「百年の孤独」



 12月31日。ついに二十世紀が終わる。親の実家に帰り、ワインやシャンパーニュなんぞを何本があけて去り行く世紀を見送る。
 飲みの締めくくりは家に置いて合った本格焼酎「百年の孤独」。上記のようなシンプルな箱の中に、これまたシンプルなパッケージのボトル。容量720ml。
 大麦製長期貯蔵酒。ポットスチルによる単式蒸留。明治18年創業以来受け継がれてきた百余年の伝統技術。日本語解説には書かれてはいないが、英語の解説では「made by aging garley shouchu in wood barrels over a long period of time」と書かれており、ウィスキー同様木樽で寝かされたらしい。飲んでみると透き通るような琥珀色。香りだけでなく、味わいもどこかウィスキーに似ていて柔らかくスモーキーである。
 味も気に入ったが、何よりネーミングに惹かれた。「百年の孤独」……人の一生は百年よりも大抵短いだろうに、まるまる百年孤独が続くのか。次の百年を迎える2001年の元旦を過ごすのには確かにもってこいの名前だ。確かガルシア・マルケスの小説の題名にもなってるんだよな……読んでないけど。「切り裂きジャック・百年の孤独」なら読んでるんだが。
「これから百年間、ずっと孤独になるってことかな……」
「いつもいつも友人大勢呼んで宴会やってるんでしょ? どこが孤独なの?」と母親。
 しかし人間、死ぬ時も、死んだ後も一人なのだ。厳密には誰もが孤独であり、そして誰もが孤独にはなれない。既に環境の中に人が大勢いる以上、本当の意味で誰も孤独ではないだろう。誰も一人では生きていけないというより、一人で生きていることにならない……しかしそれでも、「孤独」という言葉は頻繁に使われる。そして、大変魅力的な言葉として私達の心に響く。孤独をひしひしと感じているその瞬間、私達はいやおうなしに自分自身と向き合い、ひとりぼっちの存在である自分をただいとおしく見つめる。
 映画「ダンス・ウィズ・ウルヴズ」に確かこんなセリフがあった。主人公は一人アメリカの西部の平原に住んでいたが、次第に土地のインディアン達と交流を持つようになる。彼らの宴に参加し、意思の疎通がかなうようになった主人公は、やがて自分たちの部落へと去っていく彼らを一人見送りながらつぶやく。「今夜ほど孤独を感じたことはなかった。一人でいたときよりもずっと……」評価の分かれる作品だが、ジョン・バリーの奏でる美しいエンド・タイトルと共に、そのシーンの赤く薄暗い夕焼けは強く心に残っている。



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