3月

【舞台】プロジェクトSANS-SOUCI「ELISABETH〜彼方へ」
 ウェストエンドスタジオで上演された舞台。主人公はハプスブルク帝国最後の皇帝フランツ・ヨーゼフの后エリザベート。戦争でなく婚姻によって世界を支配したというハプスブルク家は、スペインのカール五世、オーストリアのマリア・テレジアといった著名な人物によって勢力を保ち続け、「キリスト教がヨーロッパの心なら、ハプスブルク家は背骨である」(江村洋「ハプスブルク家」講談社現代新書)とまで言われた名門ですが、13世紀から20世紀初頭まで中欧・東欧・南欧の全域に渡って影響を与えてきたハプスブルクの終焉はなかなかに淋しいものだったようです。
 フランツ・ヨーゼフは1848年に18才で皇帝に即位、1854年にエリザベートと結婚。それから1916年に死去するまでの長い在位期間、弟マクシミリアンはメキシコの皇帝となるも銃殺により処刑、皇太子ルドルフは男爵令嬢と心中、后エリザベートはジュネーヴにて無政府主義者に刺殺、甥の皇太子フランツ・フェルディナンドはサラエボで暗殺……と次々と肉親を失っていきます。
 エリザベートの死を知ったフランツ・ヨーゼフは、「この世ではあらゆるものが私から奪われていく!」と嘆いたといいますが、結果的にも第一次大戦を経てオーストリア帝国は崩壊し、その結果分裂した小国ハンガリー、ポーランド、ルーマニア、ユーゴスラビアの辿った運命も暗示的です。大家族主義のハプスブルクがバラバラに離れていく様と、帝国から自立を目指して小国がバラバラと離れていく様が重なります。それは自然の流れでもあり、避けられない宿命でありながら、そしてまた、孤立と自滅をも招いてしまうのです。
 舞台はエリザベートの死への憧憬を中心に物語られ、彼女の前にしばし立ち現れる死の影を、文字どおり「死」を演じる俳優の存在によって具現化し、道案内役を敢えてエリザベートを暗殺したルイジ・ルケーニに割り振ることによって、不思議なテイストに仕上げています。「死」はエリザベートにつきまとい、彼女に近しい人物は、バイエルンの皇帝ルートヴィヒも、息子のルドルフも「死」によって連れ去られてしまう。「決して負けない」と「死」を拒絶し続けた彼女は、しかし最後には自らその身をゆだねていく。「死」は求める相手でも戦う相手でもなく、ただ当然のごとく訪れる存在だった……そういう風に解釈したのですが、どうでしょうか。
 この劇でも登場するエリザベートの従兄弟は、ヴィスコンティの映画「ルードウィヒ〜神々の黄昏」でも有名なバイエルンの皇帝ルートヴィヒですが、彼はドイツ・ロマン派の代表格、というか別格の存在であるワーグナーに心酔し、その世界を実現するために劇場どころか城まで作ってしまったわけですが、最後には精神病と診断させ幽閉されたあげくに自殺してしまいます。ヴィスコンティの映画の中でも従兄弟のエリザベートはルートヴィヒが唯一慕う女性として登場しますが、それ故に彼は彼女に押しつけられた自分の婚約者を毛嫌いすることになります。
 エリザベートは理不尽な皇室の束縛を嫌い、自由を求めて各国をさまよう訳ですが、精神的には極めて不安定となり、その終着点はあまりに報われない淋しいもので、初めから「死」に魅入られていたのだと考えざるを得ないような有り様でした。それが必ずしも不幸だと決めつけることはできないわけで、自由すら意識することのなかった時代に比べると、人間性の自覚という意味ではこの自体に一つの進歩が見られたのだとも言えるのですが、ルートヴィヒもエリザベートも、その教養と知性の深さ故に決してその財産や地位によって幸福にはなれないというジレンマに苦しむことになります。時を同じくして、民族の自立という意識が生まれ帝国内に生まれた民族主義が芽生えた結果、帝国は瓦解し自立したはずの民族は紛争にあけくれやはり苦しむことになるわけで、その根底に流れるものはもしかしたら同じものかも知れません。自由と孤立はワンセットであるということ、形ある物はいずれは崩れ、失われるということ……そして、失うということは、耐え切れぬほどの痛みを伴うこともあるということ。
 人の心はままならぬもの。しかし人が自らの精神を第一と考え、自己主張を始めた時代、それと共に封印されていた「孤独」「精神錯乱」「狂気」の世界も自己主張を始めます。戦争ではなく婚姻で……というのは、確かに平和的で理想的のように聞こえますが、このエリザベートの物語を見れば、それが前時代的な現在では通用しなくなった手段となっていることは明白でしょう。それは単に男女同権とか独裁制の否定とかいう問題ではないような気がします。人が人として向き合わなくてはならなくなった時、それを国同士の結びつきの象徴とすることが難しくなったほど、逆に言えば人と人の距離は限りなく遠いものとなっているのではないでしょうか。



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