「シャトー・ディケム」89年



 モンラッシェが辛口ワインの最高峰なら、シャトー・ディケムは甘口白ワインの最高峰……そういう言葉は数多く本の中で読んではいたものの、当分口にすることはないだろうと思っていたこの貴腐ワインですが、「ハンニバル」にあやかる以上これを開けるしかあるまい! ということで思い切ってあけちゃいました。しかも89年という星印付きの当たり年。ああ、開けてからいうのもなんだけど、もったいない……そのまま百年だって保つ逸品なのに。さすがに今回ばかりは、参加者でワリカンと致しましたが。
 ボルドーの中で唯一の特一級という、百年以上前から別格の扱いを受けてきたというシャトー・ディケム。1785年にリュル・サリュス家がこの畑を所有する前は、200年間のあいだソバージュ家が所有していた……という気の遠くなるような歴史を持っていること、ブドウ一粒一粒が選別され、グラス一杯にブドウの樹一本を必要とすること、さらに熟成後に一本一本樽ごと選別され、出来が悪いと判断されるとその年は一切作らないという徹底した完璧主義であること、そしてなにより、完璧な味わいを備えていることでしょう。
 あるイギリスのワイン評論家が、1988年に1825年物を開けて述べた感想は「生き生きとして輝かしい。素晴らしい香りと、信じがたい芳香……」まさに殆ど神話のような趣のあるワインであります。200年以上も唯一のオーナーが変わらず守り続けているという点が、モンラッシェを始めとする畑が分割されてしまったブルゴーニュの名品達とも差をつけている理由かも知れません。(ジェームズ・ターンブルの「ボルドーワイン・ベストセレクション」より。ちなみに「ソムリエ」の監修の堀賢一氏は、ソーテルヌで初めて貴腐ブドウが収穫されたのは1847年のシャトー・ディケムと書いているのですが……)
 さて、いざ開けようとして驚いたのが、シールキャップが二重になっていること。密閉性を高めるためなのかな。色は蜂蜜色。輝きがあってしかも厚みのある色調。菩提樹の香りに若干の赤ワインのような香りが隠れていて、なんとも表現しがたい複雑な芳香。単なる甘い香りとは違うのでした。口に含むと、甘いんだけど甘くない……蜂蜜の色と香りがするのなら、もっとねっとりと甘くてもいいわけなんだけど、そうではなくて……しっかりと舌に残るのに、まだ次を飲みたくなるような口当たりの良さ。そりゃ甘いだけなら蜂蜜を舐めてればいいわけで。
 複雑な風味と書いたけど、その実余計な雑味は当然ながら全くない……他に得難いということであって、いろんな物が混じり合っているというのとも違うような気がします。本体はいたって素直、ストレート。まさにこれこそ「シャトー・ディケムそのものの香り」としか定義できないものなのでしょう。
 レクター博士はバッハを弾いていましたが、私の印象はまさしく音楽でいうところのブルックナー。長大で雄大ながら唯一無比、飛び抜けて個性的なのに自己主張していない。(おそらくバッハの音楽にもそういうところはあるのでしょうが。)「音楽の手帖」に載っていた「デジタル・ブルックナー」というエッセイが非常に印象に残っていて、交響曲第八番の一部がヴィスコンティの「地獄に堕ちた勇者ども」に使われていることに言及して、「ブルックナーの八番は、ものすごいエネルギーを持った音楽だから、殺人だってやりかねない」と書かれていたのを思い出します。あるいは、「刑事コロンボ」の「別れのワイン」の、ワインを守るために殺人をおかしてしまう主人公も。うまく表現できないけれど、こういう「別格」のワインは、人の価値観を覆してしまう力を持っているような気がします。一応人の命は何よりも大切、ということになっていますが、もしかしたらそんなものよりもずっと価値のあるものが歴然としてある、そんな存在感を認めてしまうような。なるほどそう考えてみると、レクター博士のワインへの執着にもそんな背景があると思えば、いささかスノッブに見える美食ぶりも少し納得できますね。むしろもっと音楽や香りが奏でる絶妙な官能性みたいなものをしつこく書いてくれた方が良かったかも知れません。



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