2月

【映画】ディーン・パリソット「ギャラクシー・クエスト」
 帰りがけにパンフレットを買って驚きました。ポテトチップスの袋みたいなのを渡されて、中を開けると殆ど緩衝剤。10センチ×18センチのちっちゃな冊子が入ってて、これで1000円かよ……。面白いけど、凝りすぎだよ〜。
 ギャラクシー・クエストといういかにもスタートレックを真似したような、既に打ち切られたテレビドラマの出演者達が、そのテレビドラマをドキュメンタリーだと勘違いした本物の宇宙人に、自分たちと一緒に侵略者と戦ってくれと頼まれて……というオハナシ。「スタートレック」「ナデシコ」が合体したような……「ナデシコ」でも、昔のテレビアニメが宇宙の向こう側でも人気があって、という無理矢理な設定でしたけど。
 基本的にパロディなんで、ヤボなことはいいっこなしですが、「エイリアン」シリーズのシガニー・ウィーバーと、「ダイ・ハード」の悪役アラン・リックマンが登場しているところが凄いです。特にリックマンの冒頭のセリフ、「私はリチャード三世を演じたというのに」と嘆くあたりは、当人自身が王立シェイクスピア劇団にいたこともあってなかなか泣かせます。彼は爬虫類型宇宙人ラザルスを演じていて、「このトカゲヘッドに懸けて、必ず復讐を果たす」という決め台詞を言うのが嫌で嫌で仕方がないという設定。結果としては映画のラスト近くで、自らこの台詞を感動的に語るシーンへと繋がっていくのですけど。
 最後まで物語は二転三転、ある意味予想通りの展開なんだけど、個性的な俳優陣のお陰で全く飽きさせない展開でした。欲を言えば、彼らが本物の宇宙船に乗り込んで本物の戦闘に巻き込まれるあたりが、テレビドラマの部分とあまり違わないことがちょっと気になりました。そこら辺は敢えてコミカルに見えるように演出しているのですが、むしろある程度リアリティを出した方がよりギャップが楽しめたと思うんだけど。


【小説】宇月原晴明「信長・あるいは戴冠せるアンドロギュヌス」
 鈴木眞哉氏の「鉄砲と日本人」によれば、長篠の戦いにおける鉄砲の三段撃ちが史実とはかけ離れているというのはほぼ間違いがないようであります。まあ確かに、間断なく鉄砲の弾が飛んでくる方へ向かって馬で次から次へと突っ込んでいって全滅するなんて、あまり現実味がないですよね。それなら弓でも同じこと。実際には武田側も鉄砲は揃えていたんだけど、三倍の軍を用意した織田・徳川連合軍の守る城を攻め損ねただけ。まあそうでなくても、長篠の戦いの翌年以降、信長は石山城下の戦い、紀州雑賀の戦いなどで敵方の鉄砲にこっぴどくやられているわけで、鉄砲を最も過小評価したのは織田家の方だったらしい。信長という人は確かに面白い人で、桶狭間の戦いで少数で数万の今川勢を破って戦国にデビューしておきながら、最後は不用心にも本能寺であっさりと散ってしまうのだから、華々しくもあり、あっけなくもあり、実際その誕生から死まで波乱と矛盾に満ちた生涯であったことは否めません。
 「信長・あるいは戴冠せるアンドロギュヌス」では、信長は両性具有者として描かれています。まあ当時の武士なんて多かれ少なかれ両刀使いだったみたいなんで、そこら辺はいくらでも脚色できそうですね。物語は第二次大戦前のドイツから始まり、ナチズムへの展開と信長の魔への信仰を語ることによって信長とヒトラーを関連づけています。そこらへんは発想としていかにもありそうではあるのですが、さらに古代ローマのヘリオガバルスという、14才で即位して18才で暗殺される少年皇帝を結びつけて、二重三重にも絡み合ったより複雑な世界を描き出すことに成功しています。
 それにしても……信長は桶狭間の合戦の直前に、「人間五十年……」と敦盛を舞ったというし、千年帝国を掲げたヒトラーにしても、彼が心酔したワーグナーの「指輪」は神々の繁栄ではなく没落を描いた作品だったわけで……極端な独裁政というのはもともとその内側に絶滅への衝動を隠し持っているように思えてなりません。

【音楽】ボールト「ヴォーン・ウィリアムズ交響曲全集」
 小学校の下校時刻に必ず流れるゆったりとした「ラ、ラーララララ、ラーララ……」(カタカナで書いたって分からんわい)っていう音楽があって、なんて曲だろうと不思議に思っていたりしたのですが、それがイギリスの作曲家ラルフ・ヴォーン・ウィリアムズの「グリーンスリーヴズ幻想曲」だと知ったのは随分後のこと。ヴォーン・ウィリアムズという作曲家自体あまり詳細が知られていないし、どっかの本に書いてないかなと思って探したんだけど、ワーグナーやモーツァルトはいくらでも束になって積んであるのに対して、イギリスのクラシックって殆ど情報がないんですね。
 手元に高校生の頃買った芸術現代社の「交響曲の世界」という本があって、その中の「交響曲私の愛聴盤30選」というコーナーでは著名な指揮者、作曲家、評論家がやれベートーベンだマーラーだと挙げているのだけど、一人三浦淳史という評論家だけは古典派もロマン派も取り上げずニールセンやティペットなどの現代音楽家の作品に交えてヴォーン・ウィリアムズの九つの交響曲を挙げていました。ヴォーン・ウィリアムズが20世紀前半に活動していた交響曲作曲家だと知ったのはそれが初めてかも。
 以前からまとまった全集の形で手に入らないかなあと思っていたら、新宿でボールト指揮の全集の輸入盤がなんと3,900円(中古ではなく)で売っているのを見つけたのでした。8枚組だから一枚500円以下でっせ。買うしかあるまい。
 ベートーベン、シューベルト、ドボルザーク、ブルックナー、マーラー……これらの著名な交響曲作家に共通しているのは、生涯九つの交響曲を完成させたということ(マーラーの場合「大地の歌」を交響曲とするか、未完の第十交響曲をカウントすべきかという問題はありますが……)。なかなかに意味深な符合だと思うのですが。でもここにヴォーン・ウィリアムズも含まれるわけですね。セレナード的な第一から始まって、合唱で締めくくられる第九に終わるベートーベンとは対照的に、ヴォーン・ウィリアムズの交響曲は合唱で構成される第一交響曲「海のシンフォニー」から始まって、セレナード的な小品の第九に終わります。
 「85才で最後の第九交響曲を書き上げ、翌年その世界初演に列席した後、ロンドンの長い夏の日に、殆どなんの苦痛もなく卒然と世を去っていくその生涯は、そう多くの人に恵まれることのない清福にあふれる人生だった。その交響曲には、どの曲をとってみても、じつに悠容迫らぬところがあって、まことにいい」とは、さきの三浦淳史氏の言葉ですが、実際聴いてみると全体的にマーラーなどの作品の緩徐楽章の雰囲気を保ちつつ、そこに暗さや深刻さはなく、耳に心地よい環境音楽のような柔らかさが感じられます。なるほどロマン派の音楽の持つ盛り上がりには少々欠けるので、日本での知名度もイマイチなんでしょうけれど、一日中CDをかけっぱなしにしておきたくなるような穏やかな音色に満ちた作品群は、ヒーリング系のCDがもてはやされる今ならもっと受け入れられてもいいんじゃないかと思います。輸入盤に入っていた小さな冊子(しかも英語・ドイツ語・フランス語の三通りで書かれてる……)では作曲家の全容を知るには少々物足りないですし。

【映画】押井守「アヴァロン」
 「アヴァロン」はアーサー王伝説に登場する「英雄の魂のすみかとなる島」を意味します。死者となった英雄達はアヴァロンの森を散歩し、アーサー王もこの島へと運ばれたそうです。
 映画ではそれは近未来の仮想戦闘ゲーム世界。たとえ仮想空間でも頭を射抜かれれば廃人となってしまう危険な戦場。主人公の女戦士アッシュはその中で一人「成績」を上げていくが、彼女と同じ戦法を取る謎の男「ビショップ」の登場によって彼女はさらなる危険な領域へ踏み込むことになる。
 ポーランドロケ、出演者全員外国人、物語の殆どがセピア色の仮想空間で進行するこの映画は、しかし今までの押井アニメーション作品の映像スタイルをそのまま実写に持ち込んで独特の世界を形成しています。主人公はもろ「甲殻機動隊」の草薙素子のイメージだし、「ゴースト」として登場する銀髪の少女の映像がくすんだ石壁の表面を滑っていくシーンは「天使のたまご」を彷彿とさせます。
 仮想空間での戦いを割り切ってむしろ生き生きと描いて見せた「マトリックス」に対し、世界観が反転するまでをもっと丁寧に描写するべきだと批判した押井氏が、「アヴァロン」でどんな映像を展開するかきわめて興味があったのですが、仮想空間をポーランドの廃虚都市に設定することによってハリウッド映画にはない息苦しさを出すことに成功しています。おそらくそれはもともと狙いなのだろうけど、私としては懐かしい「廃虚未来」の再来に少々にやりとしたのでした。ちなみに「甲殻機動隊」の原作者士郎正宗はあとがきで「黙々と前進を続ける科学に対しSFがいつまでも世紀末的な倦怠世界ばかり描いてもいられないだろう。未来は明るい方がいい」と記していて結構印象に残っているのですが、その作品を映画化した押井氏はこれとは逆の世界観を持っているのが面白いですね。
 私としては「未来はやっぱり暗いんじゃないかしら」と根っこの部分で思っていて、それ故に廃虚の未来はよりリアルな姿に感じられます。確かに科学は進歩しているけれど、例えば二十年前に想像していた物と比べても、その内容はどちらかというとグローバルというよりはアンダーグラウンド、開放的な輝かしさというよりはパーソナルでどこか卑屈な様相を呈しているような……。だから主人公が薄暗い板張りの個室で、犬に餌をやりながら机の上の大きな液晶モニターに向かって長いパスワードを打ち込み、「メールゼロ」と確認するようなそういうシーンってすごく身近に感じるのだな。というよりこれは今の心の現実そのものではないかしら
 物語は「クラス・リアル」のステージへと足を踏み込んだ主人公が、自我にとっては仮想も現実も同じこと、という認識へと至るまでを描くのですが、それ自体は今や目新しいものではないかも知れません。ただその映像感覚は、ポランスキータルコフスキーの作品に近いので、その仮想空間がどこか古びた、よりノスタルジックな物……これは個人的な子供の頃の記憶と言うよりも、失われてしまった歴史の記憶とでもいうべきものに対する郷愁、自分の体験していない時代と地域であるにも関わらず懐かしさを覚えるようなそんな景色として現れてくることに逆に新鮮さを感じました。そういえばポランスキーもポーランドの人だったっけ。今回は撮影監督や衣装デザイナーも向こうの人を起用していて、それが画面にぴったりとはまっていてカッコイイのですが、それだけにアヴァロン空間に突然出てくる未来ヘリとかに少々違和感が……そこだけなんか「バンダイビジュアル」してるんだもの。どうせならメカデザインも向こうの人を発掘して欲しかったなあ。

【映画】シャマラン「アンブレイカブル」
 「シックスセンス」で大当たりを取った若手のインド人監督シャマランの新作。なんでも脚本が史上最高の500万ドルとかで、なにはともあれ、大したもんですねえ。
 ブルース・ウィルス演じるデヴィッドは、列車事故でただ一人生き残る。まさに死人が見える子供を描いた「シックスセンス」とは裏返しの構造、というより文字どおりの「ダイ・ハード」なる男の登場とも言えましょうが、実はこの作品、冒頭で赤ん坊の状態から登場するサミュエル・ジャクソン演じるイライジャの方が主人公。前作の感動を期待する人からは少々否定的な意見も出てきそうですが(私の周囲でも「前作はまぐれ当たりか」との声あり)、善と対立し倒される悪ではなく、善と相補的に存在し合う悪を描こうとした点で私は意外と面白いと思ったんですけどね。500万ドルの脚本にしては何というかかなり地味な内容ですけど。ショッキングなシーンは極力省かれています。冒頭の列車事故もニュースのワンシーンであっさりと説明されちゃうし。
 カメラの使い方は前作同様見事だと思いました。この人の場合、ワンカットを効果的に多用してます。スピルバーグが「激突」や「ジョーズ」でカメラを低く置いて構図で迫力を出し、めまぐるしくカットを切り替えることでスピード感を出して現在のハリウッド調の画面作りのパイオニアとなったのに対し、カメラの首を振って椅子の向こう側の人物の会話を盗み見したり、天井からのアングルで格闘シーンと人物の死のリアリティを出したりと、随所に工夫が見られます。これってヒッチコックへの回帰と見えないこともないんだけど、登場人物に対する独特の「まなざし」が、異様な雰囲気を醸し出してます。それほど大袈裟な演技も特殊なライティングもしていないのに、存在感が十二分に感じられるのでした。

【書籍】川又一英「ヒゲのウヰスキー誕生す」
 ニッカウィスキーの創立者竹鶴正孝の伝記。摂津酒造入社後大正7年に単身英国に渡り、スコッチウィスキーの製法を学び、帰国後寿屋(後のサントリー)へ入社、山崎工場を建設して本格ウィスキーの製造に尽力し、その後北海道に渡り大日本果実株式会社(後のニッカウィスキー)を創立するまでを簡潔にまとめた本です。
 アルコールに添加物で味を付けただけの模造酒だけが市場を作り、酒税も整備されておらず本格ウィスキーのニーズもない時代に、自分で会社を作ってまで本物を作ろうとしたその意思の強さに驚かされます。今だって大抵の場合メーカーは酒税枠内でしか物作りはしようとしないし、消費者のニーズもなかった物を敢えて作ろうとは考えないでしょうに。
 基本的に「良い物」は売れないものです。コカコーラやマクドナルドが一番良いものとは誰も思わないでしょう。良い物を見極めるにはそれ相当の努力が必要で、放って置いても分かるというものではないのですから。そもそも良い物が簡単に大量生産できる筈もなく、ロマネ・コンティはたった数千本しか作られないからこそ価値があるのです。勿論一世を風靡した傑作という物は確かに存在しますが、それはたいていの場合儲けを目的に作ったりはしていません。手塚治虫氏が「鉄腕アトム」で国産発のテレビアニメシリーズを立ち上げた時、採算を度外視して始めたために高視聴率を獲得し続けたにも関わらず赤字続きで、しまいには倒産の憂き目を見ることになりますが、最初から儲ける積もりだったらそもそも傑作にはなり得なかったと思います。同じことは初期の「ウルトラマン」シリーズにも言えることで、「新しい物を作り上げよう」「完璧な物を作ろう」という情熱が全てに先行したからこそ、数十年、数百年先まで残る傑作となりうるのです。
 本編の中でも印象的なエピソードは、英国で巡り会ったリタという女性との結婚のくだりでしょう。戦前のことですから当然周囲の猛反対を受け、それを押し切って日本に連れ帰った後も、子供にも恵まれず第二次大戦の反米英感情の中非常に苦しい立場に立たされる……それでも生涯情を貫き通したところに、単なる頑固者を超えた不屈な精神を感じました。それで対照的に思い出されるのが森鴎外のエピソード。周囲の反対に屈してドイツ人の女性との結婚を諦めた鴎外は、確かに文学の分野では傑作を残したけれど、医学の分野では日露戦争の食糧支給の問題において、既に海軍が洋食を取り入れて脚気の罹病率を抑えていたにも関わらず、陸軍において白米一辺倒の態度を押し切って大量の脚気による死亡者を出すことになりました。その全てが鴎外の責任だとは思わないけれど、どうもそんなところに、パイオニアとして生きた人間と懐古主義に生きた人間との差を感じてしまうのでした。

【映画】マチュー・カソヴィッツ「クリムゾン・リバー」
 「レオン」のジャン・レノと、「ドーベルマン」のヴァンサン・カッセルの共演したミステリースリラー。監督は「アサシンズ」を作ったマチュー・カソヴィッツということで、非常にアンダーグラウンドな雰囲気を期待して見に行ったのでした。なにしろ「アサシンズ」は、主人公だと思っていた語り部の青年が中盤であっさりと殺されちゃうので、どちらかというととてもダークな嗜好の監督だなあという印象があったものですから。
 オープニングは放置され虫が無数にとついている死体の皮膚のアップから始まります。やがてその死体が解剖台に上げられ、生きたまま身体に無数の切り傷をつけられ、目玉をえぐり取られ、両手を切断されたことが説明されます。切り刻まれ死に至るまでの時間は五時間と推定され、ふと見ると閉じられた瞼から涙のように水滴がしたたり落ちる……分析の結果、酸性雨が含まれていたことが分かるのですが、その地で酸性雨が降っていたのは20年前、被害者が殺された頃には雨など振っていなかったことが判明します……。
 うーん、ミステリーのオープニングとしてはなかなかどきどきさせられる展開。「セブン」「薔薇の名前」を彷彿とさせるダークな映像も私好みです。提示された謎も魅力的だし、視覚的にもインパクトが強い。それだけに、後半の「クリフハンガー」的なアクションにはむしろ違和感を感じてしまったのでした。別にオチに不満はないんだけど、前半のダークな雰囲気、意味深な演出効果は最後まで残して欲しかったなあ。
 提示された謎の解明が正確に全て説明されていないのは、100分という短めの上映時間によるところも多いでしょう。なんか後半思いきりカットされたような印象を受けます。「シックス・センス」の監督は映画学校で「自分の気に入っているシーンから切れ」と言われてそれを実行した結果、あの作品のラストは強烈な印象を残すことに成功したと言っていますが、でもやっぱり切ればいいってもんでもないでしょう。特に原作が気に入っている小説だったりすると、肝心のセリフがまるごとごっそりなくなってしまうとさすがに頭に来てしまいます。今回の作品もせめて130分くらいにしてラストを丁寧に描いていれば相当な傑作になったと思うんですけどね。
 しょうがない、原作小説も読んでみるか。

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