登録作家によるによる小説競作 5 グランドホテルでミステリ! |
已岬佳泰 |
(問題編) 変な話に巻き込まれたなあと僕は後悔し始めていた。 事の起こりは従姉(いとこ)の鷹野礼香(たかのれいか)からの電話だった。従姉と言っても僕より歳は十五は上だから、もう四十歳くらい。だが有名な菓子店「ボルドン」をひとりで切り盛りしてる、すごい女実業家なのだ。たまに遊びに行ったりするとよく小遣いをくれるので、彼女からお願い!と言われるとそう簡単には断れない僕だった。 ところが今回の頼みはちょっと変わっていた。 彼女の話を要約するとこうなる。 礼香は彦山剛雄(ひこやまたけお)という男と交際をしていたが、最近別れ話をした。理由は至って単純明快。他に好きな男ができたからだ。礼香に言わせると彦山を格別嫌いになったというわけではないらしい。しかし二股かけるほど礼香は悪女ではない(これはあくまでも本人曰く、である)。そこで彦山に別れ話をしたが、彦山はその後も礼香にしつこくつきまとってくる。 そこで一計を案じた。 今度つきあい始めた新しい恋人、天地天道(あまちてんどう)と仲良くしているところを見せつけてあきらめさせようというのだ。 彦山は大きな観光ホテル「ホテルグランド京佐久」のレストランで総料理長をしている。たまたま礼香の友人の結婚式がそこであるので、ついでにそのレストランに入って新しい恋人天地とふたりで食事をする。天地も仕事でグランド京佐久に泊まっているので、好都合というわけだ。それだけなら僕の出番はないようだが、礼香はちゃんととどめを刺す役を僕に振ってくれた。 べたべたと親密にふたりが食べているところへ僕が行って文句を付けるのだ。 「おいこら、僕の女に手を出すな」 まあ、ここから先はあまり気が進まないシーンになるのだが。 天地は礼香の話では柔道の有段者。それで僕は無惨にも投げ飛ばされてしまう。天地の強さを見せつけることで、彦山にあきらめさせようと言う魂胆らしい。 嫌な役回りだ。しかし、それだけならまあしょうがない。 実は今回もうひとつ気を重くしていることがあるのだった。僕が小学生の頃から(つまり、礼香はすでに大学生だったが)人目をひく細身の美人だった彼女だが、なぜか交際相手と長続きしないのだ。今度こそはと応援するつもりで、今度の相手、天地天道という男の評判を聞いてまわってみた。はーっと、長いため息が出た。 緩やかな坂道を上った先に「グランド京佐久」はあった。 僕が歩いてゆくと正面ドア前に衛兵のような制服を着たドアマンがいて、僕の身なり(礼香の指示で革ジャンにジーンズというラフな格好をしていた)を横目でちらっと見たが止めはしなかった。 礼香に指定されたレストラン「TODAY」はロビーのすぐ上、2階にあった。 入り口からのぞいてみると、中の雰囲気が打ち合わせとは全然違っていた。窓際の席で和服姿の礼香が立ち上がってウェイターに文句を言っている。眉をひそめて礼香の肩を抱くようにしているのがたぶん礼香の新しい恋人、天地だろう。 とすれば、困った顔をしたウエイターの隣で頭を繰り返し下げているコック服の男が総料理長の彦山だろうか。 「蠅(ハエ)が浮かんだスープをだすなんて、どんなレストランなのここは!」 礼香の怒り心頭の声。 「誠にもって申し訳ございません。すぐにお取り替えいたしますので」 いかにもおろおろした感じの彦山の声。 「バカ野郎、いったい何のつもりなんだ」 これは天地。声を聞いただけでは、天地のものが一番ドスが利いている。 僕はレストランの入り口で立ちすくんだ。筋書き通りに走り込んで「僕の女に手を出すな」と啖呵を切る場面ではなさそうだった。案内係まで僕に気づかず、騒々しい礼香らのテーブルを見ている。 「あら」 ようやく礼香が僕に気づいて手招きした。手をバツに交差して見せる。どうやら僕の出番は無しと言う意味らしい。 「いったいどうしたんですか」 僕はテーブルに近づくと天地に軽く会釈をしながら礼香に声をかけた。 「どうもこうもないわよ。見てよこれ」 礼香は僕を天地に簡単に紹介すると、すぐにテーブルの上のスープ皿を指さした。クリームスープらしい乳白色の表面に黒い蠅が羽をひろげている。これでは礼香の怒りももっともだった。ただ、僕はその蠅を見てちょっと変な感じがした。なんだろうな。 しかし、僕がその違和感の理由に思い当たらないうちにスープ皿は、ウェイターによって下げられてしまった。天地が自分のスープも下げるように言ったので、スープ用のスプーンも全部片づけられた。さらに、テーブルに残った背の高い塩と胡椒瓶のほうも片付けようと手を伸ばしかけたウェイターは、天地に「ぐずぐずせずに、さっさと新しいスープを持って来い」と一喝され、平身低頭で引き下がった。 「僕はお役御免みたいですね。帰りますよ」 「ごめん、悪かったわね。でもせっかくだからコーヒーくらい飲んでいけば。私たちもすっかり気分壊しちゃったから、食事はスープだけにするわ」 天地もそうしろと勧めるので、僕はウエイターが音もなくどこかから持ってきたロココ調の椅子に腰を下ろした。 ふつうならこんなホテルのレストランなんて堅苦しいだけで、コーヒーの味も分からない。どっちかというと、いつものセルフサービス百八十円コーヒーのほうが、ずっとリラックスできるのだ。だが、礼香の片目がぱちっとちいさく瞬きしたので、もうダメだった。 窓辺に向かい合って座っている礼香と天地に対して、僕はちょうど直角に座る形になって、大きな窓を正面に見る格好になった。窓越しの外は暮色が漂う京佐久湾だった。 スープと僕のコーヒーはいっしょにやってきた。仏頂面のウェイターが銀色のカートにスープの入った広口のポットを乗せて近づいてくるのがウィンドウに映り、どうやらカートの下側にコーヒーポットも認められた。 ウェイターはまず、スープスプーンを二組、テーブルに置いた。いっしょについてきた彦山が緊張した面もちで新しい白いスープ皿を礼香と天地の前に置く。まるで何かの儀式でもあるかのような慎重さだった。 ウェイターが広口のポットからスープをゆっくりと掬って、それぞれのスープ皿に流し込む。突っ返したのと同じクリームスープだった。 「ささ、早くいただきましょ。蠅が来ないうちに」 礼香は皮肉を飛ばしながら、テーブルの塩胡椒をひとひねりずつスープに落とした。スプーンを手にして早速ひとすくい口に持っていった天地に「あなたも?」と訊ねる。天地は首を振って、またスープを口に運んだ。うまいともまずいとも言わない。 ウェイターがコーヒーカップを僕の前に置いた。洒落たデミタスカップだった。 「あっ」 僕と礼香が同時に声を漏らした。 銀色のコーヒーポットを手にした彦山がへまをやらかしたのだ。おそらく僕のカップにコーヒーをつごうとしたのが、手元が狂ったのか、礼香のスープ皿にもコーヒーを落としてしまった。白いスープに焦げ茶色のラインができている。 「なんてざまだ、ふざけんじゃねーぞ」 天地がテーブルを叩いて立ち上がった。今にもテーブルをひっくり返しそうな勢いだった。顔が怒りで真っ赤になっている。 「もう、出ましょ。こんな失礼なレストラン」 礼香はと言えば怒りを通り越して、あきれかえっている様子だ。僕だけが椅子に座ったままだった。 「申し訳ありません」 彦山は気の毒なほどうろたえ、平身低頭の体勢。ウェイターは信じられないと言う目で彦山を見ていた。 「こんなレストラン二度と来るか」 天地はそのまま椅子を蹴って歩き出した。テーブルクロスが天地の動きにいっしょに引きずられ、テーブルの上の食器が床に落ちそうになった。僕はとっさに礼香のスープ皿だけをつかんだ。それ以外の食器は、僕のコーヒーカップを含めてことごとく床に落ち、それらの割れる派手な音がレストランに響いた。 天地はすたすたと早足で歩いてゆく。しかし礼香はすぐには後を追いかけない。僕と天地の後ろ姿を見比べている。天地も礼香が付いてこないのに気づき、しぶしぶと戻ってきた。 「どうした? 最上階のラウンジにでも行こうじゃないか」 そう言って礼香の肩を抱こうとした。が、礼香は「ちょっと待って」と座ったままの僕の顔を見ながら、さっと天地の太い腕をかわした。 僕が座ったままなので、彦山たちはまず、テーブルをセットし直した。天地に引っ張られてテーブルクロスとともに床に落ちた食器と中身のスープは、うまい具合に通路の方に散乱していて、僕らが座っていたテーブルはテーブルクロスさえ新しいものに変えてしまえば、何事もなかったかのようだった。 新しいテーブルクロスがかけられるのを待って、手にしていたスープ皿を戻した。すかさずウェイターがそのスープ皿を下げようとしたので、僕はあわてて断った。 「床に落ちたテーブル塩と胡椒の瓶が見つかったら欲しいんだけど」 僕は彦山に向かって頼んだ。それを捨てられては困るのだ。 「どうしてそんなものを欲しがるの?」 礼香が首を傾げた、が、そのまま彦山に向かって 「それにしても彦山さん、ひどいじゃない。そりゃあ、あなたにとっては私が新しい恋人を連れてきて不愉快だったかもしれないけど、あんな嫌がらせをするなんて、あんまりだわ」と文句を付けた。 「申し訳ありません」 彦山はあくまでもレストランの総料理長という口調で、丁寧に頭を下げる。 「でも彦山さんに礼香さんは感謝すべきかもしれないよ」 僕の言葉に礼香は怪訝そうな顔をした。 「どういうこと?」 「塩と胡椒の瓶が見つかれば、説明するよ」 僕がスープの蠅を見たときにふと感じた変なもの。その正体を僕はやっと見つけた気がしていた。 (問題編・完) |
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