1月


【映画】「この世界の片隅で」(監督:片淵須直)
 
2016年後半でじわじわと話題に上っていた映画が「この世界の片隅で」。原作はこうの史代のコミック作品全三巻。  
 こうの史代作品となると、やはり短編「夕凪の街」の印象が強烈でした。こちらも実写で映画化されていますが、続編「桜の国」をベースにしていたためやはりインパクトが弱かったし、何よりあの物語があの絵柄を必要としていたという点で、今回のアニメーション映画ほどの仕上がりには至っていませんでした。  
「夕凪の街」は、原爆投下十年後の広島。主人公は、まだ生き残ったことを実感できず、日常生活に違和感を覚えながらも、何とか生きる理由を見つけようとしている。  

 わかっているのは「死ねばいい」と誰かに思われたということ。思われたのに生き延びているこということ。  

 そして生きていてくれて良かった、という言葉をかけられた主人公の身を容赦なく原爆症が襲う。主人公は次の日から寝たきりになり、血を吐きながら絶命する。  

 嬉しい? 十年経ったけど、原爆を落とした人はわたしを見て「やった! またひとり殺せた」とちゃんと思うてくれとる?  

 戦争は災害ではない。殺人である。このメッセージは「夕凪の街」にも「この世界の片隅で」にも明確に込められていて、こうの史代作品の、一見してお涙頂戴物と思われがちでありながら、凡百の反戦物語とはどこか異なる味わいの骨組みとなっているように思うのです。
 
 シンプルな一人称の語り口である「夕凪の街」に対して、長編「この世界の片隅で」は、必ずしも分かりやすいコミックではありませんでした。主人公の一人称であることに変わりはないのですが、群像劇のスタイルを取っていて、なおかつ物語の殆どは終戦より前の時代設定のため、前半では何か激しいドラマが展開される訳でもないので、その意味では当初の印象は薄かったのですが、三巻に入り不発弾や原爆投下の話まで来ると俄然話は急展開となり、読者はここに来て激しい揺さぶりを体験することになります。2006年から連載が開始され、2008年頃にこの急展開を持ってくるので、長期連載では序盤で盛り上がりを持ってこなくては後まで連載を続けられないことも多いだろうに、よくここまで計画的に執筆できたものだと妙なところで感心した覚えがあります。  

 いずれにしても、「この世界の片隅で」のアニメーション映画は、原作のどこか素朴な、水彩画のような世界をうまく動画に仕上げていて、非常に好感が持てると同時に、原作の複雑さが緩和されてとても分かりやすく、メッセージも伝わりやすくなっているという印象を受けました。実際、パンフレットで原作者が指摘しているように、「わりと大人の女性として描いていたが、少女と大人の境目が強いキャラクターになったのは、映画ならではの特徴」であり、その分嫉妬や情念の要素はうまく削り落とされていることは否めないのですが…。一方で料理をするシーンで、すり鉢を抱え込み、まな板をバイオリンのように扱う主人公の姿は、まさに原作者の絵がそのまま自然に動き、命を持ったかのようで、観るものをやさしい気持ちに誘ってくれます。    

 原爆症の恐ろしさを描いた作品として、印象に残っているのは、手塚治虫の「ザ・クレーター」の一編、「オクチンの奇怪な体験」です。腕白系のオクチンは、30万円貯めるために何でも屋を自称するが、そのためにある日女の子の魂を預かることになってしまう。そして「君の名は」よろしく男の子の身体に女の子の心が宿ってしまうコメディ的な展開になるのですが、その女の子は原爆症で突然死んだために天国で受け入れ準備が出来ておらず、オクチンの身体を借りることになった事が分かり、そしてオクチン自身は原爆症で苦しむその少女の記事を読んでお金を貯めようとしたことが最後に判明するのです。原爆症による突然死は天国の神ですら予想がつかなかった、という話を、コミカルでありながら哀愁を帯びた幕切れで描いているこの作品は、手塚作品の傑作短編の一つでありながら、「君の名は」「この世界の片隅で」が描こうとした、日常に潜む悲劇を描こうとする、現代の作家にも通じる強いメッセージ性を持った作品だと思われるのです。 


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