戸塚姓の有名人
- 戸塚静海、文海
静海は幕末、明治初期の蘭方医。遠州掛川の人。江戸で蘭学を学んだ後、長崎でシーボルトに医学を学ぶ。江戸で開業し、種痘所を開設。のち幕府奥医師となる。
シーボルトが鳴滝に開設した塾舎の門人の一人であり、与えられた課題について蘭文の論文を提出した。静海のテーマは「製塩法」であり、瀬戸内の某所における製塩法について具体的に解説した。成績優秀な門人と認められ、ドクトルの免許状を受けた。鳴滝塾は、学問上の問題点はどういうところにあるか、それを研究するのにどういう研究法があるか、それをどういうふうに叙述したらよいかという学問研究の方法論を伝授される場となった。
文海は静海の養子である(1799〜1876)。
- 戸塚宏
戸塚ヨットスクール校長。太平洋横断単独ヨットレースで優勝した。76年に同スクールを愛知県知多郡美浜町に開設。情緒障害児の矯正にヨット訓練が効果があるとして、全国から多くの訓練生が集まった。79年2月以来、訓練生の死亡などの事件が相次ぎ、計3人の訓練生が死亡、2人が行方不明となった。83年5月以降、コーチや戸塚校長が次々と逮捕された。主な起訴事実は(1)小川真人君をしごきで死亡させたとされる傷害致死事件(2)吉川幸嗣さんに対する傷害致死事件(3)フェリーに閉じ込めた訓練生2人を海に飛び込ませて行方不明(後で死亡と認定)にさせたとされる「あかつき号事件」など。戸塚校長ら10被告は44の犯罪事実に問われた。
92年7月、名古屋地裁は、戸塚被告に懲役3年、執行猶予3年(求刑懲役10年)、他の9人のコーチにも執行猶予つきの懲役2年6月〜10月(同6年〜1年6月)の有罪判決を言い渡した。しかし、検察側、被告側(戸塚校長とコーチ5人)とも判決を不服として名古屋高裁に控訴した。94年9月に控訴審の第一回公判が行われ、96年10月に結審した。
控訴審判決で土川孝二裁判長は、「同スクールの訓練方法は人権尊重を基本原理とする法秩序のもとで許される余地はない。無抵抗な訓練生に危険な暴行を加えた犯行態様は悪質残忍で、4人が死亡する重大な結果を生じさせた。」として、1審判決を破棄、改めて戸塚校長に懲役6年の実刑判決を、コーチら3人に3年6月〜2年6月の実刑、二人に執行猶予のついた2年6月〜2年の執行猶予のついた有罪判決を言い渡した。戸塚校長は判決後、記者会見し上告する方針を明らかにした。
民事事件はすでに和解が成立している。
- 戸塚きく、戸塚貞子
全国的な規模の刺しゅうの愛好のグループである戸塚協会の現会長、副会長。
フランスの刺しゅうを、日本人の感性に合わせて、様々なステッチを組み合わせ、立体感のある独特の効果を生み出す「戸塚刺しゅう」を完成させた。和風、洋風と自由に表現できる特徴がある。さらに、刺しゅうを通して平和な社会作りを願う理念のもとに、女性の豊かな心をはぐくむ生涯教育の一環として、幅広く文化活動を行っている。
- 戸塚進也
旧静岡1区選出の元衆議院議員。衆議院に3回当選。旧小渕派。しかし、最後の中選挙区選挙となった93年の選挙で次点で落選。さらに、96年の初めての小選挙区比例代表並立制選挙でも、新静岡1区(静岡市)で次点で落選。
最初は新3区(掛川市など)から出馬の意向を示していたが、柳沢伯夫氏と競合することから、1区に回った。しかし、自民党系が戸塚進也氏、天野進吾氏、木宮岳志氏に三分裂し、新進党前職の大口氏(48650票)が当選。戸塚進也氏(37061票)と天野進吾氏(35642票)は共倒れとなってしまった。
戸塚氏にとって踏んだり蹴ったりなのは、静岡第一選挙区支部が「二度落選した候補者で選挙に挑むのは困難」として、他の候補者で今後調整することになったこと。静岡茶業会議所の会頭、自民党再生推進懇談会(次点に泣いた自民党の前議員らでつくる会)の会長。飛行機が落ちなかったことで、今は捲土重来のときかもしれない。
- 戸塚哲也
元プロサッカー選手。読売サッカークラブでエースストライカーとして活躍。二度、得点王に輝いた。日本リーグ四回、天皇杯三回などの優勝経験もある。スペインとメキシコワールドカップ予選の日本代表エースであった。しかし、Jリーグが発足したころから、三浦らの台頭もあり、MFのサブに回された。94年6月に柏レイソルに移籍。しかし、94年11月に川崎に復帰し、95年8月に退団した。現在、小山市にJリーグを誘致する市民の会の総合アドバイザー。
- 戸塚文子(あやこ)
旅行評論家
- 戸塚初枝
日本児童文学者協会群馬支部「虹の会」会員。群馬郡倉淵村の生活を素材に童話を書き続けている。
- 戸塚ユポ
孤高のアイヌ人木彫家。本名は、信寿(のぶとし)。ユポはアイヌ語で長男を意味する。
- 戸塚忠雄
太田人権擁護委員協議会の元会長。同市議会副議長、県農業会議会長、県人権擁護委員連合会会長などを歴任した。
- 戸塚洋二
東京大学宇宙線研究所教授。岐阜県神岡鉱山の地下に建設された新素粒子観測装置スーパーカミオカンデの建設の責任者。この装置は水が入った巨大なタンクであり、超新星爆発が放つ粒子ニュートリノが飛び込み、水に含まれる素粒子と反応したときに発する光を検出する。
- 戸塚さおり
埼玉行田市の埼玉古墳群で開かれたさきたま火祭りで主役のコノハナノサクヤビメ役に選ばれた。当時聖徳大1年
- 戸塚敦子
ハワイ州政府日本事務所の代表。大学途中から米国に留学し、そのまま14年間暮らした。州代表になるまでの最近5年間は、高層ホテルなどの開発会社で、日本企業との共同事業をめぐるトラブルの収拾を担当してきた。
- 戸塚真弓
「パリ住み方の記」などパリに関する本を出す。
- 戸塚悦朗
弁護士。精神障害者の人権擁護、代用監獄問題などへの取り組み、東京弁護士会「人権賞」を受賞した。
- 戸塚陽弍
Jリーグの清水エスパルスを運営する球団会社、エスラップ・コミュニケーションズの元社長。96年5月、経営不振の責任を取って辞任。
- 戸塚春雄
伊勢崎市に住む元美術教諭。80歳になり、「今のうちに開いておかないと先の人生があまりないから」と本格的な個展を開いた。
- 戸塚恵子
アメリカン・トールペイントの作品展を開いた。これは、ラワン材などを加工し、アクリルペイントで絵付けしたものであり、女性の間で静かなブームになっている
- 戸塚茂則
茨城大教育学部の助教授(教育方法論)。茨城地人協会に参加。同協会は、賢治が岩手県花巻に「羅須地人協会」を設立して地球市民を育てようとした精神を受け継ぐことを目指している。
- 戸塚俊美
神戸製鋼所野球部監督。
- 戸塚友行
元横浜大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)投手。ほとんど無名のまま引退。この名前を調べるのに3時間もかかった。
- 戸塚裕久
獣医師。静岡県地区CAPP(コンパニオン・アニマル・パートナーシップ・プログラム)活動家。CAPPは、医師とボランティアが動物と一緒に福祉施設などを訪問し、お年寄りや、心身に障害のある人たちに対してリハビリテーションなどの手助けをする。
- 戸塚金次
こちら葛飾区亀有公園前派出所に出てくるおまわりさん
連載開始当初から登場した。元トラック運転手。やくざっぽいキャラクターが特徴。そのわりに、目立った活躍はない。最近、登場回数が減った。
参考資料:朝日新聞、広辞苑。
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