TRPGシステム博物館

第2回 『T&T(R)』



前回は各方面に物議をかもした「TRPG システム博物館」(笑)、今回取り上げるのは『トンネルズ&トロールズ(R)』、略してT&T(R)です。

が、本文の前に、少し関係ない話をさせて下さい。前回はこの文章がインターネットに載るってことをコロっと失念して、「どーせ会誌だし、略史と概説をちょっと書いて、あとは主観バリバリでいこー」という軽いノリで書いて、「リサーチが甘いっ」とかINETでの読者の方に酷く怒られてしまいましたので(笑)、今回は先に、これから書くのは実際に遊んだ私の主観(あ、この云い方も誤解を招くかも。つまり文責者一個人の見解であり、MIDGARDの公式見解とは全く異なる、ということです)であるし、また出版物の紹介を目的としたものではないということを明記しておくことにします。それと、これは他の執筆者もあることなので断言はできませんが、基本的には日本での展開についてのみ叙述したいと考えています。私はゲームを出版している会社の回し者ではないですし、サプリの出版情況が知りたいのなら、自分で調べてもらいたいです。そんな紙幅はありません。尤も前回も、思い入れを書くとしたような気がしますが。いずれにせよ、会外者の方の誤解を招かないように、この連載の趣旨をまず書いておくことにします(会員へは、企画段階で云ってあったんですね。それで舌足らずだったんです。失礼しました)。

まず、この連載は私(風森)個人の連載ではありません。会員のリレー連載として、他の会員へのシステムの紹介を目的としたものです。その際に多少主観的になるのは構わないと明言してあります。何故なら、会員には筆者の人となりが判っているので、どの部分でどの程度割り引いて読むか、読者であるほかの会員も把握できているからです。そうした文章が載せられるのも会誌である強みだと思いますし、会員のための会誌であることが何よりもの優先事項であると考えていますので、一般読者の方には申し訳ありませんが、この姿勢を変えるつもりはありません。それを踏まえた上での批判は大歓迎ですので、なるべく辛らつなご意見をお寄せいただきたいと思います(版権表記など、内輪の駄文を一般常識の範疇に入れる際の手続きは、INET上に転載する責任者のT氏の参考となりますので、ご意見を切にお待ちしております)。

言い訳じみた前振りはさておき、今回のお題である「T&T(R)」は、D&D(R)という柳の木の下にいる2匹目のどじょうを狙って、雨後の竹の子のように粗悪乱造TRPGが作られた時期のアメリカに誕生しました。デザイナーはケン・セント・アンドレ。ユニークな思考の持ち主と知られ、あの『ストームブリンガー』をデザインしたのも彼です。当然「T&T(R)」も、非常にユニークな作品となりました。何処がユニークかというと、ゲームコンセプト自体と先頭ルールが第一に挙げられるでしょうか。これらは一見奇抜で、D&D(R)に慣れた身には異様にすら見えたかも知れません。しかし、それによって「T&T(R)」は粗悪乱造TRPGとは一線を画すことに成功し、そして生き残って行くことになります。

まずゲームコンセプトですが、これは「トンネルズ&トロールズ(R)」というタイトルに背かない、単純明快な「地下迷宮探索もの」であります。他のプレイスタイルについては示唆するにとどめて、ゲーム目的の明確化に成功しています。そして探索する迷宮についてではなく、探索するキャラクターに的を絞ったルール構成になっていることが特徴と云えましょう。時期が近いということで「D&D(R)」と比較してみると、「D&D(R)」は地下迷宮のディテールを明確にし、更にTRPGの可能性を押し広げるという使命感のようなものが見えかくれしているせいか、モンスターやマジックアイテム、冒険世界の創造法など、背景設定に関するルールが体勢を占めるルール構成になっていました。つまりこれはファンタジー世界(幻想小説)の雰囲気を大切にしたゲーム作りと云えるでしょう。「T&T(R)」はその逆で、キャラクターに関するルールが大半を占めています。背景世界やファンタジーの雰囲気など、それこそ百人が百人の個人的なイメージがあるだろうから、ルールでは追求しないという姿勢であり、その代わりに冒険の主人公たるプレイヤーキャラクターに凝ってもらおう、という考えなのだと思います。換言すれば、GMよりもプレイヤー側に立ったシステム作りであると云えます。これは後に述べるソリティア度の高さについても同様に云えるでしょう。キャラクターのルールについて特に有名なのが、時代も世界もごちゃまぜの武器名鑑のようである圧倒的な装備の多さで、これは自分の好みのPCを作れるという点で高く評価したいところです。しかし、量が多い故に煩雑になってしまい、ちょっと取っつきにくくなってしまったことは否めませんが。

背景世界に凝らなかったT&T(R)は、豪快にも地下迷宮を冒険するためのルールしか提示しませんでした。無論TRPGの遊び方としては、それでは片手落ちですし、どんなルールでもシティアドヴェンチャーをできない理屈はないのですが、敢えてT&T(R)はルールは好きに使って下さいという姿勢に終始しています。あんまりそればかりではどうゲームをしたらいいか消費者が迷うので、例として地下迷宮探検が挙げられているに過ぎないのです。この姿勢の底流にあるのは、TRPGの重要な要素である自由度の尊重です。とにかく、押しつけがましいことを嫌う点では徹底しており、ルールもよく読めば、いかなるハウスルールを作っても対応しそうな感じに仕上がっています。そうした自由度の高さが、後に「モンスター!モンスター!」という逆転発想TRPGを生み、日本オリジナル改訂版の「ハイパーT&T」を生んだのでしょう。

戦闘ルールも非常にユニークです。大量のサイコロを使い、ギャグ漫画よろしくドタバタと敵味方入り交じって乱戦をする、それが簡単に述べたT&T(R)の戦闘です。簡単であることこの上なく、初心者でもすぐに覚えられます。リアルな戦闘を追求することは、自由度を求めることによって少しコミカルな感じになってしまったT&T(R)にはそぐわないと考えられたのでしょうか。しかしこの簡単な戦闘ルールの存在により、T&T(R)が生き残ったもうひとつの特徴が導き出されてくるのです。それが、TRPG屈指のソリティア度の高さです。これには、セービング・ロールと呼ばれる非常に簡便で応用度の高い行動判定ルールが存在することも大きく作用しています。

本来的には、TRPGは最低GMとプレイヤーがいないと遊ぶことができません。つまり、敢えて分類するならTRPGはパーティーゲームなのです。しかしT&T(R)は判定者の入る余地のない、簡易で完璧な戦闘ルールと行動判定ルールを持っていますので、シナリオ部分をブックタイプにする事によってソリティアができるというというTRPGの本筋からは少々外れるものの、非常に需要に高い方法論を編み出すことに成功したのです。ルール的にもキャラクター中心ですので、ブックタイプシナリオのほうでも、いくらでも自由度の高い冒険に仕上げることができます。T&T(R)はこのソリティアシナリオの存在によってTRPG界にその名を残しているといっても過言ではないかも知れません。後に流行するゲームブックにも、大きく影響を及ぼしています。

しかしソリティア度が高いということは、あまりGMの必要性を認めていないということにもつながります。第一世代ゆえの試行錯誤もあるのでしょうが、T&T(R)はそのソリティアに代表されるように、非常にゲーム性が高いということが指摘できるでしょう。つまり、あまりロールプレイを重視してはいないのです。市販のゲームシナリオによっては、ゲームバランスがきついのでプレイヤーひとりで2~3人キャラクターを持ったほうがいいなどとアドバイスされています。確かに純粋にゲームとして遊んでも楽しいことは楽しいのですが、やはりそこは他のテーブルゲームとは一線を画しているTRPGなのですから、演技というものにも気を配ったサポートをしてもらいたかった気がします。日本語版のサポートしていた社会思想社とグループSNEもそのことについては感じていたようで、雑誌『ウォーロック』誌上でセル・アーネイというオリジナルの背景世界を構築し、T&T(R)をよりRPGらしく遊ぼうという試みがなされました。なかなか斬新で興味深い企画だったのですが(なにしろ当時としては珍しく、読者公募で世界設定をしていったのです)、なにやら中途半端な状態のままT&T(R)自体のサポートに消極的となり(おそらく翻訳監修を受け持っていたグループSNEが「アドヴァンスド・ファイティング・ファンタジー」の翻訳に回ってしまった関係もあるのでしょう)、ついには『ウォーロック』の休刊(事実上の廃刊)によってセル・アーネイは幻と消えてしまいました。この試みが成功していれば、T&T(R)が現在のように廃れてしまうことも少しは防げたかも知れません。同時期に出されたFirst Editionのハイパー・T&Tが角川G文庫から改訂復刻されたのですから、同じようにセル・アーネイも復活して欲しいと思っているのですが……。

さて最後に、何故「TRPG システム博物館」というタイトルにしたかを書きましょうか。INETの読者の方も、「博物館」なら専門的で玄人が納得する文章を書け、というような趣旨のご意見を書かれていましたし。もし、博物館にそういうイメージを抱かれている方がいらっしゃいましたら、そのイメージは誤解ですので改めて下さい。博物館とは、逆に素人の方に学問への興味を持たせるのが目的の、いわば導入口なのです。社会教育とは、その手助けをしていくことを指しています。そして、博物館はそのためにあるのです。博物館学を勉強すれば博物館の3機能という中心概念を学ぶはずですが、まあ、専門的な話は端折ることにして、その機能のひとつとして社会教育があると考えて下さい。つまり博物館というのは、難しいことをなるべく易しく解説するところなのです。そして博物館は、後世に遺していかなければならない文物を保存していく役割も担っています。私がこの連載に博物館の名を冠したのは、ひとつのシステムに凝り固まってないで、いろんなものに目を向けて欲しいと思ったからで、それは、こじつけがましいのですが、博物館の理念に通ずるものがあると考えたからです。システムが複雑で一般受けしないものや、プレイ人口が減少傾向にあるもの、そもそもシステムが絶版になってしまったものなどを取り上げ、いろんなゲームをやろうよというメッセージを発したかったのです。

余談ですが、「4大国立博物館」として知られる東京・佐倉・奈良・京都は、博物館法で規定されているいわゆる博物館ではなく、「博物館相当施設」といいます。なんでかというと、あそこは目的が研究にあるからなんですね。つまり、厳密にいうと博物館じゃないんです、あそこは。

なんだか、TRPGの話の筈が、いつのまにやら博物館の話になってしまいました。ちょっと学芸員の卵としての血が騒いで、関係ないことをずらずらと書いてしまいました。ごめんなさい。でも、自分の考えが少し述べられたので、すっきりしています(笑)。

それでは、また。次回はいよいよ私以外の会員が登場します。お楽しみに。

文責:風森 蔚樹(いいわけ魔人)