6月

【小説】牧野修「MOUSE」
 子供の島「ネバーランド」の廃虚に住み着いているのは、ドラッグ漬けになった18才未満の少年少女達。彼らは自らを「マウス」と呼ぶ。全員が何らかの形でドラッグを使用しているので、皆がその副作用に苦しみ、かつ言葉で相手を「落とす」ことができるので、肉体の頑強さは必ずしも優位性を保証しない……。
 実に多様なイメージに溢れた、魅力的なSF作品です。子供だけの社会、というテーマは私も「KIDS」等のマンガ作品で描いていたテーマなんだけど、こちらの方はそこにドラッグを持ち込むことによってより夢と現実の境目のない不思議な空間作りに成功しています。子供の非力さも、精神力が現実を支配するネバーランドでは問題にならない、という設定も実にうまい。
 登場人物達も魅力的。夜のネバーランドを徘徊する切り裂き魔の「マイティ・マウス」、生きながら人形とされた「ティンカー・ベル」、精神を他人にプリントできる「ペヨトル」、夜空を飛ぶ光る生首「ヨカナンの首」、そして「ピクルス」「ウェンディ」「サロメ」……ネバーランドでは自分の名前を隠し字(あざな)で呼び合うため、それぞれのキャラクター達の名前にも微妙に意味付けがされています。
 5つの短編からなるこの作品は、最後の「ボーイズ・ライフ」でそれまでの個々の物語の登場人物達が一堂に会い、一つの収束を迎えるのですが、そのラストは少々あっさりしすぎているような気がしたので、無理に終わらせなくても良かったのではと思わないこともないですけど……。まあそう思ってしまうくらい、魔力に満ちた作品だと言えます。


【書籍】切通理作「怪獣使いと少年」
 この本は「別冊宝島・怪獣学入門」(92年)の中の切通理作氏の評論がさらに拡大されたものですが、同じように「ウルトラ怪獣もの」を観て子供時代を過ごした私としては、別冊宝島を読んだ当時からなかなか鋭い指摘だなあと思っていました。私自身92年に書いた同人誌「標準自殺問題集」のスウィフトに関するエッセイの中で「帰ってきたウルトラマン」の「怪獣使いと少年」、「ウルトラセブン」の中の「盗まれたウルトラアイ」のエピソードに触れていますが、それらをさらに脚本家の作家性の部分からアプローチして細かく分析したのが本書だと思います。
 初期ウルトラシリーズの中心的な人物だった金城哲夫、佐々木守、上原正三、市川森一らをそれぞれ永遠の「境界人」「傍観者」「異邦人」「浮遊者」としてとらえ、彼らの持っていた一種の怨念のようなものにまで迫っています。
 地球人の先住民でありながら人間に滅ぼされるノンマルトの運命を見守る「ノンマルトの使者(セブン)」を書いた金城氏、宇宙での実験に失敗し変貌した宇宙飛行士ジャミラが文字通り秘密を守るために葬られる「故郷は地球(マン)」を書いた佐々木氏、少年を救うために怪獣ムルチを封印した宇宙人が差別され惨殺される「怪獣使いと少年(新マン)」を書いた上原氏、同胞に裏切られ、見捨てられた宇宙人の少女が最後には死を選ぶ「盗まれたウルトラアイ(セブン)」を書いた市川氏……特に沖縄出身というマイノリティの影を背負った金城氏や上原氏の差別に対するこだわりや、キリスト教徒である市川氏の裏切られることに対する苦しみなど、裏話を聞いてより納得できる部分も多かったのです。ノンマルトが「ノン+マルス(軍隊)」を意味すること、ジャミラが独立戦争に参加して捕らえられ陵辱され殺されたアルジェリアの少女の名からとられたこと、ムルチが琉球語で雷魚を意味する「カムルチ」から来ていることなど……今振り返ってみても、あの三十分のドラマシリーズの中には様々な「隠された叫び」があったのだなあと思うのです。
 「怪獣使いと少年」を初めて観た時の衝撃は相当なもので、未だに創作に息詰まった(なんて作家みたいなことをほざいてますが)時なんかは、ダビングテープを見返したりするくらいですが、ここまで露骨に差別を描いた作品がすんなりオーケーとなるはずもなく、撮影された部分の多くがカットされ継ぎ足され、その後上原氏の担当する脚本数も減らされたりしたようです。他にも、内容が過激だという理由だけでボツになった珠玉のような優れた脚本の山があったであろうことを思うと、少し淋しい気もしますが。

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