「4月の独り言」
4月24日
前日夕ご飯は牛丼一杯だったので、さすがに朝お腹が空いたのでおにぎりを2個買って早めに出勤。ところが何かと重なるときは重なるもので、会社に顔を出した途端色々と業務が重なり、おにぎりを机の上に置いたまま夕方までノンストップ状態。そのまま外出の用事があり、朝から何も口にしないまま、買ったおにぎりを食べたのは午後9時半頃地下鉄の駅を出た後でした。
私の場合食べないと調子が悪くなるらしい。翌朝ちょっとお腹を壊したりして。
4月27日
高輪プリンスで開催される日本ソムリエ協会の例会に参加。私はワインアドバイザー資格は取得しているのですが、手続きが面
倒臭かったのでソムリエ協会の会員にはなっていないのでした。でも一応案内が来たので顔を出すことに。もともと今日はワインスカラのプレステージランチがある筈だったのですが、それが延期になってしまったこともあって。
次回の世界ソムリエコンクール日本代表の阿部誠氏による「熟成による味わいの変化」をテーマとした講演を聞く。白は国産「大泉葡萄酒」の甲州使用ワイン熟成違い3種、赤はロワールの「サン・ニコラ・ド・ブルグイユ」のカベルネ・フラン熟成違い2種をテイスティング。
・大泉葡萄酒 甲州シュール・リー2002年 シュール・リーは樽の中のまだ澱の上にあるワインの上澄みだけを取りだして瓶詰めするもの。殆ど無色に近い淡い緑色で、吟醸香を感じます。鮎の塩焼きとか良いそうです。
・大泉葡萄酒 甲州1990年 全体的にやや黄色がかった緑色。密閉式のタンクで窒素ガスを加えて10年間保存したもの。それだけに非常にフレッシュな印象。甘口なので田楽などの味噌との相性が良いそうです。
・大泉葡萄酒 甲州1988年 収穫の翌年三月に瓶詰めしてそのまま熟成されたもの。濃い琥珀色で香りは殆どシェリー。食後にコンテのようなハードタイプのチーズなどと。
・St. Nicolas de Bourgueil Vieille Vignes 2000 カベルネ・フラン100%。深い紫色。スパイスの香りやピーマン香などが感じられます。スパイスを利かせた小羊のローストなど。
・St. Nicolas de Bourgueil Vieille Vignes 1988 ややオレンジ色に。熟成香が支配的になっています。キノコを使った子牛の料理など。直前に抜栓、デカンタージュは不要。
甲州というとどうしても若いタイプしか飲む機会がないのですが、古酒はなかなかの味わいでした。3,000円でテイスティング込みの講演というのは結構手頃かも。
ややほろ酔い気分のまま、夕方ブリジストン美術館へ「レオン・スピリアールト展」を観に行きました。先々週投扇興の集まりの時に、Sさんから勧められていて、機会があったら足を伸ばしてみようと思っていたのでした。感想はこちら。もっともどこかで観たことがあると思ったら、以前に「ベルギーの巨匠五人展」にも作品が出展されていた画家だったのですね。失念していたとは情けない。「五人展」はアンソール、ペルメーク、マグリット、デルヴォー、そしてスピリアールトを特集したものでしたが、どうしてもなじみのあるマグリットやデルヴォーの方に意識が偏りがちだったので……。
東京駅でアルザスのお菓子「ビアリッツ」を4個買って帰る。クッキーとパイの中間の食感で美味。思わず4個全部食べそうになったけれど、ここは2個で我慢。うん、人間辛抱が必要や。
4月20日
先週も先々週も土曜日は雨で寒くて、しかもその時に限って外出の予定が入る……と愚痴ったばかりでしたが、この週は土曜日は晴れたのに用事がなく、日曜日は雨なのに外出予定ありでした……うーんことごとくタイミングを外しているような……。晴れの日に家にいるのは損した気分だし、雨の日には部屋の中で読んだり書いたりするのが好きなのだけれど。
というわけでこの日は「デザイン・フェスタ」を見にM氏と東京ビッグサイトへ。昨年の秋にも顔を出し、次回は参加してみたいものだなどと言っていたらもう半年たっちゃったのでした。今回も一通
り回ったのですが、面白いなと思ったものは「ピョン吉Tシャツ」も含めて前回も出展されていたものばかり。中には確かに脱帽ものの巧い絵とかあったけれど、インパクトという意味では少々物足りなかった感は否めない。会場内をブラスバンドが回っていたりして相変わらずにぎやかではあるのですが。
午後一時頃から四時頃まで回った後、M氏と別れて上野へ。YさんKさんと合流して「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」を観る。日曜の夜の回でしたが、確か前日興行収益第一位
と紹介されていたのに、ほとんどガラガラ。大丈夫かしらと思ってしまいました。一位
でこの有様なら他は推して知るべし。感想はこちら。その後ビストロで軽く食事などして解散したのでした。
4月12日
このところなぜか土曜日に集まりがあり、その度に雨が降っているような気がします……。この日はワークショップのK先生の案内で、浅草の「投扇興(とうせんきょう)」の集いへ参加。午前十一時過ぎに浅草雷門の前に集合。なんとかこの時は雨も降らずにいたので、とりあえず観に行ってみようと思ったのですが……。ワークショップのメンバーAさん、Tさん、Sさんの他に、K先生の仕事関係の知り合いの方々数名が集まっていましたが、K先生を除くと私以外は全員女性。きれいな着物を着ていらっしゃる方もいて、早くも場違いな雰囲気……。
場所は浅草寺伝法院・大書院。普段は一般公開されていないようですが、中には庭園があり池にかかった橋からは五重塔が見えたりして、なかなかの風情。東京という感じがしませんでした。
入場料は3,000円。頂いたパンフレットには「江戸開府400年記念 第22回雅の会〜投壺と投扇興の集い」と書かれており、プログラムには挨拶、祝辞、第一部「投壺(とうこ)」、お茶席(随時)、第二部「投扇興」、表彰式……と何やら仰々しいタイトルが並んでたりして。実は当日全く気まぐれに顔を出した程度なので、「投扇」とはどういうものかも知らず、何となくイメージで時代劇に出てくるヤブスマ……じゃない流鏑馬(やぶさめ)みたいなもの(あれは扇を射るのか)か、もしくは小型の扇を手裏剣みたいに投げるようなものかしらと漠然と思っていたのでした。他のメンバーはK先生をはじめとして前回の大会の経験者だったりしたので、趣旨を分かっていなかったのはどうやら私くらいか?
庭園をしばらく眺めたりしているうちに、いよいよ「雅の会」のはじまりはじまり。寺内の広間を囲むようにして百名ほどの人々が集まり、広間の中央にいた浅草観光連盟の会長さんから挨拶の言葉があり、さっそく第一部「投壺」の実演へ。
何が始まることやらと眺めていると、広間の中央に壺が置かれ、その壺に対して互いに向かい合う形で対戦相手が座り、交替で壺に向けて矢を投げ入れ、矢の落ちた形によって得点が加算され勝ち負けが競われるというもの。壷そのものを投げるわけじゃなかったのね! これがいわゆる投扇興の元になった遊びで、中国の漢の武帝の時代に宮廷で行われた物だそうです。なるほど壺に対して矢三本分という近い距離に座って互いに矢を手で上に向けて投げ合う訳だから、どことなく戦争を見立てたものに思われますね。徳川時代に京都で少し流行したようですが、酒の席での余興にしてはやたら規則が煩雑でそれほど隆盛を極めはしなかったそうです。
「投壺」の実演が終わった後、なぜか芸者さん達の踊りが……。プログラムには「御祝儀 春の舞 浅草芸妓連」とあり、「投扇興」が元々は酒宴の席で催される遊戯だったことに関係しているらしい。私にはイマイチこのあたりが良く分からないというか、確かに時代劇なんかではおなじみの場面
なんだけれど、こういう芸者さんの舞を昔の人は楽しいと思ったのかなあと漠然と疑問に思うのでありました。
その後いよいよ本題の第二部、「投扇興」が始まりました。まずは実演として、去年のチャンピオン(そうは言ってなかったかも知れないけれどまあそういうレベルの高い人)の特別
試合。座の中央に小さな枕(当時の枕だから見た目は直方体の木の箱)が置かれ、その上に的となる蝶形(蝶々の形をした、両翼に紐で鈴を垂らした格好の物)を載せます。対戦相手はその中央の枕に対して互いに向かい合う形に座り、交替で広げた扇子を蝶形へ向けて投げて、見事に枕の上の蝶を倒せば得点が加算されます。ただ倒せば良いというわけではなく、倒した後の扇子と蝶形の形によって加算される得点が細かく別
れていて、しかもその形の呼び名が全て源氏物語の54帖のタイトルにちなんで名付けられているところがいかにも「みやび」なのであります。司会の方もしきりに「勝敗を競うのではなくあくまで雅なお遊びであることをお忘れなく」と強調していました。ふむふむ。
扇子を大きく広げて、その広げた方を前に向けて投げれば、空気抵抗で思うように飛ばないのは当たり前。的までの距離は1.5メートル程度とはいうものの、そうそう簡単に当たるものではありますまい。しかし優勝者クラスになると、単に的を落とすのではなく、的が落ちたあとに枕の上にふわりと扇子が乗っかったりして、その形の見事さに思わず歓声が上がったりもします。
投扇が始まったのは江戸時代、1773年(安永二年)の京都にて、ある人物が枕にとまった蝶に扇子を投げたところ、枕の上に扇子が乗り、蝶が飛び去ったのを見て、先の「投壷」の遊戯にならって編み出したのが始まりなのだそうです。
さて、実演の後個人競技・団体競技が開始となりました。個人競技は初心者による紅の部と、経験者による紫の部とに別
れ、それぞれ数十名の勝ち抜き戦となっていました。K先生御家族、および仕事関係の方々とワークショップのAさんは既に経験者の紫の部に参加登録されていて、残りの我々はただそれを見学しつつ応援すれば良いと思っていたのですが、初心者の紅の部に四人ほど空きがあるという。誰でもいいからやってみたい人は名乗り上げて下さいとのアナウンス。
「やってみたらどうですか?」
「……えっ?」
と言うわけで、今さっきやっとルールを理解したばかりの私も飛び入りでエントリーすることに。参加登録された方達は1週間ほど前に練習試合を経験しているそうだけど、こっちは初心者、というよりずぶの素人以下のレベル。的に当てることさえできるとは思えないのだが、そこはどうにも出たがりの性分なのか、あっさりと提案に乗ってしまったのでした。ものは試しだ。
いつ試合に参加することになるのかと聞くと、もう五分後には試合開始だという。そんな無茶なと思いつつ、試合の準備が進められる中、ちょっとだけ練習。
「広げた扇子は右手の親指で軽く押さえて、下から人さし指で支えるようにして、前に突き出すような感じで飛ばすこと。ふわりと上へ舞うので、心持ち下に向けて飛ばす。決して投げつけてはだめ。左手は膝に添えて、正座をしたらかかとと腰は放してはいけない。膝か座布団から前に出てはだめ」
……これって身体が柔らかくて、座高が高く手が長いほど有利ってことではないか? あいにく私は全部ダメだぞ?
とはいうものの、参加者の中には子供もいるので文句は言えない。ころ合いを見計らって1回目の練習。
えいっ。
……なんと見事に的を落とし、しかも扇子にかぶさるように的が落ちた。
…いけるかも!
まぐれ当たりに気を良くして二回目の練習。
えいっ。
今度はみじめにも枕までの半分の距離の地点に落下。だめじゃん。
そうこうするうちに試合開始。ああっ、全然練習にならない……せめて一発目の感覚が思い出せればいいのだけれど、何も考えずにやったので文字通
り何も頭に残っていない。脳みそ真っ白のまま試合開始。
試合は互いに五本の扇子を投げ合い、場所を交替して再び五本の扇子を投げ合う。つまり一人当たり十回投げることになります。しかし外は雨も降っていて風も強く、障子は全て開け放たれているのでこれは場所によってかなり不利な場合もありそう。その点私の試合する席は広間の奥の方だったので、ある意味風とかの影響は少なかったと思います。10回のうち8回はみじめにもかすりもしなかったけれど、二回は的を倒し、そのうち一回は的と扇子が離れた所に落ちたので「花散里(はなちるさと)」(1点)。「はなちるさと〜」と行司が宣言するのは確かに得点の連呼よりも「みやび」でありますな。もう一回は扇子の上に的が重なっていたので「絵合(えあわせ)」。これは4点という高得点。合計5点となりました。まあ初めてだしこんなものかなと思ったら、対戦相手のおじさんは25点という高得点。ほんとに初心者ですか?
つまり的を落とした後の形が重要なのであります。単に当てただけなら10回全部当てても10点にしかならないけれど、落ちた的がすっくと立っていたら「早蕨」(何て読むのか分からん)で10点、落ちた的が立っている上に枕の上に扇子がふわりと乗っかれば「桐壷」で20点、落ちた扇子の上に的が立ったら「浮舟」で30点、落ちた的が立っていてかつ枕と的の両方にかぶさるように扇子が降りたら(そんなことってほんとに起きるのか?)「夢浮橋」で50点と、その難易度によって大きく得点が異なるのでした。実際経験者の紫の部でも、40点だのはたまた70点だの、「どうやったらそんな得点が狙えるんだ?」と思うような名人技が出現し、その度ごとに歓声が上がったのでした。
自分の試合が終わった後、負けた私は次の試合の片付け役。散らばった扇子と的を、次の相手が始める前に片付けるのですが、次の試合は女性同士。どちらもまさしく真剣な眼差しで、扇子を前に突き出ししっかと的を睨みつける表情はコワイくらい。試合中もへらへらと笑っていた私はやっぱり真剣味が足りなかったか……。
紅の部の後始まった紫の部も終わり、メンバーの試合も全て終了。さすがに皆さん練習試合をこなしてきただけあって高得点。着物の女性作家などは、的を落とした後に枕の上に扇子が乗る「澪標」(11点……だったかな?)といった離れ業を決めたものの、相手がさらにワザを決めてきたので惜しくも敗退。当たったらオーケー、という私とはレベルが違いましたね。お茶など頂いた後、寺の中を見て回り(結構簡単にあちこち入れたけれどいいのかしら?)、雨の上がった庭園を散策した後、家族で会食されるK先生達と別
れ、先生の作家さん仲間の女性達も含めて7名ほどで喫茶店で一服したのでした。
その後雨が降り始めた中、Tさんと下落合へ。0さんの参加している劇「SERAPH!
ACT-4/WING DING WIND」を観に行く。小劇場に着くと同じくワークショップのメンバーのIさん、Aさん、Nさん、Yさんが来ていました。二年前に同じくSERAPH!が公演した「MIDNIGHT-MIME」の続編にあたる物語で、前回の主人公の少女あかりが、夢の中で悪夢を食べるバクから夢の中の仲間達を守ろうとするファンタジー。Oさんは夢の中の仲間の一人で、悪の女王の手下に捕まって拷問されるという役どころ。毎回頑張っているなあ。吸血鬼や狼男などの魔の一族が人間の娘を育てていたという前作に比べると、少しキャラクター物の面
白さという点では今回の方が弱いような気もしましたが、唐突な創作ラジオ体操でのオープニングや、バラの精を始めとしてエキセントリックな役を次々と演じ分ける年配の俳優さんの熱演など、なかなか楽しい一時間半の舞台でした。
観劇終了後、Oさんのお勧めに従い、下落合の「滝の湯」という居酒屋で。居酒屋というより、「滝の湯」というお風呂屋さんの二階が飲み屋になっていて、お風呂上がりの人もそうでない人も一杯やれるというもの。入ってみると壁一面
に色紙が貼られ、赤塚不二夫や小島功を始めとして有名な漫画家の生の絵がずらり。近くに住んでいる漫画家が多いのかしら。庶民的な雰囲気で、あんまり愛想がいいとはいえない御主人が黙々と瓶ビールとか運んでくるのでした。焼きうどんやピラフ、おでんや牛タン塩焼きなど、空腹だったので次から次へと注文すると「あんまり食材ないんだけどまさか明日も来るの?」などとたしなめられたりして。そういう普通
っぽい会話がかえって居心地が良かったりします。劇に参加していたOさんも、明日も公演だというのに合流して皆で終電間際まで飲み食いしたのでした。
昼間は浅草の普段観られない寺の中に入り浸り、夜は舞台を見た後小さな旅館みたいな座敷で宴会と、なんか一日どこかへ小旅行したような気分。ちなみに昼間テレビを見ていたAさんによると、浅草の投扇興の模様が放映されていて、着物の女性が試合をしている中、それを覗き込んでいるK先生の姿もしっかり映っていたとか。そういえばテレビカメラも会場に来ていたけれど、私は映してもらえなかったのかなあ。
4月6日
風は強かったものの、前日とは打って変わって晴れました。一日違いで最高気温が10℃近く違う……こりゃ体調崩すわなあ。
午前中に散髪に行き、その後午後から銀座「月の蔵」にて職場のK先輩の結婚式二次会。
総勢200名近い人数が集まり、同じ職場の筈なのに知らない顔も多い。立食形式かと思ったら座敷・個室交えての貸し切り状態。いくらなんでも人数が多すぎたみたい。ビールもワインも宴会終了前になくなってしまったりして。
花嫁を連れたK先輩は、一通り各席に挨拶に回りながらその度ごとに1杯ずつビールを飲み干し、最後の宴会芸ではひたすらビールを一気飲みするというタイムマシンという芸を披露していたのですが(「博士! タイムマシンが完成しました!」「よし、お祝いに乾杯しよう!」と言って飲む。「じゃあ1分前に時間を戻そう」カチャカチャ……「博士! タイムマシンが完成しました」……これを延々繰り返す)、あんなに飲み続けて大丈夫だろうか。げに恐ろしきは職場の二次会……。
4月5日
江戸川公園にて空想小説ワークショップ恒例の花見。
この日は前日の予報で雨、最高気温10℃という予報。予報は外れることもある! ということでそれでも望みを捨てずにいたのですが、当日は予想をさらに上回る風の強い冷たい雨が降り、気温も6℃そこそこまでしか上がらないという素敵なお花見日和。
先週の土曜日も寒かったけれど、それでもコートなしで夕方まで頑張れたのだ。しかしこの日はそれを通
り越してめちゃめちゃ寒い。しまい込んであった厚手の真冬用コートとマフラーを取り出して出掛ける。
さすがにこの天気だ、いったん集合したらどこか店にでも流れるに違いない……と思っていたのですが、いざ公園に辿り着いてみると、殆ど他には花見客などいない中(当たり前か?)、屋根付きの山小屋みたいなところにもう既に20人以上の参加者が……。ほ、ほんとにやるんだ……。確かに桜は咲いてはいるのだが、桜色を楽しむという空模様ではない……。七輪で暖めた豚汁など頂きながら、ひたすら持込みの酒を開けまくる。S田さんが自宅でだいじに冷蔵保管されていた大吟醸酒が本人の気付かぬ
うちに熱燗にされていたりする一幕もあったが、数本あった日本酒もワインも寒いせいか結構急ピッチでなくなっていったのでした。持ち込まれたものはとりあえず消化するぞ、との勢いでしばらく頑張るが、何しろ寒い。ということで午後二時に始まったお花見は四時にはお開きに。
すぐそこが江戸川橋駅だからそのまま有楽町線で池袋まで行けばどこか店が開いているだろう、と考えていたら、なんの因果
かそのまま桜並木を見ながら高田馬場まで歩くハメに。元気すぎるよK先生。というわけでぞろぞろ移動するうちに数人が脱落、駅の近くの居酒屋に着いた時には半分くらいに減っていたような……。もっともそれを見越して二次会から合流してきた人もちらほら。S村さんからワイングラスの折紙など教わったりしているうちに、同じ店で11時近くまで居座ったのでした。