10月


【映画】ヴァルディマル・ヨハンソン「LAMB」

 羊は人類にとって最も付き合いの古い家畜で、豚や牛を禁じる宗教はあっても、羊を禁じる宗教はないし、まさに「神の子羊」という言葉が示す通り、ユダヤ教やキリスト教、イスラム教と深く結びついた存在となっています。東洋においても、漢字において「羊」という字が、「善」「美」「義」といった良い意味の言葉に使われていることからも分かるように、肉と乳、毛皮を提供してくれる重要な家畜であったことは間違いないわけで、その意味では、羊にあまりなじみがないのは日本人くらいかも知れません。私などはラム肉大好物なのですが、周囲のワイン好きの人間ですら羊肉や羊乳チーズが苦手という人は意外に多かったりします。まあそんな訳で、「LAMB」という、そのまま文字通り『子羊』というタイトルの映画が上映されると聞いて、さっそく観に行ってしまった次第なのでありました。

 アイスランド、スウェーデン、ポーランドの合作となる、北欧の人里離れた土地に住む羊飼いの夫婦の物語。飼っていた雌羊が出産した子供は、頭と右腕が羊、左腕と胴体が人間の身体を持っていた。夫婦は亡くした娘と同じく「アダ」と名付け、我が子のように育てていく。しかし子供を奪われた雌羊は、昼夜問わず館の前で恨めしげな泣き声を上げる。たまりかねた妻は、雌羊を撃ち殺して土に埋めてしまうが、それを目撃したのは、たまたま訪ねてきた夫の弟だった。弟は夫妻に紹介された「アダ」が半人半獣であることに驚愕し、連れ出して射殺しようとするが……。

 北欧の過酷な大自然、そして羊飼いの夫婦とその弟以外に殆ど人間は登場せず、一匹の猫と一匹の犬、そして無数の羊達だけで画面は構成されます。人と羊のハイブリッドの存在は、下手をすると被り物のキワモノになりかねないのですが、少ない会話と重厚な音楽によって、非常に緊迫感のあるドラマに仕上がっているのです。

 人間と動物の関係を描くとなると、どこか予定調和的なムードになりがちなのですが、この映画では、羊達に干し草や飲み水を与える有様を丁寧に描く一方で、さりげなく羊肉を料理しているシーンなどを挿入することで、動物と暮らす人間の生活に忍び寄る緊張感をうまく表していると思います。

 主人公の妻の名が「マリア」となっていることもあり、どうしても宗教的な隠喩を感じてしまうのは否めないのですが、そうでなくても、意外でもありそれでいて非常に納得のいくラストの展開は、決して後味の良いものではなくとも、とても強く印象に残るものでした。ううむ、そう来たか……と思わずうなったりして。

 ちなみに、「羊飼いの夫婦が半分人間・半分羊の子供を育てることになる……」というくだりのみ予告編で知っていた私が予測した物語の顛末はというと……まず、雌羊が人と羊のハイブリットを産んだのなら、その父親がいたはず。その父親は羊でない可能性が多いとなると、当然人間だろう。そうなると、父親はやはり羊飼いの夫ではないのか? 父親は結局雌羊を選び、自分の妻を裏切るのでは……? 予想は見事に外れましたが、いやいや当たらずとも遠からず。色々深読みできる作品なのでした。


【アニメ】足立慎吾「リコリス・リコイル」

 「リコリス」と呼ばれる、女子高生の姿で日常に紛れ込んだ暗殺者集団が、治安維持のため犯罪者を秘密裏に暗殺する近未来の日本。リコリスの一員、井ノ上たきなは、仲間を守るために命令を無視して銃器密売人を射殺し、「喫茶リコリコ」へと左遷される。そこには最強のリコリスとうたわれた錦木千束が、明るい看板娘として働いていた。

 少女の暗殺団、暗躍するハッカー、犯罪を扇動する才能支援団体といったダークな世界と、喫茶店の運営に四苦八苦する主人公達の明るい日常という、本来交わるはずのない世界が互いに関連し合って、登場人物達のそれぞれの思惑を飲み込みながらクライマックスへと物語は突き進み、全13話を通じて見事に伏線が回収されます。命令を無視して犯罪者を射殺したが故に組織を追われ、あくまで復帰をのぞむ少女と、暗殺者として最高の能力を有しながら、自分の命が救われたが故に不殺の誓いを立てて自ら組織から距離を置くもう一人の少女、この正反対の性格を持つ二人が、徐々に距離を縮め最高の相棒となっていく様は、まさにドラマ「相棒」の、左遷されてきた亀山君と有能であるが故につまはじきにされる右京さんを思わせる構図なのですが、「私はいつも、やりたいこと最優先!」と笑う千束の言葉が、彼女の背景が徐々に明かされていくことで、後半全く違う意味を持っていくあたりは、非常に印象的でした。

 組織に服従し、殺人を強要される身寄りのない少女達、限られた寿命、殺人を命令する者とそれを請け負う者の依存関係……これらは皆、相田裕「GUNSRINGER GIRL」の世界でも描かれた世界です。イタリアを舞台に、虐待、育児放棄、性犯罪に巻き込まれ半死状態に陥った少女達が、社会福祉公社と呼ばれる政府団体の中で、サイボーグ手術と薬物による条件付けによって暗殺者へと育成され、大人達とペアを組んでテロリスト達と対峙する。少女達は高い香水を身につけ、バイオリンケースを手に良家の子女として出歩いているが、そのケースの中には銃器が隠されている。国内分裂を図る五共和国派という設定や、イタリアで稼働が認められていない原発が舞台になるなど、かなり骨太な世界観が、銃を撃つ少女達の姿にリアリティを持たせていました。

 「リコリス・リコイル」の企画も、当初はかなりミリタリー色の強い作品が想定されていたそうですが、「見ていて暗い気分になる作品は、今は求められていない」との判断から、暗い世界観の中で、明るく前向きな性格のキャラクターを主軸に描く方向へ切り替えられたとのこと(Wikipedia参照)。しかしそのバックボーンとなる世界は決して甘くはありません。「リコリス」の存在が公共放送で公にされると、政府機関は迷わず「リコリス」部隊の抹殺を指示するのです。最後には混乱は収拾し、登場人物達は最後には幸福を享受するとは言うものの、それはあくまで薄氷を踏むような、まさに危うい綱渡りを渡り終えた束の間の平和に過ぎないことが示唆されるのです。

 子供を戦争に投入し、兵士へと仕立て上げ、使い捨てていく。P.W.シンガー「子ども兵の戦争」(NHK出版)によれば、この数十年でむしろ子供兵士の比率は増加しているそうです。近代以前の武器は訓練が必要だったが、現在の武器は軽量化され子供でも扱えるようになったことがその一つの要因だとも。十代の未成年が何の疑問もなく他者に銃を向ける様は、決して絵空事ではなく、紛れもない現実の世界で今起きていることなのです。

 「GUNSLINGER GIRL」の少女達は、殆ど無意識・無自覚に、過去を思い出しては涙を流す。やりきれない世界の不条理に、自らの報われない運命に。しかし、本作の主人公達は、過酷な状況に置かれても、大切なものが奪われるかも知れない瞬間にも、決して泣き喚きはしない。彼女たちの、あくまで「涙を見せない」というこだわりに、逆に作り手の強いメッセージを感じた作品でありました。。

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