晩春
by 銀茄子

初出:1996年12月 冬コミ
掲載誌:Lonly Isle (Multiple-Cafe)
 掲載誌「Lonly Isle」の主題は「孤島」。4人の作者が春夏秋冬の孤島風景をそれぞれ担当するという形で編集されました。この「晩春」は、題名の通り「春の孤島」というキーワードにのっとって作ったものです。


「おじいちゃん! これなあに?」

 弾むような声が部屋の隅からひびいた。もうすぐ5歳になる孫の了子だ。過飽和の
溶液に投げ込まれた塩のかけらのように、その声は何十年間も無意識に目を背けてい
た現実を暴力的に結晶化させた。次代になにを託すにせよ、私は・・・・・・私たちは託す
相手を選択できないのだ。

「それはね」

 私はそこで一瞬絶句したものだ。

「これはね、おじいさんの宝物なのさ。おじいさんが了子よりもう少し大きかったこ
 ろにおばあさんからもらって、ずっと育て続けてるんだよ」
「うそ! あたし知ってるもん。おじいさんが了子くらいのとき、おばあさんはまだ
 生まれてなかったんでしょ? こないだそう言ってたもん」
「ああ、そうだったね。おばあさん・・・・・・と言っても了子のお父さんのおかあさんの
 ことじゃあない。これはおじいさんのおばあさんが作ったものさ。もう何十年も昔。
 おじいさんのおばあさんが死んでしまうちょっと前におじいさんにくれたんだ」
「おじいさんのおばあさん?? 了子のおばあさんと違うの?」

   *     *     *

「光のよくあたるところに置きなさい。でも太陽に直接当ててはいけませんよ」
「太陽に? そんなことできるの?」
 何十年も昔のことなのにここの記憶は鮮明だ。ここで祖母が大きくため息をついた
ためだろう。祖母はめったに人前でため息をついたりなどしない人だったのだ。
「・・・・・・そうだったわね。ごめんなさい」
「おばあさん、どうしてあやまるのさ。なんか悪いことしたの?」
「したのよ・・・・・・でも大事なことはね、昼は暖めすぎないように光をたくさんあてて、
 夜は暗くすることなの」
「ふ〜ん。できるかなあ、毎日でしょ? あっためすぎたり光を当てるの忘れちゃっ
 たりしたらどうなるの?」
「枯れてしまう、ということはないけど、つまらなくなると思うわ。たとえば、水草
 は残ってもエビがみんな消えてしまうかもしれないわね」

 こうしてそれは私のものになった。晩年の祖母が目覚めている時間のほとんどをそ
の世話につぎ込んだ小さなガラスの球体。そういえば祖母は言っていた。昔は小さな
鉢で樹木を育てるのが年寄りの楽しみとして推奨されたものだけど、それもかなわぬ
時代になっ。それとよく似てるでしょう? 世話はずっと楽だけど、それが現代的っ
てものなのよね。

   *     *     *

 祖母から引き継いだのは直径二十センチほどの球形の水槽だった。半分ほど水で満
たされ、なかにはいろいろな藻が密生している。藻の間には小さな動物が何匹か泳ぎ
まわり、底では目の粗い薄肌色の砂をやわらかそうな殻も脚もない生き物がスルスル
と動く。泳いでいるのはエビのような大小いろいろの甲殻類。しかし・・・・・・どこでも
見かけるふつうの水槽と違ってこの球にはエアポンプの管がない。それどころかただ
ひとつの口にはガラスの蓋があてがわれ、ネジのついた金具で完全に密閉されている。
 この大きなエメラルドの水槽は、美しいだけでなく自立した命を持っているのだ。
ガラスを通して入ってくる光で藻が酸素を作る。その酸素を吸い、藻を食べてたくさ
んの小さな動物が生まれそだつ。動物の出す二酸化炭素や排泄するものはふたたび藻
の養分になり、ここに物質循環の輪が閉じる。太陽を源とし、絶対3Kの宇宙空間に
吸い取られていくエネルギーの流れのほんのひとかけらにささえられて、それ以外に
は外の宇宙となんの関係ももたずに生きていく小さな世界・・・・・・もちろん祖母が死ん
だときの私にはそこまでの理解はない。ただ、生前の祖母がやっていたように、昼は
明るい所に置き暑い日には濡れタオルで冷やし、中の生き物の動きに心をおどらせる
だけだった。

   *     *     *

 あの日以来、了子が遊びに来る回数が増えた。いまの時代兄弟姉妹のいる子供はほ
とんどいない。息子夫婦にも二人目の子供を作るゆとりはないし、そもそもよほど特
別な遺伝子をもつ夫婦にしか複数の子供をつくる許可はおりない。そのため、どの子
供も2人の両親と4人の祖父母を持つ一方で、2人以上の孫をもつ老人はまずいない。
子供のほうから見れば自分の相手をしてくれる大人は選り取りみどりだ。

 にもかかわらず、島の半ば以上を歩いて彼女はちょくちょく「水槽」を見にやって
くるようになった。私のところに遊びにきてくれること以上に、かつての私と同じよ
うに了子が「水槽」に興味を持っているのが格別に嬉しかった。

 しかし・・・・・・島? いや、私たちが住んでいるこの場所を言い表すのにこれ以上に
適切な単語はないだろう。

 祖母は流浪の生涯を送った。といっても難民だったわけではない。彼女の時代は世
界中の先進文明圏の人間が移動しつづける世紀だったのだ。地質学的時間スケールで
はほんの一瞬の間に起こった気温と海面の上昇。すべての沿岸国家を同時におそった
自然現象は、他国への難民の発生すら許さなかった。
 暖かい地方の陸地は永遠の豪雨の世界になった。気象衛星は、赤道付近の陸地がほ
ぼ完全に雲に閉ざされ、海洋では季節に無関係に巨大な台風が続々と生まれる地球の
画像を送ってきた。南極の陸地は、氷が融けて数十万年ぶりに太陽の光をあびたのも
つかの間、大部分がすぐに海中に没してしまった。

 生き延びるために、祖母の世代の人々は都市を作り続けた。海が近づくたびに、そ
れが不潔なものであるかのごとく町ぐるみで内陸に移動した。新しく作られる町は以
前の町よりも小さく、設備は悪く、人口は少なくなるのが常だった。はじめは都市。
次は町。やがて残る陸地が少なくなるにつれ、町というよりも村、村というよりも砦
という言葉がふさわしいものになっていった。移動先が見つけられなかった町、新た
な町をつくる力の尽きた町は、そのまま海に呑み込まれた。呑まれて消えてしまった
町がほとんどだった。周囲を壁でかこんで水の底で生活を続ける町もあったが、それ
も高地の生き残りの町からみれば消えてしまったのとなんの違いもなかった。

 そんな海中の砦のひとつが私たちの住む島だ。かつては太平洋に突き出た小さな半
島にあり、陽光のもとで一〇〇万人近い人口を養う中堅の市だったという。それが平
原を北へ北へと追われ、かなり荒っぽい政策で意図的に人口を減らし、やがて力つき
・・・・・・それ以上の移動をあきらめて海に没することが決議されたのが私が成人したこ
ろのことだ。
 だが、誤解しないでほしい。大多数の市民がそれを受け入れたのはあきらめのため
ではない。太陽は二〇年以上も姿を見せたことがなく、地上はなま暖かい嵐が続くば
かり。それよりも、気候(?)の安定した海底にこそ我々は将来への希望を感じ、
「島」となってそこに残ることにしたのだ。

 町を覆う透明なドームが閉ざされたとき、ドームを透かして見える海面は私の目の
高さくらいだった。私たちは、けっして晴れることのない雨空と熱帯性の原色の魚の
遊ぶ海中風景を同時に見ることができた。壁越しのその風景は、地球のあるじの座が
かつての所有者、すなわち海中の生き物に戻っていくことを象徴する光景でもあった。
 しかしそれも遠い過去のこと。海面はとうにドームの頂を上回っている。ドームの
外側は頂上を除いて石灰質の生き物に覆われて乳白色になり、光は通すものの外の物
体の形をみわけることはできない。街路に出て空を見上げれば遥かな高みに海面がゆ
らめく。それは半日ごとに明と暗を繰り返すが、島の生活にはなにも関係しない。大
昔の人々にとって星々がそうであったように。

   *     *     *

 「水槽」には小さなラベルが貼られている。
 「一九九二年一二月/沖縄県石垣島」

 今は水に沈んでなくなってしまった島。祖母が死んだ頃にも、すでに海面に突き出
すちいさな岩がかろうじて残っているだけだった彼女の新婚旅行先。かつては空と海
にむかって開けた大きな町だったという。その海岸で、若き日の祖母は持参した水槽
を海水で半分満たし、さらにいくばくかの砂をすくって密閉したのだ。その瞬間から
この小さな世界は独自の進化の道をあゆみはじめた。

 祖母の日記によると、密閉後の数ヶ月は「水槽」は劇的な変化を続けたらしい。そ
れはそれはめまぐるしく、いろいろな種類の生き物が現れては消えた。ゴカイの群、
目に見えないほど小さいが雲がわくように泳ぐものすごくたくさんのなにか。赤い藻、
黄色い藻、砂を黒く染めるカビのようなもの。これらが一巡して、密閉後5年を経た
ころにエビと藻と貝の世界に落ち着いた。それから1世紀以上の間、水槽の世界は安
定している。エビや貝の寿命はせいぜい二〜三年だが、全体としては増えも減りもし
ない。藻にいたっては世代交代があるのかどうかすらわからない。
 それでも日々エビたちは遊びまわり、成長し、見る人を楽しませる。藻類の形も刻
々とかわり、光をあびるとキラキラと輝く酸素の泡をまとう。ときどき一ミリの半分
くらいの大きさの冒険的なダニが壁に沿って空気の層に進出し、やがて水に戻ってい
く。
 同年代の子供たちにはしばしばからかいの種にされたが、結局私は少年時代からこ
のかたずっと、この水槽とともに成長することになった。

   *     *     *

 日々ドームのすぐ内側の道を歩きながらも、「水槽」を気に入ったばかりの頃の了
子は私たちの島と「水槽」の類似には気づいていないようだった。町の境界は彼女が
生まれたときからそこにある自然の一部でしかないのだから当然かもしれない。私な
どは「島」になる以前の町の姿を知っている。ドームの外の水圧も体で知っている。
だから、もしもそれが破れたら・・・・・・というスリルあふれる空想を楽しむことすらで
きるのだが、了子にとってはそれは「考えたことも無いものを想像しろ」というに等
しいことなのだろう。

 ある日、私のほうからけしかけてみた。

「了子、この水槽はね、私たちの世界と同じなんだよ」
「『物質的には閉じているけどエネルギーでは開放系だ』ってことでしょ? 学校で
 習ったよ。社会科の時間に。それって地球のことなんだよね」
「その通りだが・・・・・・それはどういうことなのかな」
「昔々、そのエネルギーのバランスを人間がこわしちゃったから、南極の氷が融けて
 みんな海の底になっちゃったんだって。だからあたしたちは地球がもとにもどるま
 でじっと待ってなきゃいけないんだって。いつかまた海がなくなったら、こんどは
 地球をこわさないようにだいじにしなきゃいけないんだって。・・・・・・毎朝先生がか
 ならず言うんだもの。みんな覚えてるよ。あしたの朝もまたおんなじこと言うんだ
 から、先生は」
 たしかに丸暗記の強要は教育の第一歩ではある。しかし・・・・・・「エネルギーってな
んだい」と反射的につっこみたくなるのを抑えて、方向を変えてみた。
「じゃあね、了子ちゃん、町の外にはなにがあるのかな」
「海でしょ。お魚がいっぱいいるのよね」
「見たことある?」
「ない。でも地球のことはそっとしておいてあげなきゃいけないから見に行ったりし
 ちゃいけないんだよ」
「さびしくないかい? 外の世界が見られなくて」
「? 平気よ。だって外にはお友達もいないし、空気もないから苦しいしね・・・・・・ど
 うしてそんなこと聞くの? おじいちゃん」
「この水槽をね、了子にあげても大丈夫かどうか考えてたのさ」
 了子の顔が輝いた。
「あたしにくれるの?」
「たぶんね」

 その日以来、了子は私が水槽の世話をする様子をずっと真剣にまね、しばしば自分
ひとりでやりたがるようになった。

   *     *     *

 祖母の日記は言う。閉鎖した直後の水槽にはほとんどなにもいなかった。まぎれこ
んできた一匹の小さなカニ以外に動くもののかげはなく、ただ白い砂と死んだ珊瑚の
かけら、それに澄んだ水があるばかりだった。亜熱帯の海岸とはいえ、採集した季節
が冬だったせいもあるのだろう。ただ一匹いたカニは数日の内に死んでしまった。酸
欠か、養分の欠乏か、なにか毒物の蓄積でもあったに違いないが、科学実験ではない
ので祖母はそこまで調べようとはしなかった。
 だが、暖かくなるにつれて様相は一変した。砂の中には思いのほかたくさんのタネ
や卵が混ざっていたのだ。小さなエビやゴカイや貝、それに緑や赤の藻が、文字通り
湧き出るように現れた。それらは互いに、当人たちにとっては重大な命がけの小さな
競争をくりひろげたが、まもなく覇者が決まった。それはゴカイだった。大小のゴカ
イは、その一匹一匹がどんどん大きくなって他の生き物を圧倒し、砂面のほとんどを
覆い尽くすまでになった。互いにもつれ合いつつ蠢く大量のゴカイはけっこう気味の
悪いものだっただろう。カニや貝はまったく姿を見せなくなった。

   *     *     *

「きょうねぇ。町のしくみを習ったの。学校で」
「ふむ、遅かったねぇ。了子は3年生だろう? もういろいろ知ってると思ってたよ」
「ふん! おじいちゃん、みんなのご飯がどうやってできてるのか知ってる?」
「畑で育ててるのさ。原子力の光でね」
「なんだ知ってたの・・・・・・じゃあ畑でつくるお米の栄養は?」
「了子のうちもそうだけど、どこの家のトイレもみんな畑につながってる」
「じゃあ空気は? みんなが吸ってる空気はどこからくるの?」
「それも畑。みんなが出す二酸化炭素を吸ってね、酸素を出してくれる」
「おじいちゃん、なんでも知っててつまんないわ」
「じゃあこんどはおじいさんがきいてよいかな・・・・・・町の外にはいくらでも海の水が
 あるのに、どうしてわざわざみんなのお風呂やおしっこの水から水道の水をつくら
 なきゃいけないんだろう?」
「知らないの? 海の水には塩がたくさんまざってて、町に入っちゃった塩は外に捨
 てるのがすごく難しいのよ」

   *     *     *

 停電があった。暗黒と薄闇がそれぞれ半日ずつ続き、人々の日常の生活を少しばか
り面倒にした。しかし、暗黒よりも人々の気を滅入らせたのは空気の悪化だった。電
気がなければ畑を照らすことはできない。照らされていない畑は酸素濃度の低下を早
める。植物区画と居住区の間の空気の循環が止められ、非常用の酸素タンクが解放さ
れたために急激な酸素欠乏は起こらなかったが、徐々に増大する二酸化炭素の息苦し
さは、そのまま死の予感となって人々にのしかかった。
 「水槽」への影響もあることはあった。もちろん一日や二日の間光を当てられない
ことなどいままでに何度もあったことだ。今回は大きなエビが一匹死んだが、それだ
けだった。電気が落ちてすぐに私は表通りに面した窓辺に水槽を出した。数キロの雲
と大気と数十メートルの海水を通してふりそそぐ太陽の光は完全な酸欠を防ぐには充
分で、エビ一匹の減少でバランスは回復した。

 しかし、了子にはこの件がけっこう堪えたようだ。ちょっと電気が絶えただけで死
の危険にさらされた島の人々。自然光を当てるだけでバランスをとりもどした「水槽」。
彼女はこれをどう理解したのだろう。電気が回復してから「水槽」を心配してかけつ
けてきた了子は言った。

「おじいちゃん、あのまま電気がこなかったら、みんな・・・・・・みんなどうなってしま
 ったのかしら・・・・・・やっぱり死んでしまったの?」
 了子はもう一〇歳をすぎた。むかしなら中学生にもなろうかという年齢だ。もちろ
んそんなものはもうない。学校は学校だ。子供を訓練し、選別する場所。訓練に耐え
られなかった子供の運命はかなり悲惨なものだ。了子については・・・・・・年齢相応に言
葉遣いが頼もしくなってきたのはよいことなのだが・・・・・・知識の増大は必ずしもそれ
にふさわしい感受性と判断力の成長をともなうものではない。
「そうだな。だからこそみんなで必死に修理したんだとも言える。きみも卒業したら
 そういう仕事につきたいんじゃないか?」

 町のメンテナンス要員は、言って見れば一種のエリートだ。皆の生存に直接関わる
部門には最高の才能が投入され、彼らには義務と責任にふさわしい特権も与えられて
いる。
「・・・・・・この水槽は大丈夫だったのよね」
「?」
「電気が切れても、空の光だけで生きていたんでしょ?」
「そう。大きさが・・・・・・複雑さが違うからいちがいに比較することはできないけど、
 『島』の方が少々脆いことは事実だね」
「みんな平気なの? そんな・・・・・・そんな簡単に壊れてしまうようなとこにすんでい
 て、どうしてみんな平気なの?」
「平気なんかじゃないさ、少なくともおじいさんはね」
「じゃあどうして、だれも騒がないの? こんな・・・・・・いつ潰れちゃうかわからない
 ような泡の中で・・・・・・」
「じたばたすることよりも、とりあえず生き延びることのほうが大切だから、かな」
「生き延びるって、『なにが』生き延びるの? 人間が・・・・・・・・私たちみんながこん
 なふうにおびえながら、いつまでもここにただ『いる』ってゆうのがおじいちゃん
 のいう『生き延びる』っていうことなの?」
「ただ『いる』ってゆうのは公平じゃないな。私たちはな、自分で考えてこの町を作
 って、そこで日々暮らしている・・・・・・ただ『いる』んじゃなくて、日々事件はおこ
 り、人々の争いもあり、その陰として楽しいことも幸せだと思うこともある」
「でも、それがいつまで続くの?」
「さあ、いつか海が引くまでかなあ。違うかい?」
「おじいちゃんならそう言うと思ったけど・・・・・・あたし、あたし・・・・・・あたしだけじ
 ゃなくってみんな、だれだって知ってるもん! 海はもうずぅ〜っとこのままだっ
 て。もし引くことがあったとしても何十万年も未来のことだって」
 間。
「続けて。聞いているよ」
「・・・・・・原子炉の燃料は一〇〇〇年分しかないんですってね」
「永遠に保つわけがないのは秘密でもなんでもない。わざわざ口に出すこともしない
 さ」
「キタナイわよね、やり方が」
「一〇〇〇年後には、その時代の人々がその時代の事情に合わせて生きる方法を考え
 出すだろう。できるわけもないのにそこまで予想して面倒みようとする方が思い上
 がりだと思わないかね」
「それも正しいのかもしれない。よくわからないけど。でも本当はそんなことはどう
 でもいいの。あたしがたまんないのは・・・・・・」
 了子の視線がさまよう。なにかを探すかのように。やがて落ち着いた先は「水槽」
だった。
「もし本当に海が消えて外にでる日がきたとしても、その次は地球に閉じこめられる
 だけなのよ。いつまた海に襲われるかもわからない、いつ太陽がきまぐれで爆発す
 るかもしれない・・・・・・一〇〇〇年の寿命がたとえば一億年に延びたからって、それ
 でなにが違うってゆうの?」
「みんな消えてしまって残り何十億年の間なにも起こらない、だれもなんの心配もし
 ない、っていうよりははるかにましじゃないかね」

   *     *     *

 先にも述べたことだが、閉じられた「水槽」の最初の覇者はゴカイだった。春のぬ
くもりは彼らに未開の新天地をもたらし、砂と水中を覆い隠すほどの繁栄を許した。
初夏の気配はかれらをますます元気づけ、「水槽」世界の代謝の総量をさらに増大さ
せた。だがそれは酸素と養分の恒常的な欠乏の始まりでもあった。
 そして、・・・・・・夏の「水槽」にはゴカイたちの居場所は無かった。6月のはじめに
は砂はゴカイの死骸に厚く覆われ、その死骸は夏の覇者となった菌類と細菌によって
1週間を経ずして形を失った。分解産物のために砂は黒褐色に染まり、その色が消え
るには一〇年以上かかった。

 「水槽」は今は安定している。しかしこの藻とエビと貝の世界は、だれかが意図し
て作ったものではない。「水槽」の中で生きていける生き物だけが残ったために自然
にできあがったものだ。だからこそ、光を当て、温度を気にするというとても簡単な
世話を受けるだけで生き続けることができる。

 停電から数日後、私が目を離した一瞬の間に、了子は「水槽」のふたを開けた。

   *     *     *

 一世紀以上の間地球から隔離されて独自の進化をしてきた生態系の内部の空気は、
私たちの呼吸する空気とはとんでもなく違うものになっていたらしい。私が部屋に戻
ったとき、そこはいわく言い難い香りに満たされていた。動物の腹を裂いたときに立
ちのぼるにおい。だが臓物の本体はすでになく、濡れた流しにおびただしい数の砂粒
がこびりつくばかりだった。

「了子!・・・・・・な・・・・・・な・・・・・・?」
 爆風に吹き飛ばされた自分の片腕を拾い上げたときの兵士の気分はこんなものだろ
うか。この時の私はとんでもなく間が抜けた顔をしていただろう。了子が笑っていた。
目だけで。いくぶん自信無げに。しかしもちろん私を笑っているわけではなかった。
「おじいさん。・・・・・・おじいさんのおばあさんがこの子を作ったのは、いつかこうゆ
 うふうに役にたつって知ってたからだと思うの」
「役に、たつ? これが? 」
 ただ愛情を注ぐだけのための道具が「役に立つ」? いや、それ以前にどうして蓋
を半田付けしておかなかったのだ、私は。ばかものなにをいうか盆栽を金庫にしまう
奴がこの世にいるものか・・・・・・ああ、考えがまとまらない。
「島のどの排水の処理にも微生物がたくさん使われてるのよね」
「でも『水槽』とは違うぞ。島の処理場の細菌は人間が面倒をみないとすぐに他の細
 菌といれかわったりしてしまう・・・・・・排水浄化ができなくなるだけじゃない」よう
やく息をつくことができた。
「毒の発生まであるかもしれない。そのくらい不安定なんだぞ」
「知ってるわよ。でもね、おじいさん。ここに何十年もかけて出来上がった完璧な微
 生物生態系があるのよ。これを島全体に拡大すれば、もうだれにもなんの面倒もか
 からなくなるわ」
「『勝手にそこに落ち着いた』システムと『人間を生かす』ために必死で制御してる
 システムとの違いはわかっているだろう? その中で人間が生きていけるとどうし
 て言える?」
「それがなに? 人間がいつまでも島の面倒を見てられるとは限らないでしょう? 
 ・・・・・・ただ生きていくだけなら、だれにも頼らずに自分で生きていけるものの方が
 ずっと偉いじゃない」

   *     *     *

 市民生活の安全に対する重大な侵襲行為の実行者として市当局が了子を摘発したと
きには、彼女はすでに責任を問える状態ではなかった。汚水処理場の変調によって大
気中の微量有機物質が危険なレベルまで増加するはるか以前に、了子をはじめとする
ほとんどの子供と若者、島が閉じられたあと生まれた世代のすべてが細菌性あるいは
ウイルス性の疾病で死亡あるいは危篤状態になっていたからだ。
 外にしか存在しないはずの数々の病原体に対する抵抗力を身につける機会は、若い
世代には決して得られぬものだった。メモリバンクにはあらゆる病原体への対処法が
記録されているにもかかわらず、島はそれに必要な医薬品も医療器具も製造できなか
った。

 生殖年齢以下の人口をすべて失った時点で将来は決定したものの、しばらくの間は
島のメンテナンスは必死で続けられた。しかしもとより老人だけの手にはあまる作業。
我々の目的は、できるだけ人手をわずらわすことなく島の環境を永続させるシステム
を作ることに変わっていった。
 手のかかる原子炉は徐々にその火を落とされ、ついに停止した。植物区画は廃止さ
れ、居住区にできた空きスペースがそのまま畑に作り替えられた。それを育てるのは
はるか天上からとどく淡い太陽光のみ。まさに了子の望んだ世界だ。生きるべく運命
づけられたものだけが、太陽の光だけでここにしかないシステムを生み出して生き続
ける世界。だが、そこから人間の姿はまもなく消える。あとに残るのはなんだろう?
 それはわからない。わからないが「水槽」と同じくなにかが残って繁栄し、島自身
が生き続けることだけは疑いない。

   *     *     *

 了子も言った。地球も小さな「島」だと。その通りだ。その小さな世界の最後の氷
河期に生まれた人間が、冬の終わりとともに内なる衝動の命ずるままに繁殖し、繁栄
し、生を楽しんだ。・・・・・・「水槽」のゴカイたちがそうしたように。しかしいま、そ
の「島」は時代の変わり目にいる。きたる夏には夏の生き物たちが祝福されるだろう。
そしてそれもまたいつか、季節のうつろいとともになにものかに席をゆずる。私は・・
・・・・いや、我々はどこまで見届けることができるのだろう。まだ生きた人間のいる
「島」がどこかにあれば、ひょっとすると・・・・・・
                               【銀茄子】

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