日々の何気ない出来事を思いつくままに綴ってみました・・・

          

10月29日(金)曇り 今日はI田先生が不在のため、午前中は胃カメラを手伝ってから心エコー検査に入り、午後は大腸ファイバーだったが件数が少なく比較的早い時間に予定終了となった。夕方の回診を早めに済ませてから内科で糖尿病を担当されているY井先生からの宿題を片付けることにした。医師会から依頼されている糖尿病患者のアンケート調査の分で私の担当は約40名であった。医事科で外来カルテを引っ張り出して最近の血糖やHbA1Cのデータなどをチェックしてデータベースに入力する作業を行った。Y井先生が予めデーターベースに患者番号や住所、名前などを入力して下さっていたため比較的スムーズにこなすことができた。我々は所詮40-50名程度の処理作業で済むのだがY井先生のこなす作業はこの何倍もの人数であり、それを更にまとめあげられるとのことで全くもって頭の下がる思いである。外来受診中のため4名分のカルテが手に入らなかった。残りはまた来週ということにしよう。

10月28日(木)曇り 今日からDDW-JAPANが広島市で開かれるために消化器科のS脇部長とI田先生が週末まで不在となる。週末にはN津先生やS根医師も広島へ行く予定となっていて今週末の当直医は吐下血や黄疸の入院患者が来院するとちょっと大変かなといった感がある。DDWは色々と勉強にもなるため自分も参加したかったのだがあまりに皆がこぞって出掛けてしまうのもどうかと思うため今年は差し控えることとした。午前中の胃カメラもちょうど防衛医大卒のI井医師も自衛隊演習のため不在ということが重なっていて私とN津先生2人だけということになっていた。合計21件も入っていたが当然N津先生と半分ずつ検査をすることとなってしまいなかなか大変であった。これで僕までDDWに参加していたら果たしてどうなっていたのだろうか?

10月26日(火)小雨 今日十二指腸下降脚部に狭窄があって食事が摂取できないという患者さんが入院となった。左の季肋部痛があり、血Amylaseが高値となっている。原因はどうやら膵臓にあるらしい。今後精査を進めて外科紹介となることだろう。午後には呼吸器科のY地先生に付いて初めてCTガイド下肺生検を自分自身が施行させて頂いた。さすがに肺臓に穿刺するのはドキドキと緊張してしまった。何とかうまくヒットしてくれてホッとした。後は病理でうまく結果が出てくれることを祈るばかりである。

10月25日(月)晴れ 今日の午後入院で受け持ちしていた寝たきりの患者さんが退院されることとなった。介護されている家族も高齢世帯であり、患者さんを搬送する手段がない。こんな時に役に立つのが病院専用の救急車だ。以前にも1度使用したことがあったが、なかなか寝たまま移動できる車を所有している家はさほど多くないためこういったケースには大変重宝がられているのである。こうやって自宅で介護を受けて生活できるお年寄りはまだ幸せであり、現実はなかなかそうはいかない。入院が長期化してある程度全身状態が安定した場合、自宅で世話してくれる身内がいないがために老健施設や療養型病床群などへ移らざるを得ないケースが結構多いのである。こんなことを考えたら病院からご自宅まで搬送のお手伝いすることくらい容易いことなのである。今後在宅訪問診療、訪問看護、ヘルパー訪問など各種サービスを利用して在宅療養を続けて頂く予定となっている。また介護保険の恩恵にも十分あずかれる状態であり、介護認定申請も併せて行うことになるだろう。

10月22日(金)晴れ 今日岡山大学第一内科よりS口先生が応援にやって来られた。S口先生は肝臓アンギオ(血管造影)グループのトップのDrであり、午前中は自分が受け持ちの患者さんに対して経動脈的な治療を施して頂いた。午後には病棟や外来の受け持ちで肝臓関係で診断や治療に難渋している患者に対する個別のコンサルテーションが行われた。勿論自分の受け持ち患者も加わっていて貴重な助言を幾つか与えて頂いた。また来月こういった機会が与えられるとのこと。数少ないチャンスだけにうまく活かせるようにしたいところだ。夜には若手医師の会が開かれた。今夜だけは医長・副医長の先生方に病棟をお任せして堂々とお酒が飲めるありがたい時間というわけである。各病棟にも携帯やポケベルコールのファーストコールはミットの上のDrにといつもならば考えられない申し送りをしてD居町にあるS川亭に出掛けた。新人2人も加わって更に活気も出てきたような感がある。みんなで深夜まで騒いで無事お開きとなった。来月の幹事をアミダクジで選んでO比賀先生が担当となった。またこの若手医師の会を楽しみに1ヶ月仕事に励んでいかなければ・・・。

10月20日(水)晴れ 今日から学会誌に投稿する論文を作成することになった。英文で書く要約や所見のコメントなどもあって不安も大きいが三豊での後期研修の証の一つとして何としても頑張ってやりとげなければならない。文献集めからその勉強、写真や図、表のなどの作成など色々とやるべきことが多く、また苦労して仕上げても何度も校正を受けたりして実際に論文として受理されるまでには何ヶ月もかかってしまうのだ。道程は長いだろうが指導医の先生に色々と教えて頂きながらいい論文を作成するべく頑張っていこう。さあ勉強、勉強・・・。

10月18日(月)晴れ 今朝はぐっと気温が下がり冷え込んだためにタンスの奥からジャンバーを出して防寒に努めての出勤となった。いよいよ秋も終わってしまうのだろう。昨年まですんでいた梼原の方はまさに雪国ともいえる土地柄だったので寒さには慣れているはずなのだがやはり苦手である。今日は脳幹部梗塞のために嚥下障害を来して寝たきり生活を送っている在宅訪問患者さんが入院受け持ちとなった。目的はPEG(内視鏡的胃ろう増設術)を行うためである。昨年まで勤務していた梼原病院では内科2人で増設していたがここ三豊では内視鏡医と外科医の2人で増設することになっている。今までは梼原での方式しか経験がないためここでの手技には興味がある。とにかく合併症なく無事在宅に戻れることが最優先であることだけは忘れてはならない。在宅でずっと一緒に世話をしてきた奥さんも付いてこられて入院中も今までと変わらず介護を続けていくとのこと。全くもって頭が下がる思いである。この奥さんの介護負担を少しでも軽減できるよう、また障害者となられた旦那さんのQOLが少しでも高くなるよう我々も努力していかなくてはならない。

10月17日(日)曇り 昨日午前中病棟回診を済ませてから町へと買い物に出掛けた。優駿がコンコンと咳をしているのでまた風邪でも引いたのかと思っていたら夜中になってひどくなり、喘鳴も聴こえてくるようになった。呼吸もしんどそうで夜中ずっと寝られずにいた。朝を待って小児科のT杉医師のもとを受診させて立派な気管支喘息との診断をもらってしまった。点滴や吸入治療を受けて夕方には元気になったがこれから先が思いやられてしまう・・・。先輩のN津先生の子供さん2人もこちらに赴任して来てから喘息になってひどい時には入院したりすることもあったとのことで、これまで田舎育ちの優駿だけにこの辺りの空気や水に馴染めないのかも知れない。今回入院までには至らなかったもののしばらく抗アレルギー剤や気管支拡張剤などのお世話とならなければならなくなった。う〜ん、何とかこのまま良くなってくれることを祈るしかないのだろう・・・。

10月15日(金)曇りのち雨 今日は午後から休診となり、ちょうさをかつぐべくハッピをもらって本会場の手前までやって来た時に突然携帯電話が鳴ってしまった。病棟からの呼び出しである。病棟の入院患者さんの状態が悪くなったということで駆けつけると確かにチアノーゼがあって呼吸苦を訴えている。精査の結果誤嚥性肺炎と判明し、酸素投与やら点滴の指示やらとばたばたとしてしまって結局肝心のちょうさかつぎのコンテストの場には参加できなかった。後で研修医の先生達に聞くと今年は例年以上にかつぎ手が多かったこともあって比較的楽にかつげたとのことだった。コンテストの結果は町長賞ということでみんな頑張った成果があったと喜んでいた。夜には毎年恒例となっている院長宅での打ち上げ会に参加した。松茸をふんだんに使った美味しい料理を沢山ご馳走になり、遅くまでお酒を飲ませて頂いた。30年以上にわたってこの地元の祭りに積極的に参加されて本当の意味での地域に根ざした医療を実践されて来られた院長先生のことが少し理解できたような・・・そんな有意義な一日であった。

10月14日(木)曇り 今日から豊浜町のちょうさ祭りが始まった。このお祭りのため町内の小中学校は休校となり、勿論優駿の通う幼稚園も休園である。ちょうさというのは「お神輿(みこし)」のことで町内22地区それぞれが独自のちょうさを持っているのだ。年に1回この時ばかりは静かな豊浜町も活気づくのである。聞くところによると盆や暮れには帰らずともこのちょうさにだけは帰ってくるという若者達の伝統があるそうだ。町のあちこちで大太鼓の音が鳴り響くようになってきた。付近には県外ナンバーの車が目立ちはじめいよいよ祭りも本番を迎えたようだ。病院は明日午後が休診となり、我々医者連中は院長の所属する部落のちょうさをかつぐことになっている。まさに町ぐるみの大イベントの幕開けだ・・・。

10月12日(火)曇り 今日は大腸腫瘍の患者さんと肝臓腫瘍の2名の患者さんが受け持ちになった。前者は内視鏡的な治療を後者は経血管的な治療が必要である。午後には呼吸器のY地先生についてブロンコ(気管支鏡)検査とCTガイド下肺生検に付いた。ここのところCTガイド下の検査が続いていて今日も2症例入っていた。当院での診断確定率は9割近い成績が出されていてその有用性には驚かされる。ほとんどがブロンコ(気管支鏡)検査ではっきりした診断がつかなかった症例について施行しているようだ。夕方17時からはオーダリング用のパソコンの小グループでのレッスンが約1時間にわたって行われた。これまではプロジェクターに映しての説明だけだったがせ、今日は実際にパソコンに触れてソフトを動かすことができて大変使い易くてよくできているという印象を得た。これならば比較的使い易そうだとまずはホッと一安心した。11月からは実際に運用開始となるわけだが、個人的には非常に楽しみなのである。

10月10日(日)晴れ 今日は家族で高松空港近くの「さぬきこどもの国」という公園に遊びに出掛けた。この公園は飛行場の滑走路に沿って造られていて飛行機の離着陸がすぐ近くで見られる絶好のビューポイントがある。また実際の旅客機の展示もあってコックピットにも初めて座ることができた。子供達用の滑り台やジャングルジムなどの遊具も豊富で親子連れで遊びに行くにはなかなか面白い場所だと感じた。子供達ははしゃぎまくって帰りの車の中では熟睡モードであった。明日も休日ということで気分的にも大変リラックスできた。明日は家でのんびりしよ〜おっと・・・。

10月8日(金)晴れ 今日は午前・午後と財田診療所への代診に従事した。N鞍先生が全国国保学会のために岐阜に出張されるということで代診を依頼されたのである。夕方からは高松で肝腫瘍カンファレンスが開かれた。岡山第一内科の先生方の勉強会の一つなのだが、そこに自分の症例を提示するように1週間前にI田先生から依頼された。急きょプレゼンテーション用のスライドや病理、文献などを調べて何とか間に合わせることができた。つつがなく発表も終了してホッとした。県立中央病院や日赤病院の先生方も来られていて、ご挨拶させて頂く機会も得られ、また会終了後に近くの美味しいワインが飲める店に連れて行って頂いてラッキーだった。次回は来年の1月に開かれるとのこと。また参加させて頂きたいが今度は自分の症例提示となりませんように…。

10月7日(木)晴れ 今日は午前中の胃内視鏡検査を終わらせてすぐに在宅往診へと向かった。今日の往診先にはO原先生が全国国保学会のために岐阜に出張されて不在のためO原先生の定期往診患者さんが含まれていたからである。やはり予想通り病院に帰って来たのは18:00になってしまい、約6時間の時間を要してしまった。人工呼吸器を装着している症例や気管切開部にカニューレが留置されている症例、BiPAPという人工換気装置を使用している症例、ターミナル患者などなど多彩でなかなか大変な往診であった。夜21時過ぎに新入りの研修医の先生達を連れて観音寺に夕食を食べに行った。帰院後カルテ書きをして本日の予定は無事終了した。新入院患者が当たらなくって良かった…。ふう〜っ

10月6日(水)曇り 今日は重症筋無力症のため呼吸筋が脆弱化し喀痰の排出が困難なために肺炎を起こした患者さんが入院となった。脳出血後遺症のために嚥下障害もあってPEG(胃瘻)も増設されていた。治療方針としては絶食、持続点滴、抗生剤投与などが考えられるがなかなか難治性の経過をたどりそうで不安も大きい。夕方から医師全体を対象として11月から始まるオーダリングシステムについてのコンピューター操作について講習会が開かれた。各病棟にもパソコンが設置されて各医師それぞれにパスワードも配布された。慣れると大変に便利なものだろうが、それまでの間はしばらく大混乱となりそうである。来週には3-5名単位での個別講習も予定されて準備はちゃくちゃくと進んでいるようだ。

10月5日(火)晴れ 今日医事課から「かかりつけ医の意見書」が回ってきた。いよいよ介護認定作業が本格的に始動したようである。在宅訪問診療に行っている患者さんなので比較的容易に書き上げることができた。外来診療で診ているだけではなかなか意見書は書けない部分がある。大病院では事務作業やら医師の通常業務の多忙さのためにこの意見書作成までに通常以上の時間がかかってしまうのではと危惧されていることもあるようだ。三豊では特にO原先生とN津先生の負担が大きいと思われる。まだまだ始まったばかりでありこれからが問題である。

10月4日(月)曇り 今日は2名の入院患者の受け持ちとなった。肺炎と総胆管結石である。肺炎症例は高齢で低酸素状態であり、状態が不安定である。総胆管結石症例は黄疸が強く内視鏡的に乳頭切開術などで排石させる方針である。ここのところミット(医長の先生と一緒に主治医になること)がなくなり、単独主治医となる機会が増えてプレッシャーも大きいものがある。勿論相談にいけば詳しく教えて頂けるのだが、ムンテラやら治療方針についての責任は全て自分にかかってしまうためにミットの時以上に気を引き締めて治療に臨んで行く必要がある。

10月3日(日)曇り 今日の午前中優美佳が初めておまるでおしっこをしてくれたようで嫁さんが狂喜していた。なかなかオムツが外れない優美佳だが、優美佳までオムツから離脱できればオムツ代も要らなくなって家のゴミも半減してくれて大助かりなのである。優美佳もその価値が今一つ分かっていないようでキョトンとしていた。オムツが外れて自分でトイレに行けるようになることは子供達にとってこの時期とも大きな変化なのだが、優美佳もそれだけ成長してきたということだろう。まだまだ今日が初日ということでそう簡単にオムツは外れることはないと思うのだがさてこれからどうなることやら・・・。午後は三豊に内視鏡研修に来ている防衛医大出身のI井先生から招待があり、善通寺駐屯地45周年記念祭に優駿を連れて参加させてもらった。戦車やジープ、ミサイル搬送車などが勢揃いしていて優駿はおおはしゃぎであった。I井先生の仕事場にもお邪魔して日頃の診療風景を垣間見ることができた。実弾が当たっても大丈夫というヘルメットや自衛隊の制帽・制服が並んでいて如何にも駐屯地といった雰囲気が漂っていた。また50周年くらいにはお邪魔させて頂こう・・・・。

10月2日(土)雨のち曇り 今日の午前中病棟回診に病院へ行ったのだが、医局でN津先生とA山先生にお会いした。2人ともビデオやデジカメのことを話されていてどうやら購入を考えていらっしゃるようだった。理由は明日子供さんの通っている幼稚園の運動会があって、その様子をビデオにおさめようということだった。私だけに限らずどこもみんな同じなんだと苦笑してしまった。やはりビデオはSONYが人気のようで2人ともSONY製の最新型を考えておられたようだった。特にA山先生はVAIOノートをお持ちであり、パソコンとの互換性も考えておられた。今の時代動画が自由自在に録画・編集できるようになっていてSONYはこの分野で他社を一歩抜きん出ている感がある。私自身もWindows2000が搭載されたSONY製のパソコンを現時点では第一選択として考えているところだ。年末か年明けが予定されていて今からとても楽しみにしているのである・・・。

10月1日(金)晴れ 今日から10月。岡山大学第一内科から新しくO比賀医師、Y脇医師の2人が派遣されて来て今日各部署を挨拶に回っていた。勿論1年目の研修医でこれから色々と勉強していくわけだが、最初うちのシステムに慣れるまではなかなか大変だろうと思われる。2人とも精神的にもしっかりしていてそうでここでの厳しい3年間に十分耐えて乗り越えていけるだけの資質だと感じている。特にO比賀医師については自治医大のO比賀医師と同姓ということでO比賀A・Bと区別されて呼ばれることになったが、今日も受け持ち患者の割り振りで混乱が早速起きていた。それぞれ2週間ずつの麻酔科研修を受けた後から本格的な内科ローテーションに加わっていく予定となっている。麻酔科研修が後半となったO比賀医師には今日早速5名の入院患者があたっていた。勿論S川、M山医師からの引き継ぎがほとんどなのだが、初日からなかなか大変そうだと感じた。私は参加できなかったが、夜にはU枝先生を筆頭にその他若い先生達同志で歓迎会が開かれたようだ。O比賀、Y脇先生2人とも一緒に仲良く頑張っていきましょう!!!