*** 登録作家による小説競作 ***


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共通の謎に挑戦


日記帳

現川竜北

※注意※
本作品は、森博嗣「幻惑の死と使途」/エラリー・クイーン「チャイナ橙の謎」
綾辻行人「黒猫館の殺人」/佐藤友也「水没ピアノ」/鮎川哲也「達也が嗤う」 
についてのネタバレを含みます。未読の方はご注意下さい。

*月*日

今日から日記を書く事にした。一応本屋という生業なだけに、ただの日記ではつまらないから、ちょっと小説風にしたつもりである。

大きな地震でも起きれば窒息死。それが私の運命である。人生の最後を紙の集まりに看取られるというのもなかなか面白いかもしれない。出来れば私の大好きな推理小説に囲まれて死ねると最高だ。そんな馬鹿な妄想をしながら、私はぼんやりとレジに座っていた。私にとって一番高い山はエベレストではなく、この本の山である。これを全て踏破、ならぬ読破するには何百年かかるだろうか。
 本、つまるところ文字とは恐ろしいものである。ただの文字の羅列に、人を動かす力がある。文字の魔力とは何物よりも強いのではないか。ふん、まぁ最近の子供にその魔力は効かないようだが。めでたいのかめでたくないのかサッパリ分からんな。私はほとんどお手伝いのような格好だが、それなりに頑張っているつもりだ。暇な時には本を読めるという特典もついている。店長も優しい人だし、この本の山に囲まれるというのも悪くは無い。観賞用の本でも有れば最高なのだが、踏破、いやいや読破しない事にはその山、つまるところ本の良さは分からぬ。まぁそれはさておき、今日面白い事があった。私の勤務時間も終わりに近づいた九時半頃に、一人の男がやってきたのだ。顔つきも平凡で、これといった特徴も無い。男は人目を避けるようにして(といってもそのころ店内に人気は無かったが)文庫コーナーへと入っていった。男はちらちらと私の方を見ながら、文庫コーナーに有る一冊をするりと取った。何の本かは分からなかったが、男はごそごそとなにやら不審な動きをして、その本を戻した。それを戻した際に、男はなにやら考え込む。腕組みしながら本を凝視している。男は少し首を捻った。そしてまた隣の本をするりと取り、同じように本を戻した。凝視し、思考する。これが四、五回続き、男は店から去っていった。はて、と私は思案し、ちょうど暇だったこともあり、さっき男の居たところまで行ってみた。すると、「鮎川哲也」と書かれた札の右側の本が、全て上下逆さまにひっくり返っていたのだ。鮎川哲也といえば推理小説界の重鎮である。彼の作品はほとんど読んだ。男の不可解な行動に私はとまどいを感じながらも、このままではいけないので、本をまた元に戻しておいた。私はなんて親切な奴なのだろうか。

*月*日
今日、また男がやってきた。今度は違う男である。時間帯も同じだし、文庫コーナーに立つ所も一緒である。私はそちらを凝視した。なにやら今度は海外作家のところに立っている。例の怪しげな行動をしてから、男は立ち去った。なにやら嫌な予感がしていたが、ズバリであった。今度は「エラリー・クイーン」という名の有名推理作家の全ての本が上下逆になって置いてあった。はぁ、とため息を付き、私はまた本を元に戻した。一体何がしたいのであろうか…。昨日の男の仲間だろうか。

*月*日
明くる日、今度は女がやってきた。また例の時間帯である。今度もまた文庫コーナーへ入っていき、あの動作を繰り返した。やれやれ、今度は何だと近寄ってみると、「綾辻行人」の作品が全て上下逆さまにひっくり返っていた。彼の館シリーズは大好きだ。だが、あの寡作ぶりは何とかならないのだろうか。そして明くる日、私は店長に相談してみた。店長は相変わらず気が長い人で、「とにかく様子を見てみましょう。」などと言う。その場ははぁ、と生返事をしておいて、次から私はより注意して見るようにした。

*月*日
その日、また違う男がやってきた。如何にも怪しい、とその場は思ったのであるが、その男は意外にもハードカバーの本を買って帰っていった。いや、いや。それは意外でも何でもなく普通のことである。おかしな現象を見ているから私の感覚も狂ってしまったのか。と自嘲気味に思っていると、男が入ってきた。――来た……私は内心、心躍らせてその行方を見ていた。私から背を向けて文庫コーナーへ向かう。今日こそ声を掛けてみよう、と密かに考えていたのではあるが、ここに至ってどうも声を掛けにくい雰囲気になってしまった。男は例の怪しげな動作を繰り返した後、自動ドアの方向へと向かっていった。私は意を決して声を掛けてみた。
「あの、お求めになっている商品がございませんでしたか?」そう言うと男は必要以上にビクリと肩をふるわせ、ゆっくりとこちらを向いた。
「え……いや……そういうわけじゃ……」
「何をお探しですか?」
「いえ!別にいいんです。」最後の方は良く聞き取れなかったが、男は足早に立ち去った。その後調べてみると今度は「横溝正史」であった。本陣殺人事件や犬神家の一族など、日本ミステリ界の太陽のような存在だった人だ。それにしても……なぜ?私は次の日、それを思案してみた。今のところ鮎川哲也、エラリー・クイーン、綾辻行人、横溝正史。共通点は見当たらない…。ふん、まぁ小説の名探偵のようにはいかないもんだ。全く、明日が楽しみだな。私は風呂のなかで、この不可思議な出来事を楽しんでいる自分を発見した。

*月*日
今度はまた違う女だ。例の時刻、例の動作。昨日のように声をかけてみたが、返答は無く、走って出ていってしまった。顔も良く分からぬ。今度は…「森博嗣」だ!彼の作品が上下逆さまになっている。ん?いや、違う。上下逆さまでは無い。前後が逆だ。これを見た時、何故か私は笑い出してしまった。不思議というメーターが回りすぎると感情が故障して出鱈目になるのだろう。森博嗣は第一回メフィスト賞受賞者として有名だ。彼の多作ぶりには本当に感心する。傑作をかなり早いペースで刊行する彼は今でも光輝く存在だ。鮎川哲也、エラリー・クイーン、綾辻行人、横溝正史、森博嗣、か……。ハハハ!皆目分からん。分かるはずがない。分かってたまるか。ハハハハハ。アッハッハッハ。一人で嗤う私は、まるで阿呆のようだった。気付くと時計は十時を回っていた。

*月*日
また男が入ってきて、するすると本を逆さまにしては戻していく。今日という今日は我慢ならない。私は、本をこそこそとひっくり返している男の肩をつかんだ。
「ひっ」と男は言って、こちらを振り向いた。
「お客様、ちょっとこちらへ来て頂けますか?」私は今日こそ真相を確かめようと躍起になっていた。応接室へと案内する間、棚をちらりと見る。今度は「佐藤友也」だ。聞いた事はあるが、読んだのは「水没ピアノ」しか無い。確かメフィスト賞の受賞者だったはずである。ずしっと来る彼の文章に、非常に感心したものだ。机を間に置いて、私と男は向かい合った。男の名は吉本学というそうだ。
「お聞きしたい事が何点かあるのですが……」私は言った。すると彼はペコリと頭を下げた。
「すみません!迷惑をかけるつもりは無かったのですが」急転直下である。何かたくらみがあるのかと思ったが、こう自白してくれるのならば嬉しい限りだ。
「では、今までの六人の方もあなたの仲間なのですね?」
「いえ、仲間というか、兄妹なのです」七人兄妹と聞いて、驚いた。今の時代にそんな子沢山とは珍しいものだ。
「で、なぜあんな事をしたのですか?本を逆さまにするなど」
「はぁ……。実は……」彼は渋々、といった感じで話し始めた。

彼は吉本石材店の七男。七人の兄妹とも仲良く暮らしていたそうだ。だが、ある日彼らの身にとんでもない災難が降りかかった。

彼らの母が死んだ。

いや、それは正しくない。殺されたのである。警察は自殺としてしか調べてくれなかった。だが、彼ら兄妹は他殺だと確信したらしい。それは何故か。遺言があったのだ。母は、事前に自分が殺される事を知っていた節があった。生前からそのようなことを仄めかしていたようだ。その遺言(というは正しくないかも知れないが)には、このような事が書かれていたそうだ。

――全ては逆さまに――
鮎川哲也
エラリー・クイーン
綾辻行人
横溝正史
森博嗣
佐藤友也


彼ら兄妹は意味が分からなかったそうだ。名前も聞いた事が無い人ばかりだったらしい。やがてそれが「作家」だということに気付く。それで本屋にいき、この作家を手当たり次第にひっくり返していたというわけだ。だが、意味が全く分からない。母は生前から推理小説を好み、良く集めていたそうだ。いや、そんなものでは物足りない。熱狂的な推理小説ファンであったらしい。どうせなら犯人の名前を書いて欲しかった、と長男は嘆いていたと聞いて、私は不謹慎ながら吹き出しそうになった。確かにその通りである。私にはダイイングメッセージの必然性があまり感じられないのだ。犯人の名前を残す方が分かり易い。それでは犯人に消されてしまうではないかという輩が居るが、犯人が「○×△」などのメッセージを残されてそれを放置するはずが無い。私が犯人ならそのようなものは即刻消すだろう。それにダイイングメッセージ、つまり暗号とは如何様にも解釈が可能であり、そんなものは謎では無いと思っている。暗号ならいくらでも作れるのだ。おっと、話が逸れてしまったようだ。元に戻そう。

それで彼ら兄妹は、そんなものに頼らず容疑者を探し出したそうだ。確かにそちらの方が確実だろう。

浦和和也
森博次
吉田樹

この三人が、母を殺す動機もあり、近づく機会もあったそうだ。

「でも、それ以上は絞りきれなくて……。兄達は森博次が怪しいんじゃないかって言ってますけど、作家と字が似ているってだけで決めつけるのは変だと思うんですよ」吉本は言う。
「その通り。『いかにも』という奴は犯人では無いのですよ」私はそう言い、笑った。この笑いを理解出来る者は少ないだろう。

――全ては逆さまに――

この文をもう一度思い出してみると、私の頭の上に電球が灯った。あの作家達にはきちんと共通点があったのだ。そうだ。彼らは全て「逆さま」なミステリを書いている。森博嗣の「幻惑の死と使途」に出てくる「有里匠幻」という名の魔術師は、反対から読むと犯人になっている。エラリー・クイーンは「チャイナ橙の謎」という名の作品を書いており、それは部屋の中の全てのものが裏返し、つまりひっくり返っているという設定だった。綾辻行人の「黒猫館の殺人」では、黒猫館というのは正に反対の場所にあったのだ。横溝正史の逆さまといえば、「犬神家の一族」でのあの死に方だろう。逆さまになり、足を二本突き出して死んでいるシーンは有名である。佐藤友也は「水没ピアノ」か。被害者と加害者が実は反対だった。正に逆さまである。鮎川哲也といえばやはり「達也が嗤う」。これは……。

「そうか、分かった。犯人は浦和ですよ。お母さんのメッセージを解く事が出来ました」
「どうして分かったのですか?」
彼は不思議そうに聞いてくる。
「『達也が嗤う』を逆さまから読んでみてください。それで全てが分かると思います。では私はこれで」
そう言って、私は応接室を出た。閉店の時間だ。彼を放ったらかして、私は家へと帰った。

それ以来彼には会っていない。私は一時的に名探偵になったような気分で、とてもうきうきとしていた。だが、なぜ吉本の母が名前を書かなかったかというのは、さしもの名探偵でも解く事は出来まい。そう、彼らには推理小説ファンの気持ちなど分からないのだ。そうほくそ笑みながら私は一人本を読むのであった。