8月


【映画】「ホドロフスキーのDUNE」(監督:フランク・パヴィッチ)
 
ホドロフスキーといえば、私にとっては大学時代に出会った映画作品「エル・トポ」「ホーリー・マウンテン」の監督として非常にインパクトの強い映像作家ですが、今回、企画倒れとなった幻の作品「DUNE」を取り上げた、ドキュメンタリータッチの映画が上映されていることを知って観に行きました。以前ならもう少し前から気づいてマークしていても良いはずなのですが、今回はかなり出遅れた感が…。
 実はDUNEという映画の企画が立ち上がって、それが完成には至らなかったということは、1980年代に話題になっていたH.R.ギーガーの画集「ネクロノミコン」にそのスケッチがあるので知っていましたが、そこに載っているのは原作では殆ど描写されていない異様な人間の形をしたハルコンネン城のデザインのみで、「エイリアン」以前にそのような企画がよくも準備されたものだと気になっていたのでした。
 一方でデビッド・リンチ「DUNE・砂の惑星」が公開されたのが確か1984年、当時大学の映画研究会に入っていたのですが、メンバーの評価は実は意外に高かったように記憶しています。重苦しいオープニング・タイトルも、冒頭に登場する奇形化し巨大化した胎児のような不健康な姿の「ナビゲーター」も、これまた不格好に膨れ上がったハルコンネン男爵に黒ずくめの少女が対峙する終盤近くのシーンも、実は印象的で気に入っているのですが、一方でリンチ作品としては不自然にナレーションが多く、無理して娯楽作品に見せようとしているところが逆に勿体なくもあり。原作も一応読んだのですが、石森章太郎のイラストがこの作品に対してはやや違和感があったようななかったような…。
 作品として仕上がったリンチ版に対し、まさに幻となってしまったホドロフスキー版は、ギーガーの画集以外に手掛かりもなく、その全容を知る機会もあるまいと思っていたところ、今回フランク・パヴィッチ監督作品で、その裏話をしっかり知ることができた訳ですが、これがなかなか面白いのです。ホドロフスキーが紆余曲折を経て世に出した「エル・トポ」「ホーリー・マウンテン」の2作が意外に好評だったので、さらに次の作品に取りかかろうとしたとき、候補作としてあがったのがフランク・ハーバート作のSF大作「DUNE」でした。まだ「スター・ウォーズ」が大ヒットする前の1975年の頃の話なので、とにかく「観た者の意識ががらりと変わってしまうような作品を創る。創る者は志を同じくする才能ある戦士でならねばならない」と、ホドロフスキーは前作まで自ら主演しほとんど無名の俳優しか使っていなかったにも関わらず、アメリカやヨーロッパで活躍するアーティスト達に自ら交渉を仕掛けていきます。まず最初に絵コンテとキャラクターデザインを任されたのがフランスのバンド・デジネの作家メビウス、宇宙船のデザインを任されたのがイギリスの画家クリス・フォス、特撮は最初キュープリック「2001年宇宙の旅」で注目を浴びたダグラス・トランプルに声をかけるも相手の横柄さに腹を立てて引き返し、たまたま観た映画「ダーク・スター」の特殊効果を担当したダン・オバノンに任せることに。音楽はピンク・フロイドを指名、ここでもピンク・フロイドのメンバー達がいい加減にしか受け答えしなかったのに腹を立てて「人が最高の映画の音楽を任せようと言っているのにビック・マックなんか食うな!」と一喝したとか。銀河皇帝には存在感抜群の異形の芸術家であるスペインのサルバドール・ダリにと、本人に直接会い、自分は世界で一番ギャラの高い俳優になりたいと言うダリに、出演時間1分10万ドルで交渉。肥満体のハルコンネン男爵には、これまた美食ででっぷりと太ってしまった名優オーソン・ウェルズに依頼をし、出演料に加えて、気に入ったお店のシェフの料理がいつでも食べられるようにしようという条件でOKをもらったり…。ダリのところにあった画集から、スイスのアーティストであるH.R.ギーガーの存在を知り、これまた直接会って大判のスケッチならぬ作品を描かせてしまう…。結果として、さまざまなカラースケッチをちりばめた、分厚いコンテ集ができあがるのです。
 正直なところ、よくぞここまで世界中の注目株のアーティストと直談判できたものだと関心するのですが、当然ながらいざ配給先をというところで交渉は難航します。とてもそんな高い制作費は出せない、コンテはすばらしいがこの監督には任せられない、等々…映画会社側がせいぜい90分の長さに、と諭すと、ホドロフスキーはとんでもない、12時間、いや20時間だと突っぱねる有様なので、これではさすがにまとまるものもまとまらない…しかも提示されたビジョンは、スター・ウォーズやブレード・ランナーやマトリクスを上回るような壮大な物で、それらの作品を観た後ならいざ知らず、SF映画といえば「2001年」とその他のB級しかなかった時代では、この企画を実現するのは確かに無理だったようです。結果として、ダン・オバノンギーガー「エイリアン」を作り、ホドロフスキーメビウスと組んで「ランカル」その他のコミック作品を世に出すことになります。
 コンテに残されたそのビジョンは確かにすばらしく、今回の映画ではそのスケッチやカラーイラストを動かしてくれているので、もし映画として完成したら間違いなく時代を先取りした傑作となったろうと思わせます。この企画を立ち上げるために労した努力は並大抵の物ではなかったわけですが、企画失敗の話にも関わらず、観た後なんだが元気が出るような、そんな印象を受けるのは、やはり監督自身のバイタリティと、彼に話を持ちかけられたアーティスト達が感化されて残したビジュアルの中に、ビッグバンで無から有が突然生じ、そこからエネルギーが伝播し拡散していくような、創作力の持つ素晴らしさを体感させてくれるからかも知れません。


【映画】「リアリティのダンス」(監督:アレハンドロ・ホドロフスキー)
 
御年85才のホドロフスキーの新作です。今回の作品はパーソナルな癒しの物語、とパンフにあるので、「ホーリー・マウンテン」のようなめくるめく幻想的な映像は期待できないのかなと思いきや、しょっぱなから奇形や障害者が登場し、子供を血が出るまで殴打し、放尿はあるは性器丸出しの拷問はあるはで、充分に過激です。自伝的といっても父親が独裁者を暗殺しに行ってナチスに(チリで?)拷問されるという展開はどう見ても事実は違うし…。
 原作となった自伝「リアリティのダンス」の冒頭を読んだ限りでは、実際に父親から受けた暴行のくだりは実体験のようですが、その後の展開はなぜか自らの経験を離れ、幻想とも願望とも隠喩とも言えない奇妙なもの。映画の中で、父親は暗殺に失敗し家族の元へ帰り、母親はそれを受け入れると共に父親が崇拝していたスターリンの肖像画を撃たせ、家族は一つになる…実際には、父親はあくまで独善的、暴力的で、母親はそれに盲目的に従い、映画では全く登場しない姉と違って両親に全く相手にされない子供時代を送ったらしい。10才で家族から離れなければ身の破滅だと悟ったと語る本の中に挿入された写真には、いたって普通な雰囲気の父親と長身で美人の母親、女優のような姉が写っていて、互いに憎しみ合っていたという雰囲気は正直感じられないのが逆に印象的です。
 そもそも自伝といっても、原作の中に出て来るエピソードはサイコマジックやサイコシャーマニズム、サイコテラピーといった類の話が殆どで、監督した映画の話にはそもそもそれほど触れられていないところが既に驚かされますが、夢の中で両親を許し、合ったこともない祖父母と話をするくだりは、夢を追うというより、あえて意識的に非現実の夢を見ることで別の現実を自分の中に造りだし、しかもそれには必ずしも囚われず、現実と非現実を取り違えたり、非現実の中に逃避したりはしないあたりが、ホドロフスキーの創作スタイルとしっかり重なるように思われます。
 それにしても、20代で祖国を離れてから今回の映画の撮影まで一度も故郷には帰らず、両親や姉とも会わなかったそうで、それだけ家族というものに思い入れの無かったホドロフスキーが、自分の映画では処女作「ファンドとリズ」以外は自分と自分の息子達しか主演に起用していないというのも、皮肉と言うべきか逆説的と言うべきか…。あれだけ世界を駆け巡り、様々な分野で才能ある人間達とコネクションを持ち、演劇に漫画にと活動の場を拡げている人間が、一方で「家族」という軛に囚われているように思われるのは不思議な気もするのですが、その意味ではホドロフスキー自身、はたから見ると「かなり厄介な子供」だったのかも知れません。


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