日々の何気ない出来事を思いつくままに綴ってみました・・・

          

9月27日(日)雨のち曇り 院長は夏期休暇中高知市の水没災害についてマスコミから情報を得られず、奥さんの実家へ寄るまでは全く知らなかったとのことだった。そのために梼原に帰ってくるのに大渋滞に巻き込まれてしまい、また主幹道路への入り口である荒倉トンネルが土砂災害のために不通であったために廻り道を余儀なくされて普段の3倍(何と約6時間!!!)もの時間がかかってしまったとのことだった(お疲れ様でした・・・)。今日は梼原町内で幾つか運動会が開催される予定であったが、あいにくの天気でそのほとんどが順延となった。これだと「なんだそれだけのことか」で終わってしまうのだが梼原町規模の町では結構これがあなどれないのである。というのも運動会のために有給休暇をとって勤務を休む職員が結構いるために勤務のやりくりがどこの部署でも大変で、平日にもつれこむと余計に仕事のやりくりが難しくなってしまうのだ。明日も天気予報では雨でこのまま週末まで降り続くのであれば問題ないだろうが、それまで「1日ずつ順延」という甚だもどかしいような予定となっている。我々としても臨床検査技師であるJ明さんがその立場にあり、彼女の勤務に合わせて検査オーダーを組まなければならない哀しい現実がある。また夜勤の看護婦さん達も自分の子供の運動会に合わせて勤務を組んでいるので今から変更というのも難しいものがあるだろう。最近の日曜日の当直は深夜から明け方にかけて結構落ち着いている傾向があったが、今日はP.M.21:00過ぎから頭部外傷で救急搬送されてきた患者さんや足を切った患者さん、A.M.4:00には胸がしんどいというお年寄り、A.M.5:30には全身のじん麻疹患者が来院し結構忙しかった。今から眠っては朝起きるのが辛いのでこの文章を書いているところである。さてこれからいつも通りの通常勤務である。夜勤明けで休みなんていうシステムがないのが医者のつらいところだ。これから忙しい1週間がまた始まる。少々お疲れモードなのだが気を取り直して頑張っていこう・・・カラ元気だけ?? 

9月26日(土)曇り おとといからの高知市を中心とした大雨はマスコミから提供されてくる画像や情報を見る限り、予想を遥かに上回る自然災害であった。特に美術館に展示されていた作品が水浸しになっていたり、車や家財道具が泥水に浸かっている映像は心が痛む思いがした。サンピア高知は待ち合わせなどでよく利用するホテルなのだが、この建物を中心として一面大きな泥の湖に変身してしまったような錯覚を覚える恐ろしい光景であった。この近くに布師田という私の本籍地があってそこには祖母が独居で生活している。そのために昨日から何度も電話連絡をしているものの一向に電話がつながらない状態が続いてすごく心配だったが24回目にしてはじめて回線がつながって祖母の元気な声を聞いてホッとした。祖母の家は1m位高台になっていて下の駐車場は浸水していたとのことだった。もの凄い音と振動をもたらした雷やバケツをひっくり返したような大雨のため怖くて一歩も外には出られなかったそうである。その後朝倉の両親とも連絡がやっととれて安心できたのだが、自分の身近でこのようなことが起こると本当に落ち着いてはいられないものである。昨年家の前の梼原川の水位が高くなった時には本当に恐ろしかったし、今回のことでも益々大雨の恐ろしさを思い知らされた。ところで高須といえば昨年こちらで勤務されていたT田先生が住んでいる。昨年の大雨でも愛車のポルシェが水に浸かりそうになったが、今回の被害では大丈夫だっただろうか?雨の日には乗らない位に大切にされているにもかかわらずこうして2年も続けて水難の被害に遭うとはつくづくお気の毒である。水不足とか言っていたが、こんな形で水不足が解消されても素直に喜べるものではない・・・。

9月25日(金)曇り 今朝A.M.3:30頃に病棟に呼ばれてその後帰宅してテレビを見てみると大津や高須地区を中心に国分川が氾乱して床上浸水の被害が拡大している様子が報道されていた。そのために目が冴えて全然眠れなくなってしまい、とうとう朝まで起きていることとなった。午前中は院長不在のためにY子先生が外来1診を担当し、H谷先生は四万川へ出張診療へ行ったために私が検査と2診、処方、病棟、デイサービスなどを受け持つことになった。週末ということもあって処方の数が結構いつも以上にやたらと多くて、なおかつ今日は身体障害者施設の定期往診がないこともあってその分の定期処方も併せて積まれていた。2診では特定疾患の診断書作成のための診察や日吉村診療所からの腹部造影CTなど結構時間のかかる症例が入り、検査も何とかできるだろうと甘く考えていて胃カメラを3件とエコーを2件入れていた。大腸ファイバーはこんな日には当然入れていないのだが、やはり人手の少ない日には検査はなるべく入れないようにしなくてはいけないと反省した。結局病棟の褥創処置とデイサービスの7名の診察はP.M.1:00過ぎとなってしまった。午後は特別養護老人ホームの出張診療へ行き、帰院後夕方から病院全体会を行った。施設との交流会、行政からの連絡その他防火・避難訓練などについて討議した。今日一日眠かったはずなのだが夕方までスケジュールがぎっしりと詰まっていてそんなことを考えている暇がなかった。家に帰ると急に強い眠気に襲われてしまい、夕食後には意識不明となってしまった。週末は当直である。病棟の空きベッドは3つ。重症が運ばれて来ても何とか受け入れはできそうである。

9月24日(木)大雨 台風7号が過ぎ去ったというのに大雨が降り続いている。通常ならば台風一過といえばうだるような晴天というのが定番なのだが、何か妙な天気が続いている。昨年の秋には大雨のために院長とともに避難生活を送った嫌な思い出がふと脳裏に思い出される。今日一日で家のすぐ前の梼原川の水位が結構上昇しており、このまま大雨が続くようなら昨年に引き続いて避難しなければならない。昨年は整形外科のT田先生が夏季休暇中の出来事だったが、まさか今年は院長の夏季休暇を狙って梼原川が氾乱するなんてことはあって欲しくないのだが・・・。昨日より院長は夏期休暇で不在である。今日はY子先生も松原診療所に出張診療に出ており内科は2名体制であった。こんな時に限って救急車が重症患者さんを連れてきたりすることが結構パターンとしてあるので警戒はしていたが特に問題なく無事今日1日を終えることができた。明日はH谷先生が四万川への出張診療のため同じく内科2名体制となる。院長不在の間は病院業務に関わる責任は全て私にあり、仮ではあるもののトップとしての重圧の辛さが身にしみて感じられる。明日は病院全体会で院長代理を務めて会議を進めていかなければならない。今から何について話をしようかと悩んだりもしている。週末の土日も当直でありまだまだ気が抜けない。どうか大雨を含めて日常診療の方も平穏無事に済んでくれることを祈っている・・・。

9月23日(水)雨のち曇り 今日は秋分の日で祝日だが当直であった。日中は滞りなく特に重症患者も来院せず一日を終えようとしていた。しかしながらP.M.8:00過ぎより入院患者さんの容態が急変し、精一杯の蘇生を試みたが薬石の効なく亡くなられてしまった。この患者さんは特別養護老人ホームに入所中であった方で脳の変性性疾患のために意思疎通は図れず、嚥下障害のためにPEG(胃瘻)から経管栄養を施されていた寝たきりのお年寄りであった。入院のきっかけになったのも施設の看護婦さんが「言葉では何とも表現できないが何か普段と様子が違う」という訴えだけで往診の依頼があり入院の運びとなった。脳CTなど諸検査にて異常なく、1回の嘔吐と血液学的に軽い炎症反応が認められたために絶食・持続点滴の保存的治療が続けられていたのだが本日急逝されてしまった。入院後も特に嘔吐もなく全身状態も安定しており、我々としては炎症反応が改善すれば施設の方へ十分返すことができるものだと考えていた。このような結果となって施設の看護婦さんの訴えを信用しておいて良かったと実はほっとしている。これを大した異常もないからと言って施設に帰して施設の方で亡くなられるようだと病院の面目は丸つぶれである。やはり日頃から家族以上に毎日見ている施設の寮母さんや看護婦さんの「何か違う」という第一印象は非常に大切な情報源であると再認識させられた。ご冥福をお祈り申し上げます。

9月22日(火)雨のち曇り 今日は台風7号の接近のために町内の小中学校は臨時休校となり、私もさすがに今日の四万川の外来は少なかろうと考えて「さて何か時間潰しの本でも持って行こう」とケアマネージャー試験用の参考書を手に持ってA.M.11:00までには外来が終わるつもりで出張診療へと向かった。診療所に着くやいきなり事務長が「今日は台風の日なのにいつも以上の患者さんが来ていますよ」と報告してくれた。昼前に台風が高知県西部から外れることが分かってからというもの積まれるカルテが除々に厚さを増すようになり、結局午前中だけで診察が63名、処方のみが17名合計80名とまたまた新記録を塗り替えてしまった。さすがに今日はP.M.13:50まで午前中の外来が続き、梼原病院での午後の1診は40分遅れのP.M.14:10のスタートとなってしまった。私の処方調整の甲斐も虚しく、また台風という悪条件にも負けずこのような結果が生み出されてしまった・・・。診察時間は330分/63名=5.24分/1名という奇跡的な数字で外来を終わらせる結果となった。私が梼原病院に帰った後も残った診療所職員でP.M.16:00近くまで昼食抜きで処方づくりにあたっていたと事務長から報告を受けた。支援センター職員の話では先日四万川の茶や谷公民館で検診報告会があって、そこで保健婦さんが検診異常のあった対象住民に対して「精密検査にはどこの医療機関を利用されますか?」と聞くと「四万川診療所は最近こんじゅうき、梼原病院へ行きます」とおっしゃっていたそうな・・・。あれっ?これって反対じゃないの?と言いたくなるような嘘のような本当の話である。私自身四万川の外来がここまで増えてしまうとはあまりにも予想外であった。梼原病院の内科1診でも午前中だけで診察患者が60名を超えた日は過去になかったと思う。四万川地区の高齢化も進みお年寄りの医療に対する需要の高さを示すものだと思うが、私自身も少々バテ気味であり期待に添える医療が提供できているかどうか最近不安が募るばかりである。いっそのこと四万川診療所の常駐医師として勤務してみたい心境になっている。今後の患者動向も見据えながら診療所への対応も図って行きたいと改めて感じた。夕方からは東津野保健婦さんとの定例会を開いた。対象患者は10数名以上に及び東津野村の患者さんへの関わりも次第に数を増してきた。我々の耳には入ってこないような内容や情報を色々と教えてもらうことができ、いつもながら大変有意義な会である。明日から院長が夏季鍛錬となり週末まで不在となる。日頃何かと多忙な業務に追われているので是非ともゆっくり休暇を過ごしてきて欲しいものだ。出発に間に合って楽しみにしていた院長のPCも本日自宅へ無事届いたようで病院からの帰り途にPCのセットアップをせずに明日の出発の準備をして下さいと助言したが院長はすでにPCを開封しているようである。これがもし出発後に届いていたら私が家に預かることになっていたかも知れなかった。台風回避の件といい、PC到着のタイミングといい院長はつくづく強運の持ち主である。そうそうH谷先生が院長、放射線技師のY本さんに引き続いてGatewayに最強PC(PentiunII450MHz(メモリ256MB)のデスクトップモデル(院長とほぼ同等の性能を有する機種)をインターネット上で注文した。とうとう梼原病院もWindowsの波に飲み込まれてしまったようだ・・・。

9月21日(月)晴れ 今日は午前中1診だけで51名も診察があった。2診の宜保先生は小児科の先生なのだが1診だけでは対応しきれなかったので10名以上は内科初診患者の診察をお願いしたにもかかわらずこの人数である・・・。先日嶺北中央病院のU口先生にお話しを聞いたところ午前中はせいぜい30〜35名が限界ですよとおっしゃっておられた。私自身も同感で40名を越えた時点で自分の思考が切れかかっているのに気付く。結局P.M.13:30位までかかってようやく外来が終わった。こんなことではいけないと反省しながらもとにかく数をこなすことに重きが置かれている自分がふと恥ずかしく思えることもあるが、かといってP.M.14:00〜15:00過ぎまで午前中の外来をするのも私の主義ではない。先週私が夏期鍛練をとって外来を休みにしていたことも原因と考えて今日の患者さんの処方を意識的に2週と3週に振り分けたが何とか来週からは分散されてくれることを願うばかりである。明日は四万川診療所の外来だ。先週は敬老の日で休診となっているはず・・・。ちょっと嫌な予感がするが、こちらは処方調整を3週間前からやっている。さて調整具合はどのように出てくれるのであろう?台風の接近もあるし出足は悪いと思うのだが・・・。

9月20日(日)曇りのち雨 今日の夕方窪川I西医院で勤務されておられる先輩のN村先生から久し振りに電話がかかってきた。何と今梼原の雲の上温泉に来ているとのことだった。何でも愛媛の砥部動物公園に家族で遊びに行った帰り途に柳谷村から天狗高原を越えて梼原に抜ける道があるのに気付かれたようでちょっと通ってみようということになったらしい。しかしながらこの道は地元でも有名な難所道でくねくねと曲がりくねった山道が延々と40kmも続いている。流石に梼原に到着された時には披露の色が隠せなかったが温泉でゆっくりと疲れを癒されたようである。奥さんと2人の子供達とも元気そうで約1年ぶりにお会いできてとても嬉しかった。特に下のR緒ちゃんはうちの優美佳位の小さい頃のイメージが強く残っているだけに身長も大きく伸びてお姉さんに変身していてびっくりしてしまった。奥さんは来月出産の予定で順調だとのこと。是非元気な赤ちゃんをこの世に送り出して頂きたいと願っている(また一段と賑やかになるのだろう・・・)。せっかく梼原に来られたので夕食でも是非一緒にということで定番の「Iとりどり」にご招待した。あいにくの雨にもかかわらずわざわざここ梼原まで足を延ばして頂いてありがとうございました。奥さんの出産が無事終わったらまた赤ちゃんを見に遊びに行かせて頂きます。ここ梼原に住んでいると人恋しさのあまりこういったたまの来客はとても嬉しいものである・・・。

9月18日(金)曇りのち大雨 今日は昨夜搬送した患者さんは手術後生命は取り留め、抜管はできていないものの自発呼吸が出てきたとの連絡が脳外科のA澤先生から入った。しかしながら意識状態はまだ回復していないとのことである。何とか後遺症などなく当院へと帰って来て欲しいと願うばかりである・・・。今日はP.M.18:00からRKCホールにおいて日本医師会常任理事の先生をお招きして「介護保険制度について」という講義を受けに午後の特別養護老人ホームの出張診療を終えた後に高知市へと向かった。700名の応募者があったがホールの規模から200名はお断りして500名前後に限定しての講演だとのことだった(私は1ヶ月前の申し込みだったのでセーフだったようだ)。厚生省内で介護保険の関係で医師の立場から色々と発言されている先生であり、現在思案・討論中の話題についても部分的に触れながら講演して頂いた。私自身最近までケアマネージャーの資格試験を受けようなどと思ってもいなかったのでまともにこういった講義を受けずに参考書やら各種資料を基に自分なりの解釈で勉強してきているためにどこか方向性が間違っていないかどうか確認してみたいという気持ちもあり受講してみることにした。かかりつけ医師の意見書の文書料やこの意見書を書くために必要な往診に要する費用負担、これまでの往診を必要とする在宅医療との相違点、精神病院での介護保険への取り組み方、現在療養型病床群を抱える病院の今後の展望、かかりつけ医登録制度、介護保険での要介護度別・制度別付加点数など色々と興味のある話題もあって勉強になった。この先生の結論とはどうやら介護保険制度への取り組みはもちろんチームとして臨む必要があるが中心となるのはケアマネージャーではなくやはりかかりつけ医であり、他の施設や保健・福祉担当者とのコーディネートをうまく図るようにしていく姿勢が大切だということであった(「かかりつけ医がリーダーとなる」と表現されていた)。確かにこれはいえることであり、いくら保健・福祉担当者が一生懸命取り組んでもかかりつけ医がそっぽを向くようでは介護自体も前に進んでいかないし、ケアプラン作成チームもまとまりのないものとなってしまう。我々はこれがごく当たり前のことだと認識しているが、一般的にはなかなかそうはいかないようでこういった医師への意識改革や動機づけから入っていかなければならないという哀しい現実も感じられた。要介護認定作業に入る時期もあと1年と迫ってきた。医療と介護という大きな問題をある程度区別して対応していくこの介護保健制度は本当にスムーズに国民に受け入れられてなおかつ行政がしっかりとついて行ける制度となっていくのだろうか?そういえば私のケアマネージャー試験も大丈夫だろうか?

9月17日(木)晴れ 今日は放射線技師のY本さんが購入したGatewayの最新ノートパソコンに自分の持っているWindows用のアプリケーションソフトをインストールする作業を仕事の合間を見て行った。購入時のままのOSのWindows98が搭載されているのみというシンプルなのものだったが、夕方にはインターネットにも接続して少なくともこれからしばらくは使用するのに不足を感じない位程度のパフォーマンスを有する高性能なノートPCに変身した。レントゲン室に常駐するPCとなるためにかなり私も使用し易い設定にさせてもらっているのだが、Windows初心者のY本さんもこれから使い込んで行くに従って除々に自分の使いやすい設定に変更していってくれることだと思う。これからまだプリンターやらSCSIカード、MOなどの多機種との互換性を持つ記憶装置、ジョイスティック、ゲームソフトなどまだまだ欲を言えばきりがないようだが、しばらくは今の状態でWindowsに慣れ親しんでいくことになるだろうとのことだった。私の他にも院長という思いっきり玄人がバックに控えているので恐れることはあるまい。ただ最後までよくわからなかったのが「~」の入力ができなかったことである。Gatewayカスタマーズサポートに問い合わせてみるように勧めたが何とか解決して欲しいものだ。もう一つ私のノートPCの時にもあった不可解な現象だが、コントロールパネルのネットワークのところが「ファミリーログオン」になっているとプロバイダーに接続する際にパスワードを確認してから約1分程度もかかってしまうという現象がY本さんのPCでも生じてしまった。私もこの現象には流石にお手上げでNECのカスタマーズサポートに問い合わせて「Microsoftネットワーククライアント」をWindows98のCD-ROMからインストールして設定をこれに変えないと接続に時間がかかってしまうことが判明し、指示通り変更して無事改善されたがY本さんのも全く同じケースであった。こんな大事なものならばWindows98をインストールした際に自動的にそういう設定になればよいのにとY本さんと2人でぶつぶつと文句をたらしていた(ノートPCユーザーではこの問題を気付かないかもしくはこんなものだと諦めてしまっている人が結構いると思われる。私はWindows95からバージョンアップしたのですぐにおかしいと気付いたのだが・・・)。何はともあれ無事インターネットにもスムーズな接続が可能となりY本さんのWindowsユーザーとしての第一歩が始まった。さてその後帰宅してゆっくりと風呂に入ってくつろごうとした所で病院からコールがあった。転落外傷のようである。家で様子を見ていたが嘔吐し始めて除々に意識レベルが低下してきたために来院してきたらしい。脳CTにて急性硬膜下血腫が確認され、血腫の影響で脳が右方に正中偏位しており両眼の瞳孔も左右非対称で散瞳傾向があり、急きょ脳外科に搬送することにした。呼吸も不規則となりチアノーゼも出てきたため挿管して搬送することにした。予想通り救急車の中で完全な意識障害と呼吸停止となり、気道確保の大切さを改めて認識した。救急車の中で人工呼吸と酸素吸入を続けながら何とか無事に脳外科まで搬送し緊急手術の運びとなった。是非後遺症などなく元気に梼原へと帰って来て欲しいと願っている。

9月16日(水)晴れ 今日は旅行気分から抜け出せないまま病院へと仕事に向かった。午前中はさほど検査も入れてないはずだと思って予定を見てみると胃カメラ2、心エコー1、腹部造影CT1、注腸造影1と平凡なものだったが、何と今日は放射線技師のY本さんが夏期休暇をとっており、外来での検査や造影CTなどを自分でやらなければならないことに気付いた。しかも今日まで整形外科のK川先生も休みをとっているとのことで、処方書きやら処置やらとてんてこまいだった。入院患者のIVHリザーバーの入れ替えや下血患者のS状結腸ファイバーも急遽予定に入ってしまって結局P.M.2:00過ぎに午前中が終了した。その後すぐに東津野村への3軒の定期往診がありあっという間に今日1日の仕事が終わってしまった。夕方からはお約束のケアマネージャー勉強会を行い本日は無事終了となった。明日は外来が控えているが早く元のリズムに思考を戻さなければと苦脳しているところだ。

9月15日(火)晴れ-登別- 昨日から登別温泉にレンタカーを借りてやって来ている。ここは1つの温泉であるのに硫黄泉や鉄鉱泉、ラジウム泉など何種類もの温泉があって何とも贅沢な温泉である。昨夜は夕食後、ホテルにある全てのお湯につかって生ビールを飲んだらとってもいい気分になってそのまま意識がなくなってしまったようで、どうやらどっと旅の疲れがここで出たものと考えられる。私が寝た後嫁さんは子供の世話で大変だったようだが、私はまさに大名気分に浸ってゆったりと骨休めができたと感謝している(嫁さんごめんね・・・)。楽しかった夏期休暇も本日を残すのみとなり涼しかった北海道に名残り惜しさを感じながらも次の機会を楽しみにまた仕事に精を出して頑張っていこうと思う。しかし明日から本当に仕事大丈夫だろうか?明日or明後日からは北海道も台風の影響を受けるとのことで今回は本当にラッキーだった。神様に感謝・・・。

9月13日(日)快晴-小樽- 小樽というと「北一硝子」とか「オルゴールの館」、「小樽運河」などと定番の観光スポットがあるが、我々は子供達のことを考えて「小樽水族館」へと向かった。祝津という場所にあり、周辺にはこどもの国といわれる大きな遊園地や積丹半島や札幌市内を遠くに見通すことのできる展望台があった。そこへの通り道には旧青山別邸という網元さんの超豪華邸宅や優駿の大好きな乗り物を集めた交通記念博物館などもあった。いつも団体で旅行に来ているためになかなかこういったマイナーな観光スポットには目が行き届かなかったために小樽といえば若い女性が楽しむ所といった変なイメージを持っていたが、今日は改めて北海道屈指の観光地という認識を改めて持った。夜には札幌市内の夜景が一望できる藻岩山(もいわやま)と呼ばれる場所へと向かった。ロープウェーがあって途中からリフトへと乗り継いで標高531mまで上るとそこには「北の大地の宝石箱」と呼ばれる程の美しい180万人都市の夜景が眼下に見下ろせた。過去に生駒山から大阪市、六甲山から神戸市の夜景を見たが前者に近い感動を覚えた。夕食は「寶龍総本店」と呼ばれるタクシーの運転手さんご用達のラーメン屋さんに行ってずわいがにラーメンを食べた。これでまた体重が少なくとも1kgは増加したに違いない・・・。明日はレンタカーを借りて登別へと向かう予定だ。日が経つにつれて入院患者さんや病院業務のことも気にかかってくる。明日は整形外科のK川先生も夏休みでハウステンボスの方へ行って不在である。午前中院長は松原診療所へと向かい、私の1診はH谷先生へお願いしてある。病棟その他はY子先生にと、今の私がゆっくりとくつろげているのも3人をはじめ病院職員のお陰です・・・。みんなに美味しいお土産を買って帰りま〜す。

9月12日(土)曇り-札幌- 色々と工夫をこらして旅行を進めているが子供達は興奮し過ぎると夜中に突然泣き出したりして昨夜は熟睡ができなかった。なかなかうまくはいかないものである。現在この文章は札幌のBIGLOBEへアクセスしてアップロードしている。私のPCはノート型のなので携帯性には優れている。inforyomaは高知県内ではメリットが多いが、BIGLOBEは嫁さんの故郷である岡山へ帰省した際やこういった旅行の時に接続ポイントが全国各地に散らばっているのでとりあえず私向きのプロバイダーといえよう。今夜は念願のサッポロビール園で生ビールが飲めて嬉しかった。しかしながらいつもの団体様のパターンと異なり、週末ということもあって30分待ちをくらってしまった。帰りには雪印フルーツパーラーというお店でデザートを食べた。むむっ、せっかくダイエットしたのにこの分では高知に帰ってからの体重が恐ろしい・・・。まぁ、そんなことを考えているとせっかくの旅行も楽しさが半減してしまうために考えずにいこう。

9月11日(金)晴れ-札幌- 小さな2人の子供を引き連れての長期旅行ということで我が家の対策を述べてみたい。まず宿泊先は和室であること、できるだけ同じホテルで連泊すること、着替えやオムツ、洗面類などは宅急便で宿泊先に前もって送っておくこと、子供達の昼寝の時間を狙った移動時間を図ること、コインランドリーを備えたホテルであることなどが挙げられる。とにかく子供達との旅行は1に「体力」、2に「気力」、3,4がなくて5に「あきらめ」と決して自分達が旅行を満喫しようなどと考えてはいけない。全てが子供達を中心とした行動に徹する必要がある。従って私が前々から楽しみにしていたサッポロビール園での生ビールとジンギスカン料理は今のところ妻に厳しく却下されている。何とかこの旅行中に妻を説得できるかどうかが今一番の悩みの種である。明日は円山動物園やチョコレートファクトリー、大通り公園など子供達のフルコースを予定している。しかしながら今回の旅行は今の私にとって病院業務から解き放された開放感こそが何よりもの快感となっておりとてもよい気晴らしとなっていることだけは確かである。その点私とは逆に嫁さんは旅行に来ても相変わらず洗濯や子供達の世話からは開放されていない。この機会に少しでも子供達の面倒をみて日頃の嫁さんの労に報いなければと考えている。

9月10日(木)晴れ K恵姉さんは今日も雲の上温泉へと出かけて2時間位ゆっくりとお湯につかってきたようである。確かに梼原へ来てもらっても温泉くらいしか時間をつぶせる場所もなくて申し訳なかったけれどとりあえず雲の上温泉だけは気に入ってもらえたことだけは確かなようだ。K恵姉さんはJRを使って一足先に高知市へと向かい梼原をあとにした。さて、私も今日一日無事に外来及び病棟の業務を終えホッと胸を撫で下ろしている。そうなのである。明日より9/15(火)まで夏季鍛錬ということで北海道へ家族旅行に出かける予定としているからだ(嬉しいっ!!・・・)。今日重症患者の入院があったり、病棟患者の様態悪化などがあるとこれがまた後ろ髪を引かれる状態となって旅行どころではなくなってしまうからだ。何はともあれ無事出発の運びとなり、明日早朝の移動は辛いので今夜のうちに出発することにした。K恵姉さんはとは高知市内のホテルで待ち合わせをし、明日一緒に高知空港へ行く段取りとした。今年からは高知空港から千歳空港までの直通便ができたので大変に便利になり、これを利用してでかける予定にしている。とかく9月は台風など天気の影響を受けやすい時期なのだが何とか明日は飛行機が飛んでくれそうだ。とにかく事故のないよう思い出に残る楽しい旅行であって欲しいものだ・・・。

9月9日(水)晴れ 午前今日の午後医局で整形外科のK川先生と介護保険やケアマネージャーのことで少し話をしていると内容や今後のことを考えて自分も取れる時にケアマネージャーの資格を取得しておきたいと言われた。K川先生の先輩で初代梼原病院整形外科医のS水先生がこの試験を受けるということが大きく影響したのだと思うが話の流れでK川先生も試験を受けてみようということになった。「それではK川先生も来月一緒に試験を受けましょう」と手続きをする一歩手前まで行ったのだが、高知県ではこの試験の申し込み締め切りが9月11日(金)当日消印有効ということで、証明写真や申し込み用紙の記載は何とか間に合うがこの資格試験の場合実務経験証明書という厄介な証明をもらって一緒に提出しなくてはならない決まりがある。K川先生の場合土佐市民病院と県立宿毛病院での証明が必要となるが、今からだと後者の証明書の方が間に合わないだろうという結論に至った。う〜ん、こんなことだったらもっと手前にK川先生と話をしとくべきだったと後悔してしまった。私も今度の試験はたぶん落ちると思うのでK川先生次回また一緒に試験を受けに行きましょう。夕方はケアマネージャー試験の第4回目職員勉強会を行った。今回は試験があと1ヶ月と迫ったこともあるだろうが先週の倍の14名が参加してくれた。勿論この勉強会だけで試験に通る訳ではないが、職員間で意識を高めあって情報交換できる場となれば幸いである。K恵姉さんは今日も温泉でくつろいだようで梼原を堪能して頂いている様子だ。明日の夜我々と一緒に高知市へ移動し明後日に我々は北海道直通便へそしてお姉さんは東京へと空港でお別れする手はずとなっている。梼原での生活もあと1日、是非思い残すことなくゆったりとくつろいでいって欲しいものだ。

9月8日(火)晴れ 午前中四万川診療所への出張診療だった。先週結構忙しかったので今日は少し患者さんも少ないと思っていたが午前中だけで外来50名、処方のみ16名(合計66名)という新記録ができてしまった。来週の火曜日が敬老の日で休みとなることもあろうが意外な人出に驚いてしまった。今朝はA.M.8:20に診療を開始して結局P.M.13:15頃までかかってしまった。午後は梼原病院の外来だったがこちらは逆に患者さんが少なくて今日に限っては四万川が梼原町の中心に位置するかのような妙な錯覚を覚えた。四万川ではこの辺りが外来診療として限界の域と考えられるので待ち時間の好まざる患者さん達は確実に足が遠のくと思われ今後は頭打ちの傾向となると楽観的に考えている。診療所の机には来週の敬老会への招待状が置かれていたが、残念ながらその日は丁度私の夏期鍛練の期間と重なってしまい、四万川区長さんにお断りのご挨拶をする結果となった(区長さん申し訳ありません・・・)。という訳で私は9月11日(金)から夏期鍛練ということで家族サービスに努める予定となっている。ケアマネージャーの資格試験もあと一ヵ月と迫ったが未だ勉強する機会がない。嫁さんからも「本当に大丈夫なの?」と心配されるが、流石に夏期休暇の北海道旅行を中止しようとは言ってくれない。飛行機や旅館で参考書でも読みながら・・・などとふと思ったが、後ろから飛びついてくる2人の子供達の騒ぐ姿が頭に浮かんだ。やっぱり荷物になるだけなので下手な悪あがきはやめよう。K恵姉さんの今回の旅行のmain eventは雲の上温泉に入ることだ。今日は午前中に一度足を運んだようたが火曜日は午前中浴槽の掃除のため休館していることを伝えていなかったため要らぬ手間を掛けさせてしまった(ゴメンなさい)。でも今夜ようやく念願が叶って温泉へと案内することができ「とてもいい湯だった」と喜んでもらえたようだ。雲の上レストランでお魚料理を食べて家路についた。K恵姉さんは明日も入浴しに行くと張り切っていた。美人湯とも言われている温泉だけに滞在中何度か入浴して頂いて是非とも益々美しくなって東京へ帰って頂きたいと思う。

9月7日(月)晴れ 今日東京都世田谷区に住むOLとして活躍されているK恵姉さんが梼原まで休暇を利用してはるばるやってきた。K恵姉さんは嫁さんの実姉であり、私にとっては義姉となる。慌ただしい都会と雑踏から抜け出して川と山に囲まれたここ梼原町に初めて遊びに来てくれたのだ。今朝A.M.8:30過ぎに自宅を出発し到着したのがP.M.15:30過ぎだった。長旅でかなりお疲れの様子だったが、そこにうちの2人のチビがちょっかいを入れるものだから余計に疲労も出たようで、今夜は一番の目的である雲の上温泉にも入らずに就寝されてしまった。東京では考えられないことだと思うが、須崎駅で梼原行きのバスに乗るのに1時間半も待たされたようで、田舎の不便さを実感して頂けたものと思う。ブランデーと紅茶味のケーキをお土産に頂いてとっても美味しかった。ご馳走様でした。数日間こちらに滞在されるようだが、おそらく嫁さんに子育ての手伝いをさせられてなかなかゆっくりと休養をというところまでにはいかないであろう。K恵姉さんご迷惑をおかけします。

9月6日(日)曇り 昨日、今日と2日間にわたって四国地域医学研究会が香川県塩江町にて開催された。今年のテーマは「介護保険時代の地域医療」ということだった。シンポジウムの主題も「地域医療と介護保険」という内容になっており、平成12年4月から導入される介護保険への関心の高さが伺える学会となった。我々自治医大卒業医師は国保直診の診療所や病院に勤務していることが多く、現場の第一線で医療保険と介護保険をうまく使い分けてケアマネージャーや行政、介護施設担当者達とスクラムを組んで中心的に活動していかなければならない重要な役割を担うこととなる。その意味からも各先生方は熱心に介護保険に向けての取り組みを始められており、また助言者として招かれていた香川県介護保険準備室室長や全国国保診療施設協議会会長の話にも真剣に耳を傾けていた。私自身も来月ケアマネージャーの資格試験を受けることを決心し手続きを済ませたばかりだったので、様々なディスカッションの内容が尚一層現実味を帯びて耳に入ってきた。塩江温泉のお湯にもにも2度つかって、懇親会でも色々な先生方と懇親を深めることができ、また情報も沢山入手できたし何かと収穫の多い学会だったと思う。来年は愛媛県が担当で場所は松山市の道後温泉となるようだ。講師として招かれた温泉好きの石岡第一病院のO場先生は昨年梼原でも地域医療に役立つ整形外科を講義して頂いたが今年も第2段ということで塩江町に招かれていた。来年も道後ということで第3段としてお招きする予定となっている。私個人としては高度な医療内容の学会よりもこういった身近な内容でかつ同じ目的をもった医師が集まっての学会だけに親しみ易くて好きだ。来年もまた是非参加したいと考えている。明日から東京の大都会でバリバリに活躍されている嫁さんのお姉さんが骨休めに数日ここ梼原に遊びにやって来られる予定になっている。お姉さんの精力的なパワーを是非この機会に吸収して仕事に応用させていきたいと考えている。是非とも梼原でゆっくりと静養して頂いていい思い出を作って帰って欲しいものだ。

9月4日(金)晴れ 今日から香川県塩江町にて第6回四国地域医学研究会が2日間にわたって開催される。四国4県が毎年持ち回りで開催する約束となっており、昨年は高知県が担当でここ梼原病院主催で行われた。事前の連絡や宿泊の準備、学会発表内容の取りまとめなど結構色々と雑用が多くて幹事の病院関係者は何かと大変な仕事なのである。第1回四国地域医学研究会は高知県が担当し本山町の嶺北中央病院が幹事を務めたがこの時にもちょうど私は嶺北中央病院に勤務しており雑用やら何やらでとても忙しかった思い出がある。どうやら私とこの学会とは何やら因縁がありそうだ。今回の学会には家族も連れて行こうと思っているので今夜のうちから出発して高知市の実家に泊まり、そこから明日早朝に香川へ向かう予定にしている。参加者のリストを見てみると香川24、高知15、徳島14、愛媛6という内訳となっており久々にお会いする先生達が大勢おられて色々と情報も交換できそうで今からとても楽しみである。それでは行ってきま〜す。

9月2日(水)晴れ 今日は何を隠そう私の32歳の誕生日である。平日の誕生日だけに特に家族と誕生パーティーを開こうとか、外食をしようとかいう雰囲気は見られない。いつものように病院へと向かい日常業務をこなし途中何人かの職員に「誕生日おめでとう」と声をかけられた。夕方からは恒例のケアマネージャー勉強会をP.M.20:00頃まで行い、それが終わってからはレセプト作業がP.M.22:00過ぎまで続いた。家に帰ってみると嫁さんと子供はすでに就寝していた。風呂に入ってから冷めた夕食を食べてこの文章を書いている。9月2日もあと1時間で終わろうとしている。何とも味気ない誕生日であった・・・。しかしながら私の代わりに院長と放射線技師のY本さがGateway社から大きなプレゼントを手にした。院長はpentiumII450MHz(メモリ256MB)のデスクトップモデルを、Y本さんはmobile-pentiumII266MHz(メモリ128MB)のノート型モデルを購入したのである。近々メモリが値上げされるのに伴い購入の機会を狙っていた2人が立て続けにそれぞれの型では現時点で最高スペックとなるモデルを注文したとの情報が今日耳に入った。今日はその話題だけで十二分に満腹となってしまった。う〜ん、羨ましい・・・・。H谷先生もその話を聞いていよいよ購買意欲があおられたようで、ケアマネージャー試験が終わってから購入する予定を切り上げて「試験受けるのやめようかな」とまで言わしめた。これからしばらくはWindows98談義で話題は尽きないことだろう。

9月1日(火)晴れ 今日からいよいよ9月が始まった。これから毎週のように週末に予定がぎっしりと詰まっている。レセプトもいよいよ始まり、病院の事務室にいると月始めの慌しさが感じさせられる。ここのところ私の周囲でターミナルケアの必要な患者さんが結構最近目立つようになり、患者さんを受け持つ度に家族や親戚の人達とのムンテラもいつの間にか多くなっている。我々の話を聞く家族の表情は皆真剣で険しいものがあり、こちらも言葉を選んでなるべく治療や今後の見込みに関することに重点を置いて話をするようにしている。そのため1回のムンテラだけでも結構精神的・肉体的に疲労が積み重なってしまう。地元である当院でのケアを選択するケースから県外の息子さんの住む土地にある病院での療養を選択されるケース、当院での専門外のためにやむなく町外の専門病院へと紹介するケースと患者さんの疾患の程度や種類によって様々な選択を本人や家族と一緒になって検討していく必要がある。紹介先の医療機関との連絡や紹介状、データの整理、家族との連絡、搬送手段など様々なところまで手をまわして段取りをしていく地道な作業である。この過程は大変しんどいものがあるが、こうした積み重ねが梼原病院そのものに対する信頼へとつながるものだと信じて頑張っている次第である。ターミナルケアへの介入を積み重ねる度に自分は医師として一歩一歩成長させてもらっていることを自覚させられる。そのためにも患者さんやその家族にその感謝の気持ちが伝わるよう今後もケースごとに誠心誠意関っていきたいと考えている。