【映画】クリストファー・ノーラン「ダークナイト」

 バットマンに挑むジョーカーと言えば、ティム・バートンによる89年の映画版でのジャック・ニコルソンの名演が思い出されます。映画自体は米国での大ヒットに比べ日本ではあまり評判にならなかったように記憶していますが、それでもジャック・ニコルソンのジョーカーのインパクトは強烈でした。単なる怪演とは片付けられない存在感があるのは、やはり「カッコーの巣の上で」「シャイニング」等の、他の者達の枠組みを踏み越えてしまう狂的な人物を演じてきたキャリアの積み重ねによるところが大きいわけで、そんじょそこらのポッと出の俳優とはスケールが違うのであります。ジョーカーは化学工場の廃液に落とされる前まで「ジャック・ネピア」という名の裏組織の人間だったわけで、物語前半では本名と同じく「ジャック」と呼ばれているあたりにも、ある種の仕掛けが感じられますし、美術館の絵画作品を破壊しながら、気に入ったグロテスクな絵画だけは傷つけずに残し、ヴィッキー・ヴェイルの写 真集の中から戦争の廃墟の写真だけをほめるあたりは、狂気の中にきちんと自分なりのポリシーを持っています。そもそもジョーカーとバットマンの対決にしても、お互い手持ちの武器でいくらでも相手にとどめをさせた筈なのにそうしていないところなんかは、戦っているというよりどこかじゃれ合っているような雰囲気もあるわけで……。ティム・バートン作品自体、続編の「リターンズ」も含めて、善と悪の対立というよりは、異端者対常識人達の対立を描いているように思われるのです。
 いずれにしても、ジャック・ニコルソンの当たり役の一つであるジョーカーをその後に演じるとなると、俳優としてはやりにくいことこの上ないわけで、特にこの顔面 を白く塗りたくったアクの強いキャラクターは、下手すると非常に安っぽいチンピラになりかねないし、一方で常に軽薄な笑い声を絶やさないどこか道化的な性格である以上、究極の悪の化身といった演技よりも若干ブラックユーモアの要素が要求されるとなると、これはもう正直かなりのプレッシャーだったと思うわけです。
 実際、「バットマン・ビギンズ」の続編としてジョーカーが登場することを劇場予告編で知った時も、ピエロというよりは浮浪者みたいな格好のジョーカーで果 たして画面が持つのかしらと感じたくらいで、気にはなっていたものの作品の仕上がりには不安がありました。「ビギンズ」では、遺産を相続したものの今ひとつ自分の方向性を決めかねている主人公ブルース・ウェインも、スケアクロウにしても渡辺謙にしても、キャラクターの立ち位 置が不安定で、正義を追求して結果悪をやっています的なスタイルでいるものだからどこか存在感が希薄だったことは否めなかったのでした。
 さて、実際映画「ダークナイト」が始まってみると……ピエロの仮面をかぶってぞろぞろと銀行に集まる男達。彼らは銀行強盗を始めながら次々と仲間を殺していく。そして最後に残った男がピエロの仮面 を脱ぐとそこには白塗りのピエロの顔が…まさにトランプのババ抜きのように最後に笑うジョーカー。彼は序盤から存在感を主張し、以後終盤まで立ち位 置がゆらぐことがありません。ティム・バートン版のジョーカーは元々裏組織のナンバー2の地位 にいたジャック・ネピアでしたが、クリストファー・ノーラン版のジョーカーは単なる身元不明の小人物に過ぎません。しかしそれ故にこそ、この傍若無人なキャラクターは一人の味方もいない状態で、悪の組織も警察組織も全て敵に回して暴れ回るのです。
 陽気にダンスを踊るジャック・ニコルソンのジョーカーに比べると、ヒース・レジャースのジョーカーは、本人が撮影後急死したことも相まって、どこか陰湿で重苦しい雰囲気があるのですが、これはある意味今回の新シリーズ通 して言えることで、クリストファー・ノーラン版で描かれるゴッサム・シティはティム・バートンの描いたファンタスティックな非在の都市ではなく、ニューヨークやシカゴといったアメリカ実在の都市そのもので、今作ではむしろビルへ直結するモノレールの登場した前作以上にリアルな街となっています。
 正義を求める余り破壊工作を行う「ビギンズ」のどこか曖昧な組織に替わって、「ダークナイト」では、曖昧さを嫌う一人の個人が、物語の舞台の中心にしっかりと地面 を踏みしめて立っています。殺人を忌避する倫理観に縛られるブルース・ウェインは、道路の中央に立ち尽くすジョーカーを轢き殺すことができずに自ら転倒してしまいます。殺すことのできないバットマンは、死すらも恐れていないジョーカーを、結局倒すことができない…そもそもバットマンの物語の構図は最初からそうなっているわけで、オリジナルコミックでもジョーカー達悪役は刑務所で処刑されることはなく、常に精神病院に収容されてはそこを脱走することを繰り返しています。映画でも「お前は病院行きだ!」というセリフがでてきますが、常に用意周到に伏線を張って犯罪を展開しているジョーカーが狂っている筈もなく、殺されない限り殺し笑い続けるこの男を相手に、バットマンことブルース・ウェインの正義と倫理は空回りするしかないのです。
 二者択一にうろたえとまどう凡人達を尻目に、自らの生死をも笑い飛ばすジョーカーと、「暗黒の騎士」として、いわれなき罪を背負って暗闇へと消えていくバットマン。主人公の行動がさらなる悪役を誕生させていくという構造は、バートン版でもノーラン版でも共通 しています。「スター・ウォーズ」の世界では、ダーク・サイドは常に敵の側にありましたが、「バットマン」の世界では黒ずくめの主人公の側にもあるように思われ、まさにそれこそが、この物語の人気の秘密なのだと言えるのです。


【コミック】遠藤浩輝「EDEN」全18巻

 エイズ・ウィルスとは全く逆に、免疫系を強化させてしまうことによって宿主の外皮を硬質化させ死に至らしめるクロージャー・ウィルス。銃と麻薬にナノマシンや義体が絡み、罪なき血が流される民族紛争の続く未来の悲惨な物語と平行して、ウィルスは変貌を遂げ、理不尽な死を突きつけられる世界と、死と生の境界線の曖昧な世界が共存を始める……。
 諸星大二郎「生物都市」、士郎正宗「甲殻機動隊」、大友克洋「アキラ」あたりの傑作群の舞台が一つに重なったような物語の連載は11年続き、当初夢中になって読んでいたものの途中でついていけなくなり、最終巻が発売されてそういえば果 たしてどうなったかしらと後半6巻をまとめ買いしてみたら、しっかりと決着がついていてある意味納得したのでした。作者によると、途中やや迷走していた時期もあったらしく、その意味では当初かなり細かかった絵も中盤以降は描線がかなりあっさりしてきた印象があります。
 主人公のエリアは後半フェイドアウトしていて、ウィルスの変貌と結晶世界の物語に自ら飛び込むのはむしろ後半再登場する父親のエノアの方であり、仲間や肉親の死という経験が最終的にエリアの内面 世界や行動規範にどう絡んでいくかは結論が見えないまま……。主人公の苦悩と成長といった、ある意味お決まりの物語展開と、世界の変容という大きなテーマが今ひとつうまくシンクロしていなかったような…。これではエリア君は、色々あったけどパートナーが替わって今はそれなりにうまくやってます的なオチに見えてしまうなあ。
 ただ生物と無機物の融合、そしてそれによる生と死の連鎖からの離脱という大きな物語の流れが、安易な破滅やハッピーエンドに終わらずにしっかりと終幕を迎えたことに対しては、感慨深いものがあるし、やはり賞賛に値すると思うのでした。終盤に向けてのストーリーは緊張感に溢れていて、筆者の底力が感じられます。中間部は迷走というよりむしろ別 なトーンの物語のようにも思われたので、そこだけ取り出してつなげた方がむしろまとまりが良いような気もしますが、これはある意味10年以上の長期連載では無理もないというか、振り返ってみると凡百の長編よりよほど骨太の筋が通 っています。
 無数の命が食い殺され、あるいは無駄な死を迎える、その無限に続く繰り返しの中に、数え切れない涙と苦痛の渦の中に、一体何を見いだすのか…生きるために他の生き物を殺して食べなければならない、その不条理に仕方ないと思いつつやりきれなさを感じる登場人物達……彼らを描く作者の眼差しには、それでもどこか繊細な優しさが感じられます。登場人物達の死は、残酷なほどゆるやかなストップモーションで描かれていて、読者はその苦さをじっと噛みしめるかのように味わうことを要求されるのです。命の重みを絵で表現することは簡単ではないのですが、良質な漫画作品は、コマ割と構図、そしてテンポによって、視覚イメージに奥行きを与えることに成功しているように思われます。


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