12月


【小説】京極夏彦「今昔続百鬼」

 そういえば京極堂シリーズが最初に講談社ノベルズに登場したのは、94年の「姑獲鳥の夏」。以降分厚いノベルズをコンスタンスに発表していたのが、98年の「塗仏の宴」以降ぱったりと途絶え、次回作は「陰摩羅鬼の瑕」と予告されてから早3年が経ちました。うーん編集部と何かトラブルでも? アイデアに詰まったか? いやいや文庫の書き直しに精力を使い果 たしているらしい云々、ちまたでもっぱらウワサになっている(というより勝手に私の思い込み?) わけなんですが……。もっとも、それ以降も番外編「百鬼夜行」や榎木津大活躍の「百鬼徒然袋」、パロディ集「どすこい(仮)」やSF「ルー=ガルー」 といった分厚い単行本も出ているので、新作には実は事欠かないというか、まだ読む方が付いていけていないという面 もあるわけでして。
 しかしやっぱりあの京極堂シリーズのノリが懐かしい(といってもたかだか3年ちょっとなんですが)……と思っていたところにこの新刊であります。「冒険小説」とか「多々良先生行状記」とかいうサブタイトルにちょっと違和感を感じたものの、「岸涯(がんき)小僧」「泥田坊」「手の目」「古庫裏婆(こくりばば)」 の四篇からなるこの作品集、タイトルだけ読んでいても思わずニヤニヤしてしまうのでした。
 ぱらぱらっとめくると、何と中にはふくやまけいこのイラストが……な、懐かしい……しかしなして京極作品にふくやまけいこ……?  水木しげる大先生や、せめて高橋葉介さんあたりならまだイメージできるんだけど……。多分に今回の作品集が、どちらかというとユーモア小説っぽい仕立てで書かれているからなのでしょう。やたらと傍若無人な多々良センセイと語り部のまじめで損な役回りの主人公との凸 凹コンビが、殆ど意味なく事件に巻き込まれ、センセイの全く推理でも何でもない妖怪解釈話が誤解に誤解を生んで犯人を自白させてしまう……というのが一つのバターンとなっています。どっちかというとジョイス・ポーターのドーヴァー警部シリーズのノリに近いかも。
 とはいうものの、第四編の 「古庫裏婆(こくりばば)」は、他の三篇と違って意外と残虐な手口の犯罪を扱っていて、このネタはさらに発展させていけばむしろ本編とでもいうべき京極堂シリーズで扱われてもおかしくはない程のものなのであります。だからというわけでもないのでしょうが、この作品のラストで、しっかりとあの「黒衣の男」も登場してくれるわけです。ばらしちゃってもいいよね、だって本のオビにしっかり書かれているんだもの。


【展覧会】東京都美術館「聖徳太子展」

 大体において、ガッコーでは歴史は大抵太古の昔の話から始まるので、あんまし得意科目でなくても、世界の四大文明とか縄文時代とかの言葉は大抵の人は覚えているし、日本史も浅間山荘事件安保闘争は良く知らなくても、卑弥呼とか遣隋使の小野妹子とか、645年大化の改新とかは結構そらんじているものです。ご多分に洩れず、私なんかも仏教の誰が何教なんて話はとっくに頭から消え去っていても、「聖徳太子」に関してはやれ「十七条の憲法」とか「冠位 十二階」とかはちゃんとインプットされていたりします。
 特に大学時代に山岸涼子作「日出処の天子」(通称「トコロテン」)を読んでからは結構ハマって色々と調べたりしたものです。 「日出処の天子」の主人公は当然ながら後の聖徳太子こと若き日の厩戸皇子。聖徳太子伝説を逆手にとって、冷たい美貌とずば抜けた才気を持ち合わせた超能力者として、宮廷内の権力闘争に策謀を巡らす禍々しい存在として描かれた厩戸皇子はとっても魅力的。その一方で母親を憎悪し、女性を嫌い、自らの子孫が死に絶える予知夢に苦しめられる悲劇的存在でもあるという、まさにツボを押さえた物語でありました。歴史物の少女漫画という点では池田理代子の「ベルサイユのばら」が先でしょうが、オスカルという存在感あるキャラクターを除けば、後はツヴァイクの「マリー・アントワネット」そのまんま、という気もするので、独自の解釈にもとづく世界という意味では「日出処の天子」の方が印象が強いのでした。この作品のどこからどこまでが作者の創作で、どこからどこまでが「聖徳太子伝暦」をはじめとする伝承に基づいているのか、今だに気になっていたりするのです。その「聖徳太子伝暦」の写 本も展示されていましたが、当然ながら全部「漢文」で、とても読めませんでしたけど。
 その山岸涼子氏の着想のもとになったのが梅原猛著「隠された十字架」。法隆寺にまつわる謎の数々について言及し、最後にはこの寺が滅ぼされた聖徳太子一族の怨霊を鎮める為に建造されたのだという結論を導き出すに至るという、なかなかに面 白い展開の内容でした。法隆寺怨霊寺説については当然反論も多く、何より梅原氏自身が自らの著作「聖徳太子」で少しトーンダウンさせてもいるのですが、その子孫が全て一人残らず殺されたという悲劇的末路が、逆に聖徳太子の神格化を促したのだという話は結構ナットクできるものがあります。菅原道真と違って、はっきりと怨霊の形で現れたという伝承を持たない分、「凶々しさ」という点ではややヨワイのでしょうが、やはり単なる「聖人」で片付けてしまうのは物足りないという気もしたりして。
 その「隠された十字架」によると、法隆寺の夢殿の中に納められていた秘仏の「救世観音」には二つの特徴があるといいます。背後が中空で背や尻を持たないこと。そして光背が頭部に直接釘で打ち付けられていること。この観音像は聖徳太子をなぞらえて造られたもので、背後が中空であることは人間としての太子ではなく怨霊としての太子を表現したものであり、光背が頭に釘で打ち付けてあるのは呪詛の表現であるというのであります。太子の子、山背大兄皇子とその兄弟を殺害したのは蘇我入鹿とされますが、梅原氏は「上宮聖徳太子伝補闕記」に、山背皇子殺害の共犯として軽皇子(後の孝徳帝)や中臣塩屋枚夫(しほやひらふ)らの名があげられていて、むしろ入鹿はこの陰謀に消極的だったとの記載のあることを指摘して、後の入鹿殺害の立役者中臣鎌足(後の藤原鎌足)が既に背後にいたのではないかと推測しています。聖徳太子の子孫を滅ぼしたのはむしろ後の藤原氏であり、それ故にその怨霊を鎮めるべく法隆寺を建立したというのです。
 今回の展覧会では、各地に散らばる太子ゆかりの仏像や絵画作品を一同に集めたということで、午前九時の開館ぴったりに行ったところ、割とゆっくりと鑑賞できたのですが、十時にはもうすでに入り口に十分待ちの行列ができていました。ことほどさように聖徳太子という存在は多くの人達に根付いているようです。残念ながらいわくつきの「救世観音」を始めとして多くの物は展示されてはいなかったのですが、思わず「似たようなブツがあるんじゃないか?」とじろじろ仏像を眺めてしまいました。
 光背が頭に釘打ちされているものこそなかったものの、飛鳥時代の止利派の菩薩立像のいくつかは背中が中空で、解説によれば正面 観照性を重視した造形なのだそうな。そういう意味では背後が中空というのは当時としては必ずしも珍しくはなかったようで、怨霊封じというのも少々行き過ぎの解釈なのかも知れません。その一方で、太子の生涯を絵で説明している「聖徳太子絵伝」が数種類展示されていたのですが、どれも全て太子の誕生に始まり、山背大兄皇子ら上宮王家の昇天で締めくくられていました。聖徳太子の一生とその子孫の滅亡は常にセットにして語られていたわけです。もともと日本人は、源義経にしても、楠木正成にしても、西郷隆盛にしても、有能でありながら報われず悲劇的な最後を遂げる者を賛美する傾向があるし、ある意味その徳性は悲劇を伴ってこそはじめて受け入れられるような気もします。



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