3月

【小説】森博嗣「有限と微小のパン」
 森博嗣さんの犀川&西之園コンビの連作の最終長編作……ということらしいんですが、別にこの二人の関係には何も進展がないので、ホントに最終作なのかな、という疑いは消えませんけど。ホームページを読んだ限りでは、次回からは別の登場人物による作品が始まるとのことなので、楽しみではありますが。
 このシリーズのお気に入りは「すべてがFになる(THE PERFECT INSIDER)」と「封印再度(WHO INSIDE?)」ですが、今回の作品は英語の題名が"THE PERFECT OUTSIDER"となっていて、「F」とは対をなす様で、「F」に登場した真賀田博士が登場する趣向となっています。
 バーチャルリアリティを使ったりいろいろと仕掛けも多いので楽しめる作品ですが、「F」の持っている残虐性と合理性の同居、という魅力が少々乏しいような……犯人、というか仕掛人の動機がやや弱いので、その点が少々物足りなかったような気がします。


【映画】フレッド・ニブロ「ベン・ハー」(1927年版)
 1959年にチャールトン・ヘストン主演で製作された「ベン・ハー」は、ミクロス・ローザの音楽も良いので実は好きな映画なのですが、なにしろアカデミー賞を沢山受賞したというだけあって逆に「いかにもご都合主義」な大作ということであまり周囲の映画ファンからは賞賛の声を聞かないのでした。まあ確かにキリストの生涯をだぶらせているので、ラストなど確かに今観ると「おいおい」と思わないこともないのですけど、場面場面に見せ場は多いし、基本的には良くできた娯楽作品だと思うんですけどね。学生の頃社会の先生がこの映画が好きで盛んに褒めていたのが懐かしく思い出されます。
 カラー版はローザの音楽と敵役のメッサラのキャラクターが好きなのですが(酷い目にあっているのはベン・ハーなのに、彼を追いつめているメッサラの方が相手をより憎悪しているのがいいですね)、見せ場は有名な戦車競争のシーン。これは確かに盛り上がる。あえてこのシーンにはBGMが入らず、スピード感のある画面により集中出来るようになっています。
 この映画に先立つこと三十年前、戦前に既にこの「ベン・ハー」がモノクロ・サイレントで映画化されていたのは知ってはいましたが、なにしろなかなか上映される機会もないし、と思っていたところ、DVDソフトで「淀川長治監修・世界クラシック名画100撰集」の第79巻として売られていたのを発見、さっそく購入。なにしろサイレントで140分なので、とりあえず例の戦車競争シーンから観ることにしました。
 観てびっくり。1959年版と殆ど変わらないカメラワークと撮影規模。音がないし画面もモノクロだけど、これはなかなか見事なものです。ベン・ハーの戦車の馬が白で(当然主人公なので)メッサラの馬が黒というシチュエーションもそのまま。しかもカラー版にはない地面から見上げたショットもあるし。12万人のエキストラと200万ドルの制作費は、確かにアメリカ的物量作戦ではありますが、少なくとも1925年の「ジークフリート」とか同じ1927年の「メトロポリス」とかいったサイレントの大作と比べると、段違いにスピード感があると言えますね。
 それにしてもユダヤ人を主人公にしたこの「ベン・ハー」が大当たりした後に、第二次世界大戦が始まってユダヤ虐殺が起きたことを考えると……なかなかにやりきれない物を感じざるを得ませんね。最後の「恨みが流れ去る」というラストが皮肉に聞こえてしまうなあ。

【映画】ニール・ジョーダン「モナリザ」
 同じニール・ジョーダンの「クライング・ゲーム」はなかなかに面白い作品でした。それよりも前に撮られたこの作品は、存在は知っていたのですが前々から観ようとは思ってたので、銀座でリバイバル上映されていると聞いてさっそく足を運んだのでした。
 「ロジャー・ラビット」に出てきたボブ・ホプキンスが主演。いかにも人が良さそうでとても感情移入しやすいキャラクター。ヒロインから服を買って貰ってにこにこと鏡を観て喜ぶシーンなんかは、思わず「そうだよなうれしいよな、うん」なんて頷いてしまいます。振り回されて悲惨な目に遭うとはいえ、離婚した妻との間にいる娘がしっかり彼の理解者となっていて、ラストシーンは意外とあっさりと救いのあるものに仕上がっています。
 物語的には、ややヒロインが可哀想な気がするので、よりほっとするラストが用意されている「クライング・ゲーム」の方が上かな、とは思うのですが、キャラクターの存在感という点では「モナリザ」の方に分があるかも知れません。

【短編集】佐藤雅彦「クリック」
 佐藤雅彦といえば、「ポリンキー」「こいけやスコーン」「ばざーるでごさーる」のCFで、最近では「だんご三兄弟」の生みの親として有名ですが、その元ネタになった超・短編集がこれ。さすが「超」がつくだけあって、全63編を十五分くらいで読んでしまいました。
 だんご三兄弟は串の先にいる順から長男(一郎君)、次男だとCDにはありましたが、先に刺さっていくのが長男だろうから順番逆なんじゃないかと思っていたら、しっかりこの本には「だんごはみんな弟思いですから、このようにたいてい下の方に兄がきております」とあって、思わず納得。
 「計算の苦手な電卓がおりました。2足す6は、えーと、9ぐらいだと思います」
 「エスカルゴという料理が出来たとき、かたつむりの国会はいちはやく全世界の同胞に通達を出した。動く速さを今より20%スピードアップすること」
 「DOGといぬとでは……なんとなく静かそうなので、いぬの勝ち」
 とまあ、全編こういう雰囲気なので、文字どおり安心して読めます。
 東大出て電通にいた人が、こーゆーお茶目な本を書いてくれるのは、何となくほっとするなあ。

【小説】エルロイ「キラー・オン・ザ・ロード」
 ジェイムズ・エルロイといえば、最近「L.A.コンフィデンシャル」が映画になり、また「不夜城」の作者が結構好きだと言うことで気にはなっていた作家でしたが、読むのはこれが初めて。文庫でお買い得だし、殺人者の一人称ということで雑誌にも紹介されていたので買ってみました。
 主人公は実在の連続殺人者チャールズ・マンソンと刑務所で出会い、彼を超えると宣言するわけですが、正直な話セックスの覗き見から入ってしまうあたり今一つ魅力的なキャラクターとは言いがたい。もう少し知性の面からの、あるいは狂気からのアプローチがあっても良かったかなあと。数十人を血祭りに上げた人間像としてはまだ輪郭が弱いような気がするのです。
 ただ、作者が実際に母親を惨殺され、自らも酒と薬に溺れて刑務所を行ったり来たりしていたというだけあって、無駄の少ない淡々とした描写は逆に真に迫っています。もしかしたら、人は案外簡単に何の呵責もなく人を殺せて当たり前なのかも知れないと思わせてくれる。何もずば抜けた超人的な精神力など必要ない、その気になれば誰だって……。
 さしたる動機もなく快楽のために残虐な連続殺人事件を起こした男は、死刑を認めていない州で検挙されたので、ぬくぬくと刑務所で小説を読んだりバーベルを上げたりして。その一方で、彼らを上げたFBI捜査官はノイローゼのために自殺してしまう、というくだりもあって、なかなか考えさせられます。冤罪の可能性がある場合は死刑は避けるべきだとは思うけど、そうでないのが確実な場合は極刑も認めるというのが世の為かな。

【小説】城アラキ「ワインの涙」&村上龍「ワイン一杯だけの真実」
 どちらもワインをテーマにした短編集。
 収録されている作品で語られるワインは以下の通り。「ワインの涙」はシャトー・マルゴー、ロマネ・コンティ、コルトン・シャルルマーニュ、ヴーヴ・クリコ、フェレイラ・ビンテージ。「ワイン一杯だけの真実」はオーパス・ワン、シャトー・マルゴー、ラ・ターシュ、ロス・ヴァスコス、チェレット・バローロ、シャトー・ディケム、モンラッシェ、トロッケンベーレンアウスレーゼ。これを飲んでればえらそーなことが言える、そんな高級銘柄ばかり。うーん、何てスノッブな企画だ。喜んで買ってしまうこっちもしょうもないが。
 「ワインの涙」は漫画「ソムリエ」の原作者が書いており、漫画の主人公の佐竹君も出てきます。知名度は村上龍に負けるかも知れないけれど、万人に抵抗なくお勧めできるのはこっちの本の方かな。ほろ苦い失恋や別れを描いているので、逆に安心して読めます。「ブラインド・テイスティング」はロアルド・ダールの「味」を彷彿とさせながら、よりマイルドな苦みのある短編に仕上がっています。
 「ワイン一杯だけの真実」は逆に孤独な女性だけを主人公にした、徹底して「官能」の世界が描かれる、起承転結のない物語で構成されています。うーん、確かに香りと味だけで人を虜にしてしまうと言う意味では、ワインに対するこういうアプローチは自然なのですが、こうやたらと倒錯っぽいセックス、セックスのオンパレードだと、さすがに食傷気味の感がありますな。それしかないんかい、と突っ込みたくなります。
 ワインをネタにした短編を、といつも思っているけど……意外と難しいのだな、これが。やはり百聞は一見にしかず、ワインは読む物ではなく飲む物ですね。

【映画】金子秀介「ガメラ3」
 特撮ファンの間ではゴジラシリーズ以上の人気を誇るガメラのシリーズ第三弾です。
 「後味が悪い」とか「それほどでもない」とか結構私の周囲の前評判はあまり良くなかったので、正直な話それほど期待せずに観に行ったのですが……私にとっては全三部作では一番インパクトのある仕上がりでした。「お勧め!」とまで言って良いかは分かりませんが、思わず「納得!」と認めざるを得ないかも。怪獣という存在の「仰ぎ見るような巨大さ」と「悲壮感」が一番表現されていたように思います。
 第一作はスピード感と重量感とで評判も良かったものの、勧善懲悪の人間第一主義の世界を抜け切れていなかったし、第二作は自衛隊との連携プレーがなんとはなしにわざとらしかった。声援を受けて立ち上がるなんて怪獣じゃないよなあ。その点第三作では、冒頭の渋谷での対ギャオス戦では避難命令もなしの状態で人間がバタバタと死んでいくし、そこだけでもリアリティの面で前二作を上回っている。体長数十メートルの巨大生物が、アリほどの小ささのヒト共を気遣って戦えるはずがないのだ。ここには、日本の怪獣映画が描けなかった負の部分が提示されている。曰く「勝手なことを言うな!」
 冒頭のガメラの墓場といい、人間と融合することによって力を得ようとするイリスといい、最後のギャオスの大群といい、これは例の話題になった「エヴァンゲリオン」の世界観を彷彿とさせる。それは何か人一人の力ではどうしようもないような巨大な力の葛藤があって、それを目前にしながら人々はグチしか言えないような、そんな無力感の漂う雰囲気。ガメラに「復讐」しようとする主人公も、それを止めようとする者たちも決定的な説得力を持ち得ない。人間の絶滅を笑う倉田という人物も登場するが、彼ですら何もできない。それらの有象無象の人々を前に、徹底的な破壊が続く。人を救う守護神だった筈のガメラの存在に対して、人はミサイルを撃ち込むことしかできないのだ。
 主人公の前田愛ちゃんは「さんま大先生」に出ていた頃から知っていたので、あまり凶々しい雰囲気が出せなかったのがちょっと物足りなかったですね。両親惨殺!の克明なシーンでもあれば結構そそられたかも知れませんが、そこまではやらせてはもらえなかったでしょうけど……。あれでは「全部お前のせいやんか!」で終わりかねないので、もう少し悲壮感を持たせても良かったかもなあとは思いますが。そういう意味では、「ウルトラセブン」の「盗まれたウルトラアイ」のマゼラン星雲の少女や、「新ウルトラマン」の「怪獣使いと少年」のメイツ星人を守る少年などの存在は、勧善懲悪に対するアンチテーゼとして光った存在だったなあ。


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