戸塚という地名
- 戸塚区(横浜市)
横浜市西部の区。東海道五拾三次の宿駅から発達。現在は住宅地域である。情報産業などの工場の進出も著しいが、自然も多い。
戸塚区は昭和14年4月1日、鎌倉郡の1町7カ村が合併、横浜市に編入されて誕生した。その時の人口は約3万6000人。その後、人口が急増したため、69年10月に瀬谷区、86年11月に栄区、泉区が分区された。現在の面積は35.68平方キロメートル。人口24万3272人(平成8年1月1日現在)。
ホームページの浮世絵は、戸塚の入口である元町別道。柏尾川に架かっていた吉田橋あたり。「左り かまくら道」の道標は今でも妙秀寺に保存されている。JR戸塚駅を逆の方に向かうと戸塚の由来となった富塚八幡宮がある。
また、浄瑠璃、歌舞伎で有名な「仮名手本忠臣蔵」では、早野勘平と腰元お軽が鎌倉の館から駆け落ちする途中、戸塚の山中で足を休める場面があり、同区戸塚町の国道1号わきには「戸塚山中道行の場」の記念碑が建っている。
- 戸塚(新宿区)
東京都新宿区北部の地区。住宅商業地で東端に早稲田大学がある。
明治35年に、早稲田大学キャンパスの一角に戸塚球場が誕生した。ここは、昭和18年10月、太平洋戦争で学徒出陣を前にした早慶ナインが最後の試合をして永遠の別れをした場所としても有名。ここから巣立った選手たちはプロ、アマ球界でも重きをなし、プロ野球には三原脩、広岡達朗などのスタープレーヤーを送り込んだ。昭和24年、野球部育ての親といわれる安部磯雄教授の死去をいたんで安部球場と名を改めた。
早稲田大学の100周年記念事業により、球場は移転した。その跡地に、総合学術情報センター建設を計画していたら、弥生時代後期から平安時代初期(3世紀〜8世紀)にかけての縦穴式住居跡など、かなりの数の遺跡が埋まっていることがわかった。
- 戸塚、戸塚境、戸塚鋏、戸塚東(川口市)
埼玉県川口市の一帯。武蔵野線と東北自動車道に挟まれた地帯。
特に、大きな事件はないと思うが?
妙延寺とゆう寺があるが、横浜の戸塚の妙秀寺と関係があるのか?
(^^;すみません情報不足です)
- 戸塚の森
岩手県石鳥谷にある森林
一見、なんの変哲もない森です。
- トスカーナ【Toscana】
イタリア中部、エトルリアの地。フィレンツェのほか、アレッツォ・ルッカ・ピサ・シエナなどの都市を含み、政治上および文化上枢要な地位を占め、殊にルネサンス文化開花の中心(広辞苑より)。
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