「ドゥニ・モルテ・ジヴレイ・シャンベルタン」2000年


 

 軽井沢で開催された、某著名な方の主催によるワイン会で、「ジャック・セロス」「ルフレーヴ」「ルロワ」といった超級ワインが並ぶ中、主催者の方曰く「今日のワインでもっとも注目して頂きたいのは、ディディエ・ダクノーのシレックス2007年です」……先に紹介した「ダグノー・ブラン・フュメ・ド・プイィ」の造り手のプレステージ・ワインですが、ビンテージの若さを考慮して、午後7時からのワイン会に供するために、午前8時に抜栓しておいたという念の入れようでした。「とにかく、造り手が亡くなってしまったので、もう飲めないので……」そこから、生産者が亡くなったワインの銘柄について話が広がり、「誰だったっけ……あの、猟銃自殺を図ったジヴレイ・シャンベルタンの造り手は……? 確か、『モ』で始まったような……」
 その時は思い出せなかったのですが、正解は「ドゥニ・モルテ」。非常に繊細な完璧主義者で、フランスの評価本「ル・クラスマン」で最高の3つ星を保ち続けたにも関わらず、まだ50歳の若さで2006年1月に突然自殺。原因は今だ不明。死ぬ必要のない人が自ら死を選ぶ動機は他者には伺い知れないものがあります。ぼろぼろになっても死に向かわない人もいれば、全くそんな素振りも見せないまま死へ突き進んでしまう人もいます。後者を単に「生を軽んじている」と決めつける訳にはいきません。真剣に生きているからこそ追い詰められることもあるのだ、と思うのです。
 さて、そのワイン会の翌日、たまたま広尾でワインを飲む機会があり、そのお店で「ジヴレイ・シャンベルタン」村でこれくらいの価格でお勧めの物を……とお願いしたところ、並べられたボトルの1つが、お店のリストにはなかったにも関わらずストックあるのでと紹介されたこの「ドゥニ・モルテ・ジヴレイ・シャンベルタン・コンブ・デュ・ドシュー2000年」でした。全く、巡りあわせとしか言い様のない出会い。その日の午前中にネットで検索して、こりゃなかなか手に入りそうにないなあと思っていたばかりというのに。
 というわけで、この機会を逃してはならじと頂くことにしました。10年熟成、しっかりとした味わいの、いかにも男性的な「ジヴレイ・シャンベルタン」。ベリー系の風味に曰く言い難いどっしりとした重厚感が加わり、華やかなだけではない力強さが感じられました。おそらくはプルミエ・クリュやグラン・クリュと言っても充分通用するほどの品質の高さ。まさに理想的な「ジヴレイ・シャンベルタン」の完成品がそこにありました。
 ドニ・モルテは小さな区画別に瓶詰することにこだわっていたそうです。ジュブレ・シャンベルタンの村名ワインは、テロワールの違いにこだわり、2003年まで「アン・デレ」「アン・シャン」「アン・モトロ」「オー・ヴェレ」「コンブ・デュ・ドシュー」というキュヴェごとに瓶詰していたとのこと。2006年に息子のアルノーの代になってからは、村名ワインは3つのキュヴェ、「ジヴレイ・シャンベルタン」「ジヴレイ・シャンベルタン・ヴィエイユ・ヴィーニュ」「ジヴレイ・シャンベルタン・アン・シャン」に集約されているそうで、つまりこの「コンブ・デュ・ドシュー」はもう造られていない事になるわけです。
 ビンテージ物のワインとの出会いには、単なる美味美食の心地良さとは異なる、いわく言い難い哀しさのようなものがつきまとうことがあります。苦味や酸味という、本来子供なら口にするのを避けてしまうような味覚が全体を支配している、ある意味希有な存在だと思うのです。最近モーツァルトの「レクイエム」を聴く機会があり、その時に1回だけワイン・ディナーで会ったことのある外国の方が亡くなったことを聞かされて、極めて厳粛な気持ちになったものです。不滅の音楽もその音自体は聴いているそばから消え去っていき、力強さを蓄えたワインも味わったが最後二度と同じものを口にすることはできません。出会えたことで思わず有頂天になって飲み干したボトルでしたが、あらためてそのはかなげな余韻を思い出しながら、記録を書き留めている次第であります。



◆トップページに戻る。
◆「宇都宮斉作品集紹介」のコーナーへ。
◆「宇都宮斉プロフィール」のコーナーへ。
◆「一杯のお酒でくつろごう」のコーナーへ。
◆「漫画・映画・小説・その他もろもろ」のコーナーへ戻る。
◆「オリジナル・イラスト」のコーナーへ。
◆「短編小説」のコーナーへ。