【映画】(監督:押山清高/原作:藤本タツキ)「ルックバック」
実は先に原作マンガを読んではいたのですが、同じ藤本タツキ作品としては、同時期に購入した「さよなら絵梨」の方がよりインパクトありと感じていました。同じく「クリエイター」の物語でありながら、ミステリアスなヒロインを軸に、映画をテーマに爆発から始まり爆発に終わる「絵梨」の方が、かなり刺激的で絵的には印象深かったのかも知れません。そういうわけで、映画が評判になっていると聞いて実際に劇場に足を運んでみて、音楽が乗せられた状態で色の付いた作品に触れてみると、「こういう話だったのか!」とあらためて気付かされた次第でした。「葬送のフリーレン」もそうだったのですが、最近のアニメーションは原作のトーンを尊重し、余計なセリフやキャラクターを加えたりせずにしっかりと作者の意図を汲み取って映像化してくれているので、逆に映像作品を観て原作の深さに気付かされることが多いのです。もちろんこちらのマンガ読解力が落ちているのも原因の一つかも知れませんが……。
小学四年生で学級新聞に4コママンガを描いていた藤野は、ある日教師から、自宅に引き籠もっている同級生の京本のマンガを隣に載せても良いかと持ちかけられる。しかし実際に掲載された京本の作品は、放課後の教室の様子を精緻に描いた本格的な静物画で構成されていて、藤野は京本の画力に衝撃を受ける。クラスメイト達が京本の作品の方を賞賛しているのを聞いて一念発起し、スケッチブックと教本を買い込み、一心不乱に絵の修行に取り組む。やがて小学六年生になり、藤野は自分の作品の隣に、夏祭りの景色を精密に描いた京本の作品が載っているのをあらためて眺め、「や〜めた……」とつぶやくと、スケッチブックを処分して、学校生活や空手教室を楽しむことにする。
そして小学校の卒業式を迎え、教師から京本に卒業証書を渡して欲しいと頼まれた藤野は、気が進まないながらも京本の自宅を訪れる。家に辿り着いてみると、玄関の鍵は掛かっておらず、おそるおそる中に入ってみると、廊下には山のようなスケッチブックが積み上げられていた。自分が両手に抱えられる程度のスケッチブックで練習した気になっていた間に、相手はその何倍もの努力を重ねていたのだ……途方に暮れた藤野は、スケッチブックの上に置かれた紙切れを見つけ、それに即興で4コママンガを描く。最初のコマには「出てこないで!」と連呼する群衆、2コマ目には「出てこい」と連呼する群衆、3コマ目に「引き籠もり世界大会決勝! 1位は京本選手です!」と叫ぶアナウンサー、そして最後のコマには、京本の白骨死体にハエがたかっている絵を描いた。明らかに、相手への悪意を込めた作品。しかしそのマンガを描いた紙は、藤野の手から落ちて、ドアの下の隙間を通って京本がいると思われる向こうの部屋へと滑り込んでしまう。
当惑したまま家を飛び出した藤野を、部屋を飛び出した京本が追って来る。「私、藤野先生のファンです!」とても敵わないと思っていたライバルが、自分を崇拝していたと知った藤野は、その場では平静を装いながらも有頂天となる。やがて一気に距離を縮めた二人は合作でマンガを制作、藤野の描いたキャラクターマンガに京本が背景を加え、「藤野キョウ」のペンネームで45ページの作品を完成させて出版社に持ち込む。
それをきっかけに二人は中学から高校にかけて数本の読み切り作品を雑誌に載せていく。そして高校卒業と同時に雑誌連載のチャンスを与えられるが、乗り気の藤野に対し、京本はもっと絵を学びたいから美術大学へ進みたい、だから連載は手伝えないと答える。美大に行ったって就職なんかできない、アンタが一人で大学生活なんかできるわけないと言い放つ藤野に対し、京本は「もっと絵うまくなりたい」と言い切る。 思えば、キャラクターとストーリーをひねり出していたのはあくまで藤野であって、京本が描いていたのは最初から風景画であり静物画だった。元々二人の立ち位置は違っていたのだ。二人は袂を分かち、藤野はそのまま「藤野キョウ」のペンネームで連載マンガをスタートさせ、アンケート結果を示すグラフに追われるように作品を描き続ける。
連載が好調に推移し、祝アニメ化決定の告知がなされる中、藤野は夜中に執筆を続けながら、出版社にもっと他のアシスタントを調達して欲しいと電話を入れている。そこへテレビのニュース速報が入る。美大で12人が犠牲となる通り魔殺人事件が発生し、京本がその犠牲になっていたのだ。
てっきり「アマデウス」の、モーツァルトとサリエリの話と思っていたら、実は京都アニメーション事件の話だったの? と、観ている方は動揺するわけですが……。
ショックを受けた藤野は、京本の自宅へと向かう。自宅の廊下にはあのスケッチブックの山がそのまま放置されており、そこに藤野の作品が掲載された雑誌もあって、小学生の卒業式の日に藤野が描いたあの4コママンガがしおりとして挟まれていた。自分がこのマンガを描いて京本を部屋から出したりしなかったら、彼女は死なずに済んだのではないか。「描いても何も役にたたないのに……」とつぶやき、藤野はそのマンガをその場で破り捨てる。
破り捨てられたマンガの一部、「出てこないで……」という1コマ目だけが、ドアの隙間を通って部屋の中へと滑り込む。それを受け取ったのは、引き籠もっていた頃の小学生の京本だった。彼女はそれを手にし、そのまま引き籠もりを続ける。
はて、タイムスリップ物? パラレルワールド物? と、観ている方はさらに戸惑うわけで……。
京本はそのまま絵の修行を一人で続け、やがて美大へと進学する。そして運命の日がやって来る。通り魔殺人事件発生の有様が、まるで新聞記事を読み上げるようなテロップで描写される。通り魔の凶器が京本に向かって振り下ろされようとする、まさにその瞬間、突然現れた藤野が、背後から蹴りを入れて通り魔を撃退する。マンガを止めて空手道場に通い続けていた藤野は、偶然その場に通りかかり、危ないところで京本を救ったのだ。偶然の再会を喜ぶ二人。京本は自宅に戻り、小学校の頃の藤野の作品を読み返しながら、その体験を自ら4コママンガに描く。タイトルは「背中を見て」(ルックバック)……1コマ目で凶器を持って襲ってくる通り魔を、2コマ目で突然現れて撃退する藤野先生。3コマ目で「ケガはないかね?」と余裕で答える藤野先生だが、4コマ目で後ろを振り返るその背中には凶器が刺さっていた……。
そのマンガは、京本の手を離れ、そのままドアの隙間を通って部屋の外にいる現在の藤野の元へと届く。藤野はそのマンガを取り上げ、驚いて部屋の扉を開ける。部屋の中のガラス窓は開いていて、そこから吹き込む風が、窓ガラスに貼り付けてあったマンガの中の一枚を吹き飛ばしたのだ。京本も4コママンガを描こうとしていた。
部屋から出てこなかった京本、殺されることのなかった京本の物語は、藤野の心の中で紡がれたものだった……。そうはっきりと説明されてはいないものの、この作品が、最初から藤野の視点で描かれていて、彼女が体感する物語として描かれていることは間違いありません。藤野はマンガを組み立てる、物語を紡ぐ人、紡がざるを得ない人間なのです。もし自分かそんなことをしなかったなら……彼女はその先を考えることを止められない。理不尽な現実に対して、そうはならない世界を想い、描かずにはいられない存在なのです。
「ルックバック」というタイトルには、様々な意味が込められています。京本が藤野に残したマンガのタイトルであり、京本が藤野の作品のために描いた背景(バック)のことでもあり、京本を引っ張っていく藤野が振り返って相手に微笑みかけるシーンのことでもあり、そして後ろ過去を振り返らずにはいられない主人公の生き様のことでもあります。
才能が才能に嫉妬する場面から始まり、誰よりも通じたい相手と通じ合える喜びを描いた後で、理不尽な現実と無力感にさいなまれながら、それでも一人創造に向かわずにはいられない……藤野の物語に、誰もが共感せざるを得ないと思いますが、特に創作を志した者にとっては、自分もどこかで似たような想いを体験したことを思い出すのではないでしょうか。
創造することの楽しさを、創造することの苦しみを、創造することの孤独を……そして創造せずにはいられない、やむにやまれぬ衝動を、この上映時間60分に満たない作品は、刺激的な映像や音楽を使うこともなく、真摯に淡々と語りかけてくれるのです。
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