「ジヴレイ・シャンベルタン・クロ・サン・ジャック」1997


 


 床から天井まで、所狭しと並べられたワイン。刑事コロンボが店の主人に訊ねる……「上質のワインはどうして見分ければいいんですか?」
 店の主人答えて曰く「値段を見ればいい。一番良く分かる」
 シリーズ屈指の名作「別れのワイン」の一場面ですが、まあ確かにワインに限らず、高いものが良いとは言い切れないけど、良いものは高くつくのが世の中のならい……。実際自分で選ぶときも、どうせなら値段の高いもの、希少価値のあるものに目が行ってしまうし、余程お気に入りの銘柄でないかぎり、並よりは一級クラス、一級クラスよりは特級クラスをと思いがち。ネットでワイン販売のページを見ても、本数が少なくて高いものほど先になくなっていくし……。
 代表的な品種の区別はできても、一級と特級の区別なんてブラインド・テイスティングでは大抵無理だし、どう考えても三倍の値段のするワインが三倍美味しいなどと計算できる訳でもないのに、やっぱり「特級」クラスを口にすると随分と得した気分になるのは否めない。「あと残り一本」とか言われると、これはもう後で後悔するのが嫌なばっかりに買ってしまい、そうこうするうちに年間何十万円もつぎ込んでしまうハメに……。自宅の業務用セラーはもう既に一杯なのに、どうやってこの夏越すつもりなんだよ全く……。
 さて、本来非常に感覚的なもので、あらゆる要素が複雑に絡み合うワインの風味というものが、そう簡単に一から順番に並べられるはずもなく、畑の格付けだのシャトーの等級だのは元々便宜上決められたもので、市場価格を動かすとされるパーカー・ポイントも、あくまで評論家の参考意見に過ぎない訳です。「世界一優雅なワイン選び」(ジェラルド・アシャー著)にもこんな意見が。
「仮にブラームスの3番やショスタコーヴィチの5番とバッハの作品を比べ、100点法で評価するとしたら、まさしく噴飯ものだろう。ブルックナーの7番が、澄んで澱がなさ過ぎるから65点だとしたら? ワイン評論家は、ワインに関する技術的知識ときたらせいぜい栓抜きの使い方程度のくせに、いつでもどこでも清澄と濾過に難癖をつける。なんとも困った話だ」
 まあ実際その通りなんですが、世の中のあらゆる作曲家のあらゆる演奏を全て聴く時間もない身ともなると、損をしたくないばっかりにどうしても書評や紹介文に頼ってしまうのも事実なのでした。勿論そんな中で、偶然手にした一枚が自分の中で決定盤となることもあるわけです。例えばブルックナーの交響曲第9番なら、一番最初に聴いたワルター指揮コロンビア交響楽団のものか自分にとってはベストで、いくら物の本に「頼りない」「格調が不足」とか書かれていても知ったことじゃないし、むしろ他の演奏がうるさく聞こえるくらいのもの。コロンビア交響楽団が元々がベルリン・フィルやウィーン・フィルのような老舗のオーケストラではなく、録音のためにロサンゼルス・フィルから楽員を選び出して編成されたものなので、この種の書評はどうしても付いて回るわけですが、やはり自分としては単に音のメリハリを追うよりも、その指揮者ならではの人間味溢れる柔らかな音色を求めるし、そうあるべきだと思っています。
 
 ジヴレイ・シャンベルタンはブルゴーニュ・コート・ド・ニュイの中でも多くの特級畑を持つエリア。特級畑を持たない村も多いというのに、ここには九つもあります。その筆頭が「シャンベルタン」と、「シャンベルタン・クロ・ド・ベーズ」。この二つはほぼ同格で、630年頃にアマルゲール公爵がベーズ修道院に寄進した土地が元となった「クロ・ド・ベーズ」は、1200年代に地元の農民ベルタンさんがその隣を耕した畑に由来する「ル・シャン・ド・ベルタン(ベルタンさんの畑)」よりも由緒あるものと言われているほど。その次に他の特級畑「マジ・シャンベルタン」「ラトリシェール・シャンベルタン」「シャルム・シャンベルタン」「マゾワイエール・シャンベルタン」「シャペル・シャンベルタン」「グリヨット・シャンベルタン」 「ルショット・シャンベルタン」 と続きます。この細かく分かれた特級畑から、さらに複数の所有者によってさまざまなボトルが作られていくわけで、畑にももちろん格があるのですが、作り手ごとの違いの方が大きいくらい。それこそ、濾過をするのかしないのか、新樽を使うのか云々によって仕上がりも様々。
 このキラ星のごとく並ぶ特級畑の周囲を、さらに一級畑が取り囲んでいます。「カズティエ」「クロ・サン・ジャック」「コンブ・オ・モワヌ」といった畑は、特級に値する畑と言われながら、単に「元々のシャンベルタンの畑に接していない」という理由だけでそこに割り込めなかったと言われています。
「クロ・サン・ジャックは、5名の所有者のうち4名までが優良な生産者で、流通しているワインの平均点を取れば、明らかにシャンベルタンよりも優れている」「ドメーヌ・アルマン・ルソーのオーナーのシャルル・ルソーは一級畑のクロ・サン・ジャックを特級畑のリュショット・シャンベルタンやマジ・シャンベルタンよりも上質のワインだと考えており、ドメーヌでの試飲では常に、クロ・サン・ジャックはリュショットやマジの後で供出される」
 監修・堀賢一氏のコミック「新ソムリエ」6巻には上記のように紹介されている「クロ・サン・ジャック」。一度は飲んでおきたい……かつ、特級畑と比べて……と思っていたワインですが、T氏に連れていってもらった土浦の酒屋・鈴木屋でさっそく聞いてみることに。
「クロ・サン・ジャックありますか?」
「アルマン・ルソーの?」
「作り手は問いませんが……」
「クロ・サン・ジャックならアルマン・ルソーでしょう」
 なるほど。ちなみに他の作り手としては、顔のマークのルイ・ジャドなどがカタログに載っています。いくつかのビンテージの中から、価格が手頃な97年物を選ぶと、お店のご主人は地下のセラーからボトルを持ってきてくれました。
「ボトルは立てて一週間ほど置いて澱を落としておくこと。抜栓は一時間ほど前に。デカンテーションするかしないかは味を見て判断して下さい」
 大事に飲んで下さい、というご主人の忠告をありがたく受け止め、2週間後にT氏夫妻を招いて自宅で飲むことに。比較対照するのは新興のドメーヌ、ドミニク・ローラン「ラトリシェール・シャンベルタン97年」。あえて同じビンテージにしてみました。97年のブルゴーニュは、雨のあったボルドーと異り、ブドウがよく熟した比較的良い年で、酸度の低さが特徴とか。テイスティンググラスに分けておのおのブラインド・テイスティング。

 「ドミニク・ローラン・ラトリシェール・シャンベルタン97年」

 とはいうものの、ドミニク・ローランは何回か飲んでいるため、やはりこれだな、と思ってしまうのは否めない。濃い色調ですぐに分かってしまうかも。本来なら同じ作り手で比較すべきだったなあと思いつつ、両者を冷静に比較してみると……。
 ルソーの「クロ・サン・ジャック」は、比較的明るい色調で、赤紫にややレンガ色が混じり、わずかに熟成を思わせる外観。輝きはあまりないけれど、良質な伝統的ブルゴーニュならではの複雑な色合い。香りは華やかで軽快、心地よいベリー香が中心。酸味を感じる味わいで、雑味はなく、高いミネラル感がビノ・ノワール独特の旨味をもたらし、余韻はあるけれど総じてソフトな印象。それに対し、ローランの「ラトリシェール・シャンベルタン」は、メルローのような濃い色調で、それでいて不思議と透明感があり、香りもどちらかというとどっしりしていて重厚。酸味よりも若干甘味を感じるタイプで、何か非常に頑張っているという印象。これはもう、畑の違いというよりは、完全に作り手の違いが大きいですね。
 ちなみに、ブラインドでの先入観なしの評価では、それほど大きな違いではないながらも、T氏夫妻はルソーの方を、私はローランの方を上位 にしました。やはり私は濃いタイプのワインが好きみたい。
 物の本によると、両者の違いは主として新樽の扱いと濾過の有無。ドミニク・ローランは新樽200%……つまり新樽で半年置いた後さらに別 の新樽に移し替えて熟成させるというもので、これは樽香を付けるというよりキメの細かい新樽で自然に熟成させることが目的とされ、実際必ずしもいわゆる樽香は強くありません。冷却による酒石酸除去も濾過も行わないので、97年物でもかなり澱が目立ちますが、色が濃いにも関わらず濁りは一切ありませんでした。95年にパーカーが絶賛してから非常に評価の上がったドメーヌ。これに対しルソーは濾過を行うとされます。「ブルゴーニュワインがわかる」(マット・クレイマー著)によると、ジヴレイ・シャンベルタンで長らく最高位 にあったルソーは、70年代〜80年代にスランプ状態に陥り、85年以降シャルル・ルソーの元とで復活したものの、今では質が低下する前には行っていなかった濾過を行っているとか。濾過をやめないことで頂点に辿り着けないのだ、という批判が特にアメリカあたりから聞こえてきそうですが、先の「世界一優雅なワイン選び」の著者、イギリス人アシャーの意見を思い返してみると興味深い話です。「マジ」「リュショット」といった特級では必ずしも100%ではない新樽比率も「クロ・サン・ジャック」では100%とされます。
 一通り意見を出し合ってメモした後は、ワインをデカンターに移して大きめのグラスでローストビーフと共にゆっくりと味わいました。やっぱりグラスが大きいと香りが段違いに良くなります。なんでテイスティンググラスはあんなに小さいのかしら。それに何で日本酒はコップになみなみと注ぐのかしら……と思いつつ、特級クラスのブルゴーニュワインを一日2本も楽しむという贅沢に酔い痴れる……。うーん、ホントに酔っ払ってきた。この日は最初にハーフボトルのソーテルヌを開けたせいか、3本飲み終わるころにはへろへろに酔ってしまい自分でも驚く。いや普通 良い酒をゆっくり飲む時にはあまり酔わないものなのだけど……週末で疲れていたせいかしら。通 常食後酒である甘口のソーテルヌを最初に持ってきたのは、1800年代のヨーロッパの晩餐会のスタイルをマネしたから。手作りのサーモンのムースと合わせてみましたが、これはこれでなかなか。もっとも当時は生牡蠣と甘口のリースリングを合わせていたそうですから。ミネラル感はともかく、この組み合わせはいまいち不安なんですけれど……。
 



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