2月


【小説】粕谷知世「クロニカ」

 「文字を持たなかったのである。」
 衰退期のインカ社会を舞台にした、文字を持たず死者が生者に語りかける世界とカトリックとの対立を描いた作品は、この一文から始まります。なかなか効果 的なオープニングだと思うし、実際序章と第二章、そして終章は殆ど欧州社会における「文字の神」についての説明に費やされています。近代社会がある意味「文字」の恩恵と呪縛を過剰に受け入れているのは確かだし、インカ社会が高度な文明を文字を一切使わずに成立させていたことも非常に興味深い事実だと思います。「ミイラはテレパシーで一部の生者に話しかけることができる」というこの作品の設定も、その文字と文明をめぐるテーマを際立たせるために考案されたもののようです。
 そこに作者の強いこだわりがあるのは確かなんだけど、やはり読者としては登場人物達の数奇な運命にまず目が向いてしまいます。インカの小さな村に生まれた少年ワマンと、その友人アマル、そしてその妹サラ。サラは生まれつき口がきけず、ある日隼に連れられて姿を消す。好奇心の強いアマルは太陽の都に行き、語り部となって神殿に近付くが、卓女に手を出した罪により舌と両腕を引き抜かれる。ワマンは情報を口述で町から町へと運ぶ伝達史(チャスキ)となるが、やがて王国とスペイン軍との戦いに巻き込まれ、その中でアマルと再会する……。その物語は、既にミイラとなったワマンによって、アマルの名を継いだ少年に向かって語られるのですが、その少年も宣教師達に家族と引き換えにミイラを全て引き渡すように迫られます。
 太陽の命を永らえさせるためにいけにえとなることを迫るインカ社会も、キリスト教の神の名のもとに富の全てを強奪したスペイン軍も、共に理不尽な要求を人々に叩きつけてくる。それに真っ向から立ち向かうわけでもなく、全てを受け入れるわけでもなく、ただ必死にあがく人間の姿を克明に描こうとしている点に何よりも惹かれました。どうせなら喋ることのできないサラや、舌を抜かれたアマルにもっと焦点を当てて、文字のない社会で「話す能力」を奪われる悲劇をもっと突き詰めても良かったのではないかと思います。その方が「文字の神」の呪縛をより際立たせ、テーマをより深く掘り下げることができたような気がするのですが。
 ついこの間DVDで「ハムナプトラ」とか観たばかりなんで、同じミイラを使っていてもかなり視点が違っていて面 白いなあと思いました。こちらの方では死者であるミイラが転生の秘儀によってよみがえることのグロテスクさを(あくまで娯楽作品として)しつこく描いている訳ですが、なるほどこの立場から言えば、宣教師達がミイラを焼却処分しようとしたのも納得できないこともない。ミイラになっても生者に語りかけることのできる「クロニカ」の世界ではそれがこの上なく残酷な行為として描かれるわけですけど。
 ついでながら、ミイラが関西弁で語るという設定も結構面白かったです。どこかおどけた味わいが、血生臭い悲劇として読みづらくなるのをうまくカバーしているようで……。


【映画】アレン&アルバート・ヒューズ「フロム・ヘル」

 悪名高き「切り裂きジャック(ジャック・ザ・リパー)」を題材にした作品は結構あって、私も大学時代に興味を持って、仁賀克雄「ロンドンの恐怖」(ハヤカワ文庫)をはじめとして色々と観たり読んだりしたものです。なにしろ「ジャック・ザ・リパー」がその無差別 殺人を行った1888年の前後には、コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」の最初の長編「緋色の研究」(1887年に発表)、スティーブンソンの「ジキル博士とハイド氏」(1886年に発表)、H.G. ウェルズの「タイム・マシン」 (1895年に発表)等々イギリスでミステリーやサイコ・サスペンスやSFの原典たる作品が次々と登場してきたある意味とても面 白い時代であります。従って、こと「ジャック」を扱った映画には、ここら辺の同時代の作品をからませたものが多いです。79年の「黒馬車の影」(ジェイムズ・メイスンやドナルド・サザーランド等名優が勢揃い)ではシャーロック・ホームズが事件の真相を暴くし、同じく79年の「タイム・アフター・タイム」(「時計仕掛けのオレンジ」の主人公を演じたマルコム・マクドウェルが好青年たるウェルズを演じる)ではウェルズ自身が発明したタイム・マシンに乗ってジャックが20世紀サンフランシスコに登場するし、後私は観てないんだけど、「ジキルとハイド」との組み合わせも多いらしくて、アンソニー・パーキンス主演の「ジキルとハイド」ではハイド氏がジャックになるらしいし、 71年のハマー・プロ作品「ドクター・ジーキルとシスター・ハイド」ではジキルがなんとミス・ハイドに変身して殺戮を繰り返すらしいです。他にも例えばベルクのオペラ「ルル」(1937年初演)にも、最後に唐突に切り裂きジャックが登場するのですが、今回パンフレットにある説明で、「ルル」という名前そのものが、映画「パンドラの箱」でジャックの最後の犠牲者メアリを演じたルイズ・ブルックスの愛称から来ていることをはじめて知りました。
 今回の映画「フロム・ヘル」は、監督のヒューズ兄弟も主演のジョニー・デップも共に立派なリッパロロジストらしく、前述の「黒馬車の影」「タイム・アフター・タイム」のテイストを強く残しつつ(どこら辺にそのテイストがあるかは、作品のオチにも繋がることなのでここでは触れませんが……)極力史実に忠実に事件を描いていてとても好感が持てました。
 1888年に実際に起きた事件は、8月から11月にかけて、ロンドンの下町ホワイト・チャペルで5人の娼婦が次々と長いナイフで惨殺されたというもの。喉をかき切り内臓をえぐり出すという残虐な殺害方法で、結局犯人は捕まらず、数々の逸話だけが残ることになります。特に第三の殺人と第四の殺人は、一時間とたたない間に続けざまに起こっていて、第四の殺人の現場には犯人による落書きが残されていたにも関わらず、「暴動の可能性がある」という理由でウォーレス総監直々の命令で写 真も取らずに洗い流されたといいます。また最後の殺人、メアリ・ケリーの殺害はこのウォーレス総監辞任の当日に起こっていて、他の被害者が皆40代だったにもかかわらず、メアリだけは唯一の20代、遺体は顔面 をめちゃめちゃに切り刻まれ、腹部からは内臓が切り取られていたという悲惨なもの。しかも死亡時刻は午前二時から四時の間と判明した一方で、午前八時頃にメアリと会って話をしたという証言者もいるのに、これは虚偽の発言として全く無視されたのです。
 映画ではこういった様々な疑惑を見事に説明できるストーリーを用意していて、しかも当時の事件現場の挿し絵などの構図をそのまま映像化している箇所もあり、ジャック・ザ・リパー物としてはかなり満足のいく仕上りになっています。また、あえて直接的な「解体」のシーンを描かずに、暗闇に浮き上がる白い喉にさっと長いナイフが切れ目をつける場面 や、犯人とおぼしき人物が凶行の前に血のしたたる肉を食べる場面、精神医療と使用してロボトミー手術を行う場面 など、思わずどきりとさせられる映像をところどころに挿入して、この時代の不安な雰囲気をうまく出しています。
 殺されるかも知れないという売春婦達側からの視点もしっかりと描かれていて、決して興味本位 ばかりでこの事件を扱ってはいない、という部分も良かった。まあ、「ビクトリア女王の孫クラレンス公のスキャンダル」や、「フリーメーソン」がらみの部分は、76年に出版された「切り裂きジャック・最終結論」にある部分を相当なぞっているようですが……。
 売春婦の年齢とか、かなり事実に沿った形で映像化しているのですが、唯一かなり違うだろうというのが映画の主人公アバーライン警部。写 真が残っておらずスケッチだけなので容貌の方はなんとも言えないけれど、アヘンにおぼれて幻覚で事件を推理するというのは、これはどちらかというとコカイン中毒のホームズの方からの引用でしょう。引退後1929年に平穏無事に86才で亡くなったそうです。
 映画の原作は、アラン・ムーアのグラフィック・ノベル。ムーアはスーパーヒーロー達が殺されていくという異色のグラフィック・ノベル「ウォッチメン」で有名になった人。「フロム・ヘル」の方はまだ翻訳されていないようだけど、ホームページとかで紹介されている内容によると、ロマンスの織り込まれた映画とは全く違った破天荒なイメージの広がりのある作品みたい。「ペンタグラムで帝都ロンドンを守る」とかなんとか、「帝都物語」みたいな展開があるようだけど、一体どんなものなのでしょうか。非常に興味あるなあ。


【映画】ピトフ「ヴィドック」

 「観に行きませんか〜」と人に声を掛けておきながら、結局待ちきれずに一人で見に行ってしまいました。この映画の紹介を初めて目にしたのは「デザインの現場2001年12月号」「史上初、24pHDカメラによるゴシックミステリー」との触れ込みで、主に映像技術的な側面 からのアプローチがなされていました。従来のビデオテープは1秒30コマだったけど、映画のフィルムは1秒24コマだったため、それに合わせて1秒24コマで回るテープが開発されたとかなんとか。ジョージ・ルーカスが「スター・ウォーズ」の新シリーズをいずれは全編これで……と思っていたら先にピトフのこの作品の方が先に撮影されたというわけ。
 しかしあんましそんなことを気にする必要もないわけで、実際見てみると幻想性と娯楽性を両立された、白昼夢の中で繰り広げられるアクション・ムービーとでもいうべき不思議なテイストでした。19世紀初頭のフランスが舞台。冒頭、コッポラの「ドラキュラ」を思わせる激しくも不吉な音楽が響き渡る中で、オレンジ色に彩 られたガラス工場の中を進む主人公の探偵ヴィドック。そしていきなり黒ずくめのマントに磨き上げられた鏡の仮面 を付けた「アルシミスト(錬金術師)」との格闘。これはむしろ監督自身も言っているように「スター・ウォーズ」や「マトリックス」からの引用を思わせるけど、さすがにお国柄かハリウッド映画よりもより耽美的。ヴィドックは溶鉱炉に落ち、曇り空の闇とその合間に見え隠れする青空とがどこかアンバランスな街の下で、ヴィドックの死を知らせる新聞売り達の顔の不自然なほどのアップ。 そしてオープニングタイトル。クエイ・ブラザーズの「ストリート・オブ・クロコダイル」に出てきたような表情のない人形の頭が、乱暴にペンで書きなぐられた古びた紙の上に載せられている。そして場面 は変わり、顔に入れ墨をした不機嫌そうなヴィドックの相棒ニミエの元に、いかにも頼りなさそうな青年といった風の伝記作家エチエンヌがやって来て、ヴィドックの死の謎を解明しようと持ちかける。ヴィドックは偶然落雷を受けて焼け死んだ二人の男の事件を追っていたのだ。そこから映画は、謎を追うヴィドックとその足取りを追うエチエンヌの話を交互に描いていく。
 シュヴァンクマイエルやポランスキーの映画にあるダークでどこか不健全な世界と、昨今のSF・ファンタジー系のハリウッド映画の縦横無尽に登場人物達が飛び回る世界とが同居している、というのが正直な感想。実際、ある意味私の理想とする映像世界ではあります。何しろどっちの世界も好きなもんで。特に最初から最後まで登場人物を翻弄し続ける「アルシミスト」は一見ダース・ベイダーそのものなんだけど、鮮やかな身のこなしといい変幻自在な戦いぶりといい、犠牲者の断末魔の顔を自らの仮面 の鏡に写す残虐性といい、いきなりひきつった嬌声を上げるところといい、両性具有者的に描かれていてとても印象深かったです。シンプルでどこかチープさを感じさせる一方で、どうにも不可思議な性格の持ち主。
 やたら人物のアップが多いのも、不自然な曇り空に覆われた背景も、全て計算しつくされているといった感じ。落雷を受けて人間が燃えるシーンも、屋上から飛び降りるアルシミストのシーンもあえて現実離れした描き方をすることで、独特の「白昼夢感」とでも言いたくなるような雰囲気を醸し出しています。
 全ての場面に構図の工夫か見られる、なかなか希有な映像作品。結末にも意外性があるし。同じ監督の次の作品も楽しみ。でも劇場は空いていて、評判の方もそれほどでもないようなんだな。近くに座っていた数名の学生なんかあくびしていたし。フランスでは大ヒットしたこの映画の監督は特殊効果 を主としてやってきていたピトフ。前に「エイリアン4」で組んだジュネ監督の「アメリ」は本国同様日本でも「ハリー・ポッター」に続く大ヒットとなっているのだけど……。うーん、応援しなくちゃ。DVDが出たらすぐに買うぞ。



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