ざしきわらしのこと
by 銀茄子
初出:1996年9月
掲載場所:NiftyServe FQLD4フォーラムNo.12会議室
とある落書き絵の付属文書をショートショートとして独立させました。
ざしきわらしのこと。
毎年盆休みには家族総出で父の郷里へ遊びに行く、というよりも「ご挨拶
にいく」のが、わが工藤家のならわしだった。「工藤家」などというとなに
やら仰々しいが、実は子供は僕ひとりだけの核家族。それに対して父の実家
のほうの「工藤家」はその地方ではけっこうな名氏らしい。広大な屋敷、数
しれぬ使用人と出入り業者。幼いころの僕はいなかのおじいさんおばあさん
の家には果てがないんだと本気で信じていたくらいだ。
その屋敷のいちばん奥の座敷が彼女の住処だった。
はじめて彼女が姿を見せたのは僕が小学校にあがって最初の夏休みだった。
その日、仕事で遅れる父を家に残して母と二人で前の晩にこの屋敷に到着し
た僕は、朝早くから一人で起き出して毎年恒例の、僕だけの「探検」に乗り
出した。玄関先で掃除を始めていた祖母に挨拶し、昔だったら書生部屋にで
もなっていただろうそのあたりの部屋を手始めに何十とある部屋を順番に覗
いていくのだ。翌日になれば、父も含めてこれまた数しれぬ一族郎党が勢揃
いするのでとてもそんなことはできない。いつも一日早く来るという僕の家
の習慣がありがたかった。
屋敷には年に一〜二回も人が入ることがない部屋がたくさんあり、それぞ
れに小学生には正体不明の古い道具や家具や本が山積みになっていた。それ
らをこわいもの見たさ半分の気分でそろりそろりと確認していくのは、いま
となってはどうしてなのかよくわからないが、とにかくとても楽しいことだ
った。
さて、問題の部屋だ。一番奥の座敷とはいっても、南側の庭に面したそこ
は屋敷の中ではめずらしく日当たりも風通しもすこぶるよく、妖怪変化のた
ぐいとは最も縁遠そうな場所だった。かつては襖で仕切られていくつかの部
屋にわかれていたことを示す数本の柱と、そのそれぞれから四方に延びる敷
居さえ気にしなければ、昨今の一般家屋ではまず見ることの出来ない30畳
敷きもの広さの座敷は工藤の一族の子供たちにとって最高の運動場だった。
その柱の一本によりかかるように、見覚えのない女の子がひとりポツンと
座っていた。年のころは僕と同じくらい。でも何か普通でないことがすぐに
わかった。朝日を浴びて、半分透き通っているような、じっと見つめようと
すると見えなくなってしまうような。でもなんだかもぞもぞと不自然に動い
ているのだから人形でも死人でもなく、立派に生きていることは確かだった。
それに動きが変な理由もすぐにわかった。彼女は柱を背中に抱えるように後
ろ手に縛りつけられていたのだ。・・・・・・なにか悪いことでもしたのかな。つ
いでに目隠しまでされて、・・・・・・それにスカートもパンツもはいていないじ
ゃないか。どうしたんだろう。
彼女を見つけてしまったことになんとなく罪悪感を感じつつも体が固まっ
てそこから離れられなくなってしまった僕は、次の瞬間、心臓が凍り付くよ
うな思いというものを生まれて初めて味わうことになった。それまでなんと
なく現実感に乏しかった彼女の姿が急にくっきりとし、目隠しをされた顔を
僕の方にむけて笑ったのだ。妖怪のたぐいの「ニヤリ」という笑いではない。
お友達にむける「にっこり」だったのだけれど、それはぜんぜん僕の恐怖を
鎮める役にはたたなかった。
その時自分がなにを叫んだかよく覚えていない。泡吹いて言葉にならない
声でアウアウ言っていただけだと思う。問いただす母や祖母に本当のことを
言う勇気がなかったことはもちろん。あの子があそこにあんなかっこうで居
るのは、なにか大人しか知らない理由があるにちがいない。見ちゃったこと
がばれたら僕も怒られて同じ目にあうんじゃないだろか。
その時、やっと起きてきた祖父が居間にやってきて騒ぎは一瞬で静まった。
古い家のしきたりというのも役に立つことがあるものだ。母と祖母、それに
むりやり押さえつけられた僕も、正座して祖父に朝の挨拶をしなければなら
なかったのだ。
その日一日、僕はこわくて居間から一歩も出られなかった。
夕方、母と祖母が夕食の支度と続々と到着する親戚たちの世話に忙殺され
ている間に、僕は祖父の部屋に呼ばれた。
「来たか、健一」と祖父は僕の名を呼んだ。20人以上いる孫の名前を正
しく記憶するのがどんなに大変なことか、当時の僕は知らない。だからそれ
には特に感銘を受けなかった。
祖父は僕の手をとると、そのままズイズイと引っ張っていった。行き先は
・・・・・・あの部屋だ。僕の足取りがどんどん重くなっていくのは隠しようがな
かった。祖父は僕の抵抗を感じとるとかえって手に力をこめ、しまいには僕
を片手でつり下げるようにしてノシノシと歩いていった。とても80歳のじ
いさまとは思えない・・・・・・なんて考えるゆとりはとうになく、はっきり言っ
て僕はパニック状態だった。おじいさんに逆らうなんてことはできない。で
もあんなに怖い思いはもういやだ・・・・・・・
はたして、あの女の子は朝と同じ場所に、同じように居た。祖父がいっし
ょのせいか僕には気づいていない、いや少なくとも気づかない振りをしてい
た。
しがみつく僕の手を、さらに強く握りしめて祖父が言った。
「健一、そこにいる子が見えるか」
「うん・・・・・・」そこで気づいた。「おじいさんには見えないの?」
「見えない。今はな。でも昔は見えた。話をしたこともある」
それだけだった。二人そろって居間に戻りながら、祖父は言った。
「あの子はな、健一にしか見えないはずだ。誰かに話しても笑われるだけ
だぞ」
翌日からのその座敷の光景はとても奇妙なものだった。集まった子供たち
は例年通りにルール無用の大運動会を繰り広げたが、本当にだれにもその女
の子の姿は見えていないようだった。たとえばだれかが女の子につまづいて
ひっくりかえったとする。そいつはみんなに嘲笑されながら頭をかくばかり
で自分がどうしてころんだのか最後までわからない。またべつの誰かが勢い
よく女の子の頭に頭突きをくらわせてしまったとする。ぶつかった方も見て
いる連中も、彼が柱にぶつかったとしか思わない。そしてしばらくすると、
女の子は絶妙のタイミングで脚を伸ばしてさきほど頭突きしてきた男の子を
転倒させ、僕の方をみて「やったぜ」という感じで笑うのだ。目隠しをして
いてもその視線は強烈で、僕の背筋はそのたびに硬直したけれど、僕みたい
な「若造」が勝手に座敷を抜け出すのを年長のいとこたちが許すわけはなか
った。
女の子が人間ではないのはすぐにわかった。なぜなら、だれも彼女に食べ
物や水を与える様子が無いのに何日間も同じ場所にいて全然平気だったから
だ。でもやはり僕も子供だったのだろう、帰宅するころには、僕は彼女のこ
とを「そういうものか」と疑問無く受け入れるようになっていた。祖父も最
初の日以来、女の子のことを口にしなかった。そもそも盆休みの間は一族の
頭領としての仕事が忙しくて孫の中の一人だけにかかわる暇など無かったの
だ。
* * *
翌年も、女の子はいた。去年と同じ場所に同じ姿で。僕は一年分成長した
けれど、彼女も明らかに同じだけ成長していた。
屋敷に着いた晩、朝まで待てなかった僕は長い廊下に明かりをつけて、全
身を思いっきり緊張させて彼女に会いに・・・・・・いや、彼女を確認しにいった。
最後の角をまがって座敷を見渡せる場所にきたとたん、僕の気配をとらえた
彼女はふりかえって心底嬉しそうににっこりとした。人ならぬものに対する
本能的な恐怖感と、なんだったんだろう・・・・・・やはり彼女に対する興味ある
いは好意だったんだろうか・・・・・・という相反する気持ちの綱引きの命じるま
まに、ゆっくりと僕は彼女に近づき、そうっと頬に手を伸ばした。彼女はさ
れるままになっていたが、とつぜんパクリと僕の指に噛みついた。びっくり
して飛び退った僕の方を向いて、彼女はケラケラと笑った。しばらくドキド
キしていた僕も、やがてつられて笑い出した。もう怖くなかった。
数日後、ほとんどの親族が去ってやっと一服つけるわいとばかりに部屋に
引きこもった祖父を、こんどは僕の方からたずねた。
「健一じゃないか。どうしたんだい」
「おじいさん・・・・・・奥の部屋のことなんだけど・・・・・・」
「どうだい、仲良くできてるか?」
訊きたいことは山ほどあったけれど、小学校二年生では言葉を知らなすぎ
た。口ごもる僕に祖父が助け船を出してくれた。
「あの子は大事にしろよ。工藤の家の守り神の機嫌をそこねちゃなんねぇ
ぞ」
助け船にもなんにもならなかった。
* * *
僕は年々成長し、年に一度の逢瀬のたびに彼女もどんどん人間の大人にな
っていった。小中学生の間は女の子の方が成長が早いのも人間と同じだった。
僕の方もなんだかんだで色々と知識も増えてくる。彼女が人間でないのは明
らかだったけど、そんなことにはおかまいなしに時にはあまり人には言えな
いような遊びを彼女とするようにもなってきた。彼女もそれを喜んでいるよ
うだったのでいけないとは思わなかった。もちろんそればかりではなく、言
葉は一語も発さないけれどこちらの言うことは何でも理解するらしい彼女と
とりとめもないおしゃべりを続けることの方が多かった。顔を見たくて彼女
の目隠しをはずそうとしたこともあったけれど、その試みだけはどうしても
成功しなかった。彼女は抵抗も妨害もしなかったのに、なぜか手がすべって
目隠しの布をつかむことができなかったからだ。それは彼女を柱に束縛して
いる銀色の鎖についても同様だった。でも彼女は自分の状況を特にいやがっ
ている様子もなかった。
中学生になった夏、僕は祖父のかつての言葉が気になって再び彼の部屋を
訪ねた。ここ数年でめっきり衰えた祖父は、必要のないときにはほとんど自
室で横になってコンピュータをいじってすごすようになっていた。
「健一ももう中学生だったなぁ。そろそろ来る頃だと思っていたよ」
「・・・・・・あの子のことなんですけど」
「みなまで言うな! じきにわかる。儂が知っているのと同じくらいにな」
「え?」
「健一が気に入られてることくらいわかるわい」
僕はもう「ざしきわらし」という言葉を知っていた。それがいる家は栄え
ると言われていることも。迷信伝説のたぐいと世間では思われていることも
知っていたけれど、あいにく僕は現実的だった。
そして、僕の知る現実において彼女はあそこに実在する。工藤の先祖の仕
業かどうかは知らない。でもなんらかの手段であそこに捕らえられているの
に違いない。
「おじいさん、それでもやっぱり訊きたいんです。おじいさんにも昔は彼
女の姿が見えたけど今は見えない、っておっしゃってましたよね」
「よく覚えているなあ」
「いつから見えなくなったんですか?」
そのとたん、一瞬のほほえみに続けて祖父は破顔した。
「ずいぶんご執心だな。こりゃあ工藤家は安泰だわい」
さらにひとしきり笑い続けた後、ようやく一息ついて、
「じきにわかるよ、安心せい。彼女を信じるんだ」
* * *
このころ、彼女はもう立派な女性だった。彼女の姿態や服装(などと言
えるものではなかったが)からして近い内にいきつくところまで行ってし
まうだろうとは予感していたが、あいにく僕の方が少々成長が遅かった。
しかし、男の子が女の子より一時的に遅れるとは言っても、その差が埋ま
るまでには長くても4〜5年しかかからない。少なくとも肉体的には。
* * *
その年、僕の方にまあなんというか、男性としての能力が備わってから
はじめての夏のことだった。なにが起こったかは書かずともわかってもら
えるだろう。もともと彼女は抵抗しようにもできないような格好で柱につ
ながれていたわけだし、服装は下半身になにも着ていないというとんでも
ないものだったのだ。それに・・・・・・いいわけするわけじゃないけど、誘っ
てきたのは彼女の方だ。
僕はすでに子供たちの「大運動会」に参加するような歳ではなかった。
その座敷に出入りする公認の理由が無くなってしまったため、ちょっと前
から、屋敷のだれもが寝静まっている日の出前のひとときが僕たちの逢瀬
の刻となっていた。
さて、屋敷についてから数日後の明け方のことだ。先にも言ったように、
起こるべくして起こるべきことがごく自然に起こり・・・・・・やっぱりディテ
ールは省略させてもらうが・・・・・・だいじなのはここからだ。コトのあと、
彼女も(!)僕も初めての経験で脳は真っ白、全身脱力という状態でたが
いにもたれあいながら2時間ほどうとうとしていた。もちろん部屋の明か
りは消してあり、雨戸も障子も開けはなっていたとはいえ、星明かりだけ
では座敷は暗黒も同然だった。広大な空間はただふたりの気配だけで充分
に満たされていた。
やがて空が白み、庭の木々の色が見えるようになってきたころ、彼女が
なにかしゃべった。彼女の言葉を聞くのがはじめてだった僕はびっくりし
て振りかえった・・・・・・しかし、僕の目に映ったのは透き通って消える寸前
の、いつもとかわらぬ彼女の微笑みだけだった。しばらくの間、その微笑
みとやわらかい視線だけが宙に残っていたが、僕が呼んだりさわろうとし
たりする間に、それもどんどん薄れていき、やがて朝日の中にすべてが溶
け去ってしまった。
約10年のあいだ僕とともに成長してきた、最も親しかった異性の友達
の、それが最後の姿だった。
* * *
翌々年、祖父が亡くなった。休暇期間でなかったので僕は葬式にしか出
られなかったけれど、初七日まで済ませて帰ってきた父の話は、ある程度
僕が予想していたとおりだった。
おおきな家だから当然のことだろうが、祖父は財産分与その他について
のブ厚い公正証書遺言を残していた。その内容のために親戚間でひと悶着
起こりそうなのだという。なんでも祖父は、工藤の本家の家督相続者とし
て、地元に並み居る息子や内孫たちをさしおいてこの僕を指名したという
のだ。
僕自身は別にどうでもよかった。まだ二十歳にもなっていなかったし、
田舎の連中が祖父の意志に異論があるなら好きにすればよい。都会に住ん
でいる限りは就職にもこまらないし、進学も控えている。探りを入れるよ
うに電話をかけてきた叔父の一人に、僕ははっきりとそう言ったものだ。
だから・・・・・・僕が成人するまでのつなぎ、という名目で屋敷におさまっ
たその叔父が急死し、その家族まで次々に事故やら転勤やらでそこに居ら
れなくなったのには本当にあわてさせられた。「彼女」がなにかしでかす
んじゃないかと思わないこともなかったけれど、まさかそこまでの力があ
るというのは僕の想像を越えていたからだ。これ以上の犠牲者を出しては
ならない、という悲壮な覚悟で、僕は工藤の本家に入ることを決めた。
* * *
というような事情で、僕は祖父の事業をひきついで若くしてけっこう手
広く忙しく田舎で立ち働いている。叔父や伯父である同族企業グループの
社長たちを相手に会長職を勤めるのも、はじめのうちは結構大変だったけ
れどすぐに慣れた。やはり「彼女」のおかげだと信じているが、仕事上の
僕の決断にはほとんど誤りがなく、やがて叔父たちも僕の力を認めるよう
になったからだ。
ときどき、今では自宅となった屋敷の、あの座敷の様子を見に行く。あ
の柱のまわりにはなにも見えないけれど、ちょっと眼をそらすとなにかが
ちらりと動く。でも、さすがにそばによって手で探る勇気はない。本気で
噛まれたらたまらないからだ。夏休みになると例年通り一族の子供たちが
運動会をひらく。その様子を注意深く観察すれば、柱のわきになにか不可
視の障害物があることまではわかる。いまでも彼女はそこで、僕の前で祖
父に対してとったような素っ気ないフリをしているに違いない。でもその
姿をはっきり見ている子供はまだいないようだ。僕にとって幸いなことに。
■銀茄子■
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