00年/「SFセミナー」体験記



●開催:2000年5月3日 13:00〜19:00:「昼の部」(全電通労働会館)、20:00〜19:00:「合宿の部」(ふたき旅館)、
●プログラム:「昼の部」@角川春樹的日本SF出版史(角川春樹、大森望)
            Aブックハンターの冒険(牧真司、代島正樹)
            B日本SF論争史(巽孝之、牧真司、森太郎)
            C新世紀の日本SFに向けて(藤崎慎吾、三雲岳斗、森青花)
            D妖しのセンス・オブ・ワンダーへようこそ(小中千昭、井上博明)
 「合宿の部」(選択制)@浅暮三文改造講座(浅暮三文、倉阪鬼一郎、小浜徹也、林哲夫、福井健太)
            Aサイコドクターあばれ旅・望郷編(風野春樹)
            Bほんとひみつ(牧真司、三村美衣、北原尚彦、日下三蔵、天野護堂、代島正樹)

「角川春樹的日本SF出版史」
 今回最も注目すべき講演、ということで、これを聴きに会場へ足を運んだ人も多いはず。角川春樹というと、言わずと知れたトラブルメーカーというイメージか強くて、私が大学生の頃には「私はUFOを見た」「私は火の鳥を見た」とか結構とんでもないことを言う危ない人という印象でしたが、それでも「犬神家の一族」「人間の証明」といった作品で出版-映画-テレビといったメディアミックスの手法を大胆に取り入れた功績は認めざるを得ません。当時映画界はテレビ界を敵と見なしていたので、映画のスポットをテレビに流すということは考えもしなかったそうですから。
 さて、角川氏によれば、既に60年代のはじめにSFがブームとなり、次にファンタジー、ホラーと続くだろうと予想していたのだそうです。小松左京氏が「日本沈没」を出す前から国内のSF作家とコンタクトを取り始めたとのこと。氏に言わせると「これは、という直感に従う。いわゆる希望的観測というものは当たらない」……うーん、さすがに言うことが違うなあ。
 今回ハルキ事務所で「小松左京賞」を立ち上げるために小松氏のもとを訪れたとき、開口一番「断る!」と言われたそうな。左京氏曰く「俺はまだ死なんぞ」。横溝正史も賞を作ってから八年も生きていた、左京氏はもっと生きるだろうということで結局承認を得たそうです。選考委員は左京氏一人。SFを評価できる人は殆どいないし、何人かで集まると北方謙三みたいに大酒飲みでケンカっ早い人が勝つのでもう懲りたんだとか。
 再びSFの時代は来る。いや、もう来ている。小松左京賞受賞作品が出版される頃にはブームは盛り返している、2004年にはSFのミリオンセラーが登場する、という力強い言葉で幕。

「日本SF論争史」
 「日本SF論争史」という本が今回アンソロジーとして出版されるということで、その本の内容を紹介するコーナー。三年ほど前に起きた「クズSF論争」が出版のきっかけではあるようですが、内容はそれだけではないらしいです。
 「実際にどういう小競り合いがあったかよりも、その先にどういう成果が現れたかが重要」というのは、確かにその通りだと思います。まあ私なんかには、SFが売れないといわれてもどうもピンと来ないけど。ハリウッドは相変わらずSFテイストの大作を作るし、日本でも「ヤマト」「ガンダム」の昔から近年の「エヴァンゲリオン」に至るまでブームになる物はSF色を帯びていたし。
 安部公房から始まる本書で展開される論争の数々は、既に現在の視点から見るとある程度決着のついたものになっている思われるけど、どうなんでしょうか。あのバラードにしたって、今にしてみるとそれほど極端に難解とも思えないし。福島正美氏などは結構過激なことを言っていたらしい。「この豚め!」とか何とか、そんな調子。大体の論調としては、「ハインライン再評価と小松左京批判、安部公房をけなす人はいない」という感じらしいですが。
 得てしてこういった「論争」は、野次馬的に第三者が介入してきて「この論争は不毛だ!」と言って終わる物、だとのこと。まあそういうものかも知れません。

「新世紀の日本SFに向けて」
 「BH85」でファンタジーノベル大賞を受賞した森青花氏「クリスタルサイレンス」でベストSF99年国内篇第一位となった藤崎慎吾氏「M.G.H.」で日本SF新人賞を受賞した三雲岳斗氏の三名がゲスト。
 徳間書店の新人賞といえば、私も長編小説を応募して第一次の17名までは残ったんだよな。ちょっと惜しかったなあ
 「夏への扉」でSFを知り、「ニューロマンサー」で挫折したという森氏は、SFを書くという意識はあまりないとのこと。むしろ18世紀の哲学小説などを意識したらしい。「世界ってどうなっているんだろう」という思いがあり、「変わってしまった世界」について考えを巡られた結果としての産物が作品となったのだそうです。やはり生身の体を持った人間というものにこだわるそうだ。「恋愛というのは結局は思いこみと妄想の産物。恋愛そのものが本来バーチャルな、確かめようのないもの。そういう意味では、SFとラブロマンスは結構はまるのでは」という意見は非常に印象に残りました。
 小学六年生の時に父親から渡された「銀河帝国の興亡」がSFを知ったはじまりという藤崎氏は、ブラッドベリィにはまった後ディレイニイ当たりまではちゃんと覚えているというタイプ。やはりSFにこだわるという意識はないそうです。単に小さい頃から「理科」が好きだっただけだとのこと。ゲームをやり続けていた少年が、途中で電源を切られて「キャラクターが死んでしまった」と泣いた、というエッセイを読んだ時の衝撃。そして「ボクはファースト・コンタクトをしたいために研究を続けている」という人工知能の研究者トーマス・レイとのインタビュー。デジタル世界の中に生命を感じる見方と、デジタルと現生命とは相容れないという見方……この二つが自分の中でまだ解決できないでいる、というのが藤崎氏の創作の動機となっているそうです。
 既に物心ついたときには「マジンガーZ」をテレビで観ていた記憶があるという三雲氏は、三人の中では一番SFに対して抵抗感がないようです。そもそもSF冬の時代、という意識がないわけで、単に今のトレンドがミステリー・キャラクター小説だというのなら、SFでそれをやってみようと考えただけだとのこと。SFは好きだから今後も書いていきたい、という氏のスタンスは明快で、海外進出して翻訳してもらえればいい、SFは一番そこに近いところにあると思うという意見はとても前向きで、会場で拍手が沸き起こったほどでした。

「サイコドクターあばれ旅・望郷篇」
 SF的に興味深い精神症例を紹介するこのコーナー、前回は宇宙語で会話する夫婦とか、自分がペリー・ローダンになってしまった男とかの話があって大変面白かったのでした。
 今回は分裂症について。神経症は心理学の領域、分裂症は精神医学の領域、現代は分裂病的社会になりつつある、という話。
 自分の周囲の人間が全て替え玉だと思う「カプグラ症候群」。同じ物を同じ物として認識できなくなる脳の異常が原因となると考えられ、家族などに対して精神的にマイナスの物を向けた結果として起こることが多いとされるそうです。ある高校生は自分の行動が全て見張られていると感じ始め、両親の目が暗闇で光ったのを見て「こいつらは猫だ」と思い込んでしまったとか。そしてその裏返しとなる「フレゴリの錯覚」。これは特定の誰かが姿を変えて自分の前に現れてくるという症例。フレゴリとはイタリアにいた実在の俳優で、多種多芸で男女問わず60近い役を演じ分けることができたとのこと。1927年、フランスにて27才の女性に見られたのが最初の症例で、サラ・ベルナールが自分を追ってやって来たといいます。さらにややこしいのが「相互変身症候群」。これも1932年フランスで報告されたのですが、近所の人が夫に、夫はまた別の者にと自分以外の人間が相互に入れ替わっていくものだそうです。
 こういった分裂症の原因は、遺伝なのか環境なのか。今のところ、遺伝が半分、環境が半分といったところ。環境が全てではないらしい。例えば刑務所に換金されると幻覚を見る拘禁反応は、自由になると元に戻るので分裂症ではない。HEE(High Emotional Expression)など感情の激しい親の子は分裂症になりやすいともされるが、逆に子のせいで親がヒステリーになる場合もあるので証明が難しい。子を叱る時言葉で「いいよ」と言っておきながら顔で怒っているような場合は、子供はどっちを受け取っていいのか分からず分裂症を起こすという「ダブル・バインド仮説」もある。いずれにしても環境だけで分裂症となるかどうかは、人間を対象に実験することができないので確かめようがないわけです。一方で分裂症を起こす単一の遺伝子は発見されていないが、家系的なものが影響することは知られているそうです。こういった分裂症の治療薬としては、ドーパミンの過剰分泌を抑える薬物を使うそうですが、これも因果関係自体は分かっていないことが多いようです。
 他にも「動物も分裂症にかかるらしい」「ユングは精神医学の分野では相手にされていない」「病気の人の写真を見せて、どれが好きかを選ばせるソンリー・テストというものがある」等々、いろんな人から質問も飛び交い、なかなか高度な内容にしては活気のある企画部屋でした。

ほんとひみつ
 古書のコレクターの皆さんが、自分の持っている面白い本を紹介する企画。何語で書いてあるか分からない本が実はイスラエルの本だったとか、税金を提案するジャングルのターザンを描いた国税局の作った本とか、韓国語で反日小説を書く方法を書いた本とか、変わった物ばかり。
 中でも傑作なのが、日下さんの紹介する泡坂妻夫さんのミステリー本。中が袋とじになっているので、ページをペーパーナイフで切り開かないとオチが読めない。ミステリーには確かに有効な手法。しかし古書を愛する者にとって買った本にナイフを入れるなどもってのほか。せっかく古本屋でナイフの入っていない本を見つけたのに。しかしもう一冊同じ物を手に入れればそれにナイフを入れられるだろうか。
 入れられるはずがない
 従って全く同じ本で、かつ誰かが既にナイフを入れた物を探し出すしかない、というわけ。
 それにしてもこの泡坂さんの本、ナイフを入れなければ短編として読める、ナイフを入れれば長編となって、前の短編は消えてしまうという凝った仕掛け。そのためにわざわざ文庫の字組をそっくり再現した特製の原稿用紙が作成されたとか。
「でもそれなら、もとの短編のページに印を付けておけば良いのじゃない?」
「本に書き込みをするなんて人間としてやってはいけない行為でしょう!」
 さてこのコーナーで、何と「異形アンソロジー」にも書いてらっしゃる作家の北原尚彦さんが持ってきていたのが「宙航レース1999」という本。
「これが変わってて……東京大学の先生が書いていて、それに学生たちが絵を入れているという本で……」
 一通り紹介が終わった後で、私はおずおずと手を挙げたのでした。
「……その表紙、描いたのボクです」
 思わず目立ってしまった。そうなのだった。「宙航レース1999」は航空学科の加藤教授が書いたフィクション本。当時学生だった私も中のイラスト作成で協力していたのでした。思わず北原さんにサインを求められてしまった私。最後の最後に意外な展開が待っていようとは、我ながらびっくりの企画でした。



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