祝いを少し邪魔した形となったが、S山先生自身は「来て良かった」と言ってくれた。また是非機会を作って交流を深め、情報交換もしていきたいと思う。S山先生忙しい中わざわざ来てくれてありがとう・・・奥さんにも宜しくね。

5月12日(火)雨 今日の四万川診療所はゴールデンウイーク明けということもあって午前中だけで外来診察41名、処方のみ23名で合計64名も来院したことになる。この数字は梼原病院の内科外来に匹敵する位の忙しさだ。私と看護婦さん、事務員さんの3人だけでは夕方までかかってしまうためにやむなく臨時の看護婦さんを雇って診療を手伝って頂いたもののA.M.8:20に開始して結局外来が終わったのはP.M.2:00であった。え〜っ!!P.M.2:00!!!ということは梼原病院での午後の私の外来がすでに始まっている時間ではないか。至急病院に電話をいれて急ぎの患者さんだけでも手の空いている医師に診察してもらうよう依頼した。今週も昼食抜きで午後の外来へと突入してしまった。午前中に外来を開始した時に見せていた笑顔も徐々に減っていく自分がよくわかった。P.M.5:30からはBエル社製の新薬説明会があったが半分以上意識が無くなっていた。この文章をうっている今も半分意識がもうろうとしてきている。現在P.M.9:00過ぎだがもう限界だ。つくづく体力の落ちていく自分が哀しくなってしまう。明日に備えて早めに寝よお〜っと。おやすみなさ〜い・・・

5月11日(月)雨のち曇り 今日は昨日購入した最新の電子手帳に入院患者情報や月間スケジュールなど色々と入力した。何でもWindows 95(Outlook 97など)とのデータ互換性があり、家のパソコンの端末として使用可能との触れ込みだった。以前の電子手帳と比べてresponseも向上し、メモリも2MBとまずまずである。シャープの「ザウルス」にも少し気持ちが揺れたが、白衣の胸ポケットに収容できる超薄型で軽量というコンパクト性を優先させてこちらにした。手書き認識や手書きメモなどの精度も増し、スケジュール管理も容易になったので今後是非臨床で活用していきたいと考えている。昼休み私のメールボックスに県立中央病院のT橋院長先生からお手紙が届いていた。連休中にウイルス感染を来たし持病の溶血性貧血、黄疸が悪化した症例だった。梼原に在住している方だったが、連休の終わりに1-2日間高知市内に帰省するとのことだったので、当院での治療内容を簡単に記載して連休中調子が悪いようだったら県中を受診するようにと簡単な紹介状を渡しておいたのだが・・・。結局県中内科に入院になったようで、しかもT橋院長自身から直々にお手紙を頂戴するとは・・・。こんなことだったらもっと詳しく丁寧に紹介状を書いておくべきだったと反省してしまった。夕方になって症例検討会を終え、職員の勉強会をしている最中に自治医大6年生で茨城県出身のN山君が実習にやってきた。早速自己紹介をしてもらったが、すらっと背の高いさっぱりした感じの好青年といった印象である。バトミントン部に所属しており、現在大月病院に勤務しているK村先生の後輩にあたるそうだ。いよいよ今日から2週間にわたる地域医療実習が始まった訳である。4月にやってきた5年生のM見君もなかなかよく頑張ってくれたので、N山君にも是非色々と勉強して帰ってもらいたいと思う。今日も東津野村から脳梗塞の患者さんを受け入れるために満床のベッドを空けるべく、明日退院予定となっていた特老の患者さんを施設に無理をお願いして本日午後に退院してもらった(施設の関係者の方々そしてご家族の方々ごめんなさい!)。明日1名県中外科へ転院となり、1名が経過良好にて退院となる予定だがまだまだ入院ベッドには余裕ができそうにもない。この厳しい綱渡りは果たしていつまでうまく渡り続けて行けるのだろう か???

5月9日(土)晴れ 今朝早朝に東京でOLとして働いている嫁さんのお姉さんから電話がかかってきた。嫁さんに何か用事があったようだが、いい機会だったので無事W杯へ行けることを報告した。今回のW杯観戦ツアーに関しては旅行会社の選択から、チケット予約の依頼など何かとお姉さんには随分お世話になった(お姉さん、ありがとう!)。お姉さんは海外旅行に年間4-5回は行くベテランであり、フランスにも何度か行ったことがあるとのこと。また色々と教えてもらわなければならない。電話中に私達がW杯へ行っている間お姉さんが岡山に帰省して実家の両親と一緒に子守りをしてくれることが急遽決定した。これで嫁さんもなお安心して旅行に行けることだろう。今日はA.M.9:40から保育園の親子遠足だった。私にとっては子供の関係で父兄として初めての参加であり優駿の父親としての自覚を再認識させてくれるいい機会でもあった。コースは保育園から太郎川公園までの数kmの道のりだが、結構きつい登りのコースで大変だった。しかも優駿が全コースを全て歩けるはずもなく、半分位はだっこして移動するはめになってしまった。天気も快晴で結構日差しも強くてたった1日で日焼けまでしてしまった。夜風呂に入る時に日焼けはしみるし、だっこした腕は痛いし(足の方はそれほどこたえなかった)でなかなか大変だったが、子供達は思いっきり遊びまくったせいか布団に吸い込まれるように熟睡してくれた。子供は起きている時にはなかなか面倒をみるのが大変だが、安らかな寝顔を見ているとほっと落ち着くし、また昼間とのギャップが大きいだけに余計に可愛く思えてくる。これだけの子供を大勢抱えて仕事をする保母さん達の苦労を垣間見た気がした。

5月8日(金)雨のち曇り 今日は特別養護老人ホーム「ふじの家」とのスポーツ交流会が行われた。36名の参加があり、6チームに分かれてスカッシュバレーをした。幸いケガ人もなく楽しく交流を深められた。家に帰ってから院長のホームページを何気なく覗いていみると何と私が6月にフランスのW杯に行けるようになったことが記されていた。このホームページで掲載されると私の周辺の主たる関係者の多くが知らぬ間に情報をつかんでしまうという恐ろしいサイトなのである。最近旅行代理店での詐欺事件が多発していることから嫁さんと信頼できる大手の代理店にしようということで近畿日本ツーリストの大阪本店に電話をして募集案内のパンフレットの配布日に連絡を入れてもらうよう依頼した。日本旅行の大阪支店にも同じ方法で予約していたが、返却不能の予約金を振り込む段階で近畿日本ツーリストに絞った。1次予約金が1名につき5万円で、2次予約金が1名につき10万円もして(結局夫婦で30万円)いずれもこちらからキャンセルすると返却されないという条件が提示されていた。清水寺の舞台から飛び降りる覚悟で募集案内のあった当日に早速1次予約金を振り込んで申し込みをした。私が申し込みした時点では定員40のうち12-13番目あたりだったのでこのままいけばこちらの都合がつかなくなるか、旅行会社が切符を手に入れられなくなるか以外は大丈夫だということだった。この時点ではアルゼンチン戦も取れたのだが、このツアーの場合トゥールーズというフランスの南の町で「パリの終日自由行動」がないなどの条件のためにパリ観光を優先させてクロアチアorジャマイカ戦のいずれかとし、日本が勝つ可能性が少しでもあるジャマイカ戦に最終決定したという経緯がある。この旅行を計画したのも嫁さんが私に劣らぬサッカーファンであり、W杯行きが決定した翌日からこの計画が持ち上がっていた。2人の子供は岡山の実家に預けてベビーシッターさんなどにも協力してもらうよう手配も済ませ、へき地医療センターにも代診医の派遣を依頼して着々と準備をしているところである。院長にも先日この話をしてちょっと早い夏休みをとらせてもらうことで了承を得た。これも医師増員の恩恵だと感謝している次第である。明日は保育園の遠足であり、ここ数日で少し運動不足が解消できそうだ。

5月7日(木)雨のち曇り 今日は連休明けということもあって午前中だけで診察の患者さんが60名も来院した。勿論処方のみの患者さんは別である。結局終わったのがP.M.13:30頃だったので1時間あたり12名、ということは患者さん1名の診察時間は平均5分程度ということになる(入れ替わりの時間を考慮すると3-5分位か?)。これは決して良いこととは言えずかえって恥ずかしい位である(これは医療ではない!!)。あまり個別に患者さんとゆっくり話もできないので正直困っているのが本音である。色々と私に相談したいことをメモしてきている方もいらっしゃったが、A4用紙に一杯記載しているのを見て血の気がサーッと引く気がして、やむなくそのメモをお借りして代読したりもした。一番時間を取られてしまうのが両膝にアルツを注射して欲しいという患者さんで、引きつった笑顔で「それではベッドに横になって下さい」と指示するのである。まあ年に数回位は仕方がないと諦めるしかないのだろうか?4月から医者も増員され2診制をとっているのだが、どうもそのメリットがまだまだ出ていないようだ。今日なんかは絶対に2診での診察の方が私の外来よりもゆったりと話ができて、待ち時間もずっと短かったはずなのに・・・。今後また解決していかなければならない問題だと思う。今日の午後はH谷先生が梼原小学校の検診だったために私が整形外科の手術の手伝いに入ることになっていた。P.M.14:00に患者さんを搬入するとのことで、食事を摂る暇もなく身体障害者手帳交付のための診察1名と定期リハビリに来ている患者さんの診察を1例済ませてそのまま手術に手洗いして入った。約90分位で終了して事務室に行くと四万川診療所と入院患者さんの国保レセプトが待っていた。何とか終わったのがP.M.17:10頃だった。夜には県立中央病院での肝胆膵カンファに参加したかったので本当はP.M.17:30までには出発したかったのだが、1名入院もあったためにその指示を書くため病棟に上がり、梼原を出たのは結局P.M.18:30を過ぎていた。カンファレンスは比較的早く終了しP.M.22:00過ぎには市内の実家にたどり着いた。「風呂にでも入って行け」と言われたので入ったら何だかすごく眠くなってしまった。ということで今夜は高知の実家に泊まって明日早朝に梼原に向かおうと思う。居眠りのために事故してもばかばかしいし・・・。それではおやすみなさ〜い。

5月6日(水)曇り 今日の昼休みに食事に帰る途中家の前の坂に崩れた犬のうんち(汚い話題ですみません・・・)が放置されていた。嫁さんに聞いてみると優駿が保育園に行く途中そのうんちを見つけてそれを手に掴んだようである。ちょうどそれを院長の奥さんが見つけてくれてうちの嫁さんはその情景を見て卒倒していたようだ。その時に院長の娘さんであるM澄ちゃんは冷静に「マー君、うんちは触ったらいかんがで、見るだけで〜」としっかり教育してくれていたようだ。M澄ちゃんはうちの優駿を保育園でも何かと気遣ってくれていて、寝起きが悪いのを知っているのでわざわざ心配して見に来てくれたり、時々おしっこに連れていってくれたり、うちの嫁さんが迎えに行くと優駿の汚れ物の袋を手渡してくれたりするようだ。なかなかしっかりしたお姉さんぶりを発揮してくれている。しかしながら優駿が大好物のさくらんぼをM澄ちゃんの所へもらいに行った時には優駿に取られないよう慌ててさくらんぼを自分の口の中に放り込んでしまったようだ。子供達のこの辺りの駆け引きが何とも面白いのである。優駿がうんちを掴んだ時のうちの嫁さんの顔はおおよそ想像がつく。皮膚が捲れてしまうくらい液体ミューズでゴシゴシと手洗いさせたと言っていた。しかしM澄ちゃんの一言でうちの嫁さんは30分以上笑い続けていたようで、優駿も何かよく分からず一緒になって笑っていたようである。また連休初めにmailにファイル添付して画像伝送した食道静脈瘤患者の件について県中のT崎先生から早速お返事が返ってきた。硬化療法の適応なので至急入院の手配をして下さるとの内容だった。先日の虚血性大腸炎症例の件などT崎先生は本当に有り難い存在である。それにしてもインターネットが普及してきた現在、当院に備え付けているNTTの画像伝送システムは利用価値がほとんど無くなってしまった。主に内視鏡や皮膚所見などカラーのデジタル画像やレントゲンフィルムなどの伝送を目的としているが、JPEGファイルにしてしまえば簡単に伝送できてしまうのである。このNTTのシステムを最初に見た当時はものすごく感動したものだったが、今ではテレビ会議でしか利用する機会もない。それ以上に問題なのはへき地医療センターのMacが余計なソフトが沢山入り過ぎていてこのシステムがうまく作動しないという妙な噂も時々耳にする。こんなことは橋本知事には知られてはまずい・・・のだが、こうやって情報公開している私なのである。Y井先生、今度テレビ会議でカンファレンスしてちゃんと使えるかどうか試してみましょうね。

5月5日(火)雨のち曇り 今朝の高知新聞朝刊をみていると「読者のひろば」で「手術で父元気に、梼原病院に感謝」という見出しが出ていた。吉井先生が葉山村に出張診療に行った際に診察した患者さんで、当院を紹介して頂き院長がPEG(内視鏡的胃瘻造設術)を施行した症例である。文章の中に「専門の」という記載があり、確かにうちの院長は高知県内でもPEGに関しては先駆者的存在であり、すでに幾つかのPEGに関する論文もアクセプトされている。先日も高知県立中央病院消化器内科のスタッフに当科のPEGに関するパンフレットやレーゲルを持っていって実際に使用して頂いている。こういった記事が出ると我々の地域医療における活動が少しでも評価された形となり、また地元の新聞での掲載だけに反響も大きい。特に私は院長が海外の論文を読みあさって、誰の指導も受けずにPEGをいち早く独学で当院に取り入れ、現在までにすでに20例を越える症例に対してPEGを導入している現実を一番そばで見てきただけに自分のことのように嬉しく、またこういう形で評価して頂いた患者さんの家族にもその意味で感謝したいと思う。日々の努力の積み重ねでまたいつか誰かがまた違った形で我々の仕事を評価してくれることがあるかも知れない。それを期待する訳ではないのだが「また明日からも頑張って仕事に励もう」という気分にさせてくれたそんな記事でもあった。

5月4日(月)晴れ 今日はY子先生が当直である。しかしながら院長、H谷先生、K川先生が3人とも休暇で不在のため私までがどこかへ出かけてしまうとY子先生ただ一人となってしまう。だが幸いなことに今日の夕方には院長が帰って来る予定となっている。Y子先生も大月病院では立派に一人で当直をこなしていたので心配は要らないと思うが、なにせ梼原という来て間もない土地での当直であるためにCTの操作やレントゲンや血液検査など少し不安もあることだろう。しかしながら私もすでに2日間当直をして家族サービスもしなくてはならず、AM11:00頃には出発させてもらうことにしていた。従って昼前頃から夕方までは一人当直となる訳で、院長も「たまには試練も必要だ」と言っていたので自分も遠慮することなく休暇に旅立つことにした。とりあえずAM10:00過ぎまではできることを少しでもと思って、CTや現像機のスイッチを入れて、CTの取り方や現像の仕方を一緒に再確認した。病棟の方は比較的落ち着いてはいるものの昨日から書いている通り現在空きベッドはゼロで入院は受け入れられない。こういった場合当直は意外にプレッシャーとなってしまうのである。とにかくそんな暗い話はどこかに置いといて私は今日・明日と遅いゴールデンウィークを迎える。家族サービスということでまた違った意味で疲れるかもしれないが、気分的には開放されて気はとても楽である。今日は以前から楽しみにしていた「オールトヨタ・モーターショー IN KOCHI」と中央公園の「夢ランド'98」を見学に行った。また嫁さんの買い物の時には優美佳をおぶって、優駿の手を引いてなるべく自分が面倒をみるようにしている。こうやって嫁さんのストレスを解消することは私にとって日々の仕事を安心してこなす上で欠かすことのできない重要な任務なのである。そして子供達に対しても日頃接する時間が少ないことへの償いも込めているつもりである。嫁さんが明日は花フェスタに行ってみたいと言っていた。こうなったらとことん付き合ってあげましょう。さあ明日は「こどもの日」ということもあるし、頑張って子供の面倒をみてあげなければ・・・

5月3日(日)曇り 昨日・今日と当直であったがこの2日間で70名近い時間外患者さんが来院された。さすがはゴールデンウィークといったところだ。特に町外の患者さんが目立ち、新患さんが多かった。葉山村から来られた子供さんもいて、「こちらに帰省されているのですか?」と聞くと「今日はこの病院が高幡地区の当番病院といわれて来ました」と言っていた。うちはあまりそんな当番制のことを気に掛けずにやっているので少し驚いてしまった。そんな大事な当番病院でありながら4月30日(金曜日)の夜間に男性の入院があって以来、実はこの2日間ベッドは満床で入院が受け入れられない状態なのである。今日も気管支喘息重積発作の患者さんがいて入院治療を希望していたが、今日のところは点滴で様子をみて頂くことになった。明日も具合が悪ければくろしお病院に紹介する約束にしている。夕方には雲の上温泉で突然意識不明になった患者さんが救急搬送されて来たが、来院時には普段通りになっていて、ここ2-3日寝不足と仕事の疲れが溜まっていたとのことだった。精査の結果特に異常なく、近所の方だったので自宅で様子をみることとなり、とりあえず入院には至らなかった。この2日間は入院になる患者さんがいなくて何とか無難に乗り切ることができたが、連休はあと2日間残されている。今のところ連休明けまで退院になる見込みのある患者さんはいない。明日はY子先生、明後日は院長が当直医となっている。今できることといえば入院の必要な重症例が来ないことを祈るのみといったところであろうか・・・

5月2日(土)雨 今日ようやくH谷先生とK川先生に医師官舎の鍵が手渡された。午前中少しH谷先生の新居を見せてもらったが、まだカーテンレールが設置されてなくて、なおかつ電話線については5/18以降になるとのことだった(なんと内線も設置されていないのだ)。おそらく委託業者がNTTへの連絡を怠っていたためと思われる。これでしばらくは宅直の際に電話がないために、当直の呼び出しの時にはわざわざ誰かに家まで呼びに来てもらわなければならない。まったく困ったものである。5月のレセプトは連休初日にもかかわらず事務職員が総出で頑張ってくれたお陰で何とか昨日・今日の2日のみでほぼ一通り目を通すことができた。今日は当直だったが、このレセプト処理のお陰で検査技師さんや薬剤師さん、会計事務担当者が勢揃いしていたために普段と全く変わりない状態で安心して仕事ができた。夕方までに時間外患者が32名来院したが、スムーズに対応できた(こんなラッキーな当直は滅多にないことだ)。明日も平和であってくれることを祈ろう。

5月1日(金)晴れ 梼原病院は役場組織の一部であり、当然毎月初めに行われる朝礼に出席しなければならない。町長の訓辞からはじまり、各部署からの連絡事項など報告がある。勿論原則として全員参加なのだが病院はそういう訳にはいかないために皆で当番を決めて交代で参加している。また、整列も役職の順に前から並ぶために院長と私は後方の方に潜んでいてもすぐに見つけられて前の方に押しやられてしまう。前回の朝礼では福祉支援センター長(新任)のO崎さんと院長(ゼネラルマネージャー)が2人で一番先頭の席を譲り合っていた。先日の梼原町の広報雑誌での記載によるとゼネラルマネージャーの方がセンター長よりも上の立場となっているようだ。また整形外科のK川先生は自己紹介のために参加されていたのだが我々の事前連絡不足のために白衣で参加されてしまい思いっきり浮いてしまった。先生は挨拶の中で「白衣で参加した事を自分のこれからの仕事に対する意気込みと思って下さい」とご自分でFollowされていた(すみませんでした・・・)。私に関しては今日四万川小学校、幼稚園の学校医を命ずるという辞令が交付された。こういった場景は本山町の嶺北中央病院とか大月町の大月病院でも我々ほぼと同じ立場なのだがここまで行政との関わり合いは薄い。こういった日々のお付き合いは実は大切で、役場内や町政の情報先取りや役場職員との意志疎通を図る上で大変有用であると考えられる。また時間に関して大変厳しく毎回A.M.8:00からのスタートなのに皆10分前には勢揃いしているのが当然ということで、比較的時間にルーズとなっている病院職員に関しては社会勉強の場としても役立っている。色々な病院を回っているとそれぞれに興味深い決まり事があって梼原病院ではまさにこの「月初めの朝礼」は一目置かれるイベントなのである。