「ランコーレ」2004年
「私は二人の友人と、歩道を歩いていた。
太陽は沈みかかっていた。 突然、空が血の赤色に変わった。
私は立ち止まり、酷い疲れを感じて、柵に寄り掛かった。
それは炎の舌と血とが、青黒いフィヨルドと町並みに被さるようであった。
友人は歩き続けたが、私はそこに立ち尽くしたまま不安に震え戦いていた。
そして私は、自然を貫く果てしない叫びを聞いた。」
ムンクの「叫び」といえば、表現主義の代表的絵画としてあまりにも有名ですが、私自身、小学校の時テレビでこの作品が紹介されているのを観て、絵という物がここまで力強く、物凄いものなのだと思った最初の絵画作品でした。当時あくまで教養としてとらえていたピカソとかゴッホとかよりもずっとインパクトがあり、シンプルで分かりやすく、かつ恐ろしく意味深い物に思えたのです。なぜ一枚の絵なのに、すさまじい音楽が聞こえてくるのだろう…荒々しいタッチなのに、リアルな写真や映像以上に、文字通り耳をつんざくような叫びが聞こえてくるようだ…。子供ながらに、いや子供だったからこそ、ムンクの一連の作品…「不安」「吸血鬼」「病める子」に強く惹かれたのかも知れません。
というわけで、古今東西の芸術家達の中でも夢中になった画家の一人、ムンクの「叫び」がラベルになったワインをネットで見かけた時、味がどうこう言う前にまずは入手しなくては、と思ってしまったのも無理はないかと。これはもう、買って飲んでみるしかない…その名も「ランコーレ」。何でもイタリア語で「怨み」を意味するとか。造り手はアンドレア・パオレッティ、フィレンツェ教皇庁が所有する畑の一部を借りて作った年産5000本の限定ワインなのだそうだ。何故に「怨み」? 何故に「叫び」? 理由はどうやらしっかりとは明かされていないらしい。サイトでは「葡萄やテロワールの個性を発揮してもらえず世に送り出されたサンジョヴェーゼの恨み、を意味しているのでは?」とか書かれていましたが、正直あんまり的を射ているとも思えません。ちなみに同じくパオレッティが手掛けるピノ・ネロは、「フォルトゥーニ」、すなわち「幸福」という名のワイン。ピノ・ネロで造ったワインは「幸福」で、サンジョベーゼ主体のこのワインは「怨み」なのか…何とも不思議ではありますが、そもそも「サンジョベーゼ」の名前の由来は「ジュピターの血」とも言われていますから、「空が血の赤色に変わった…」と説明される「叫び」の作品のイメージとも重ならない訳ではないかなと。イタリア、トスカーナといえば楽天的な、明るい青空のもと陽気な人々が集うところ…というイメージがありますが、一方で歴史が古くメディチ家やサヴォナローラが闘争を繰り返した歴史があり、血と粛正、内戦と謀略が渦巻いた過去を持っているわけで、北欧ノルウェーのムンクの世界と文字通り重なるわけではないにしても、全くつながりがないわけでもなさそう。
葡萄品種はサンジョヴェーゼ80%、 メルロー15% 、ピノ・ネロ5%で、手作業で完熟した房のみを選別しながら収穫、フレンチオークの1年使用トノー(300L)にて14ヶ月熟成後、瓶熟6ヶ月を経て出荷…という、非常に真っ当な造りによるものだそうで、実際に飲んでみると…確かに美味しい! 「怨み」とか「叫び」とかという言葉のイメージからはややかけ離れた、まさに正統派の丁寧に造られたサンジョベーゼらしい赤ワインでした。6年近い熟成を経ていながら、色はしっかりした赤紫色で若々しく、香りは果実味のあふれたいかにもイタリアらしい華やかなもの。酸味のバランスも良く、非常に長い余韻が楽しめます。こういうラベルが貼られているくらいだから、もう少しひねくれた、ちょっと首をかしげるような味わいが隠れていてもおかしくはないと思ったのですが、あにはからんや、全くもって文句の付けようのない味わい深い逸品に仕上がっていました。
絵が好きなので、ワインを買う時もどちらかというと有名銘柄やレアアイテムよりも、インパクトのあるラベルを優先して手にとってしまいがちですが、今まで正直あまり後悔したことはありません。動物ラベルとか凝ったロゴとか逆に要素をそぎ落としたシンプルなものとか、ラベルに造り手のこだわりを垣間見ることができます。ムンクの作品をラベルにいれてしまうほどの人物が造るワインなら、逆に間違いはないと思っていましたが、今回も期待以上のものでした。良かった良かった!