12月


【映画】庵野秀明「エヴァンゲリヲン劇場版・Q」
 
2007年「序」、2009年「破」に続く第三部。前2作がまがりなりにも17年前の(もうそんなになるのか)TVシリーズのリメイク的な作品だったのに対し、この第三部は前作から14年後の世界を描いていて、物語は大きく変更を加えられている。既に「サードインパクト」は引き起こされてしまい、主人公シンジの前には、荒廃しほとんど全てが失われた世界が広がり、彼は周囲の人間達の敵意に満ちた視線にさらされる。惨事の引き金を引いてしまったのは彼自身なのか、答えも得られないまま、ネルフとヴィレに対立した陣営の両方を行き来することになる。ミサトやリツコは、自らの組織の使命はネルフを阻止することだと言い、レイに連れ去られた先で出会ったカヲルは、地下のリリスに刺さる二本の槍を抜けば世界が元通りに復活すると告げる。
 8号機β、マーク09、第十三号機…なんか色々とエヴァにも眷属が増えていて、なんだか良く分からない。エヴァVS使徒の構図は今考えると非常に分かりやすかった。まあガンダムシリーズがやたらキャラクターもモビルスーツも増えすぎて収拾がつかなくなっているのに比べると、同じキャラクターが配置される中でパラレルワールドを紡いでいるエヴァンゲリオンシリーズの方がまだましという気もするが…。
 そしてシンジはほとんど状況が理解できないまま、再び戦闘に身を投じる。ひとことで言うと、あまりに説明されていない。だからこそ主人公は迷い、暴走する。
 結果として、彼はまたしくじり、苦悩し、打ちのめされる。しかし、現実社会では説明されないことはむしろ当たり前のことなのだ。 説明責任? この、14年間を一言で説明せよと? 誰がどの立場で? 
 様々な状況と感情の変化が多くの人間の脳裏を横切る。簡単に説明できるはずもない。それを踏まえても、おそらくは説明はなされるべきだった。だが現実社会を振り返れば、我々は充分な説明もなされないまま、それでもとめどもない情報の五月雨式のシャワーを浴びて、常に選択を迫られているのだ。就活と言えば聞こえはいいが、恐らくは何の説明もないまま落とされる。原発の後始末の目処もないまま、エネルギー問題をどうするのかと迫られる。地図で見てもあまりに遠い実感の湧かない領土問題について考えろと詰問される…。 現実社会において、選択を迫られ、かつそれについて悩み苦しめられたことのない者には、この作品に共感することは難しいかも知れない。


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