【展覧会】上野の森美術館「フェルメール展」
ダリの著作「私の50の秘密」(マール社)の最初の章には、「画家を志す者のための十の掟」が記されており、その中の第五条には「君が、現代アートはフェルメールやラファエロを超えたと考える輩なら、本書を読むことはない。そのおめでたい愚かさに安住し続けるがいい。」とあり、イーゼルに向かって座り絵を描くフェルメールを、十分間そばで観察させてもらえるなら、左腕を切り落としてもいいとまで言い切っています。同じ章の終わりには、古今東西の画家の「価値評価」なるものが各項目毎に20点満点で記載されていて、フェルメールとラファエロは殆ど全ての項目にわたって20点満点、ダ・ヴィンチとヴェラスケスがこれに続き、ダリ本人とピカソはその次に(といってもピカソの方が多くの項目で下)、一方でマネなどにはほんの僅かな点数しか与えておらず、モンドリアンに至っては殆ど0点という、かなり極端な得点表となっているのです。あの独特の世界観を持ったダリがここまで賞賛するフェルメールとは一帯どんな絵を描くのか…当時まだ中学生か高校生くらいだった私は、その後にフェルメールの作品が殆ど室内にいる普通の人物を普通に写実的に描いた物だと知って、正直あまり納得がいかず逆に不思議に思ったことを覚えています。ダリのまさに自由奔放な、得たいの知れない生き物たちがところ構わずうごめいているような斬新な絵画に比べて、実際のところ普通の人々を普通に描いたフェルメールの絵画は、文字通り普通に感じられたのでした。
ただ実際にダリの絵を真似して描こうとすると、なめらかな質感と鮮やかな色彩、細やかな描写といったテクニックが要求されるのも事実で、フェルメールのあの独特の色合いやなめらかなタッチは、なるほどダリが賞賛を惜しまないのも納得なのです。実際フェルメールの頃は画家自ら絵の具を調合していたわけで、ダリが大きくこだわっているのもその色の造り方でした。ダリ自身、「1948年現在、原子爆弾の造り方を知る人間はこの世に数人いるけれど、ファン・アイク兄弟やフェルメールが筆を浸していた『神秘の果汁』の配合を知る者は、今日この地球上に誰一人いない…この私でさえ知らないのだ!」と嘆いています。ダリに言わせれば、フェルメールの絵の具一滴に対して、セザンヌの両腕さえ釣り合わないということになります。
かの名作「真珠の耳飾りの少女」の鮮やかな青いターバンは、宝石にも等しいラピスラズリを粉末にして油で溶いた絵の具が使われているとか。しかし、おそらく今日フェルメールの作品を賞賛する人は、単に絵の具の色だけを賛美するわけでもないでしょう。室内にガラス窓を通してもたらされる光の加減によって、直射日光や室内光とは異なるやわらかな明暗が人物や家具にもたらされ、わずかな光の反射が瞳や宝石を輝かせる……こちらを振り向いた人物のどこか優しげで曖昧な表情が、見る側に独特の感情を引き起こす……フェルメールが死後忘れられ、19世紀後半になって再評価されたのも、おそらくそんなところにあるように思われます。
そんなわけで、開館直前に向かった「フェルメール展」ですが、早目に行ったのが幸いし、さほど並ばずに入れました。各国に散らばるフェルメールの9作品が一堂に会する(実際には一部展示期間が異なる作品があるため7作品)という画期的な展覧会で、同時代のオランダ絵画も合わせて鑑賞できるというのがポイントです。
「マルタとマリアの家のキリスト」「牛乳を注ぐ女」「ワイングラス」「リュートを調弦する女」「真珠の首飾りの女」「手紙を書く女」「手紙を書く婦人と召使い」と一通り鑑賞した後(実際のところ、絵は小さいし混んでいるので、優雅に鑑賞というより、ひたすら人をかき分け絵の前に近付いて食い入るように見つめる、という疲れる作業にならざるを得ませんが)、同時代のフランス・ハルスやヤン・デ・ブライ、ヤン・ステーンといった画家の作品と比較してみて、果たしてその本質的な違いはと考えてみたところ、フェルメールの作品はそのものずばり、写真撮影のように室内の一瞬の光景を写し取ったように見えることではないかと思うようになりました。同時代の作品には、フェルメール以上に細かい描写をしているものも、光と影のコントラストをはっきりとさせているものもあるのですが、一枚の絵として人物や事物が配置され描き込まれているのに対し、フェルメール作品は本当にその場の一瞬を切り出したような印象を与えるのです。逆に言えば、同時代の作品は写真で撮影したようには見えないということです。
フェルメールがカメラ・オブスクーラを使ったとか使わないとか言われる所以もそこにあると思われます。これについては様々な議論が未だになされているようですが、実際のところフェルメールはカメラ・オブスクーラを知っていたがそれだけで描いていた訳ではない、ということになっているようです。フェルメールの作品を赤外反射画像などで分析すると、明らかに試行錯誤の末描き直しを重ねていることが分かっており、当時の他の画家と同じように、オブジェを描き直しながら配置して作品を作り上げていったと思われます。
フェルメール作品の持つ独特の静寂さ、どこか寂しげで柔らかな印象が果たしてどこから来るのか、いまだうまく説明できないのですが、優れた写真作品が合わせ持つ現実感と非現実感が、おそらくフェルメールの作品にはあって、それ以前の絵画にはなかったのかも知れない……そう感じた展覧会でした。
【展覧会】東京都美術館「ムンク展」
「読書をする人や編み物をする女のいる室内画を、もう描いてはならない。呼吸し、感じ、苦悩し、愛する、活き活きとした人間を描くのだ」
まるで同時期に同じ上野にある美術館で展示されているフェルメールに喧嘩を売っているかのようなムンク自身のこの言葉は、展覧会の会場でもしっかりと紹介されていて、同じ日にフェルメール展とムンク展をはしごした私は、非常に面白いなあと思ったわけです。16世紀のラファエロの「小椅子の聖母」や、17世紀のフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」といった、女性を描いた記念碑的な作品の系譜は、ムンクの「マドンナ」へと変貌し、眺めて何となく心地良いものから、見る者を不安にさせ感情をざわつかせるものへと変わってきたように思われます。
ムンクとの出会いは、おそらく小学生の頃に見たTV番組で、おそらくNHK教育の日曜美術館だったと思うのですが、「叫び」や「不安」、「マドンナ」や「吸血鬼」などの代表作を、オカルト映画に使うようなBGMに合わせて紹介するという内容で、非常に強く印象に残ったのでした。それまでも絵は何となく好きではあったのですが、この時初めて子供心に、抽象的な色と描線が強いインパクトを生み出すということを体感したわけです。ムンクの絵は、代表作の「叫び」に限らず、対象をリアルに描写するのではなく、シンプルな描線と色彩で、とにかく「物凄い」モノを描き出しています。「絵画」という物が、単に何かを「描いている」というだけではなく、観る者の感情をざわめかせ、突き動かす……そしてそれは音楽でも文章でも表現できないもので、絵画だけが表現できるものが確かにあるんだ、と思わせてくれるものでした。「絵画」に「絵画だけが持っている力」がある、と最初に思わせてくれたのがムンク作品だったと思います。
その後ダリやピカソ、ルドンやボッスの作品に触れるようになって、あらためてこれらの作品に登場する異形の者達、これらの作品が表現する「絵画でしか表現できない感情」にのめり込むようになりました。ダリの「記憶の固執」や、ピカソの「ゲルニカ」は、実際にあるものを単に写実的に描いた絵にはない、何か曰く言い難い感情を観る者に引き起こすし、ルドンやボッスの描く得体の知れない者達は、単に想像力をかき立てるだけではなく、言葉では表現できない一種の痛みを観る者に感じさせるのです。これらの絵画作品の複製を展覧会に行くたびに買い求めては、部屋の壁や天井に貼りまくりました。ベッドに横になりながらもムンクの「不安」やダリの「柘榴の周りの蜜蜂の飛翔により引き起こされた夢から目覚める瞬間」をいつでも眺めることができるというわけです。
中学、高校と、写実的な絵画作品にはあまり興味がなく、ムンクやダリの非現実を描いた作品に惹かれていた私ですが、思えば同じ頃読んでいた本も、写実的に人間群像を淡々と描くトルストイには殆ど関心が持てず、人間の感情と思索がそのままぶつかり合うドストエフスキーばかり読んでいました。今回購入したムンク展の公式図録で、ムンクとドストエフスキーの類似点について触れられていたのを読んで、まさに我が意を得たりと感じた次第です。
「<叫び>のようなモティーフは、たとえばフョードル・ドストエフスキーの小説『罪と罰』(1866年)における場面との類似点を見いだすことができるだろう。ドストエフスキーが扱う主題の特徴は、構図の最前景に人物達を押しやるムンクの手法に重なる。青白く、グロテスクな顔を観る者に突きつける人物達は、個々の存在でありながら、<叫び>においてそうであるように、匿名の集団の一員なのだ」
「叫び」の中で耳を押さえて苦悶の表情を浮かべる人物は、目も鼻も口もほぼ丸で描かれている。「接吻」や「吸血鬼」に描かれる人物は顔に表情がなく二つの顔が溶け合ってしまっている。「マドンナ」で描かれる女性の顔は、眼を閉じているようにも見開いているようにも見え、その容貌は整っているにも関わらず髑髏のような印象を与える。単純化され抽象化され、その結果としてそこに込められた不安や絶望の感情だけが純化され、ひたすらこちらへ訴えかけてくる……まさに絵画にしかできない表現方法であり、そこにある人間の激しい感情が、ありのままの姿形を丁寧になぞるという作業を拒絶しているのです。
19世紀の写真そのものの発明により、あるがままを描く写実の絵画は軌道修正を強いられ、それに伴い登場してきたのが、ムンクのような人間の感情をそのまま形にしたような絵画だったとも言えます。一方でフェルメール作品の再評価が始まったのも19世紀、静謐な写真のような表現は、写真が身近になったからこそより魅力を発揮するようになったのではないでしょうか。その意味では、この二つの異なるテーマの展覧会も、どこかでしっかり繋がりがあるように感じられました。
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