初出:1996年11月25日(1999年5月4日フォーマットを若干変更) 掲載場所:NiftyServe FQLD4フォーラム
夕ごはんのあと、お父さんが家族みんなにお薬を配りました。きょう自治会の役員の人が配ってまわっていた薬です。戦争が激しくなってきたので、病気を防ぐためにだれもが飲まなきゃいけないことになったんだそうです。 お父さんもお母さんも飲みました。私も飲もうとしました……でも中学生のヨシコ姉さんが私の薬をとりあげてしまいました。 「リョウコ! 飲んじゃだめよ!」 いつものお姉さんとは全然違う人になったみたい。とてもおっかない顔でした。お父さんとお母さんは悲しそうな顔をするだけでなにもいいません。いつもならお姉さんがなにか口ごたえするとふたりともすごく怒ってケンカになるのに…… そういえば、きょうは朝から変な日でした。日曜日じゃないのに学校はお休み。お父さんもお姉さんもお家にいました。新聞もきませんでした。なのに、せっかくみんなお家にいるのに、放送してるのは地図とかどっかのおじさんのお話とか音楽ばっかりでちっとも面白くないのに、みんなテレビをじっと見ているだけでだれも遊んでくれませんでした。 夜、お父さんもお母さんもぐっすり眠っているころ、ヨシコ姉さんに誘われて散歩に出ました。もう何度もやっていることだけどちょっとだけドキドキします。 いつもの丘の上でお姉さんがなにか言いました。でもちょうどその時、西の方の空がパァっ……と、ものすごく明るくなったので二人とも驚いてなにも言えなくなってしまいました。太陽がすごい速さで昇ってきたみたいでした。 「名古屋のあたりかしら。飛行機やロケットの工場とかがあったはずだから……でも大丈夫よ。地平線の向こうだから。目はつぶれないわ」 光はますます強く、白くなり、目を開けていられないくらいになりました。このまま朝になっちゃうのかなぁ、と思いはじめたころ、ようやく少し暗く、オレンジ色になってきました。 真夜中の夕焼け。眼が痛くなるほど明るくて、きれいで、空いっぱいに扇のスジのように広がる雲の影。私はまだ6歳だけど、こんなに綺麗なものはもう一生見られないんじゃないかしら。 「お父さんとお母さんにも見せてあげたいね。起こしてこようよ」 お姉さんは小さな声で答えました。 「もう起きないわよ。明日の朝も、あさっても」 「どうして?」 「食後のお薬を飲んだから」 「??……ねえ、あたしたちは起きてていいの?」 「もう少しだけね。見たい物があるの。リョウコも気に入ると思うから、もうちょっとつきあってね」 ヨシコ姉さんの時計の長い針が2回くらい回る間、私たちはだんだん暗くなってくる空と、西の地平線にふくらんできた平べったいクラゲみたいな赤い雲をじっと眺めていました。なにもかもが、本の中の世界みたいに不思議な色で、しかもゆっくりと動いていました。ふたりともなにも話さなかったけれど空を見るのに夢中でぜんぜん眠くありません。 その間にも東の空や北の空がパァ〜! と、何度か明るくなりました。それもとてもよかったけど、でも遠いからでしょう。そっちの方から夕焼けが広がることはありませんでした。 やがて、それがやってきました。はじまりがとても静かだったので、気づいたときにはもうかなり激しくなっていました。 もう暗くなった空からひらひらと、ひらひらと、無数に降ってくる雪のかけら。白っぽいのに、さわっても融けないし冷たくもありません。手にのせるとなんとなくチリチリした感じがして、手のひらが青く光ります。お姉さんも指先に雪をのせて、自分の指が光るのを見ていました。 「うわぁ〜〜〜! きれい! みてみて! おねえちゃん!」 「ほんとうね。きれいなものね」 風が出てきました。雪はもっともっとたくさん、吹雪のように舞うようになってきました。お姉さんの肩も私の頭も、まわりの草も石も、あたたかい綿毛に覆われて、ぼんやりと光っています。頭や手につもった雪は、はじめはチリチリするだけだったのがだんだん熱く、痛いくらいになってきました。 「ねえ、おねえちゃん。この雪、冷たくないんだね」 「そうよ。ほたる雪だから」 「ほたる雪?」 「光るのに熱くないの。でも氷じゃないから冷たくないの」 「ほたるってなあに?」 「あははは。あたしもよく知らないわ。光る虫なんですって」 お姉さんはなんだか疲れてきたみたいでした。 「そうそう。これ、リョウコのぶんよ」 「あれ? これ、さっきのお薬」 「そう。気分が悪くなってきたら飲むのよ。楽になるから」 「へえ、よく効くんだね。すぐによくなるの?」 「……よくはならないわ。でもすぐに楽になるの」 そう言って、おねえさんはお薬を飲みました。 「あたしはこのくらいでいいわ。めったに見られない良い物が見れて幸せ……もう一回言うけど、リョウコはまだ元気そうだけど、ほたる雪に触ったからもうすぐ気分が悪くなってくるはずだからね。それまでお薬なくしちゃだめよ。ああ、眠いわ……」 眠ってしまったヨシコ姉さんは、まもなくうっすらと雪に包まれました。よく見ると雪は自分ではあまり光りません。雪に触っている体がいちばんよく光ります。青く光るお姉さんはとてもふしぎで、やっぱり綺麗でした。 その隣に膝を抱えて座った私も、だんだん深く雪に覆われて、手や脚が一面に光るようになってきました。チクチクしてあまりいい感じじゃなかったけれど、なんだかだるくて払い落とす気もしません。 「うふふ。あたしもきれいになれるのねぇ。お姉ちゃんみたいに」 ……なんだか眠い。そういえば、もう子供はとっくに寝ている時間だったもんね。私も眠ることにしました。こんな所で寝たりしていいのかな、ってちょっと思ったけれど、ヨシコ姉さんといっしょだからお母さんも怒らないよね。気分は悪くなかったけれど、あとで病気でそうなるのはいやなのでお姉さんの横に寝て、先に薬を飲んでしまいました。 見上げると、空はまだ、暗い赤い光でうっすらと満たされていました。そのまんなかからはらはらと広がるほたる雪を見ているとなんだか吸い込まれていくような、自分がどんどん高く昇っていくような感じがします。いや、本当に昇っているみたいです。 私は……眠りかけているのかな? それともどっかに昇っていくところかしら? どっちでもいいけどね、でもきれいだね、うれしいね…… ■銀茄子■ --------【附 記】---------------------------------------- 大気圏内核爆発の直後、その近隣に降る雪……冷たくない、暗いところではかすかに青白く光る雪……を「ほたる雪」と呼んだのは、たしか「なにわ・あい」氏だったと記憶しています。なんという作品だったかは忘れてしまいました。 もの悲しく、すさまじいほどに美しい呼び名ですね。好きです。 |