仔猫の学校
by 銀茄子
初出:1996年8月 夏コミ
掲載誌:TOY CAT (せんばた楼)
掲載誌「TOY CAT」の主題は「ねこみみ(猫耳)」です。
もうなんにも言うことはありません(笑)。いきおいで読んでいただければ本望です。
にぶい頭痛で目が覚めた。風邪をひいたときの頭痛とはちがう。怪我の痛みみたい
だ。無意識に頭に手をのばしたらなにやらやーらかいものが指にさわって、同時に耳
の先がなにかに触れられた感じがして・・・・・・・・・・あ、そうよ。思い出したわ。
* * *
「これ! これよ。もう決めてきたの。すぐつけてちょうだい」
店頭カタログの最初のページにあるやつ。同じカタログで3日間も研究してきたん
だもの、店員さんの無駄話にいちいちつきあうつもりはない。
「お客様、高校生でいらっしゃいますでしょう? これは学生さんには少々不向きか
と・・・・・・」
「なによぉ! ガキすぎるとでもゆうの? ほらぁ、お金ならちゃんとあるわよ」
学生証兼用のクレジットカードを突きつけた。パパ(本当のお父さんだよ、うふ!)
が保証人の、同じ学校のほかの生徒のより限度額がかなり大きいやつ。さすがに店員
さんの顔色が変わったね。ざまみろ。
「これはこれは。お客様、聖エゼキヱル女学園の生徒さんでいらっしゃいましたか。
大変失礼いたしました。それなら・・・・・問題ないかと存じます。さっそくとりかか
りましょう。きっとお似合いですよ」
麻酔がちょっとキツかったのかなぁ。もともとあたしはお酒や薬にあんまり強くな
いんだけど、手術前後の記憶はちょっとあいまい。でも3時間くらいあとにアクセサ
リー屋さんの手術室を出たときにはなにもかもちゃんとできあがってた。そう、あた
しは最新型の「猫耳娘」になったのだ。完成したあたしの顔はまさに銀色の雄ライオ
ン。・・・・・・上半分はね。平らな頭の両がわで意のままにくるくる動くのが顔の半分く
らいの大きさの、外が銀の絨毛で内側が濃い紫色の猫の耳。頬から顎にかけての顔の
下半分はもともと小さな逆三角にひきしまってたんだけど、新しい牙がかわいらしさ
をさらにひきたてる。それに豹紋の長いしっぽもサービスでもらっちゃった。もちろ
んちゃんと動かせるしっぽ。これらのアクセサリーには特に変わったしかけがついて
るわけじゃないけど、総合点で完璧。アクセサリーに秘密兵器をしこんだりするのは
邪道だもんね。
・・・・・・というのが昨晩のこと。さぁて、きょうからあたしの新しい人生がはじまる
のよ。体にこんなに手を加えたのははじめてなんだから。これでもう、ダサイだの流
行遅れだの「百年早く生まれればよかったのにねぇ」なんてだれにも言わせない。で
もそんなのは小さなこと。こんどのイメージチェンジには、もっともっと大きな秘密
のねらいがある。
寮を出る前、身仕度にいつもの倍の時間をかけた。それでかなり遅くなったつもり
だったけど、始業時間を守る生徒なんかうちの学校にはいない。校門には・・・・・・いる
いるいるいる。もう半年も前にすたれたような恥ずかしいナリの集団が、べつに急ぐ
ふうでもなく牛の群みたいにのんびりと生徒用玄関をめざしてる。
あんたたち、勉強ばっかしてるひ弱で頭でっかちのお嬢ちゃま進学校と勘違いして
るんじゃない? ここはハイセンスと感受性でならす聖エゼキヱル女学園なのよ。頭
に細いヘビを何千も生やしたり、指先から炎を吹いたり、蛍光色の布きれで飾り立て
たり、手足がいれかわったり切り落とされてたり・・・・・・まったくもう、そんなセンス
のないカッコウ、市役所の窓口おばちゃんだっていまどきやってないじゃないの!
勉強がたりないんだから。ふふん。やっぱりおととい発売されたばかりのあたしの猫
耳にかなうものはないわね・・・・・・なんてはじめからわかってたけどね。あたしのおニ
ューの顔についてなんかコメントしたり話しかけたりしてくるのが何人かいたけど、
これ以上にないってくらいかる〜くあしらってあげた。わるいわね、ネコは高貴な孤
独の生き物なのよ。
教室では・・・・・・あは! もう授業はじまってるみたい。3時限分遅刻してるんだか
らあたりまえか。だけどあたしはあんまり気にしない。きょうは4時限目にまにあえ
ばそれでいいの。遅刻なんか大事の前の小事。ちがう。いつもやってることだから小
事ですらないね。あはは。
ところでこの授業はなんだったかしら。先生がホワイトボードに日本語の字を書い
てるからひょっとすると国語の時間なのかな。しかしねぇ〜〜、授業ってのはモトモ
トつまらないに決まってるんだからさぁ、せめて担当の先生くらいは楽しい人であっ
てほしいわよね。この先生は四十才くらいだっけ? 顔はうっすらと化粧しただけの
ほとんどナマ。度の強い眼鏡。眼っくらい修理すりゃあいいのにねぇ。それにぜんぜ
ん飾りっ気のないすっぴんの体。信じられるぅ? いまどき四十才にもなってスッピ
ンだなんて。なんかの宗教にでも入ってんのかしら。体にキズをつけたりするのを異
常に嫌がる宗教があるって聞いたことあるけど。あぶないあぶない。近づかないどこ。
って、そもそもノーマルをもって任ずるあたしとしては主義信条やおとしに関係なく
オンナには用はないんだっけ。
あれ? あ、原始人先生がいつのまにかいなくなったと思ったらもう休み時間。・・
・・・・てことはぁ、いよいよ次の時間!
待つこと十分。長い十分だったわ。でもついに、来た来た来た来たやってきた。い
らっしゃいましたわよ。われらのアイドル、カズシゲ先生が。科目は・・・・・・えーと、
なんだっけ? 理科1だったかな、よく覚えてないや。そんなことよりとにかく、き
ょうもかっこいぃ〜〜〜すてきぃ〜〜〜! 太い眉、堅い口元、鋭い目、浅黒いけど
清潔な肌。たくましすぎることのない自然な筋肉。朗々と響くバリトン! 言葉少な
く落ち着いた話しぶり。それに今日の服は・・・・・・裸の上半身をマナイタの上の大トロ
の塊のように惜しげもなくさらけだし、下半身の解剖学的構造をなまなましく強調す
る競泳用のパンツ! しかも昨晩発表になったばかりのおフランス製の有名どころブ
ランドときたもんだ。おみごと! あたしは自分のボッキや・・・・・・じゃない、なんだ
っけ、そうそうぼきゃぶらりぃが完璧じゃないのはよくわかってるけど、やっぱ世の
中には言葉じゃ言い表せないかっこよさってものがあるのよねぇ。もうイカスなんて
もんじゃない。見てるだけでイカされてしまう。えぇ? うるさいわよ、あんたたち。
カズシゲ先生をそんなやーらしい嬌声で迎えるなんて。失礼じゃない! って言おう
と思ったけど、あたしもクラスの雌犬どもといっしょにキャンキャン声をあげてたん
だな。反省。きょうからあたしは孤独な猫なんだったわね。ふん、まあいいわよ。勝
負はこれから。
・・・・・・ふふふふふ。ふはははははは。わはははははは。カズシゲ先生、すぐにあた
しに気づいたみたい。実はさ、先生の好み、探偵さんまでやとってばっちり調べてき
たのよね、あたし。先生が裏通りの本屋でいつ何を買ったとか、うちの生徒のなかで
いままで「おつきあい」の相手にしてきたのがどんなタイプの子たちだったとか、ど
んなお店がいきつけかとか・・・・・・そうゆうことをみんな研究しつくして決めたのがい
まのあたしの姿。どう、カズシゲ先生。きょうのあたしは先生にとって他のキャンキ
ャンどもとはぜんぜん違って見えるでしょ? もうカンペキに浮き上がってるはずだ
よね、あたしは。4日前にこのネコ耳が発表されて、それがいままで研究してきた先
生の理想にピッタリだって気づいて、とうとう一線を越える決心をしたんだから。長
いことあたためてきたプランなのよ。それがきょう現実となり、あなたを私だけのモ
ノにする。いとしのカズシゲ先生。あたしを見るとココロをかきみだされるでしょ?
無理しないでいいのよ。なんて考えている間に、きゃぁ〜っ! またこっち見てく
れたわ。しかもあたしを見た先生のまゆがちょっと上がったのもしっかりゲット!
・・・・・・へへん、きょうは授業中に十四回もあたしに目を向けてくれた。そのうえ指
名までされちゃった。生徒になに聞いても無駄、ってほとんどの先生が思いこんじゃ
ってるうちみたいな学校じゃ、これってとっても異例なこと。なんか電圧がコンデン
サーがどうの抵抗がどうのとか聞かれたけど、カズシゲ先生に抵抗できる女なんて一
生不能よねぇ。あたし? あたしはもう超伝導よ。憂いにみちたあなたのひとみはい
つだって百万ボ・ル・ト! どんなコンデンスなのだって飲み干してあげる。きゃは!
エッチィ! あたしってば。ってなことを約1秒間で考え終えたあたしは、きのう
鏡で練習した、この猫耳の魅力を最大限に引き出す笑顔で答えてあげたものよ。
「キョーコ、わっかりませ〜ん〜〜〜」
教室じゅうからブーイングがあがったけど、だれだって答えはおんなじはず。少な
くとも文字にしたらね。文句があるならベルサイユにいらっしゃい!、先生の気持ち
になってしっかりドレスアップしてからね。
帰りのホームルームは平穏だった。あたしがカズシゲ先生に指名されたことを表だ
ってつるしあげたり問いつめようとするやつが全然いなくってちょっと拍子抜けした
くらい。もう忘れられたみたいね。あたしを除いてここの生徒は長期記憶のないのが
多いから。だからこそ、あたしだけがカズシゲ先生をつかまえる計画をたてることが
できたんだけどね。
後ろでだれかが言い争ってた。「カズちゃん、きょうは5回もあたしのこと見てく
れたのよ」
「あたしと同じ顔してなに言うのさ。その5回はあたしを見てくれたのと同じよ」
「なによぉ、あたしがさいしょにこのデザイン選んだのよ。忘れたの? マネしたの
はリツコのほうじゃない」
そういえば、なにが楽しいのか申し合わせてみんなそろってまったくおんなじ顔に
してる仲良しグループがあったっけ。仲良し組にふさわしい低レベルのとっくみあい
が始まった気配を背に、あたしはそそくさと駐車場に向かった。急がねば。
カズシゲ先生の自動車は3LDK。地表投影四十平米の2年前の型の住宅兼キャン
ピングカーだ。総排気量十リッターの水素エンジンに電気ガス水道にバー、それにラ
スベガスオンラインのカジノまでついてる。どの設備も先生本人の言うことしか聞か
ないから車にカギはかかっていない。あたしは害意のないことを示すために堂々と、
ただしシズシズとドアをあけて中に入って、まずさいしょにカギ爪と牙をエレガント
に使って先客たちを手早く始末してあげた。まったくもう、カズシゲ先生ったら、こ
んなサカリのついた連中にしょっちゅう入りこまれて気にならないのかしらねぇ。や
っぱあたしがついてしっかり面倒みてあげなきゃだめなのね、先生。
いまのあたしの反射神経は猫ナミに速い。これはこの猫耳の数少ない実用的機能の
ひとつだ。ただただ外見をかざりたててるだけの普通の生徒たちはなにをされてるか
気づくまもなくあたしに放り出された。でも最後の一人にはちょっと手こずった。こ
いつは・・・・・・名前はなんてったっけ? となりのクラスの子だったと思うけど、なん
だか全身が半透明のヌルヌルで包まれて爪も牙も効かなかったのだ。触るだけでもけ
っこう気持ち悪いし。しかたないので喉をつぶしてからどこにあるのかよくわからな
い鼻の穴に爪をひっかけて窓からほうりだしてしまった。まったくもぉ、そんなかっ
こで先生のクルマに足を踏み入れてしかもその御体まで狙おうなんて、カズシゲ先生
だけでなく世の殿方すべてに対する侮辱よねぇ。これは天誅です。ありがたくウケタ
マわりなさい。
ひと仕事終えて息をついたのもつかのま、こんどはクルマがそわそわしだした。や
っぱ当然かしら、いくら手際よかったと言っても、ちょっとばかり大きな音をたてて
ガラスを何枚か割って、床を半分くらい血に染めちゃったから、あたしが客なのか侵
入者なのか迷ってるのよね。ま、これも予定のうち。あたしは天井を見上げておもい
っきり礼儀ただしくあいさつした。
「あの〜、とつぜんおじゃまして申し訳ありません。カズシゲ先生に進路で相談した
いことがあって来ました。あたしは聖エゼキヱル女学園2年普通科のキョーコとい
います・・・・・・」
本当よ。こう言おうとしたのは嘘じゃないわ、絶対! でも・・・・・・あたしの口から
でたのはぜんぜん違う言葉(?)だった。
「うううううううにゃ。ふにゃご。にゃごにゃご・・・・・・ふううぁぁぁぁ・・・・・・みゃっ
かりませ〜んにゃ」
あわてたわよ、そりゃ。カズシゲ先生の自動車は即、あたしのことを敵かあるいは
「あぶないやつ」と決めたらしい。あたりの家具が飛びかかってきてあたしはたちま
ち組み伏せられてしまった。やーらかいクッションと絨毯に抑えられた背中は苦しい
だけだったけど、やけに強靱な冷蔵庫に捕まって背中にねじりあげられた腕がもう涙
がでるほど痛い! んで戸口から放り出されたら、落ちたところはさっきのヌルヌル
女の上。んもぅ最っ低!
しかも! 運命の女神のいじわるってのはこのことを言うんじゃないかしら。口の
中まで粘液にまみれた顔をあげると、なんとそこには心配げにのぞき込むカズシゲ先
生が・・・・・・もういや! なんてマが悪いのよぉ! こんなベトベトで、しかも猫語(?)
しかしゃべれないんじゃ、せっかく先生とふたりっきりになっても愛を語りあえない
じゃない。なんにもおはなしできないつまらないネコ娘だからって嫌われちゃうかも
しれないじゃない。そんなのいやぁ!
助け起こそうと手をさしのべてくれた先生を振り払って(なんてことを!)、動転
したあたしは猫の運動神経で逃げ出してしまった。さすがに四つ足は速い速い。後ろ
から先生が呼ぶ声が聞こえたけど、「ごめんなさーい。いまのあたしは先生におあい
する資格のない女なんです〜〜」とかと(心の中で)叫びながらひた走ったのだ。
アクセサリー屋の店長さんはさすがにプロよね。人間離れした声でわめくあたしを
おちつかせながら、冷静に応対してくれた。でもあたしの猫語はそもそも言葉じゃな
い。だから言いたいことを伝えるのにけっこう手間取る。やってみてはじめてわかっ
たんだけど、あたしは言葉だけじゃなく読み書きもほとんどできなくなってた。だか
ら筆談も難しい。
「なるほど。言葉が出なくなってしまわれましたか。それで不良品ではないか、と言
われるのですね。はい、しばらくお待ちください、調査いたしますので・・・・・・あれ?
お客様、大変失礼ですが、このタイプの猫耳では言語能力がかなり抑制されること
はちゃんとカタログに書かれていますが、・・・・・・ですから学生さんにはあまりおす
すめしていないはずです・・・・・・」
「店長。この方はこの耳を特に望まれまして、それに聖エゼキヱル女学園の生徒さん
ですので・・・・・・」
「これ! ご本人の前で失礼ですよ!」
「どうせわたしたちの言うことはこの娘には理解できませんよ。しかしまぁ、あんな
学校の生徒でも勉強なんかするんですかねぇ?」
「クレームはクレームです! あ、お客様、大変失礼いたしました。しかしやはり、
本製品につきましては、カタログにも明記され、昨日担当の方からも事前にご説明
申し上げてお客様にも納得いただいた通り、装着にあたってはお客様の左右の脳の
側頭葉から頭頂葉にかけてかなり広く切除せざるをえないのでほとんどの場合言語
能力を失われることになることはご承知いただいていたはずですが・・・・・・ほらこの
ように、お客様がご署名くださった契約書にもはっきり書いてあります」
店員さんには悪いけど、ふたりの会話はだいたいわかった、と思うわ。でも「ご存
じだったはずぅ?」「カタログに書いてある?」あんな文字だらけの説明、アクセサ
リーをさがす人がいちいち読むわけないじゃない! 店員さんの話だってなんだか早
口でよくわかんなかったしぃ。だいたい、あたしが「納得してさしあげた」覚えなん
かないわ! とにかくあたしはこの猫耳をつけたかったからサインしただけなの! 言
葉が無くなるなんて知らないわよぉ!
「そうですか・・・・・・そんなにお困りですか。まさか聖エゼキヱルの娘子たちに読み書
きや会話がそんなに大切とは・・・・・・いや、かさねて失礼しました。しかしよくお似
合いですのにねぇ。お気に召さないとはわたくしに言わせればほんとうにもったい
ない話ですよ。でも・・・・・・そうですねぇ、こういたしましょう。いったんその猫耳
を下取りに出されては? 当店で高額にてお引き取りいたしますよ」
あたしは泣きたくなった。すんごいお金をかけて先生のいちばんの好みを調べ上げ
て、けっこうなお金と手間をかけてそれにぴったりの姿になったのに、そんでそれが
本当に先生に気に入られたばかりなのに、こんな欠陥があってしかも下取りにだして
もきのう払った額の半分にもならないなんて・・・・・・
けっきょく、先生の好みからちょっとずれるけど、ひとつ古い型の猫耳に買い換え
ることにした。これなら言葉が損なわれることはないという。でも。数分後。事態は
もっと手に負えなくなっていた。
「お客様ぁ、たいへん申し訳ありません。昨日お客様からお下取りさせていただいた
お脳の一部なんですけど、お客様がお帰りになったあとすぐに売れてしまったんで
す。まだ品質確認前なのでいましばらくお待ちを、とわたくしどももずいぶんと事
情の説明に努めたのですが、いつもご利用くださるお得意さまをことわりきれず・・
・・・・・・・・かさねて申し訳ありません。・・・・・・・・・・ただ、申し上げにくいことですが、
当店に法的な落ち度は無いということだけはよろしく御含みおきおねがいいたしま
す」
「その買ってった人はどこにいるの?」って聞き返そうとしたけど、それが伝わるま
でにまた何分もかかった。
「もうしわけございません。それはお客様のプライバシーにもかかわることですので
お教えするわけにまいりません。ただ、女子高生の脳、とくに言語野と連合野はマ
ニアの方々の間では非常に珍重されておりますので・・・・・・お客様ご自身のものを買
い戻されるのはかなり困難かと存じます。また掘り出し物の女性の脳が入荷しだい、
こんどはまっさきにお客様にご連絡いたします。ここはなんとかそれで勘弁してい
ただけないでしょうか」
そのあとどこをどう歩いたのかよく覚えていない。この猫耳について、あたしが覚
えているのは最新の猫耳をつけたかったことだけ。それもカズシゲ先生の好みにぴっ
たりで、あたしに手をださずにいられなくするはずのやつ。目的はもちろん学校じゅ
うをだし抜いて先生をベッドでモノにして、先生と楽しく毎日をすごすこと。ついで
に学校じゅうにあたしを見直させること。それだけ。それだけだったのに、だれにも
迷惑をかけずに地道に努力してきただけなのに、こんなメにあわなきゃならないなん
て、どうして? あたしがなんか悪いことしたってゆうの?。
・・・・・・猫顔なのが幸いして、あたしがめそめそ泣いてることに気づいた人はあんま
りいなかった、と思う。気がつくとふたたび学校。暗くなりかけた教員用駐車場にい
た。もう自動車はほとんど残っていない。ここが最後にカズシゲ先生に会ったところ
だ。ヌルヌル女も消えてるけどまさか先生があれを助けたとは思えない。自力で帰っ
てったんだわ。ああ〜〜〜いきなり手をふりはらって逃げ出したなんて・・・・・・先生に
なんて思われたかしら。この学校の生徒のほとんどがカズシゲ先生の玄関マット、で
きればお風呂場マットになりたいと思ってるってのに。んでもってあたしだけがやっ
とこさ先生の急所をみつけてがっちりつかんだっていうのに・・・・・・。あたしは先生の
駐車スペースにすわりこんで膝を抱えて泣いた。こんどは声をあげて。泣き声まで猫
になってる。捨てられた子猫の声だ。
とつぜん、なにかに肩を抑えられてあたしは3メートルくらい飛び上がった。尻尾
が風船みたいにふくらむ。爪をむきだしてふりかえると、あ・・・・・・たちまち全身の力
が抜けてしまった。
・・・・・・カ・ズ・シ・ゲ・先生。
肩に手を置いただけで飛び上がられて、先生はちょっと驚いたみたい。でもあたし
が許してあげたのはもちろん。だって・・・・・・先生のこんな・・・・・・こんなふうにさびし
く訴えるような眼をみるのは初めてなんですもの。全校であたしが初めてなのもまち
がいない。なぜってだれからも聞いたことないもん、あのカズシゲ先生がこんな顔を
することがあるなんて。
「無理にしゃべろうとしなくてもいいですよ。その耳のことは僕も知っています。い
いものを見つけましたね。」
「あぅあぅ・・・・・・」
喜びの嗚咽。地獄の底の小さな扉を抜けたらそこは天国の階段のふもとだった、っ
て感じかしら。あら、あたしってばなんでそんな話を知ってるのかしら。先生のバリ
トンが私のおなかの底に染みわたる。ああ・・・・・・言葉がしゃべれなくたって、カズシ
ゲ先生は受け入れてくださるんだわ。そうよ、あたりまえじゃない。そのための猫耳
なんだもの。さっきはどうしてあんなにうろたえたのかしら、あたしったら。
先生、ほんとうにあたしのことを心配してくれてたみたい。なぜって、あのカズシ
ゲ先生が授業がおわってこんなに時間がたつのにまだ水着姿のままなんだもの。その
先生のあとを、となりの公園の水場で他の自動車たちとあそんでる先生のクルマのと
ころへ歩いた。この時間が永遠に続いて欲しい・・・・・・なんて心のどっかで思ってたの
かな。とてもゆっくりトボトボという感じで先生についていった。先生が連れて帰っ
てきたのがさっき放り出したばかりの猫娘だって気づいてクルマはちょっと身じろぎ
したけど、それだけ。
中に入ると先生はドアをロックさせた。これで第二関門突破。
先生はあたしの目的の半分は知ってる。この学園でカズシゲ先生にむらがる女ども
のめあてはみんなほとんどおんなじだから。だからあたしが極端に先生ごのみのかっ
こうをしてあらわれただけで、あとはもうなにも言う必要ない。先生の側があたしを
選んでくれるかどうかだけが問題。そしてあたしは合格したのだ。予定通りに。
先生はあたしをそのまま「自宅」につれていった。親が元気で裕福な若者がみんな
そうするように、先生もクルマの奥の一室を「自宅」にしてる。ここだけはいつも鍵
がかかってる。はじめてここに入る生徒があたしなのかどうかは知らない。でも、あ
たしで最後にしてみせるわ。
「僕の・・・・・・僕と、つきあってくれますね?」
うふふふふ。「おれに抱かれたがらない生徒はいない」っていう自信が露骨にでな
いようにがんばってるじゃない。先生、かわいいわ。もちろんOKよ。でもね、もっ
と充分にあたしのとりこになってくれなきゃ不公平よね。あたしは、これも一生懸命
練習した自分として最高の媚びと従順さをふんだんにブレンドした切ない目でうった
えた。
「んにゃ」・・・・・・肯定のしるし。
「君のような優等生がここまでしてくれたんですからね。僕はほんとうに嬉しいです
よ」
あたしもよ、先生。理系特有の訥弁は先生の大きな魅力のひとつ。とても誠実そう
にひびくから、たいていの女の子に好かれる。その先生が「ではさっそく」ってな感
じでウキウキと、それでもとてもやさしく、あたしの制服を脱がしはじめた。こんな
こといままで何十回もやってきたことだろうに、それなのに先生の手が少し震えてい
るのがうれしい。もちろんあたしは抵抗しない。かといって自分では脱がない。控え
めに協力するだけ。女の子がそうゆうふうにするのが先生の好みだし、あたしもそう
するのが好きだから。
やがてあたしはすでに肉体の一部となっているアクセサリー以外のすべてを取り去
った姿になった。ショートボブカットの銀のたてがみに大きな猫耳。吸血鬼のような
小さな牙に豹紋の尻尾。パーマネントに染めた三つ口ぎみの細い唇。たてがみと同じ
銀色に染め上げた濃いめの陰毛。ウブ毛すら残さぬすべすべの肌。こぶりな乳房はふ
つうだけど、ずいぶん前に追加したものも含めて4対の乳首。でもそれ以外はほとん
ど手をつけていない。制服の下にナマの部分をこんなにたくさん残してる女の子は学
園内にはほとんどいないと思う。だからこそ、猫耳のワンポイントがものすごく映え
る。
先生はまるで神聖な儀式でもやってるみたいに、ゆっくりとあたしの両肩に手をお
いて腕を前にいっぱいに伸ばした。覚悟していたこと。でもやっぱり緊張しちゃう。
思わず手で前を隠したら、先生はあたしの両手首を細いひもで縛ってしまった。それ
も背中で。しかたがないので眼をつぶる。それでも、皮膚をさまよう先生の視線が重
い羽毛のようにはっきりと感じられた。左乳房から右の猫耳へ、右腕をつたって体の
側面にそって脚の指先まで。足の指を一本一本確認したあと体の中心線にそって這い
登り、いまはまだ固く閉じられた両足の付け根にやさしい一撃。こんどは左腕を刺激
しながら、右乳房を経由して唇でちょっとあそび、そしてふたたび猫耳へ。これを何
度くりかえしただろう。じっと立っているのがつらい。「もう座らせて」と言おうと
したとき(言えなかったろうけど)、予期せぬ突然のクライマックスがきた。先生が
あたしの猫耳におそるおそる触ったのだ。それも唇で。特別な神経の配線をしたわけ
じゃないのに、あたしの触感のすべてが一瞬にしてそこに集まった。
・・・・・・猫耳が先生にとってどんなに大事な、シンボリックものか、あたしは知って
る。先生がこどものころ猫が大好きなのに家の都合で飼えなかったこととか、学生時
代に猫耳女の子の同人誌を作ってたこととか、過去百年以上の猫耳関連文献のコレク
ターであることとか、いまでもときどき漫画雑誌に投稿してることとか、ちょっと前
にガールフレンドに猫耳をつけさせようとして逃げられちゃったこととか、あたしみ
んな調べてあるの。知っててやってる悪い子なのよ。でも、それでも先生が大好きだ
という気持ちは本物。だからこそ、別に快感中枢に接続したわけじゃない耳の触感が
こんなに鋭く全身をつきぬけるの・・・・・・先生、あたし、嬉しい・・・・・・。
先生があたしの耳に触れていたのはほんの五秒くらいだった・・・・・・はずだ。だけど
あたしの膝はもう立っていられないくらいにガクガク震えていた。いまやあたしの体
重を支えているのは肩をつかむ先生の腕だけ。「キョーコ」と呼ばれて見上げると、
さらにやさしくなった先生の顔が見下ろしていた。もう他人同士じゃないね、と言っ
ているみたい。そのあとはもう記憶すらあいまい。先生の攻撃は執拗で、特にたてが
みと耳と4対の乳首に集中してきた。手を縛られたままのあたしはあまり反撃できな
かったけど、あたしがもがく様子こそが先生にとっては最高の刺激になったみたい。
・・・・・・でももちろんしめくくりは普通の性行為。これは本物のネコだって人間だっ
てやることはおんなじよね。外面的には。でもあたしたちのは中身がちがう。あたし
は入学式で最初にみかけた瞬間から夢見たこのカズシゲ先生をついに自分の中に迎え
入れたことそのものの達成感が肉体の歓喜を何十倍にも高めていたし、カズシゲ先生
も永年の夢がかなってこんなにすばらしい理想の恋人を手に入れた喜びを全身の激し
い運動であたしに教えてくれた。あたしはそれに応えて・・・・・・というか、先生の言葉
や指や腰やその他全身のあらゆる動きのひとつひとつが命ずるままに、声をあげ、踊
り、脚を宙に舞わせ、むなしく掌を開閉し、汗を噴き、叫び・・・・・・ついには全身を痙
攣させてベッドに倒れこんだ。先生も数秒遅れであたしの背中に突っ伏してきた。
何時間たったろう。半分眠りながら、先生がベッドから降りるのがなんとなくわか
った。シャワーの音がする。「ちょっと失礼ねぇ」と思ったけど、カズシゲ先生だか
らゆるした。やがてもどってきた先生があたしを見下ろす。あたしはがんばって寝た
ふりを続けたけど、がまんできなくなってゴロゴロ笑ってしまった。あきらめて薄目
を開けるといままでよりずっと親しみの強まった(気のせいか?)精悍な顔が間近か
ら見下ろしていた。なにか持ってる。・・・・・・先生の手に握られている銀色のものをみ
て、あたしの背中を高圧電流が走った。やっぱり使うのね、先生。でも・・・・・・覚悟は
できてるわよ。先生がそうするだろうって知ってたから。あたし、平気。
「あごをあげて」
冷たい金属の感触とそれに続くクリック音。小さい音だったけど、これがあたしが
先生とより深くむすびついた瞬間。そしてこれまでの人生と決別した瞬間。全身が感
激にふるえたように感じたけど、脱力したままの体は一瞬ピクリとケイレンしただけ
だった。この首輪は、はずすには切るしかないやつだ。硬い金属でできてて、おまけ
に1メートルくらいの細い鎖が溶接されてる。先生はその鎖の端をベッドの脇の壁の
リングにつないでしまった。小さいけど頑丈そうなカギで。あたしの力じゃぜったい
壊せない。
・・・・・・・・・・先生、これで先生は完全にあたしのものね。もうだれも先生には触らな
いのよ。なぜって、先生はおうちに帰ると必ずここにあたしが待っているんですもの。
学校なんかもうどうでもいいわ。あたしには先生がついてるし、先生の必要なものは
あたしがみんな持ってる。ただね、だれかが先生をうるさがらせたらあたしに教えて
ちょうだい。あたしの爪と牙はそういう娘たちの血にいつもいつも飢えていますから
・・・・・・
白日夢はほんの数瞬だった。なのに次に目を開けたとき・・・・・・あれ? 先生がいな
い。ちょうど「自宅」のむこう側のドアが閉じようとしていた。閉まる直前、ドアの
すきまに一瞬だけカズシゲ先生の裸の後ろ姿が見えた。「あ・・・・・・」と声をだしたと
きはもう遅い。先生はあたしを振り返りもしなかった。やっと我に返ったあたしがか
すれた声で呼びかけても、ドアは二度と開かなかった。
数分も経たないうちに、先生の「自宅」が勝手に掃除をはじめた。先生の指示でや
ってるのか自発的にやってるのかわからなかったけど、先生のクルマはあたしのこと
をあんまり好きじゃないのかな。ベッドはあたしにおかまいなしに壁にひっこんでし
まい、部屋の明かりはかろうじてものの色がわかるくらいまで暗くなった。家具の消
えた室内を洗剤まじりの熱いシャワーが襲う。壁ぎわの小さな半円の中しか動けない
あたしはただ耐えるしかなかった。先生はあたしを置いて出かけちゃったのかなぁ。
もう朝になってたのかなぁ。窓がないので時刻の見当すらつかない。することといっ
たら、シャワーと熱風に耐えながらいままで通り先生のことを考えるだけ。
・・・・・・体はもうかわいた。でも、背中で両手首をたばねるヒモが、乾くにつれて縮
んで痛いくらいにきつくなってきた。革ヒモなのかな。先生はまだもどってこない。
まる一日くらいここですごしたような気もする。トイレに行きたくなって叫んだけど、
やっぱり人間の言葉にならなくてクルマはなにもしてくれなかった。でもあたしがな
にをしてもすぐに小さな掃除機たちが怒ったように走り回って床をきれいにしてしま
うから全然平気。といっても3回目には業を煮やした絨毯が勝手に巻き上がってどこ
かへ行っちゃったけどね。あとはむき出しのコンクリの床。ひんやりして気持ちいい
けど、鎖が短くて横になることはできない。クルマがキャットフードみたいな皿を出
してくれたけど、それは何回だっけ? よくわからない。手が使えないから本物のネ
コのように食べた。自分がそれに慣れてきたのがちょっとこわいけどそんなに悪い気
もしない。
そうねぇ。さっき先生が出てったのが朝になったからだとしたら、もう仕事から戻
ってきてもいいころよね。あれ? 先生の仕事? ってことは、あたしきょう学校さ
ぼっちゃったんだ。学校なんかどうでもいい、って壁につながれたときは思ったけど、
なんだか悪いことをしてるような気もしてきた。あたしこれでも優等生なんだから・・
・・・・優等生? あたしが優等生だって? なんでそんふうに思ったの? そういえば
先生もそんなこと言ったけど。優等生だとしたら、なんの科目で優等生だったの?
ほら、憶えてないじゃない。優等生なんかじゃなかったのよ。あたしはむかしからこ
うなの。なにか得意科目があったとしても・・・・・・カズシゲ先生の授業でないことはた
しか。理科はむかしから、小学校はいりたてのころからぜんぜん授業についていけな
かったんだから。じゃあなに? そうだ。中学生のときになんかの科目ですごくいい
点とっておかあさんが近所にふれまわったことがあったような。
・・・・・・? おかあさん? あたしの? どんな人だったっけ。高校で寮にはいって
から家にかえったのは数えるほど。でも、だからって忘れるはずないよね。母親だも
ん。なのにあたし、自分の母親の顔も家族のこともしらない。中学生だったことがあ
るなんて信じられない。でもほんの2年前のこと。どうして忘れちゃったりできるの?
なにかヘンだわ。いまのあたしが知ってるのはなに? あたしが知ってるのは・・・・
・・カズシゲ先生のこと。学園の入学式ではじめて見かけたときに、先生方の中でひと
きわめだった先生。そう感じたのはあたしだけじゃない、ってことがすぐにわかって、
たちまちのうちに生徒たちの微妙な力関係の要になってしまった先生。校内ではいつ
も生徒たちにおっかけまわされる先生。生徒の半分くらいは本気で先生に惹かれてい
る。残る半分は先生をモノにして自慢したいから先生をおっかけている。あたしはど
っちだったっけ? これもよく憶えてない。でも先生の心を全力で捕まえようとして
たことはほんとう。そのために先生のすべてを調べ上げたんだもの。でも・・・・・・でも
あたしはそれ以外のことはなにも知らない。言葉といっしょに記憶もなくなっちゃっ
たのかしら。カズシゲ先生のことを考えていないとき、あたしは何を考えて生きてい
たんだろう。
あ、ひとつ思い出した。あたしの得意科目は語学だったんだっけ。いまはしゃべれ
ないけど、現国とか英語とかが得意だったのよ。で、うすい化粧しかしないあの原始
人みたいな先生に気に入られて・・・・・・だめよ。具体的なことはぜんぜん記憶にない。
どうして? どうして憶えてないの? 猫耳のせいで言葉がなくなったのはわかってる
つもりだけど、あたしにとってはっきりしている思い出はどうしてカズシゲ先生のこ
とばかりなの?
こわい。動物園の獣みたいに、外見もそんな感じで、家具も敷物も窓もない箱みた
いな部屋のすみで、立ち上がることも横になることもできないで、自分がどうしてそ
こにいるのか、キョーコという名前以外に、やっとカズシゲ先生にとって特別な存在
になった一生徒である以外に、自分がなんであるのかぜんぜん知らないことに気づい
て、とつぜん恐ろしくなった。叫ぼうにももう声がでない。全身から冷や汗がしみだ
し、胃が暴れはじめた。息が詰まる・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・目が覚めると、まばゆい光のなかであお向けになってた。あ、夢だっ
たの。一瞬そう思ったけど、体が動かせない。金縛りじゃない。体を何カ所かベルト
かなんかで固定されているみたい。「先生の趣味にこんなのもあったかしら・・・・・・え
ーと、なにが起こったんだっけ?」 でもすぐに、あのやさしい声が現実に引っ張り
上げてくれた。
「キョーコ。目が覚めましたね。クルマが連絡してきてね、授業をほうりだしてかえ
ってきちゃいましたよ」
「あ、先生。あたし、どうしたんでしょう?」と聞きたかったけど、いままで以上に
不明瞭な「猫語」の音が出てきただけだった。先生はそれを聞いてなにをどう誤解し
たのかかなり安心したらしく、あの無邪気なほほえみで応えてくれた。それだけで許
してしまうんだからあたしもスジガネ入り。でも、今回は続きがあった。先生のほほ
えみが突然凍り付き、眼が宙をさまよった。視線は2〜3秒して再びあたしに戻って
きたけど・・・・・・あ、・・・・・・はじめはなにがおかしいのかわからなかった。いつもの先
生とはなにかが違う。どう違うかはわからないけど。
そのなにか違ってしまった先生が口をひらいた。
「まったく! とつぜん自殺しようとするなんて。おどかすんじゃないわよ」
完璧な女言葉。それがカズシゲ先生の口からカズシゲ先生の声で出てくるのはなん
だかひどくおぞましかった。でもあお向けに固定されてるあたしは耳をふさぐことも
できない。そんなあたしの気持ちを察する気配もなく、そのカズシゲ先生の形のなに
かは続けた。
「予定外のことしないでよね。いま死んじゃったらカズシゲ先生がかわいそすぎるで
しょ? 二度とこんなことがないように、舌を切っといてもらったわ」
!・・・・・・さっき、くぐもった「猫語」しかしゃべれなかったわけがわかった。なん
てことを・・・・・・それじゃあたし、いつか自分の脳のあそことかを買い戻した後も一生
おしゃべりができないわけ? なんでそんな・・・・・・でももうひとつわかったことがあ
る。姿はカズシゲ先生でも言葉はだれか別の、それも女性のもの。そしてあたしはこ
のしゃべり方をよく知っていた。本を読むようなこんなしゃべり方はいまのあたしに
はできないけど、でも聞き覚えがある。これはキョーコのしゃべり方だ。まぎれもな
い、あたしのかつてのしゃべり方だ。
下取りに出したあたしの脳の側頭葉と頭頂葉。それもすぐに買われて行ってしまっ
た。だれに? あたしが調べたカズシゲ先生のいきつけのお店には、たしかにあのア
クセサリー屋さんも入っていた。カズシゲ先生は「移植型」のアクセサリーにはほと
んど手をださないスッピン主義者だけど(男性だからあまりヘンじゃない)、女子高
生のしゃべり方や行動プログラムや猫耳の新製品情報にはとことんどん欲だったこと
も探偵屋さんの報告に入っていた。
「ほんとうは先生の家でもっとゆっくり話すつもりだったんだけど、あなたがまたお
かしなことをしでかすと困るからいまのうちに話しとくわね。あなたにどこまで記
憶が残ってるかよくわからないから説明過剰になるかもしれないけど」
しゃべっているのがだれなのかはもう確実。キョーコだ。あたしの一部がカズシゲ
先生の口でしゃべっているんだ。
「あたしの、というかあたしたちの、というのか、ちょっと混乱するわね。とにかく、
あなたの自殺未遂を除いてすべてうまくいったわよ。つまり、カズシゲ先生は夢に
まで見た理想のペットを手に入れ、キョーコは体とひきかえにカズシゲ先生を手に
入れた、ってこと。このこと、憶えてる?」
知らない、そんなこと。でも、もう見当はついてた。あたしはうなずいた。
「そう、よかった。もしあなたがなにも憶えてなかったらどうしよう、ってずっと悩
んでたのよ。だって、もしそうなってたらモトは一緒の体にいたのに、あなたはぜ
んぜん違う人にかわっちゃうわけでしょ?」
現状はそれに近いみたいね。
「きのうの晩、先生とあなたが楽しくすごした晩のことだけど、あなたが寝てる間に
ずっとカズシゲ先生とあたしで話し合ったの。今後のこととかね。先生、最初は驚
いてたけどすぐに納得してくれたわ。あなたが先生のよきペットでいる限り、先生
はあたしたちに占有されてくれるの。・・・・・・あしたからあなたも学校に行くのよ。
みんなを驚かしてやりましょ」
え? 学校いくの? どんな顔していくつもりよ。・・・・・・そうか。あたしはキョーコ
のまんまだし、先生は先生のままだから問題ないのよね。でも・・・・・・何か変。
「そうそう、きのうのことだけど、あのとき先生はあたしがうしろから見てることを
まだ知らなかったけど、あのねぇ・・・・・・女の子に『する』ってゆうのはとっても気
持ちのいいものよ、それなりにね。相手が自分の体だってのがちょっとアブノーマ
ルでまた刺激的だったわ。いつかあなたにも味あわせてあげられるといいんだけど
・・・・・・じゃ、先生にかわるからね」
あたしが目覚めたのはあのアクセサリー屋さんの手術室。営業時間外だったけど、
特別に対応してくれたみたい。なんたってあたしも先生もここでは最高のお得意さん
なんだから。
再び本人に戻った先生に引かれて裏口から出た。先生はあたしが制服のコートをは
おるのも許してくれた。先生のクルマが駐車場におとなしく待っている。
「この店で『女子高生の言語野が入荷した』って聞いたときは本当にうれしかったん
ですよ。いままで自分の脳をいじったことはありませんでしたが、まよわず買って
しまいました。まんまとワナにはまったわけです・・・・・・でもきみのワナでよかった
と思っています」
先生はそう言ってにっこりした。でもあたしはそんなことをしたおぼえはない。そ
の記憶はいま先生の中にいるほうのキョーコが持っていってしまった。先生にとって
キョーコはこの猫であり、同時に頭の中ではなしかけてくる女の子。あたしは本当は
先生の言うキョーコの半分以下でしかない。先生のことしか考えることのできない半
分。でも先生も、先生の中のキョーコもそのことを知らない。
部屋にもどった先生はあたしを朝と同じ場所につなごうとした。あたしはちょっと
抵抗した。だってもっと先生といっしょにいたかったから。またひとりぼっちに残さ
れるのがこわかったから。あたしの願いを先生は許してくれそうだったけど、先生の
右手が動いてクルマになにか合図するのが見えた。先生は自分の右手がなにをしてい
るのか知らなかったと思う。とつぜん首輪が絞まって息ができなくなったあたしが苦
しくてのたうちまわったときにひどく驚いていたもの。すぐに目の前がまっくらにな
った。もうひとりのキョーコが先生の声でしゃべるのがかすかに聞こえた。
「まったくもぉ、忘れちゃったの? 先生のいうことはちゃんときかなきゃだめじゃ
ない。そういう約束なんだから。そうそう、この首輪は先生がずっと昔に作ったも
のなの。だからこのしかけも先生の趣味。悪く思わないでね」
* * *
翌朝からあたし「たち」は学校に復帰した。はげしい競争に打ち勝ってカズシゲ先
生をモノにしたのがキョーコであることを隠すものはなにもなかった。カズシゲ先生
の行くところには、いつもあたしが付き従っていた。さすがに学校内では鎖で引き回
されはしなかったけど、制服の襟元からのぞく銀色の輝きはそのまま。あたしはなに
もしゃべらずにかいがいしく先生の世話をした。先生はときどき、他の生徒たちの前
であたしに意地悪をしたり、きまぐれに首輪を絞めたりしてあたしを困らせた。先生
がクルマにおしかけてくる発情した生徒たちとあそぶときには、ベッドの隅にはかな
らずあたしが裸でつながれていて、いろいろとお手伝いをした。そんなあたしに学園
じゅうがむける羨望のまなざしがちょっとは誇らしい。でも・・・・・・その猫耳のキョー
コが実はカズシゲ先生に与えられた御褒美にすぎず、その肉体にそそがれる羨望を本
当に楽しんでいるのが先生の中にいるもうひとりのキョーコだってことはあたしのほ
かにだれも知らなかった。
本当の女王様は、だれにも見えない玉座から、いまも学園じゅうをわらってる。
【銀茄子】
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