2月

【DVD】カール・ドライアー「裁かるるジャンヌ」
 
リュック・ベッソン監督の「ジャンヌ・ダルク」を観て、竹下節子著「ジャンヌ・ダルク〜超異端の聖女」なんかを読み、また一方でローザック著「フリッカー」で沢山のサイレント映画のことが言及されているのを楽しんで読んだせいもあって、ついついDVDを衝動買いしたのがこの1928年のフランス映画であります。確か「フリッカー」でも、主人公が年老いた名カメラマンの遺品から「裁かるるジャンヌ」の断片フィルムを見つける場面がありました。
 カール・ドライアーはデンマークの出身の監督、主演のファルコネッティは殆どこの映画一本しか出演していない舞台女優ということで、当時としてもなかなか異色の作品だったのでしょうが、確かにこの映画、凄いです。ジャンヌ・ダルクの戦場での活躍は一切描かれず、ジャンヌが裁判を受け異端として焼かれるまでのたった一日を追ったもので、巨大な舞台を用意したにも関わらず、殆どが人物のクローズアップ。泣きながら無罪を訴える主人公、その絶望、恐怖心、諦観、苦痛をひたすら克明に写していきます。彼女はただひたすら嘆くしかない。これは、なかなか恐い。恐いというより悲惨。
 サイレント時代のカメラアングルは、大抵の場合舞台をそのまま撮っているような感覚で、チャップリンの喜劇にしても、ムルナウやラングの問題作にしても、同時期の「ベン・ハー」等の大作にしても、圧倒的にロングの場面が多いようです。モノクロでサイレントという制限もある時代には、その方が人物配置や舞台設定も分かりやすいからで、それ故にチャップリンの独特の風貌に代表されるように、遠くから見てもキャラクターの違いが分かるように主要人物は個性的な容貌で描かれることが多いわけです。しかしこの作品は、舞台と時間を思いきり限定した上で、登場人物達のアップをじっくりと見せるという手法を取っているので、逆に現代の作品に近い感覚を持っているように思われました。
 冒頭からよってたかって一人の少女をいたぶっていき、最後には火刑という最も残虐な方法で殺していく。この史実をそのまま再現することによって、歴史の持つ残酷さを描くことがこの作品の製作意図だったような気がします。ラスト近く、磔となったジャンヌの足元に火が付けられてからの描写も恐ろしく長く、おそらくはベッソンの「ジャンヌ」以上の長さ。その間ジャンヌは「苦痛が長引きませんように」と祈り、涙を流して天を仰ぎ、やがて炎の熱を受け苦痛のあまり目を見はり、そして気を失って首をうなだれる……その間炎のアップとジャンヌの顔のアップがひたすら繰り返されるという、実に凄惨で哀しい映像は、観る物にいかに火刑というのが恐ろしい刑罰だったかを教えてくれます。そもそも火刑というのは、なかなか死ねないというところにポイントが置かれていた訳ですから。「死刑全書」によれば、ジャンヌの処刑には非常に長い時間がかかったこと、全ての者が下から受刑者を見ることができるように火刑代が巨大な舞台の上に組み立てられたこと、窒息はしていたがまだ燃え尽きてはいない頃に一度薪が引き出され、ジャンヌが間違いなく女性であること、逃げることができなかったこと、悪魔と通じていたことを証明しようとしたこと等が伝えられており、この火刑が映画以上にきわめて残酷な形で行われたことは確かなようです。
 映画のラストでは、ジャンヌの処刑に憤った群衆が反旗を翻して暴動を起こし、数人がその場で殺されてしまうような描写もありますが、実際には処刑の行われたルーアンの広場はイギリス兵で埋め尽くされていて、兵士達の間で動揺は生じたもののそういった暴動までは発展しなかったようです。歴史的に見れば、もしジャンヌ達の叛乱によってイギリス軍がフランスから撤退しなかったら、むしろプランタジネット家がイギリスとフランスを統一しより強力で先進的な国家が誕生したかも知れない、という見方もあります。ジャンヌが肝心のパリを押さえることが出来なかったのも、むしろフランスの北側にとっては南の擁するシャルル七世は単なる「アルマニャック勢」と呼ばれる一党派の軍勢に過ぎなかったからで、当時フランス人全てがジャンヌを支持していた訳ではなく、公平に見ると彼女の英雄的行為が全てにおいて「善かったこと」とは言い切れないものがあります。ベッソンも「彼女は神の名において人殺しをするべきではなかった」と言っていますしね。
 しかしそれ故に確かなことは、彼女も戦争の犠牲者であったこと、超人や聖女である以前にまず一人の人間、恐怖も苦痛も人並みに感じる普通の人間であったことで、それ故に彼女の火刑は一つの壮大な悲劇として描かれうるのだということでしょう。「裁かるるジャンヌ」においては、ヒロインは戦場を駆けめぐる奇跡の戦士ではなく、敵だらけの中で一人虐げられている不幸な少女に過ぎず、それによって強制された死の恐怖というものをよりストレートに訴えかけているように思われます。


【小説】藤崎慎吾「クリスタル・サイレンス」
 「凄い。凄い。凄すぎる。国産SFの頂点を極める十年に一度の傑作!」
という大森望氏大絶賛の推薦文の書かれたオビにおもわずつられて買ってしまいました。サイコドクターこと風野さんも誉めていたので、久しぶりにSF読もうかなあと。確かに、国産SFってしばらく読んでいなかったし。
 2071年、火星の北極冠から節足動物の屍骸が大量に発見され、縄文文化を研究していた生命考古学者のサヤが派遣される。恋人のケレンは彼女を助けるためにネット経由で火星へ向かうが……火星での開発国同志の戦闘に駆り出されるサイボーグ兵士達、ネットの中で生息する電子生命体「ゴブリン」、禁止されたヒト・クローン技術によって作られた分身「ワイヤード」など、様々な仕掛けが伏線となって張り込まれていて、非常に計算された物語であることが分かります。ヒトに共鳴していく人工知能というテーマも、それ自体は目新しくはないものの、物語の最後の言葉には目頭を熱くさせるものがあります。
 あまり沢山読んでいないので、十年に一度というあおり文句がどこまで的を得ているのかは分かりませんが、これは確かに、SF好きの人にはお勧めしたくなる本。殺伐とした描写に惹かれがちの私には、少々健全過ぎる内容ではありますが。

【映画】ディズニー「ターザン」
 
とにかく「早い!」という印象のアニメーションです。去年の夏頃にやっていた予告編から気にはなっていた作品ですが、実際に観てみると確かにスピード感たっぷり、まさにアニメでこそ可能な映像です。
 ストーリーはいたって単純。でもそれだけに素直に入っていけます。ゴリラ達の生活が実に楽しそうに、情感たっぷりに描かれているので思わずホロリ。これはもっと話題になっても良い作品だと思うんだけどなあ。もっとも大ヒットした「美女と野獣」や「アラジン」に比べると恋愛の要素は少ないです。ヒロイン役のジェーンはかなり活発でしかも表情もデフォルメされていて、可愛いと言うよりは笑わせるキャラクターに徹しているからかな。あんまし悩まないし。
 それにしても映像は見事。とにかく早い! 早すぎる! 画面が良く見えるようにと前の方の席に座ったら、目で追っかけていくのがえらく大変でした。
 絵柄も「アラジン」の頃の好きだった絵柄に戻ったみたいで、ひと安心です。「ポカホンタス」「ムーラン」のあたりは題材のせいもあるんだろうけどやや尖った絵柄になっていたので。ジャングルの描写も、「ライオンキング」の頃と比べてぐっとリアルに、かつソフトになっていて好感が持てました。
 欲を言えば最後のクライマックスの戦いの場面がちょっとあっさりしすぎているような気も。せっかくだからもっと引っ張ってもいいような気もしたんですけど、やはりディズニーとしてはあまり過激な描写は控えるというスタンスなのかなあ。

【小説】セオドア・ローザック「フリッカー、あるいは映画の魔」
 「このミステリーがすごい」
の98年度ミステリー・ベスト1に選ばれた作品で、分厚い単行本が上・下巻の文庫本になったのでさっそく挑戦することに。しかし、読み終わってみると、この怪作が果たして「ミステリー」なのか良く分からない……確かに「謎」は提出されるのですが……。
 最初は「古本」をネタにした「死の蔵書」みたいに、「映画」をネタにしたタイプのミステリーなんだろうと思っていたのですが、さにあらず、定番通り殺人が行われて犯人が突き止められる「死の蔵書」とは異なり、この「フリッカー」では映画フリークだった主人公が、才能に恵まれながら歴史から抹消された不遇の映画監督マックス・キャッスルの作品を追うことから始まります。観る物を異常に惹き付けながらもかつ萎えさせてしまうそのフィルムには、幾重にもサブリミナル効果が施されていた、という発見に始まり、そこから映画の創生期に関わっていたカタリ派を起源に持つ「嵐の孤児たち」という宗教団体の存在が明らかにされていく……映画マニアと中世暗黒史という、一見繋がりそうもない題材を見事に関連づけさせて、物語は一挙に主人公の破滅へとなだれ込んでいきます。
 文庫本の解説によると、このキャッスルという架空の人物のモデルは、ドイツからハリウッドに渡った撮影監督カール・フロイントだそうです。彼が「メトロポリス」などを撮影したことは、昔のドイツ語講座のテキストかなんかで知っていて、たまたま私も今描いているマンガの悪魔的な登場人物の名前に借りていたのですが、この「フリッカー」のキャッスルも、生を否定しつつ精力的に作品を構築していく人物として描かれている点が、非常に魅力的です。
 映画におけるサブリミナル効果がどれほど威力を発揮するものなのかは、なかなか疑わしいところです。刑事コロンボの「意識下の映像」という作品ではこの手法が取り上げられていますし、クィーン編「ミニ・ミステリ傑作選」に収められた「ハリウッド式殺人法」という短編でも同様にこの手法を使った犯罪が取り上げられています。最近話題になった「ファィト・クラブ」という映画では、実際にそういったサブリミナル効果を使っていて、例えばエドワード・ノートンが一人で写っているシーンに一コマブラッド・ピットが隣に立っているシーンを挿入したりしているそうです。観客は無意識にその一瞬の一コマを記憶してしまい、場合によっては行動を起こしてしまうというのですが……実際のところはどうなんでしょう。映像の持つ膨大な情報量と、人間のきままな集中力とを秤に掛けたら、早々釣り合いそうもない気もします。そういった意味では、作品中のキャッスルやダンクルといった映像作家が映像的なテクニックで果たしてそこまで強烈な「傷」を観客にもたらすことができるのか少々疑問ではありますけれど、その裏に盛り込まれた、カタリ派の思想として語られる肉体への嫌悪の念に対する追求の部分にはかなり惹かれるものがあります。
 それにしても、物語の中盤で紹介される、十八歳そこそこで強烈な「破壊」を描くというダンクルの作品は、実際に上映されたならちょっと観てみたい、と思わせるような内容です。汚染物質で変化した胎児達がこの世に生まれるのを嫌がり胎内を逃げ回る「出生忌避者たち」とか、堕胎された胎児達が下水道で生き延びてやがて地上へと這いあがっていく「悲しき下水道ベイビー」とか……本編では粗筋しか語られませんが、それぞれが一本のSFホラー中編に仕上がってしまいそうな内容で、本当に映画化されたなら絶対に話題になりそう。まあ実際には、やたらと規制がうるさく、「映画の魔」というにはほど遠いハリウッドで撮影できるとは思えませんけど。

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