Via Vino No. 54 "Japan Wine"<日本ワイン

<日時・場所>
2014年2月15日(土)15:00〜17:30 新富町「蔵葡(kurabuu)」 
参加者:16名
<今日のワイン>
白・辛口「北海道ワイン 鶴沼ヴァイスブルグンダー 2011年」
白・辛口「都農ワイン シャルドネ・アンウッディド 2011年」
日本酒・辛口「奈良 風の森 秋津穂 ALPHA(平成25年醸造)」
赤・辛口「旭洋酒 ソレイユ・クラシック・ルージュ 2013年」
赤・辛口「山辺ワイナリー 山辺メルロー樽熟成 2007年」
<今日のディナー>
魚介の炙り・すだちのジュレ乗せ
白身魚のチーズ焼き
千葉県産チーズと珍味の盛り合わせ
純国産鶏のささみ昆布〆 梅肉ソース
和牛の炭焼き
イクラご飯とお味噌汁

    


1.今だからこそ振り返りたい、『日本のワイン』

北から南まで、躍進を遂げつつある日本産の本格派ワイン。
日常生活の中にも受け入れられつつあるものの、ワイン市場はまだ数%。
待っているのは豊かな食文化の発展か、自給のかなわぬ危うい未来か。


 1995年の世界最優秀ソムリエコンクールで優勝した田崎真也氏は、現在は国際ソムリエ協会の会長に就任しており、国際的なワイン市場において、既に多くの日本人が活躍しています。日本におけるソムリエ資格取得者は2万人に迫る勢いで、これは本家フランスをはるかに凌ぐ数となっています。しかし一方で、日本の酒類市場におけるワインの比率は数%にとどまっており、年間の1人当たり平均消費量は2〜3リットル程度と、ビール類には遠く及びません。日本の食生活に完全に定着しているとはとてもまだ言えない状況かと思われます。  

 日本にいれば、わざわざ外国まで足を運ばなくても、中華料理や韓国料理、フレンチやイタリアン、スペインバルにブリティッシュパブ、ポルトガル料理からオーストリア料理まで、バリエーション豊かでかつレベルの高い各国の食文化を楽しむことができます。一流のシェフとソムリエが腕を振るい、国産ワインの品質も向上しつつありますが、日本においてワインや日本酒が本当の意味で盛り上がるのはまだまだこれからのような気がします。  

 現在、日本は食糧のおよそ3割を廃棄するほどまでに豊かな国となりましたが、ほんの数十年前まではとても満足な栄養状態にあったとは言えず、今でも食糧の自給率は先進国の中でも最も低いとされています。日本人は本当に自分たちで思っているほど豊かな食生活を送っていると言えるのかどうか、あらためて考えてみる必要があるのではないでしょうか。

2.日本のワインについて

【日本のワインの特徴】
 日本は火山性の酸性土壌で、温帯というより亜熱帯気候にあり、6月と9月に雨が多く、湿気が多いのでカビが生えやすい…これらの条件は、亜熱帯植物で水を多く必要とする米を育て、麹菌で糖化を促す日本酒を造るには最適なのですが、アルカリ性の石灰質土壌を好み、湿気やカビを嫌い、収穫期の雨が大敵の葡萄栽培とワイン造りには正直なところあまり向いているとは言えません。  
 しかし食の世界からあらためて眺めてみれば、ワインの持つ酸味の豊かさや甘味の親しみやすさは、意外に和食の世界とも相性が良いですし、日本の気候も細かく見れば決して一様ではなく、起伏が激しい土地である分だけ土壌も天候も千差万別で、ワインのメッカでありながら、海に突き出した火山と地震の国でもあるイタリアに通じるところが多いのではないでしょうか。その意味では日本のワイン生産も実はそれなりに可能性を秘めていると思われるのです。

【山梨】  
 日本列島の中央にある甲斐の国は、比較的降水量が少なく日照時間が長い点で葡萄栽培に有利ですし、ヨーロッパのワイン用葡萄と同じヴィティス・ヴィニフェラ種である甲州種でも有名です。生食用葡萄栽培と一升瓶ワインのイメージの強い地域ではありますが、サントリー、メルシャンといった大手から、小規模なミニ・ワイナリーまで、勝沼を中心に90軒近い醸造元がひしめいています。

【長野】  
 標高が高く昼夜の寒暖差が大きく、ワイン用葡萄生産量は山梨を抜いて全国1位です。シャルドネやメルローなどフランス系品種の展開に成功していることでも有名で、桔梗ヶ原メルローや北信シャルドネは、他国のワインと肩を並べることのできるほど高い品質を誇ります。いち早く原産地呼称管理を制定したことで知られていますが、ヴィラデストや小布施ワイナリーなど、個性的なワイン生産者で注目される地域でもあります。

【北海道】  
 国内では最も冷涼な気候で、緯度で比較するとヨーロッパのワイン産地と重なるという意味でも、 ワイン生産地としては適しており、近年頭角を現してきた地域でもあります。梅雨と台風の来ない夏乾燥性の気候は、開花時期と収穫前の水分過多を防ぎ、高緯度地帯ならではの夏の長い日照時間が葡萄を完熟させます。池田町の十勝ワインと、おたるワインや鶴沼ワイナリーをかかえる北海道ワインが主力な造り手として地元を牽引しており、現在約20軒のワイナリーが散在している状態ですが、今後もさらなる発展が見込まれています。

【九州】
 南国である九州は、長らくワイン造りには不向きであると思われていましたが、近年では大分の安心院葡萄工房、熊本の熊本ワイン、宮崎の都農ワインといった新興勢力が、その常識を覆しつつあります。細かい土壌分析と高い醸造技術で、本来不利とされてきた気候・土壌条件を克服し、非常にレベルの高いワインを造りだしています。

3.ワインテイスティング
 
   

「北海道ワイン 鶴沼ヴァイスブルグンダー 2011年」(タイプ:辛口の白ワイン   品種:余市・鶴沼産ヴァイスブルグンダー(ピノ・ブラン)  産地:日本/北海道・鶴沼)
 北海道ワイン株式会社の誇る自社農園「鶴沼ワイナリー」には、石狩川を眺める南西向きの斜面に、日本で最も大きな447haの垣根式の葡萄畑が広がっています。ここで栽培される「ヴァイスブルグンダー」から、火打ち石のミネラルと柑橘の風味、そして奥に青みを感じさせるハーブのニュアンスがあり、引き締まった酸が果実味とバランス良く調和したワインが造られています。今回は、魚介の炙り・すだちのジュレ乗せと共に頂きました。一緒に添えてある春菊が、すっきりとして酸味のあるワインとよく合いました。

「都農ワイン シャルドネ・アンウッディド 2011年」(タイプ:辛口の白ワイン   品種:シャルドネ  産地:日本/宮崎・牧内台地)
 宮崎県都農町で、平成元年からワイン造りを始めた新興のワイナリーです。高温多雨でミネラル分の少ない火山灰土壌という不利な条件を、堆肥による土壌改良で乗り切り、1996年からワインの出荷を開始すると瞬く間に完売、今や年間22万本の出荷を行い、イギリスのワイン・レポート誌に取り上げられるなど、めざましい活躍で知られています。「アンウッディッド」は、オーク樽を使用せずに低温発酵させたもので、品質本来の活き活きとした果実味と華やかな芳香を重視した、引き締まった酸を感じるスタイルのシャルドネに仕上がっていました。今回は、白身魚のチーズ焼きと共に頂きました。

 

「奈良 風の森 秋津穂 ALPHA(平成25年醸造)」(タイプ:日本酒(無濾過原酒)  品種:秋津穂  産地:日本/奈良)
 油長酒造の創業は享保4年(1719年)、以来280年、絶えることなく酒造りを続けてきました。県下でも比較的大きな蔵で、以前は普通酒が中心でしたが、吟醸酒専用の平成蔵を建設し平成10年4月より「風の森」の発売を開始しました。全て手造り、しかもまったく濾過をせず割り水も行わない生原酒で出荷しています。また2001年から、純米酒・純米吟醸・純米大吟醸の純米系のみの仕込みになりました。
「風の森・秋津穂 ALPHA」は、奈良県産一等米の「秋津穂」(精米歩合65%)を使用した無濾過原酒です。最大の特徴はアルコール度がワインに近い14度に抑えられていることで、発酵時のガスが含有されたまま瓶詰めされているため、ライトでフレッシュな味わいに仕上がっていました。香りも吟醸香ではなく、自然な米由来のフルーティーさを感じさせます。千葉県産のチーズ、ホタルイカの沖漬け、酒盗とクリームチーズという珍味の盛り合わせと頂きました。

  

「旭洋酒 ソレイユ・クラシック・ルージュ 2013年」(タイプ:辛口の赤ワイン   品種:マスカット・ベリーA、ピノ・ノワール、メルロー  産地:日本/山梨・塩山)
 山梨県塩山市にある旭洋酒は、明治に山梨勝沼で始まり、昭和30年代に有限会社となって、以来40年にわたって日常酒として地元の人々に親しまれてきました。しかし平成14年、農家の減少を理由に組合は解散、醸造免許と工場は売りに出され、鈴木剛夫夫妻がこれを引き受けることになりました。「ソレイユ・クラシック・ルージュ」は、塩山・牧丘地区のマスカット・ベリーAを主体にピノ・ノワール、メルローをブレンド。マスカット・ベリーAの華やかな香りにエレガントな余韻が加わり、程よい厚みを持ったワインに仕上がっています。純国産鶏のささみ昆布〆・梅肉ソースと共に。ベリーAの風味と梅肉は相性がよく、昆布からでる旨みも相まってベストの組み合わせとなりました。

「山辺ワイナリー 山辺メルロー樽熟成 2007年」(タイプ:辛口の赤ワイン   品種:メルロー  産地:日本/長野・松本)
 筑摩郡山辺村(現在松本市山辺地区)には、山梨から甲州葡萄が導入され、明治六年(1873年)から本格的な葡萄栽培が開始されていました。山辺ワイナリーは、松本の農協系資本で創られたワイナリーで、カリスマ醸造技師として知られている戸川英夫氏が手掛けたワインです。極めて衛生的な醸造所から、品のあるワインを造るのが目的と言うだけあって、バランス良くエレガントなワインに仕上がっています。長野県のメルローは世界的にも評価が高く名だたるコンクールで賞を得るほどの実力がありますが、この樽熟成のメルローも、品種の持つ柔らかさと完熟した果実味と、樽の風味がバランス良く融合した上質な赤ワインです。シンプルに和牛の炭焼き料理と合わせ、肉の旨みとタンニンのバランスを楽しむことができました。

4.日本料理とワイン

 日本料理とワインは、果たして合うのか…これはむしろ食材の問題と言うよりも、そもそも食のスタイルの問題なのかも知れません。和食の膳と言えば、最初に全ての料理が器に盛られて定位置に置かれています。一つの料理ばかり食べ続けることは、「重ね箸」「片付け食い」としてマナー違反とされています。文字通りお米のご飯が全ての料理と合わせられるように、米から造られた日本酒は、全ての料理と一緒に愉しむことになります。しかし、フレンチでは、料理は一皿ずつテーブルに置かれ、他の料理と合わせて食べることはありません。そしてその皿の中の素材とソースに合わせて、白か赤か、辛口か甘口かのワインがグラスに注がれます。料理との様々な組み合わせが前提となるので、一度に沢山の素材と組み合わせようとするのは難しくなります。たとえば握り寿司でも、生の魚、火を入れた魚、白身の魚、赤身の魚、酢で締めた魚…全てお米、すなわちご飯と日本酒には合いますが、ワインについては酸やタンニンの量や質でそれぞれ相性が異なるように思います。  

 それでも、個々の和食をワインに合わせようという試みは多く紹介されています。たとえば田崎真也氏の「うなぎでワインが飲めますか」(角川)には、標題となっている鰻の蒲焼きにはピノ・ノワールもしくはリオハの赤、河豚刺しにはアルザスのリースリング、てっちりにはシャンパーニュ、天ぷらにはロワールの白やリースリングなどの組み合わせが記載されています。ポイントとなるのは素材の質、調味料とワインの酸との相性で、レモンをかけると美味しくなるものはフレッシュなタイプの白が、冷めると味が落ちる温酸系のものは乳酸を含む樽熟成の白か赤が合わせやすくなります。また、日本産の甲州は、比較的酸が低く甘味がベースにあるので、日本酒同様和食全般との相性は良いとされています。

 和食とワインの組み合わせで一番難しいのが、いわゆる魚介の持つ一部の生臭さが、ワインで強調されてしまうことです。メルシャンの研究によると、ワインに含まれる鉄イオンが、DHA由来で干物などに含まれる(E,Z)−2,4−ヘプタジエナールと反応して、いわゆる生臭さを強調するとされています。また、ワインに含まれる二酸化イオウが、DHAと反応するとアルデヒドを発生し、やはりこれも生臭さの元になると言われています。焼いたり茹でたりした魚とワインを合わせることは、酸味の調整で比較的容易なのですが、干物や塩辛等になると途端に難しくなるのは仕方のないことのようです。むしろ、そういった和食独特の料理には、日本酒というほぼ万能の相性を持つ醸造酒がパートナーとして控えていることに注目すべきでしょう。

5.日本ワインの歴史

718年  僧行基が甲斐国(山梨)に葡萄を伝える(伝承)
1186年 雨宮勘解由(かげゆ)、城の平(山梨)にて野生の葡萄を発見、生育(伝承) 
1435年頃 「看聞御記」(かんもんぎょき)に甘くて色の黒い「唐酒」が登場する 
1507年 京都の「山科日記」に文献上葡萄を食べる話が初めて登場する  
1549年 フランシスコ・ザビエル、日本にワインをもたらす。一部特権階級に南蛮酒として普及
1609年 オランダ東インド会社が長崎・平戸に商館を開くことを許される
1621年 東インド会社の会計帳簿に日本向けワインが記載される
1645年 オランダ商館の会計帳簿に三代将軍家光へワイン90Lが贈呈されたと記録される
1799年 オランダ東インド会社、解散となる
1853年 ペリー来航、交渉役の香山栄左衛門、黒船にてシャンパーニュの接待を受ける
1871年 岩倉使節団、欧米十二カ国視察
1872年 甲府にてワイン醸造始まる
1874年 甲府の山田宥教(ひろのり)、詫間憲久が国産ワイン第一号を完成するも、同年廃業
1876年 北海道にて葡萄酒製造場完成、試醸行われる
1881年 神谷伝兵衛、蜂印香竄(こうざん)葡萄酒(後の蜂ブドー酒)発売
1883年 鹿鳴館開館、甲州産ワインが提供される
1898年 神谷伝兵衛、茨城の原野を開墾して神谷葡萄園、後の牛久シャトーを開園する
1890年 新潟の川上善兵衛、自宅の庭園を壊して葡萄栽培を始める
1903年 川上善兵衛、日本葡萄酒株式会社を設立、菊水印純粋葡萄酒を展開し20万本を販売
1909年 日本葡萄酒株式会社閉業
1912年 山梨にてフィロキセラ大発生、浅草に神谷バー開業
1922年 寿屋「赤玉ポートワイン」女優松島恵美子のポスター話題に
1927年 川上善兵衛、マスカット・ベリーA、ブラック・クイーンの交配に成功
1932年 川上善兵衛、「葡萄全書」全三巻を刊行
1970年 大阪万国博覧会、第一次ワインブーム
1985年 ジエチレングリコール混入事件、ワイン消費落ち込む
1986年 国産果実酒の表示に関する基準の制定
1995年 第8回世界最優秀ソムリエコンクールにて田崎真也氏優勝
1997年 赤ワインブーム、年間平均消費量約3リットルに
2006年 国産果実酒基準の見直し
2007年 日本ソムリエ協会会長小飼氏、国際ソムリエ協会会長就任
2010年 田崎真也氏、国際ソムリエ協会会長就任
2013年 東京にて第14回世界最優秀ソムリエコンクール開催、パオロ・バッソ氏優勝

 葡萄は日本に古くからありましたが、葡萄酒は日本を含めアジア一帯では殆ど根付くことはなく、日本人がワインと付き合うようになったのは、西洋文明がなだれ込んできた明治維新以降のこととされていました。しかし近年、日仏会館フランス事務所の研究員である野澤丈二氏の報告によると、江戸時代に既にオランダ東インド会社によってオランダ商館へ年間3,000〜4,000Lのワインが運ばれていたことが分かりました。その7、8割は旅に強いスペインワインで、最初は商館で暮らすオランダ人向けだった物が、やがて将軍へ献上されるようになり、年によっては赤ワインに白ワインが紅白組み合わせで贈呈されたと言われています。  

 明治政府は積極的に西洋文明を取り入れ、あらゆる地域でワイン造りが奨励されましたが、その殆どは現在跡形もなくなっています。ヨーロッパ品種が日本の気候風土に合わなかったこと、醸造技術が未熟だったことなどが理由として上げられますが、何より第一に、酸味のある酒を日本人が受け付けなかったのが最大の原因でした。従って国産ワインの歴史はまず、人工甘味ブトー酒から始まったのです。神谷バーや牛久シャトーを立ち上げた神谷伝兵衛の「蜂ブドー酒」がまず評判となりました。続いて現在のサントリー社の前身にあたる寿屋の「赤玉ポートワイン」が大成功をおさめ、その売り上げを元手に、同社は国産ウイスキーの製造へ乗り出しますが、一方で登美の丘ワイナリーを入手、メルシャン社と並ぶ国産ワインメーカーとなっていきます。  

 一方で葡萄栽培にこだわる人々もいました。新潟「岩の原農園」の川上善兵衛は、明治の葡萄栽培を一人で立ち上げた「国産ワインの父」とも言える人物です。神谷伝兵衛に学んだ彼は、地元で海外から取り寄せた葡萄の苗を栽培、研究を繰り返して様々な交配品種を造りだし、最終的に22の推奨品種へと絞り込みます。その中でも、アメリカ産ラブルスカ種「ベイリー」にヨーロッパ産ヴィニフェラ種「マスカット・ハンブルグ」を交配した「マスカット・ベリーA」や、「ベイリー」とヨーロッパ産ヴィニフェラ種「ゴールデン・クィーン」を交配した「ブラック・クイーン」は現在に至るまで栽培されています。一方でその知識と経験の集大成とも言える「葡萄全書」全三巻を残し、それは埼玉の浅見源作の「秩父ワイン」や、長野の林五一の「五一ワイン」にも引き継がれていきました。  

 先人達のたゆまぬ努力、そして食生活の変化により、日本でもワイン造りが広まり、食卓にもワインが並ぶようになりましたが、ワイン造りの現場では、いまだしっかりした法律がなく、輸入ワインを混ぜていても、輸入した濃縮果汁を国内で醸造しても「国産ワイン」と表示できるという現状は、本場のワイン生産国では到底考えられないものです。ワインに限らず、食品に対する日本の政府や企業の姿勢に対して眉をひそめる人は少なくありません。たとえ世界各国の料理が味わえるようになり、世界のガイドブックにレストランが紹介されるようになったとしても、日本の食文化はまだスタートラインにようやく立てたに過ぎず、これからもっと学び、経験を積まなければならないということを、あらためて認識する必要があるでしょう。 

<今回の1冊>

 
   
山本博「新・日本のワイン」(早川書房)
 数多くのワイン本を執筆している弁護士の山本先生の著書で、2003年発行の「日本のワイン」からの10年ぶりの改訂版です。この間、掲載されるワイナリー数も増加し、山梨と長野が中心だったワイナリー紹介も、北は北海道から南は宮崎まで、非常にバリエーション豊かになっています。この間同じ山本先生執筆の「日本ワインを造る人々」(ワイン王国社)全五巻(「北海道」「山梨県」「長野県」「東日本」「西日本」)も刊行され、日本ワインを知る機会もかなり増えてきたように思います。まだまだマーケット的にも厳しい状況ではありますが、以前に「ViaVino No.14」で「日本のワイン」を企画した時は、日本ワインと日本料理の組み合わせをお店で実現する際苦労しましたが、今はかなり探しやすくなったように思われます。

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