「7月の独り言」


7月12-14日

 島根県松江市で開かれた第41回SF大会「ゆ〜こん」に行ってきました。
 金曜日の夜に寝台特急「サンライズ出雲」で出発。久しぶりの寝台列車であります。個室を予約していたのですが、想像していたのとちょっと違っていて(というかどういうスタイルなのか前もって全く調べていなかったのですが……)殆どカプセルホテルって感じ。列車内の左右に上下二段ずつの部屋なので、中では立つこともできないという有様。下手にノートパソコンとか持ってこなくて正解だったかも。これじゃ乗車から下車までずっと横になっているしかない。寝巻きが置いてあったのでいそいそと着替え始めたら、窓の外の隣に停っていた列車から丸見えでした(もうすでに羞恥心もなくなっていたか……?)。
 なんだか寝てたのか寝てなかったのか良く分からないうちに朝になり、松江に到着。付く前にプログレスレポートを読み直し、間抜けにも出雲大社を回るオプショナルツアーが大会の前でなく後であることを知る。早く来てもどうしようもないのでした。三時の開会式まで五時間近いちょっと中途半端な空き時間が……しょうがないのでまずはバスで小泉八雲記念館まで。記念館と行っても小さな建物一階分程度のスペースしかなく、全部目を通 すのにものの二十分もかかりませんでした。その後ガイドブックにも載っていた「八雲庵」で出雲そばの四色割子を食べました。窓の外にはこじんまりした庭園があってちょっといい感じ……と思っていたらいきなり土砂降り。隣の田部美術館で雨宿り。渋い茶器とか見て回ったのですが、あいにく陶器に関しては知識も乏しくて……。
 もう少し武家屋敷とか松江城とか見て回ろうかとも思ったのですが、あいにくの空模様なのでいそいそと会場のある玉 造温泉駅へ。駅には送迎バスのお出迎え。この時も土砂降り。

 今回は会場自体が「ホテル玉泉」と「松の湯」の二つに分かれていてちょっと厄介。まずは開会式の開かれる「ホテル玉 泉」へ。ここで同室となるS並さんとS村さんに遭遇。オープニングセレモニーは星雲賞授賞式とファンジン大賞授賞式。ファンジン大賞創作部門では、昨年の空想小説講座に参加された電気風見鶏(ペンネーム)さんが受賞したのでした。めでたいめでたい。

 五時に開会式が終わった後、宿泊する「松の湯」へバスで移動。お目当ての「空想小説創作講座」をはじめとして実際に催し物が始まるのは午後九時。間が空きすぎているよなあ。とりあえず温泉に、と思ったのですが「松の湯」の大浴場は完全に満員状態なので、隣の「玉 造温泉ゆうゆ」へ。こちらはお椀状の露天風呂がユニーク。なんでも勾玉をモチーフにしているのだそうだ。
 風呂から上がって午後七時から夕食。今回は場所が場所なので食事だけは贅沢なのだと聞いてはいたのですが、確かに分量 は充分過ぎるほどありました。刺身、カニ、トビウオの揚げ物、牛しゃぶ、茶碗蒸し、出雲そば……がまずぎっしりと並べられていて、これだけでも結構なものなのですが、後からカレイと天ぷらとそうめん入りのお吸い物が追加……この段階までは私も意地があるのでしっかり平らげましたが、その後にご飯が回ってきた時にはさすがに断ってしまったのでした。う〜情けない。昼にそばを食べただけなのに。それにしてもそばとご飯が両方出てくるとは思わなかったです。「もうさすがにお腹ぽんぽんや」と苦笑いしていたら、なんと目の前に座っている人はご飯のお代わりをしていたのでした。やれやれと思って席を立とうとすると、先に立ち上がって去ろうとする人達を呼び止めるおばさんの声が……「まだフルーツがございます!」思わず、「おおっ!」と喚声が上がる……。「きっと小鉢にちっちゃなメロンか何かが乗っかってるんじゃないでしょうか」と隣のS並さんに言ったら「でも案外スイカのぶつ切りかなんかだったりして」との返事が。そしてなんとその言葉通 り「スイカのぶつ切り」が出されて来たのでした。こうなったら仕方がない、デザートだけは残さないぞ、とスイカにかぷりついていると、目の前ではスイカを既に平らげた人がなんと三杯目のご飯をお代わりしていたのでした。
 一端部屋に戻り、腹が苦しいのでついつい横になっていると、まだ何も始まってもいないのに既にもう眠くなっている私……そりゃ風呂入って飲み食いしたらもう眠くなって当たり前ですな。そうこうするうちに「空想小説創作講座」が始まったのでした。これは事前に提出していた各自のオリジナル短編を大会の場で講師が論評するというもので、今回はSFマガジンの塩澤編集長、SF-Japanの大野編集長、角川春樹事務所の中津編集員、ライトノベルズ書評の柏崎氏の四名が講師を担当。前回が森下先生や久美先生など作家さん達中心だったのに比べると、かなり編集者中心ということで、そう言った意味では「商売になるかならないか」という辛口の批判も多かったように思います。今回も高い評価を受けたのは電気風見鶏さんと平田真夫さんの作品。前回賞状をもらった私も二連覇を狙いたいところでしたが、今回の作品は前回のものよりも自信があったにも関わらず少々キビシイ結果 となりました。それでも(塩澤氏Aマイナス、中津氏○、柏崎氏○)といった結果を見ると決して悪くはないかな。物語のオチに気を使うあまりに人物のリアリティが弱くなっている、というのが全体的な意見としてありました。それは確かに認めざるを得ないところかな。
 9時から12時半までの長丁場、さすがにへとへとになったのですが、その後さらに緊急討論会。今回五回目になる「創作講座」、主催のS並さんが次回参加できないため、次回の運営をどうするかということに。参加作品は全てS並さんが事前に冊子に編集して印刷に回していたのですが、一部持ちだしの部分もあり、次回参加人数が減ると同じスタイルではできないという危惧が。私も同人出版ならやってはいるのですがそれをきちんとさばくだけのルートは持ってるとは言い難いし(何しろ自分で作っている本がしっかり赤字だし……)……次回は作品は自分でコピー及び事前にネット配信になるかも、ということで、取りあえず落とし所を決めたのが午前2時。
 さて、今回の大会の困ったところは、毎年好評の「と学会」の「トンデモ本大賞」を始めとして見たいコーナーが前半に集中して重なっていたこと。毎回何とかバランスを取ってハシゴしていたのですが、今回はこの時間で既に殆ど見るものなし……しょうがないので玉 泉の会場まで一人真っ暗な中を歩いていって、「自主製作SF映画上映会」のコーナーに。大学時代に映画研究会に入っていたこともあって、自主映画のあのちょっとチープでひたむきなところが今だに好きだったりして。しかし今回は見事に人がいない。最初から最後までいたのは私を含めて二人位 だったんじゃないかしら。それなりに面白かったんだけどなあ。(というかもう「玉 泉」の会場の方はみんな宴会で疲れてしまって総崩れだったという話も…… )五つの上映作品の中では、家出した女の子を救出すべく謎の特殊部隊が勝手に乗り込んできて、橋は爆破するわ女の子に爆弾は仕掛けるわ、普通 に帰ってこれるところを大事件に発展させてしまう「特殊相対性幸福論」(実写 )と、くしゃみをすると怪獣オトメドンに変身して街を破壊してしまう少女が主人公の「しあわせのラストクリスマス」(紙芝居アニメ) の二本が印象的でした。「特殊相対性幸福論」はまだ五歳くらいの子役がなんかさりげなく巧かったし、「ラストクリスマス」は主人公役の声優さんがすごくプロっぽかったですね。
 そうこうするうちに午前五時。さすがにもう完徹する元気もなく、部屋へ戻って二時間ほど仮眠。午前七時には朝食だと起こされる……まだ胃が寝てるよ〜。もっとも夕食から大分過ぎていることもあって、しっかりご飯をお代わりさせていただきました。
 十時には閉会式。結局二つのコーナーにしか参加していなかったので、なんとなくいつもに比べて物足りない感は否めない……。つつがなく12時には終了。そのままバスで松江駅へ。S並さんは出雲にもう一泊するとのこと。私もこんなことならもう一日くらい観光に回してもよかったかしら。午後三時半松江発の特急を押さえていたので、さすがに出雲まで回る時間はなかったのでした。
 特急に乗るまでの三時間あまり再び松江市内観光。遊覧船「はくちょう号」で宍道湖の一時間遊覧。この日は比較的天気も良かったのでわりと穏やかなクルージング。

 その後島根県立博物館で出雲の遺跡、銅鐸や銅剣などの展示を見に行った後、カラコロ工房で再び出雲そばを食べてから松江駅へ。特急やくもで岡山に。「やくも」は明るいバイオレットの車体がなかなかにキレイでした。

 その後のぞみで東京まで無事帰還。なんとも慌ただしい島根旅行でした。
 今回は大会参加というよりは一人旅の印象が強かったですね〜。それにしても最近は一人旅もあんましワクワクしなくなったなあ。まあ出掛けている間は確実に気分も軽くなってはいるのですが。これは多分に感度が鈍くなっているということでしょうか。昔は寝台特急から眺める夜景だけでもすごく楽しめたんですけど。


7月6日

 高井戸区民センターにて開催されたSF乱学講座「ワインの歴史」について講演。内容は殆どこのページで紹介した内容そのままです。講演と言っても10人くらいの出席者を前に2時間ほどOHPを使ってお話するというもの。もともとはSF作家を招いていろいろとサイエンス関係のテーマで語ってもらうものだったそうで、結構長い間行われてきたものなんだそうですが……SFとワインでは殆どあまり接点がないというか、そもそもなんで私が呼ばれたの? と我ながら不思議ではありましたけれど、以前通 っていた空想小説ワークショップの聴講生Nさんから、SFセミナーの会場で乱学講座の世話人のMさんに紹介されたのがきっかけでした。
 ミステリーにはワインはよく登場するし、「味」「別れのワイン」といった傑作も多いけれど、SFの分野ではそれに匹敵する作品は残念ながらお目にかかったことはないですね。ようしここはひとつ私が……と思いつつなかなかいいアイデアが……。変化する世界を描くSFには、100年変ることのない葡萄酒はなかなかマッチしないのかしら。星野之宣先生の「2001夜物語」の中の一編「共生惑星」で、委員会の人間が2100年物のボルドーをカクテルグラスで飲んでいるシーンがあったけれど、思いつくのはそれくらいです。
  二、三するどい質問を受けて、その場ではいい加減にしか答えられなかったので、この場を借りて少し補足を……。
「ボージョレ・ヌーボーが売られるようになったのはいつごろから?」
 マセラシオン・カルボニック(炭酸ガス浸責法)という通常とは異なる発酵法を使うので、作られるようになったのは最近のこと……とその場では答えたのですが……以下は堀賢一著「ワインの自由」からの抜粋。
 「ボージョレ・ヌーヴォー」とは「ボージョレ」地区で生産される赤ワインの新酒のことで、気軽に楽しめるフレッシュな赤ワインとして1950年代から流行の兆しを見せ、現在のAOCボージョレの全生産量 の70%ほどがこの新酒として販売されています。80年代末から90年代初頭にかけて世界的な大流行となりました……」
  もっとも、88年をピークとしてそれから後は衰退し、95年のフランス核実験再開宣言によりボイコット運動が起きてからはかなり厳しい状態。「ボージョレ」を名乗るためには全てブドウは手摘みで収穫しなくてはならず、生産コストは高いのに、新酒が売りなので売れ残るほど価値が下るわけで、これは辛いですね。
 ちなみに、マレラシオン・カルボニックは、縦型の大きな密閉タンクに果実を破砕せずに一杯につめ、発酵によって発生する炭酸ガスの中に数日間置くもの。これを圧搾し通 常通り発酵を続けさせます。非常にフルーティで、色の良く出ている割に渋味の少ないフレッシュな赤ワインが得られます。
「日本でのワインの歴史はいつ頃から始まったのか?」
 戦国時代、種子島と一緒に日本に紹介され、織田信長も飲んだはず……と思わず大河ドラマで見てきたような話をしてしまいましたが、当日配布した年表にある通 り、1549年にポルトガルのフランシスコメザビエルが種子島に入港し、島津貴久に珍陀酒(Tinta)を献上したとされるのが最初です。本格的な始まりは明治10年から。戦前も「神谷バー」の電気ブランで一世を風靡した神谷伝兵衛の牛久シャトーや現サントリーの寿屋佐治氏の赤玉 ポートなどがありました。
 


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