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【映画】ティム・バートン「スウィニー・トッド」(渋谷ピカデリー)

 前作「チャーリーとチョコレート工場」同様、ジョニー・デップヘレナ・ボナム・カーターのコンビが登場しますが、「チャーリー」が明るいファンタジーで、「スウィニー・トッド」がダークなサスペンスという大きな違いはあるものの、実はこの2作品、非常に共通 点の多い作品に仕上がっています。
 まず、どちらもミュージカルのスタイルを取っていること。普通に演技していた俳優達が唐突に歌いだすというのは少々不自然に感じるものなのですが、バートンの映画は全ての空間がどこか作り物めいているので、舞台を観るのと同じような奇妙な陶酔感があって、その不自然さがあまり気になりませんね。
 それぞれオープニング・タイトルで、「チャーリー」では大量の茶色いチョコレートが、「スウィニー」では大量 の真っ赤な血が、機械の溝の中をどろどろと流れていきます。赤い血は外気に触れると次第に茶色くなるわけですし、チョコレート色と血の色はある意味近しい関係にあると言えなくもありません。
 「チャーリー」においても、「スウィニー」においても、デップ演じる主人公はどこかで「家族の絆」を失い、まともに人生を歩むことができなくなっています。「家族」の呪縛が最後まで彼を追いつめるのです。
 そして両作品において、主人公は招き入れた筈の子供によって、最後の運命を決定づけられていくのです。元々「スウィニー・トッド」で、拾われるのは子供ではなく頭の弱い青年だったそうですが、それをティム・バートンがわざわざ少年に設定し直したのだそうで、ある意味非常に納得できる話なのであります。


【映画】ガボア・クスポ「テラビシアにかける橋」(銀座シネパトス)

 昨年6月、アメリカから帰国する飛行機の中で、なかなか眠れず色々な映画をチャンネルを切り替えながら観ていました。「23」(分かりにくいようで分かりやすいかも)、「シューター」(これは日本語吹き替え版もやっていたのでラッキー)、「善き人のためのソナタ」(ドイツ映画の英語字幕だったのでラッキー。予想通 りではあるものの印象的なラスト)といった機内テレビのラインナップの中で、「テラビシアにかける橋」も字幕なしの英語版で上映していたのでした。ファンタジー映画にしてはCGも地味で、ただひたすら可愛い男の子と女の子が駆け回る話だなあと何とはなしに観ていたら、意外なラストにびっくり。原作も有名な小説なので、知っている人にとっては有名なオチだったのかも知れませんが、全くノーマークの作品だったので、逆に強く印象に残ったのでした。もう一度繰り返し最初からしっかりと……と思っていたら既に時間切れだったので、これはもう日本公開を待つしかないなあと思っていたら、年を越してしまいました。最近は向こうでそこそこ話題になった作品も日本公開が半年から一年近く遅れることが多いように思われます。
 主人公の少年ジェスは、貧しい家庭で姉と妹達に挟まれ窮屈な思いをしながら、常にスケッチブックを抱えて絵を描いている夢想家のいじめられっ子。隣に引っ越してきた少女レスリーは、作家の両親に愛され、徒競走も作文も一番で、心身ともに活発だけど、どこか周囲になじめずにいる変わり者。二人は小川の向こうに広がる林の中に、想像上の秘密の王国を築き上げていく。その王国「テラビシア」では、ダークマスターとその手下達が王国の住人達を虜にしており、彼らを解放することが二人の使命なのだ……。
 ままならぬ現実の中で、その延長線上に子供が築き上げる空想の世界、そしてその空想の世界を愛おしく抱き締めている子供に、現実の生と死を巡る残酷な運命が迫っていく……。これはまさに、「ローズ・イン・タイドランド」で、そして「パンズ・ラビリンス」で描かれた世界と通 じるものがあります。徹底してドライでシュールな持ち味の「タイドランド」、涙をも拒絶するようなリアルでシビアな「ラビリンス」に比べ、よりウェットでソフトなテイストの「テラビシア」とでは、それぞれ見終わった後の印象はまったく異なるものの、「現実から幻想へ、そして現実への回帰と融合へ」と流れていく、同じ世界観で構成されている作品のように思われます。この1〜2年のうちに、「現実から逃げ切ることのできないファンタジー」の傑作が立て続けに登場しているのは、何か理由があるのかも知れませんが、徹頭徹尾のご都合主義的甘口ファンタジーを受け付けない体質になってしまった身としては、ありがたい傾向ではあります。
 レスリーを演じるアナソフィア・ロブは、ティム・バートン「チャーリーとチョコレート工場」で、チューインガムを噛み続けるヴァイオレットを演じた子です。短髪のブロンドに大きな瞳という風貌は全く同じなのに、かたや笑顔を絶やさないながらどこか寂しげな優等生、かたやワガママで嫌みったらしい現代っ子と、真逆のキャラクターを演じ分けていて、その存在感には非常に驚かされました。この作品では、レスリーの存在感こそが要であり、わずか95分の短い作品の中でどこまでこの子に共感できるかがポイントなので、原作での描写 とは異なるというものの、この作品では見事に成功していると言えるでしょう。映画としてはいかにも小品で、観客もまばらでしたが、雨の降る中、こちらに一度視線を投げ掛けながら、子犬を抱いて走り去るレスリーの姿は、いくばくかの喪失感とともに、人が皆どこかに抱え持っている優しい感情を蘇らせてくれたと思うのです。


【長編詩】W.H.オーデン「不安の時代」(国文社)

 レナード・バーンスタインの楽曲といえば、まずは「ウェストサイド・ストーリー」が有名ですが、私のお気に入りといえば、交響曲第2番「不安の時代」であります。志鳥栄八郎著「大作曲家とそのレコード」(音楽之友社)で紹介されていたのを読み、何よりもその題名が気に入ったのでした。「不安の時代」(THE AGE OF ANXIETY)とは、まさに単刀直入に今の世の中をそのまま表現した言葉であります。長さは30分程度、交響曲というよりはピアノ協奏曲のスタイルで、正統派のクラシックと「ラプソディ・イン・ブルー」のようなジャズのテイストが入り交じった曲ですが、他の交響曲第1番「エレミア」と第3番「ガディッシュ」が、どちらかというと宗教楽曲で分かりにくいのに比べ、非常に馴染みやすいメランコリックなメロディーなので、もっと有名になってもいいのにと思うのですが、なぜか殆ど廃盤扱いです。出だしのところなんか、映画音楽としても非常にはまりそうに感じるんですが。
 さて、その交響曲「不安の時代」が、オーデンという20世紀のアメリカの詩人の手による長編詩を元に作曲されたことは知っていたのですが、たまたまAmazonで検索していて、この詩を翻訳した本が1冊だけ在庫があることを知って思わず購入。1993年出版とあるので、私がバーンスタインの曲を知ってからずっと後の刊行であります。
 タイトルに「バロック風田園詩」とあり、どこか社会告発的な内容を想像しているとやや肩透かしを食らうことになりますが、第2次世界大戦を背景に、社会的な不安を背中に感じながら、四人の男女が酔いにまかせて幻想の中を旅するこの長編詩は、やはり題名通 り独特の雰囲気を醸し出しています。

 罰を受けた連中が、こんどは陽気な正義派たちを裁くためにやってくる。
 しかも彼らと共に、さらに恐ろしい魔術師たちが現れる。
 未来を奪われ、産まれる可能性がなくなったことを
 知って泣きわめく幼児たちが。
 (「第1部・プロローグ」から)

 オーデンはこの長編詩で、1940年頃の世界の全ての様相を描こうとしたと言われます。人間の長所も短所も、全て令静に受け止めようとする複眼的な視線。それが回り回って、結局はこの世界全てが、単純に二律背反で説明できない、まさに「不安な」状態にあるものとして、読む者の前に現れてくる……そんな風に感じたのですが、どうでしょうか。


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