「カナール・デュシェーヌ・シャルル七世」


 


 「1428年秋、パリの南方オルレアンの町は前代未聞の屈辱と危機に見舞われている。オルレアンを攻めるのは七歳の幼王ヘンリー六世を奉ずるイングランド・ブルゴーニュ勢、守るは王位 継承権を奪われ、不義の子とそしられているシャルル七世の貧弱なフランス軍である……」(「教養人の世界史(中)」教養文庫)
 英仏百年戦争の終わりに登場するジャンヌ・ダルクの物語は、映画の中でも古くはイングリッド・バーグマン、新しいものではミラ・ジョヴォヴィッチの作品などで繰り返し取り上げられ、最近でも佐藤賢一氏の「ジャンヌ・ダルク、あるいはロメ」 といった小説が本屋に並んでたりします。ドン・レミ村からやって来た一人の十七歳の少女が、オルレアンを解放し、ランスでシャルル七世の戴冠を成功させ、結果 としてフランスの逆転勝利を導くという物語は、実際の史実においてはそう単純に片づけられないと分かっていても、やはり胸躍らせるものがあります。当時まだフランスという国が一つのものではなく、フランス王家よりもパリを押さえていたブルゴーニュ公国の方が羽振りが良かったような有様だったのに、この後一気にフランス王国は統一国家として邁進していくことになるのですから。
 「乙女は敵方の手に落ち魔女として裁判を受け火刑に処せられた。乙女に大恩のあるシャルルは冷酷にも《小娘一人の命で済めば安いものだ》とうそぶいていたという。」(同上)
 一人で立ち上がった少女は、最後には独りぼっちで殺される。1928年のフランスのサイレント映画「裁かるるジャンヌ」は、裁判から火刑に至る一日を描いた作品でしたが、ひたすら非運に涙するジャンヌの姿だけを追いつめるように撮影していて、なかなか観るのがつらい映画でした。(わざわざDVDまで買ったのに、一回しか観ていない……)
 自然そうなると、まんまと王位を手にしながら何の見返りも渡さなかったシャルル七世って、何てひどいやつ、ということになるわけですが、実際にジャンヌが活躍したのは二年足らず。シャルル七世が実質的にフランスを掌中に収めるにはまだまだ長い期間を要したわけで、そこに関係した人間達も他に無数にいたし、王にしてみればそんな戦場で旗を振り回していただけの民間人一人に構ってられないというのが本音だったのでしょう。前述の「ジャンヌ・ダルク、あるいはロメ」の物語も、「真に戦慄すべきは、シャルル七世の忘恩だったからである」というセリフで締めくくられます。ゆめゆめ、最高権力者なんぞの為に命を張るものではありませんぞ。
 シャルル七世はランスで戴冠式を挙げます。何故パリではなくランスにこだわったかというと、代々のフランス王はメロヴィング朝のクローヴィス以来ここで戴冠してきたからなんですね。ローマを倒してロワール河畔まで進行し、北フランスを制圧してゲルマン族中第一の支配者となったクローヴィスは、ランス市に凱旋した際、キリスト教徒の妃の勧めで洗礼を受けました。西ローマに代わってフランク王国がキリスト教世界を請け負うことになったのがまさにこの時だった訳です。クローヴィスからシャルルに至るまで、ランスはフランスにおけるキリスト教世界の盟主としての精神的な象徴でもあったわけです。ランスの大聖堂には私も行ったことがあるのですが、シャガールのステンドグラスを見逃したのが悔やまれます。
 そんなランスには、多くの有名なシャンパーニュメーカーが軒を連ねています。クリュグをはじめとして、ルイ・ロデレール、ポメリー、テタンジェ、ヴーヴ・クリコ、ランソン、パイパー・エイドシック……。元々、王の戴冠用としてランスのワインは別 格の扱いを受けていたわけですが、当時は色の薄い赤ワインが主流でした。ヴェルサイユ宮でブルゴーニュワインと覇を争って破れたシャンパーニュは、新機軸を求めて発泡性ワインに行き着いたとも言われています。シャンパーニュは元々「平野」を意味する「カンパーニュ」が語源で、ローマ軍の駐屯地として栄え、その白亜土壌は道路の舗装にも使われたのですが、その際地下に洞穴がくりぬ かれ、後のシャンパーニュの保管にも役立ったわけです。
 ちなみに今回ご紹介する「カナール・デュシェーヌ・シャルル七世」ですが、「カナール・デュシェーヌ」の本拠地はランスではなくリュド。1868年のカナール社は、年間200万本以上の生産量 を誇る大手メーカーですが、8割以上が国内消費なので海外では案外なじみのないブランドのようです。特吟物の「シャルル七世」はシャルドネを三分の二使ったすっきりした味わいのシャンパーニュ。実際、飲んでみるとそれなりに風味豊かであるにも関わらず、結構口当たりが良くて抵抗感なく飲めてしまう。酸味が控えめな割には、変にもったりとしてはいないので、食前酒には持って来いではないでしょうか。フランス革命200年記念の公式ブランドに選ばれた記念ボトルもあるとのこと。WINESCHOLAの「ロワールワインの会」で、ロワール物ではないけれど食前酒にどうよ、と思って箱入りのこの「シャルル七世」を持っていったのですが、なかなか好評でした。
 同じシャンパーニュでも、「メアリ・スチュアート」「サー・ウィンストン・チャーチル」など、歴史上の人物の名前を冠した銘柄にはそれなりの背景があるものなのですが、この特吟物が何故「シャルル七世」と名付けられたのか、手元にある本では調べきれなかったのが残念。なんかそれなりの逸話がありそうなんですけどねえ。
 
 

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