長崎龍踊りの謎
已岬佳泰
主な登場人物
水沢杏子 二十五歳
本多達彦 杏子の友人
初老の男
酒井雪子 宝珠(玉)持ち
神崎節夫 龍頭持ち
西川剛史 龍尾持ち
鵜殿健司 四番持ち
買い物帰りの主婦
島田警部補 長崎県警捜査課
(問題編)
最近の長崎おくんちで龍踊りを奉納した踊り町
平成十五年:籠(かご)町(青龍)
平成十四年:筑後町(青白龍)
平成十三年:五嶋町(親子龍)
「これでいいのかな」
熱心に見つめている背広姿の男に向かって、水沢杏子は念を押した。男は目の前で動き回るものに心を奪われているようだが、わずかに顎を引くのが分かる。OKということらしい。
「なによ」杏子は鼻を鳴らした。ずいぶん久しぶりに電話があったかと思うと、用件は「仕事で長崎に来ている。龍踊りを見られるところはないだろうか」だ。それなら先月の「おくんち」に来ればよかったのにと軽くいなそうとしたら「なんとしても今日、長崎龍踊りを見なければならない」と言う。その必死な口調に折れて、小袖町の町民広場に案内した。そこでは来年早々の長崎ランタン祭りに備えて地元青年団が龍踊りの練習をしていると聞いていたからだ。
男の名前は本多達彦という。杏子が学生時代にちょっとだけつきあったことのある男だが、今は何をやっているのやらすっかり疎遠になっていた。あの頃からどことなくぼんやりしたところがあったが、それは三年たった今でも変わらない。公務員上級試験に受かったらしいから官僚にでもなったのだろうと思っていたが、それにしては背広がやけによれている。
十一月も終わりになると、昼間とは言え九州西端の長崎にも冷たい風が吹いている。小袖町の町民広場はJR長崎本線と国道に挟まれた細長いスペースで、そこに二十人くらいの男女が集まっていた。その中の半数くらいが黒い服に黄色の帯を締めており、みんな同じ長さの棒を持ち、それを空に向かってあげたり下ろしたりしていた。
「あれは龍踊りの基本動作で棒振りという準備体操よ」
杏子の説明に本多は「なるほど」と来た。その一団から少し離れた所で金色の珠を同じように上下にふっているのは、ポニーテールの女だった。黒い衣装に黄色の腰帯は同じである。
「女性も龍を担ぐんだ」
本多がそう言うと、広場で練習を眺めていた初老の男が振り返った。
「そうなんですよ。珍しいでしょ。小袖町の龍踊りは長崎では唯一の男女混合編成なのです。おくんちで諏訪神社へ奉納する方の龍踊りは古来みんな男衆なんですが、ランタン祭りのほうは市民祭りの色合いが濃いので、この辺は自由に考えているんでしょう」
「そうですか。で、肝心の長崎龍踊りは見られるんでしょうか。今のところ、棒の上げ下げだけのようですけれど」
本多の問いに初老の男は首を振った。
「どうでしょう。さきほどからちょっともめていましてね。どうやら四番が急に来られなくなったらしいんですよ。それで今日は棒振りだけにするかという話をしてましたよ」
「四番って?」
今度は杏子の方に尋ねてくる。
「龍頭から数えて四人目の人を四番と言うの。龍踊りは金色の珠にひとり、龍持ちが十人の合計十一人の龍衆でやるもので、龍持ちのうちの頭を受け持つ人を龍頭、それから順番に二番三番といって最後、九番の後ろを龍尾と呼ぶわけ」
初老の男がうなずいた。
「龍の各部はそれぞれに独特の動きをするので、一度決めたら、このポジションは本番まではあまり変更はしないらしいのですよ。それで困っているようですね。ただ、今日は後で地元新聞社の取材があると聞いてますから、なんとかするんじゃないですか。龍の方は練習用の白いやつですが、龍衆たちはちゃんと正規の衣装を着ているようですからねえ」
「それは良かった。ここで龍踊りを見逃したら、なんのために抜け出してきたのか、わからなくなる」
あら。仕事でここに来たのかと思ったら。
「抜け出してきたってなによ。仕事をさぼってまで龍踊りを見たいなんて、変ね。そんな趣味があったっけ?」
杏子がすかさず突っ込む。本多はしまったという顔をした。
「いや、ちょっと見てこいという人がいるもので‥‥」
語尾を濁す本多。これはなんかあやしいと杏子は感じた。つき合っていた頃にもこういうことがよくあった。そして、杏子はハッキリするまで追求した。後で思うと、そういうやりとりがふたりを別れさせることになったのだろうが、しかし、杏子の性分は変えられない。
「それでわざわざ長崎まで龍踊りを見に来たの? この頃じゃ龍踊りって全国あちこちのお祭りでやってるし、それほど珍しいものじゃないと思うけど。どうしてそんなに長崎龍踊りにこだわるわけ?」
本多は目線だけ広場の龍衆から話さずに答える。
「同じことをぼくも聞いたんだ。そしたら笑ってるだけで答えてくれなかった。たぶん、こっちの龍踊りが他とはちょっと違っているんじゃないかなあ。見ればわかるって言われたから」
「そういう言い方って女だな。その相手」
本多が苦笑いを浮かべた。
「相変わらず鋭いね、水沢は」
やっぱり。
広場になにやら動きがあった。
「どうやら、四番にピンチヒッターを出すようですよ」
先ほどの初老の男が説明してくれる。野球じゃないのだから、ピンチヒッターはおかしいだろうと杏子は思うが、口にはしない。男が言ったとおり、広場向こう側からひとりの大柄な男が黒い衣装を着て歩いてきた。どうやら国道側に駐車場があって、そこで着替えたらしい。迎える龍持ち、玉持ち、それからもう一人のジャージ姿の男が拍手をしている。
「みんなで拍手しているところを見ると、ピンチヒッターは青年団OBのようですね。人が足りないので今日だけ四番をやるのでしょう。ほら、あのジャージ姿の男性。彼が今回の龍衆の監督ですよ。彼が頼み込んだのでしょう」
初老の男は事情通らしく、そう言った。そしてその言葉は正しいようだった。新しいメンバーは龍頭から四番目の位置にはいり、棒を持った。しばらくそこで棒を上下に振る。棒の長さはみたところ約二メートルくらい。その先に重りの代わりのようにタオルのようなものが巻いてある。
「先輩、腰がふらついてますよ」
そんな声が聞こえ、どっと笑いが起きた。
「すぐにカンは戻るから、ちょっと待ってろ」
四番はそう答えると、手にした棒を高く突き上げそして足を踏みならす。すぐにそのリズムは他の九人と同じになった。
「さ、いよいよ、龍のお出ましかな」
ひとしきり続いていた棒振りが終わり、ジャージ姿の男が広場の向こう側に手を振った。するとそれまで棒振りを眺めていた数人が駐車場の方に駆け戻ってゆく。やがて幌をつけた四トントラックが一台広場に入ってきた。 荷台が開けられ、そこから白い龍がゆっくりと運び出される。黒い装束の龍持ちたちがそれぞれの担当する部分の支え棒を慎重に取り出し、順々に広場の中央へと進んだ。昼下がりの晴天下、目覚めた白い龍が広場で体を伸ばしているように見える。
「龍踊りをご覧になるのは初めてですか?」
動き出した龍に熱心に見入っている本多に向かって、初老の男がそう言った。
「いえ、神戸の南京祭りでは一度」
「ああ。あっちは同じ字を書きますがリュウ踊りと読むんですよ。長崎はジャ踊り。もとになったものは中国の五穀豊穣祭とルーツは同じなのですが、伝わり方が違うので、スタイルが全然違ってきてますね」
「そうなんですか」
本多の相づちには気持ちが入っていなかった、それほど龍踊りに気を取られているらしい。まったく、相変わらず変なやつだと杏子は思う。
杏子はというと、くんちもランタン祭りにも毎年出かけている。元来お祭り好きなこともあるが、長崎という自分の生まれた町が過去に歩いてきた異文化交流の歴史に触れるのが楽しくもあるのだ。だから、定番の担ぎものである龍踊りは、くんち踊り町の練習風景から何度も見ていてとくに珍しいこともない。
龍踊りは基本的にはふたつのパターンの繰り返しだ。ひとつは「珠追い」で、動く金の珠を飲み込もうと龍が体をうねらせながら追いかける。もうひとつは「珠探し」と言って、とぐろを巻いた龍の影に隠れた珠を龍がきょろきょろ見回すというものだ。珠を見つけた龍は自分の体をくぐり抜けて珠を追う。静から動への切替の瞬間。この躍動感あふれる「くぐり抜け」がいわば龍踊りのクライマックスで、龍持ちたちの力量、呼吸、そして囃子の鉦ラッパなんどが見事に一体になることが要求される。
広場の白龍はまず珠追いをはじめた。囃子はトラックの荷台にあるラジカセから流れているが、近所迷惑というのもあるのだろうか、音量を絞ってあって本番の迫力からはほど遠い。そのせいか、なにか無音映画をみているような錯覚を覚える。宝珠が右に左に動くと、それを白龍が長さ二十メートルほどの体を上下に波打たせながら追いかける。珠が上下すると、龍頭もそれにならって激しく首を振る。
「あの頭は重さが十キロくらいありまして、けっこう重労働なんですよ。それでも、龍の動きは頭が基本ですから、あそこにはいちばんのベテランを配置しているのです」
初老の男が解説してくれた。地元の杏子には旧知のことだが、本多にはいちいちもっともな説明らしい、しきりに頷いている。
そのうちに龍の動きが止まった。宝珠を見失った白龍が広場の中央でゆるゆるととぐろを巻きはじめる。龍頭がとぐろをまいた輪の中心にあり、龍の体はやや低くなっている。龍衆が棒の持ち方を加減したのだろう。龍の体は次第に地面近くまで下がってとまった。龍頭はなんども首を振り、周囲を見回す素振りをしている。次の瞬間。とぐろの上にあった龍頭がふっと消えると同時に、囃子の大鉦が連打された。白龍が珠を見つけ、自分の体をくぐり抜けて追いかける場面だった。いちばんの見せ場である。
「おや」
スムーズに流れていた龍の動きが突然おかしくなった。宝珠は上下しながらどんどん駐車場側へと移動しているのに、白龍がそれを追わないのだ。ジャージ姿の男が白龍に駆け寄った。龍持ちのひとりが地面にうずくまっている。異変に気づいたらしい玉持ちも小走りで白龍に戻った。
「どうしたのかしら」
初老の男も駆け出していた。すぐに杏子と本多も後を追う。まわりで見ていた数人の観衆もぞろぞろと動かない白龍に近づいてくる。とぐろがとけかけた輪の中央で、ひとりの男が膝をついて苦しんでいた。横腹を手で押さえている。ピンチヒッターの四番の男だった。
「どうした、腹が痛いのか」
ジャージ姿の男が問いかけた。返事がない。俯いた顔色が真っ白だった。
「ケガをしているんじゃないですか」
本多が四番の腹部を指さして言った。黒い服なのですぐにはそれと気づかなかったが、よく見るとあてがった手のところが黒く濡れているように見える。本多がそれを指にとった。
「血です」
「た、大変だ」
事態を飲み込んだジャージ男が悲鳴を上げた。その声と同時に四番は膝を折り地面に倒れ込んだ。体が痙攣したように震えている。
「ケンジ! しっかりして」
髪をぶり乱した女が倒れ込んだ四番にすがりついた。「玉持ち」の女だった。
「先輩、大丈夫ですか」
切迫した声を出したのは、ひょろっとした男で龍頭を支える棒をまだ手にしたままだった。こういう事態になっても龍を地面に放り出すわけにはゆかないのだろう。
「いったいどうしてこんな事故が起こるのじゃ」
初老の男が言った。その声に狼狽が現れている。
「事故じゃない。こいつだ。こいつが先輩を刺したんだ!」
龍頭の男が、別の男を指した。龍尾を持った痩せた男だった。
「神崎、いい加減なことを言うな。ぶっとばすぞ」
龍尾の男はそう言うと龍頭の男−神崎をにらみつける。
「さっき珠探しのときに、四番をとった先輩のま後ろにいたのは龍尾持ちの西川だ。龍が停まって下りていたから、誰からも見えないと思ったんだろう。後ろからナイフで刺せば先輩も気づかない。せっかく指導に来てくれたと言うのに、さっきからなにかと先輩にイチャモンばかりつけて、西川、オマエに違いない」
「ばかやろう。珠探しのときは龍をささえるんで両手はふさがってるんだ。どうしてそんな俺がナイフを使えるんだよ、ふん」
「そんな言い合いしてないで、お願いだから救急車を呼んでよ」
玉持ちの女が叫ぶ。
「彼女の言うとおりだ。だれか救急車を」
初老の男に応えて、杏子は携帯電話を取り出した。それを見て本多が補足した。
「警察にも連絡を頼みます。それからみなさん、警察が来るまでここを動かないでください。もしもこれが事件ということなら、みなさんは重要な参考人ですから」
本多の口調はきっぱりとしていた。杏子は思わず本多の顔を見た。さっきまでの柔和な顔はそこにはもう無く、視線が厳しくなっている。
「しっかりしてください」
龍頭の神崎がしきりに繰り返しているが、倒れ込んだ四番の動きは目に見えて弱くなっていた。
そして、惨事はそれだけに留まらなかった。
「それにしても、凶器の刃物が見当たらないな」
広場の地面をしきりに眺めていた本多がそうつぶやいたとき、広場のJR側(駐車場からは反対側になる)から、別の悲鳴があがったのだ。
「誰か早く来てください。女の人がここに倒れているわ。首をナイフで刺されたみたい」
(以下、解答編に続きます)
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